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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
江戸の花火 第六幕 吉原 花魁道中
28/57

(28)最後の一夜


 年の瀬も押し迫り、吉原遊郭は活気に満ちていた。

 遊びに興じる男たちでごった返しているが、中でも桔梗楼は群を抜く人気ぶりで、店の前を歩くのも難しい。


 格子向こうの花魁を眺めたいが、まず目の前の丁髷が邪魔をしている。

 人を押し退けて前へ進もうとする侍や、首を長くして格子越しの花魁を一目見ようとする商人など欲望と不満に満ちている。


「オイ、お蜀が見えねェぞ!」

 血のような紅の敷物の上に花魁たちが並んでいるが、お蜀にだけ御簾が掛かって、奥に鎮座していた。人影は分かるが、はっきりとした顔までは拝めない。


「あれが江戸一番の女か」

「見せろよ! 半刻しか披露されないんだってよ」

「御簾の向こうじゃ、どんな女でも務まるだろ?」

「馬鹿言えよ!――あの優雅な手つき、あれで撫でてもらったら……もう」


 隠されるほど暴きたくなるのが人の常。見えないものを見るには大枚払っても惜しくない。鬼子母天神にはそれだけの価値と実力がある。


 一夜を共にするなど二の次。まずは馴染みにならなければならないが、順番待ちも甚だしい。


 大金を費やし初会が叶ったとしても、嫌われて一瞬で終わるのが常。金で靡く女ではないが、金を払えば馴染みになれる。酒を注いでもらうにはほど遠い。


 御簾は訳ありで、お蜀は今も良家の女であるらしい。吉原で働いていることが露呈すれば、斬って殺されてしまうという。それでも命に代えても大金が必要で、夜な夜な吉原で稼ぐしか生きる道が無いという。


 そこまでの悲恋話をお蜀から引き出すために、通い詰め、その間も目玉が飛び出るような小判が動く。

 けれど大金払っておきながら枕の前で話だけとは肩透かし。膝枕でも、とりあえず寝たことに変わりない。尽くすことに喜びを感じ、大金を払ったことに安堵しつつ自慢する。


『俺は江戸一番の女と寝た。値は張ったがその百倍の価値はあった』


 それを聞いた者はさらに大金を持って桔梗楼へ足を運ぶのである。


 特別に御簾の張られたことで、ただのお蜀ではないと噂され、附加価値もうなぎ上ぼり。こうなれば小春も客をある程度選ぶことができる。


 小春が彗星のようにお蜀の座に就けたのは、この「伝説の女郎が作られる仕組み」のおかげである。ただし、成功するにはそれなりに客を誘引できる才能がなくてはならないし、度々使える手法でもない。実際に成功できるのも小春だけだ。


 張見世の格子の前で、客引きが木箱の上に立って客を誘導している。

『吉原の史上最高の美女、鬼子母天神をご覧になりたい方、最後尾はこちら! なお、こちらは有料。拝観料は要ご相談でござぁい!』


 見るだけで高額な金を取る。それを聞いた女郎の恨みは物凄いものであった。実際は自分たちと大差ないはずだろう。


 №2に落ちた朝霧は降って湧いたような災難に不満を隠せない。


 №3の八重は来月のお蜀が確定していたのに、急きょ取りやめになって泣いている。以下の女郎たちもお蜀への特別扱いに不満が溜まっていた。


 おテツの仕切りとなれば苦湯を飲むしかないが、その裏で女郎たちの間で、鬼子母天神をこき下ろそうと着々と画策が進んでいたのである。


 今夜、桔梗桜で花魁道中が行われる。

 開店前におテツが女郎全員に声をかけ、大広間に人が集まってきた。


 大輪の華のような花魁で埋め尽くされて華やかであり、熱っぽさが白粉の匂いに混じって漂っている。


 朝霧が後に座るお絹に話しかけた。

「おテツの鬼子母天神に対する特別扱い、度が過ぎてるよ。策を練るのはいつもの事だけど、天神と一緒に何か仕組んでる。おかげで私の客は減るばかりだよ」


 武家出身という触れコミで人気を得た朝霧は、癒し系の八重と僅差で競り合っている。稼ぎは朝霧のほうが多かったが、馴染みの客の数なら八重の方がはるかに多く、いつ順位が交代してもおかしくない。


「アンタが客につんけんしてるからじゃないのかい?」

 八重は優しい微笑みでも、鼻で笑いながら朝霧を追い越して前に座った。座る順は本日までの稼ぎ順である。朝霧は血管を浮き立たせて怒った。


「そこはアタシが座るんだ! おどき!」

「それは昨日までの話。おテツにきいてごらん」


 十二の時に売られ、六年働く八重には、数ヶ月前に女郎になったばかりの朝霧人気が落ちることなど目に見えている。いかに鼻柱が強かろうが、男に媚びを売り、骨の髄までしゃぶる気がなければやっていけない。


