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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
江戸の花火 第三幕 聞き込み
11/57

(11)花田征四郎

 その夜、旗本花田家の門を叩く者があった。

「後生でございます。お助け下さいまし……」

「このような夜遅くに、女が門を叩くとは何事だ?」

 しばらくすると、くぐり戸の閂が開く音がし、男が一人現れた。

 門の前にうずくまる妖艶な美女を前に、門番の男は肝を冷やした。

「申し訳ございませぬ。実は先ほどから妙な男に後をつけられているようなのでございます」

 小春がチラリと後を振り返ると、確かに人の動く気配がした。

「走って逃げて参りましたが、さしこみで、もう動けませぬ。ここはひとつお助け願えませぬか」

 門番は不承不承迷ったが、結局首を横に振った。

「悪いが他を当たれ」

女の言っていることに嘘はなさそうだが、夜分に主の承諾なしに女を連れこんで何かあっては自分の首が飛ぶ。ここは門番として、責務を果たすことが大事だ。

「申し訳ないが、ここは由緒ある花田家の屋敷。素性の判らぬ者を入れる訳にはいかぬ」

 そう言っている間にも小春は門番の懐にぐったりと寄りかかった。そうとう具合が悪い様子だ。走って汗をかいたせいだろう。ぷん、とおしろいの匂いがした。

「そうでございますよね。やはり無理なお願いでございました。いくら鍵屋清七さまと私が知り合いとはいえ、それは花田さまとは縁もゆかりも無きこと……」

「鍵屋と知合いか?」

 小春は頷いた。でもそれだけでは何の証拠もない。女の口からの出任せということもある。門番は迷った。

「お助けください……お金なら」

 小春は懐から小銭入れを取り出した。門番の顔が緩み小銭入れを奪い取った時、大きくしっかりした手が小春に小銭入れを返した。花田征四郎が庭先から女の声を聞いてやってきたのだ

「何事だ?」

「この女、鍵屋の知り合いで。追っ手がかかっている上、具合が悪いようで……」

「鍵屋の?」

 花田征四郎は背が高いわりに豪腕で、小春を簡単に抱きかかえた。


   *   *   *


 帯紐を緩め、しばらく横になると青ざめた顔に紅がさしてきた。実は帯紐をわざと一本きつく締めて走ったのである。小春の傍で征四郎は汗を拭く優しさがあった。

「名は何と申す?」

「小春と申します。深川で芸妓を営んでおります」

 小春はうやうやしく頭を下げ、征四郎にぴったりとくっついた。

「もう大丈夫なようだな?」

「お優しゅうございますね。私のような卑しい身分の者をお座敷にまで上げていただき、どのようにお礼を申し上げたらよいか。本当に感謝しております」

 征四郎が大きな口で笑うと、歯並びの良い白い歯が光った。

「今から晩酌だが、もうひと休みするか?」

 小春の小さな手が征四郎の手を握りしめ、頭を肩に凭れかけた。伏せ目がちで長い睫が色っぽい。

「何のお礼もできませんが、お酌なら務めさせていただきます」

 征四郎はまんざらでもない顔で小春の肩を抱く。

 誰かに恋をしている人間なら、この手は小春の肩に回らないかもしれない。それともただの女好きなのだろうか。恋人が死んでも、普通の振りをしているだけなのか。

 ――この男はおゆうが死んだことをどう思っているのだろう?

 花田征四郎と小春が杯を酌み交わしてまだ半時しか経っていないのに、征四郎の顔は真っ赤で、ロレツも危うい。そして何よりも酒癖の悪さが問題だ。豪腕な征四郎、実は泣き上戸だったのである。

