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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
江戸の花火 第三幕 聞き込み
14/57

(14)過去はそれぞれ


 お篠の話によると、玉吉はよく工場にでかけていき、数日戻らないこともあるという。

彦左衛門は玉吉に会うために屋敷をでた。小春を置いていくことは忍びないが、小春が玉吉と再会することが何となく気に障ったのだ。

 ひゅうひゅうと乾いた風に、手を袖の中にしまって川沿いを歩く。母屋から離れ、人の気配のない工場(こうば)まで遠い。

 川沿いに工場が立つ理由は二つある。一つは火薬を扱うということだ。街中にあっては大火の因となるためで、お上からのお達しである。

もう一つは利便性からであった。江戸の夏はむし暑い。涼しい場所を求めた江戸っ子たちはこぞって、隅田川の屋形船に繰り出す。鍵屋では竹筒に火薬玉の入った細い筒型花火を屋形船の脇で打ち上げる。これは川面がいっぱいになるほどの人気で、花火師の主な収入源であった。

 今は師走なので、夏にむけての準備をしているはずだ。しかし工場は閑散としていて、動いている気配がない。

「誰もいないのかい?」

 彦左衛門の声は風に流されて誰にも届いていないようだ。 工場の入り口で彦左衛門は仁王立ちして耳を澄まし、しばらく踏み止まった。やがてゴトリと障子戸の開く音がした。

「誰だ?」

 地を這うような低い声の主は、ここでは“親方”の愛称で呼ばれている。鍵屋に一番長く勤めていて、職人どものまとめ役をしている男だという。

「吉原大門番所の小久保彦左衛門と申す。玉吉はいるか」

 親方は皺だらけの顔を一層不機嫌な顔にした。

「玉吉ィ? いねえよ。ちょっと前からトンと姿がくらましやがった。番頭の癖に店を放り出しやがったんだ!旦那さまがご心痛で仕事が手につかねぇって大事な時にトンズラだ」

「逃げた?」

「あぁそうだよ。だから俺ぁ必死に探したぜ。そしたら、街中でばったりよ。嬉しそうな顔でどこかの町娘と街を闊歩しやがって。顔ばっかり良くて、誠意の無い奴だったと、オレぁ嫌になってたところだぜ」

「玉吉の家は?」

「浅草寺の横の田んぼの方だ」

 彦左衛門はそれを聞いて踵を返したが、親方が彦左衛門の袖を引っ張った。

「玉吉、何かやったのか? だから逃げたのか?」

「仔細を聞こうと思っているだけだ」

 親方はそっけない態度でいたが、一言つけくわえた。

「まぁそうだろうな。玉吉は何かやらかすような度胸は無ぇもんな。ところでお侍さん、あんた――うちの旦那をどう思う?」

 彦左衛門は親方の質問の意図が分からなかった。ただ、人には表と裏の顔があるという意味は通じた。

「清七はおゆうの骸を見て嘆いていた。嘘はなかったぞ。優しい父親だ」

 親方は鼻にかけて笑い、吐き捨てるように横を向いた。

「おゆうには良い父親だろうよ。でも男としての話は別だ。旦那がいい着物を着ているのは女にちやほやされたい一心からよ。大人しいふりをしているが、下心丸出しだと思わないかい。職人の俺たちとしてみりゃ腹も立つ。

 火薬の仕事は命がけさぁ。その隣で偉そうな顔をして、実は女のこと考えているんだろ」

「……。やっかみじゃねぇか」

 彦左衛門は低い声で呟いた。金持ちが身だしなみに気を遣うのは当然のことで、それが客との信用に繋がることなど職人には理解できぬことなのかもしれない。彦左衛門としても清七の気持ちのほうが共感できる。店を保ち、持ち多くの職人を食わせていくことの責任は重く、それが何代にも続く店ならば猶更大変なことだろう。仕事中、小春のことを考えてばかりの彦左衛門としてみれば、清七は真面目に頑張って働いているように思える。

「やっかみなんかじゃねぇよ。うちの旦那の吉原通いのせいでお役人さまがこんな遠くまで調べに来ているんだろ? まったくうちの旦那も玉吉も似た者同士だぜ」

 親方はおゆうが死んだことは分かっているが、その場所が吉原だったことまでは知らないようだ。

「似た者同士?」

「女だよ。玉吉は気風のイイ男だ。女には困らねぇが、その分面食いでな、とっくに店を出せるのに、玉吉が通い番頭してたのも、うちのお嬢さんがいたからだ。だからお嬢さんが亡くなっちまったら、きっともうここには未練がねぇんだ。来年の夏には玉屋の看板を掲げて、鍵屋と張合うつもりだろうな」

「そいつは本当かい? お前の推測だろう?」

「俺の推測に間違いがあるもんかい。旦那だって同じさ。奥方さまが亡くなったのだって、心労が祟ってのことだ。旦那は昔っからの浮気症で、百合みてぇにお美しい奥さまだったのに、もったいねぇ。今だって他の女のところに、顔をだしているみたいだぜ? お嬢さんが亡くなろうが関係ねぇんだろ」

「清七にそのような面があるのか。にわかには信じられんが……」

 清七も男だ。独り身は寂しかろう。まして心の支えを失ってしまった今、女のもとへ駆け込む気持ちもあるだろう。親方が言うほど、清七が女狂いだとは思えない。それよりもこの親方の僻みが少し強いのではという気がしてきた。

「お主は旦那が嫌いなのか?」

 親方は再び鼻を鳴らして笑った。

「嫌いも何も。俺は花火師だが、旦那は商売人よ。職人の気持ちなんて旦那にはどうでもいいことなのさ。俺が大玉を空に上げてみたくても、金にならねぇもんは目もくれやしねぇ。あんなんじゃ、いずれ他の花火師に先を越されるのがオチだ。旦那は弦斎さまの忠告がなきゃ、何にもできねぇ男だよ」