 地獄で助かりたいなら何度でも蜘蛛の糸を昇る覚悟が必要だ。


「お絹、アンタも八重に何か言いな!」

 そう言われても、お絹も朝霧がそう長くないと分かっている。

「ここは八重に譲った方が……」

「あんたまで! もう少しで岡上げだからって調子込むんじゃないよ!」


 お絹は青ざめた。周囲の視線が突き刺さるように痛いが、朝霧も非難の視線をあびた。仕方なく、朝霧はお絹を庇う素振りをみせた。


 実力のある者に付いていれば立場が保たれるのはどこの世界でも同じこと。端女郎だったお絹も朝霧の脇に座ることでのし上ってきた。


 朝霧は小声で囁いた。

「力を貸しなよ。二人とも消してしまおう」

 お絹もここが退け時だと感じているが、世話になった手前、逆らえない。


「八重の櫛を手に入れてきな。あたしは剃刀を手に入れてくる。それで鬼子母天神の顔にちょいと傷つけりゃいい。あとは櫛を落とすだけ」

 お絹は戸惑ったが、できないとはいえない。


「できなきゃ、あんたに客を回すのも考えようかねぇ?」

 朝霧の宴の席に呼ばれなくなれば、また辛い日々が続く。

「でも、鬼子母天神をまともに見た人なんて……」


 桔梗楼の花魁全員が勢揃いし、男衆がそれらを囲んだ。最期におテツと親方が入ってきた。

「仕事前にすまないね。今夜の御練りに先駆けて、皆に紹介するよ?」


 おテツが後方に手をまねくと、麻草履のかすかな音もなく、一人の女が現れた。


 嫉妬、羨望、恨み。桔梗楼の目が全て鬼子母天神に注がれた。ざわめき、そして皆が息を呑む。


 どれほど狡猾な花魁かと警戒していたが、そこにあったのは女郎たちが求める理想の心意気だったである。


 着飾れば、誰でも美しくなれる。

 けれど心を飾ることはできない。その女は凛として、黄金の輝きを放っていた。


 その胸中には愛がある。

 どんな姿でも小春を愛すると言ってくれた彦左衛門を信じる心がある。


 芸妓の小春は時に憂愁に包まれて切なくさせるが、今は愁いを感じさせない。


 吉原の『女の愚痴』を打ち破る心がそこにあった。悲劇の境遇に負けぬ強さと女の争いを好まぬ平和的な微笑みもあった。悪意は陽に消える朝露のように消えていく。


 朝霧のように一部の人間はそれを受け入れられないが、お絹が気付いた。


 ――芸妓の小春さんだ。


 鬼子母天神はそっと微笑んで頷く。おテツは咳払いしてお絹を嗜めた。


「お蜀の鬼子母天神。元は品川宿で売ってたんだが、そん時に名が知れすぎて伝説とまで言われた女だよ。訳あって少しの間、ここで働いてくれることになった。御練りの金百両、この鬼子母天神が全額自腹を切ってくれた。皆、礼をいいな!」


 全員がおテツと小春の前に平伏した。

 小春は歩み出て、一人ひとり顔を頭に焼き付けながら啖呵を切った。


「源氏名、鬼子母天神でありんす。

 本日から正式に桔梗の顔として働かせていただきます。これまでの稼ぎ、金三百五十。皆さま御異存無き事かと」


 朝霧や八重でも及ばない額を数日で稼ぎ出したのは驚きである。


 おテツがにやりと笑う。

「お蜀の脇に立ちたい奴はいるか?」

 ほぼ全員が手を上げたが、挙手しない中に朝霧とお絹がいた。


「御練りの後に特別な宴がある。客は日本橋井筒屋、旗本花田家、鍵屋、その他諸々、みな上客だよ。桔梗の女郎全員に、盃受けてもらうから馴染みにしたい奴は精だして頑張りな!」


 一同が頭を下げる。すると小春は前に出た。


「ひとつ皆さまにお伝えしたいことがありんす。

 この宴の狙いは鍵屋清七。大玉の花火で毎晩吉原の空を飾ってもらい、この吉原に大輪の花を咲かせたい……」


 三味線と小太鼓が鳴った。

 笛の音と共に長唄が始まったが、それは誰も聞いたことのない唄であった。


 (現代語略で)


 ――江戸の花火も花魁も

   どれもおんなじ夜の華。

   男の極楽、女の地獄。

   大門くぐるがさだめなら、

   男をおとすもあちきのさだめ。


   燃える命は短かろうが

   刹那にひらく大輪の華。

   お上も認めたこの吉原で

   栄華の極みは花魁道中。


   どうせ散りゆく花なれば

   派手に咲かせてみようじゃないか。

   生きた証の女の華よ」


 わっと拍手がおき、涙する者もいた。花魁道中が一夜の祭りのようになってきた。


 小春は確信と共に覚悟を決める。


 ――これで清七の女は必ず姿を動く。

   このようなことでしか、小春は彦さまのお役にたてないけれど、これで……。


 


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