(15)焦り
鍵屋の座敷である。
師走の寒さは厳しかったが、中は暖かくなってきた。火鉢の炭がすっかり白くなって、赤い残り火が見え隠れしている。
清七は鼻をすすり、小さく丸くなっている。火鉢に翳した手をこすったが寒さのせいではなかった。
「狼狽したところを、また見られてしまいました。情けないですなぁ」
清七が弱々しい笑みを見せた。本来は大柄で大胆な清七である。小春は胸が痛んで正視できず、視線を下に落した。清七は大事そうに簪を懐から出した。翡翠の玉に鳳凰の羽根を真似た金の羽根の飾りがついて美しい。
「この簪は一品もので、職人に特別に作らせたものなのです」
翡翠は古来より勾玉などに使用され、生命力をあげる石として呪術にも使われることがある。そして永遠の命を象徴する鳳凰。おそらく清七が病床の妻の延命を願って作らせたのだろう。
「奥方さまを愛してらしたのですね」
清七は二度頷いた。
「でも、この簪は呪われているのかもしれません。妻と、おゆう。二人ともこの簪をさしてこの世を去ってしまったのですから……」
清七が簪を握った手の上に小春の白い手が重ね合わされた。
「呪われているなど、思い出の詰まった形見ではないですか。ここは小久保さまになんとしても下手人をあげていただきましょうね」
清七は小春の手をしっかりと握り返し、離さなかった。そして小春の顔をじっと見つめる。
「旦那さま?」
「……。いや、――そういえば、小久保さまは?」
「ええ。小用があって、もうそろそろこちらに来るころかと」
清七がやっと手を離したので、小春は胸を撫で下ろした。
「先日の晩、遅くに花田征四郎さまがこちらにお越しになったでしょう? その時の様子を伺いに今日は参りましたの。お酒が入っておりましたし、ひと癖あるようでしたので心配で……」
小春の予想ならば、おゆうの死を知った征四郎は鍵屋に乗り込んでいったはずだ。
「花田さまとお知り合いですか? 奇遇ですなぁ」
「芸妓ですから」
「確かに少し酔っておられたようですね。千鳥足で、それと睨むような目。あれが恐ろしゅうございました。
しかもなぜ今頃になっておゆうが死んだのかと。小春さんは許婚の征四郎さまに私が連絡をしないとお思いですか? 葬式も終わっているのに、今まで顔も見せず、酔っ払いとはいえ、何と白々しい嘘をつくことか! 私も堪忍袋の尾が切れてしまって……征四郎さまを追い返してしまいました」
「えっ?」
清七は苦笑いをしながら着物の袖をまくると、白布が巻いてあった。
「命は取りとめましたが、これでは来年の隅田川は厳しいかもしれません」
小春は手を口にあて、寂しそうな表情を見せた。
「私も夏は屋形船で鍵屋さんの花火を見ながら三味線を弾いておりましたのに、残念ですわ」
「花田さまもお怒りになって、凄い目で玉吉を見て、『お前がやったのだろう!』と叫んでおりました」
小春は疑問におもった。おゆうさんを殺したのが玉吉だと、どうして征四郎は思ったのだろう。
「玉吉は女心が分かりますし、人も良いですから。おゆうが花田さまに対する愚痴をこぼすのを玉吉は聞き役になっていたようです。そこを花田さまが見かけたらしく、浮気だと。酉の市より少し前におゆうが殴られた時は、私は花田さまを信じられなくなってしまいました。でもおゆうは花田さまを信じていたと思います。
酉の市には花田さまに根付を買うのだと喜んで出かけていきましたのに……!」
「玉吉さんは何と?」
清七は気まずそうに頭を掻いた。
「玉吉はえらく怯えてしまいまして、花田さまがおゆうの仇で自分を討ちにくるから番頭職を退くというのです」
「じゃ、玉吉さんは?」
「知合いのところに避難させてました。ほとぼりが冷めたら、店を一件持たせようと思っております」
その時、彦左衛門が部屋に入ってきた。
「清七、落ち着いたか?」
清七だけでなく、小春も安心した顔で彦左衛門を見た。小春はすぐにぴったりと寄り添い、後脇に座ると仔細を説明した。
「え? 玉吉は鍵屋の知り合いのところにいるのか。わざわざ工場まで行くことはなかったな。今、弦斎のところに行ってきて、久々に酒を酌み交わしたわ」
「まぁ、珍しいですわね。小久保様が昼間からお酒を嗜まれるなんて」
「少しだけな。弦斎とはどちらが強いかとよく喧嘩した仲だったのに、先日吉原で会った時はお互いに歳を取ったものだと笑えたよ。もっと話がしたかったが、喧嘩早いのに付き合ったら、会話もままならん。今年の酉の市に行ったのかと聞いても、うんともすんとも言わんのだ」
彦左衛門はそう言いつつ、清七を見た。
「そういえば、小久保さまは士道館の弦斎さまとお知り合いでしたね」
「そうですよ。ヤツとはよく一戦交えたものです」
「弦斎さまと!――小久保さまもお強いのですね」
「いえいえ。私はそれほどでも。清七さんはどちらで弦斎と?」
「お恥ずかしい話ですが……」
清七は彦左衛門に耳打ちした。弦斎から聞いた話と大差はなく、嘘をついているようにも思えない。
花田征四郎はおゆうにぞっこんで、征四郎は玉吉が殺したものと思っている。清七からすれば、征四郎は乱暴な人物で、征四郎がやったものだと信じている。彦左衛門はそのどちらとも思えなかった。
彦左衛門は小春の話に頷きつつ、その名月のように美しい顔をじっと見つめていた。
視線に気付いた小春はガラにもなく、じわじわと耳まで赤くなってきた。芸妓の仕事をしている時はごく冷静でいられるのに、彦左衛門の前ではそれができないのである。
「ひこさま。何ですの?」
彦左衛門は黙ったままだ。
別に清七の前でのろけようとしているわけではない。美しい顔をわざわざ焼く下手人の心理について考えていただけだ。
いまさら物獲りや暴行だとは考えられない。明らかに本人に対しての恨みがなければ顔を焼いたりしない。だが、おゆうを愛していたはずの征四郎や玉吉が首を締めたあと、その顔を焼いたり、堀に投げたりするだろうか。しかも形見の簪だと知っていて、「天誅」と書かれた紙を貼るような人物だ。
――征四郎ではなく玉吉でもないだろう。他の誰か。物事を見る角度を変えねばならんな。
それが彦左衛門の出した結論だった。
下手人はおゆうに強い恨みを抱き、晴らした。おゆうを愛していた者なら、そこまではできないはずだ。
「――では他に心当たりが?」
「……」
彦左衛門の心を呪縛するのは、天誅の二文字だ。
形見の簪を使い、おゆうが死んだのは天の謀だと語らせたかった下手人の真の意図はどこにあるのだろうか。事件の解決に向けて探し回った挙句、彦左衛門は迷走し焦りを感じずにはいられなかった。