 ――弦斎。

 彦左衛門は指で顎鬚を撫でた。合縁奇縁。昔のよしみで聞いてみるのもいいかもしれない。

 


 小久保彦左衛門は久しぶりに士道館の門をくぐった。

 彦左衛門にとって感慨深い場所であった。遠い昔のように思えた場所が、昨日の事のようにはっきりと思い出してきた。

 弦斎もまた、暖かく迎えてくれた。

「とっておきの酒がある!」

 弦斎は嬉々として押し入れから酒瓶を出し封を切った。縁側で燻製をかじりながら湯のみで酌み交わした。妻か女中の一人でもいれば、旨いものを作ってくれるだろうが、生憎弦斎はまだ独り身だ。

 昔話の談義は尽きないものの、本題は鍵屋の一件のことだ。

 彦左衛門はおゆうの死体が上がった日に弦斎と鍵屋清七に出会っていた。

「あの日に出会ったのも、まだ縁があったということですな。お主が去ったせいで私が師範になったが、実力での決着はついとりませんぞ」

 弦斎は刀の鍔をガチャガチャ鳴らせてニヤニヤと笑っている。決着をつけよう、ということである。

 弦斎は戦いたい様子だが、彦左衛門にその気はなかった。

 最近では刀の手入れをするのも面倒だった。武士の命とか言われるが、腰にぶら下げても、事件帳を書く筆の方がよっぽど役にたつ。刀などただ重くて邪魔なだけだ。

「あれ以来振っておらんからな。鍛えているお主には勝てまい」

 彦左衛門は挑発したくないために言葉で譲ってみせた。今日は聞きたいことがあってきたのだ。剣を交えてしまっては目的が果たせない。

「弦斎どの。鍵屋について教えてくれぬか? お主、鍵屋と親しいだろう。「天誅」の張り紙からして、この件はただの殺しとは思えぬ。鍵屋の過去に何かあるのではと思ってな」

 弦斎はしばらく黙っていた。

「鍵屋はうちに出資してくれる恩義ある方だ。滅多なことは言えぬが、お主と私の仲。真剣で勝負を受けてくれるというなら、話してもいいが?」

 相変わらず好戦的な弦斎である。彦左衛門は仕方なく了承した。

「では、先に話を聞かせてもらおう。斬られたあとでは約束は果たせそうにないからな」

 弦斎と鍵屋が知り合ったのは五年ほど前からのことだという。

 工場の親方から聞いた通り、その頃から清七の奥方は病気がちで、清七は女遊びが好きだったらしい。

「清七と初めて知り合った場所も吉原の茶屋だった」

 人には意外な一面もあるものだ。清七の豪遊に巻き込まれる形で弦斎は清七と行動を共にするようになったのだという。江戸時代が封建社会で武士が権力を持とうとも、商人の金の権力に叶わぬこともある。弦斎も士道館を続けるからにはその理から逃げることはできないのだ。

「清七は意外と頭のいい男だ。女には弱いがな」

 清七は長い間一人の女郎に入れ揚げていて、花田家を招いてよく吉原で遊んでいたらしい。

「その女郎の名は?」

「さぁ? 知っての通り、やり手が花魁を選ぶからには、私に聞いても無駄だ。そういう事はお主の専門ではないのか?」

 確かにそうではあるが一応聞いたまでだ。詳しいことは目付けの銀次にでも聞いてみるか。

「――で、贔屓の店ぐらいは知っているのだろう?」

「桔梗楼だ」

 彦左衛門の眉がピクリと動いた。


 ――またしても桔梗の名が出た。


 弦斎は勇んで前に出た。

「さぁ、言うべきことは全部話したぞ。では小久保、いざ参ろう!」

 彦左衛門は苦笑いをしながら頷いて前にでた。

「そういえば、お主は酉の市には行ったのか?」

「あぁ?」

 弦斎は言葉を濁した。

「小春が酉の市に清七と偶然出くわしてなぁ。勿論一緒だったのだろう?」

 弦斎は笑ったまま答えなかった。答えられぬということが、答えなのか。

「始めるぞ」

 弦斎がそろりと刀を抜いた。小柄ながら重厚な圧力を感じた。

 だが、彦左衛門はニヤリと笑った。

「この竹みつでもか?」

 彦左衛門が刀の半身を抜くと、黄色い竹の色が見えた。弦斎はぎょっとした表情で刀と彦左衛門を交互に見つめた。

「なんと!? お主にはがっかりだ!」

 武士の誇りである刀が偽物だとは、彦左衛門も落ちたものだ。

 弦斎の冷たい視線が浴びせられたが、彦左衛門は一向に気にする様子もなく、豪快に笑いながら刀の柄をポンポンと叩く。

「一介の役物書き役人などは、筆と口のほうがよほど役にたつものだ。戦国の世はとっくに終わっておる。家族に米を食わすためなら、これも仕方あるまい」

 そう言って戦わずに士道館を後にした。

 心地よい風が吹いていた。

 帰り途中の河原で竹みつの刀をするりと抜くと、剣先はまぎれもなく鋼であった。飯粒のついた竹の皮が表面に貼ってあり、それを道端に投げ捨てた。

「あいつとまともにつき合っては命がいくつあっても足りぬわ」

 そう言うと笑みをこぼした。

 そして浪人と幻斎が刀を交わしたのを思い出した。刀を何度か振り、鞘に収めてみる。


 ――あえて人を挫くこともあるまい。


 颯爽と歩き出す彦左衛門がそこにいた。


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