大男がしくしく泣いて、小春の小さな膝の上に頭を傾げて撫でられている。

「女には縁がねぇんだ。ホトホトついてねぇ。

 おゆうは優しい女だった。縫い物が上手で、小遣いをやったら男物の反物を買ってきやがった。なのに俺が甲州にいる間にあいつは変わっちまった。心変わりしやがった!」

 征四郎は悔し泣きしながら、杯を呷った。

鍵屋の話では、征四郎は付き纏いに近いと言っていたが、こうしてじかに見るかぎりでは、そうでもなさそうだ。いったいどちらが本当のことなのか。

「若さまのような素晴らしい御方を振るなんてねぇ……何かの勘違いでしょう」

「いいや間違いねぇ。貧乏くさい簪刺しやがって。おゆうは俺の許婚なのに、俺のことは相手にもしてくれねぇ。いい加減頭にきて、一度だけつい殴ったが、実は今でも後悔しておる。

 なぁ小春。お前、清七と仲がいいのだろう? もう一度仲を取り持つように言ってはくれぬか?」

 小春の征四郎を撫でる手がピタリと止まった。

「若さま、鍵屋さんがこちらにおゆうさんを捜しに来たのをご存知でしょう?」

「話は聞いた。俺は御用で留守だったのでなぁ」

「留守?」

「おゆうがまだ帰らないから、屋敷にいるのではと疑うので、いないものはいないと言っただけだ」

 小春は一瞬、征四郎が嘘をついているのかと疑った。あれから何日も経っているのに、恋人が死んだことを知らないのだろうか。

「若さまがおゆうさんと最期に会ったのはいつのことでございますか?」

 征四郎はおゆうの顔を思い出したらしく、また湿っぽく泣き出してしまった。

「……。ん、もう。若さま。しっかり!」

「おゆう~!」

 小春は征四郎に泣き付かれて愛想笑いをした。大事なところになると、聞き出せない。誤魔化しているのか酔っているのか。どちらにしても酔っ払いの迷い言である。これが演技なのか、真実なのかとくと拝見したいところだ。小春は賭けに出た。

「若さま。よく聞いておくんなまし。おゆうさんは、先日、帰らぬ人になりました」

「馬鹿を申すな。さては小春、酔いが廻ってきたな……悪ふざけも大概にしてくれ。おゆうの後釜でも狙うつもりか? まぁいい。お前のように美しい芸妓なら傍に置いておきたいものだ。ただし妻の座はおゆう。小春は妾だぞ」

 征四郎は白い歯を輝かせて杯を満たすよう小春に求めた。殿、ご満悦。両手に華を想像して、笑みを隠せぬ征四郎であった。

「そんなことで俺のおゆうへの気持ちは失せぬぞー!」

 意気揚揚と酌を受け、杯を空にすると、後方へぶっ倒れた。

「嘘ではございませんよ。酉の市に吉原の外堀で、桜川模様の着物で町娘があがったんです」

 征四郎の身じろぎもせず仰向けで天井を見ていたが、ふいに突き刺さるようにその瞳が小春を捉えた。酔いなどすでに冷めて小春の冗談に怒りさえ覚えている。

「滅多な事を申すでない。桜の着物など女なら誰でも一枚は持っておろう」

「清七さまがそうおっしゃっているものですから……そうですね何かの間違いでしょう」

 小春が話しているそばから征四郎は急に仁王立ちになった。

「鍵屋へいく!」

 一歩踏み出すが、その足は意思とは裏腹に千鳥足。空になった膳をひっくり返し、三歩進んで征四郎がひっくり返った。

「何という失態! 小春、水じゃ」

 征四郎は懐から印籠を取り出し、中から丸薬を取り出した。

「それは?」

「噂の緑黄丹じゃ。これを飲めばたちどころに酔いがさめる秘薬だ。こういう緊急の時に役にたつと思ってな」

 この時代、薬は誰が作って売っても自由だ。道端の雑草をすり潰し丸めただけの偽薬も多い。したがって効果は怪しいと言わざるを得ない。小春は征四郎の手を取って起こすと、印籠に目が止まった。

「変わった根付けでございますね」

 征四郎はそう言われると、ひとつため息をついた。

「気に入っていたのだが、前のは壊れてしまってな。――酔いもさめた。小春、お前は明日の朝帰るとよかろう」

 征四郎はふらつきながら、屋敷を出た。


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