荒木尚和の追憶13
夏休みも終わりに差し掛かった頃、父がまた同僚たちを家に招いた。
もちろん春日井さんも同席して、いつかの時のように、自分とは隣り合わせで座っている。
夕食の際は、またよく分からない政治の話で盛り上がっていた。
その場の空気となる自分だったが、知った名前を聞いて、咄嗟に隣の人物を振り返った。
「まさか離党するとはね。あの人も自由な生き方をするものだ」
「村上先生もずいぶん気にかけていたのに、やってくれましたね」
隣では春日井さんが黙って注がれた酒を飲み続けている。
おそらく話のネタになっている人物は、以前聞いた、あのすまし顔の議員のことだろう。
“意見交換”などといって、春日井さんが体と引き換えにして得た情報は、本当に村上議員の役に立っていたのだろうか。
隣で静かに出された食事に手を付ける、その様子からは何も知ることはできなかった。
期待していなかったと言えば嘘になるが、父は予想通り春日井さんを家に泊めた。
本人にもその気があったのか、出された酒は全て飲み干して、相当酔いが回っているように見える。
以前とは違うのが、自分で部屋まで行くと言って、人の手を借りなかったことだ。
むろんそれは、自分を拒否されたと言ってもいい。
けれどそんなことをされたからといって、無視するなんてことはしない。
食事会がお開きになったあと、急いでシャワーを浴びて、そのまま春日井さんのいるゲストルームへと向かった。
「寝てるんですか」
部屋へ入ると中は薄暗く、ベッド脇にあるテーブルランプだけが明かりを灯していた。
奥へ進めば、春日井さんはまだスーツ姿のままベッドで仰向けになっている。
腕を額の上に乗せて、顔を隠しているようにも見えた。薄暗いせいで、その下の表情を窺い知ることはできない。
「きたんだ」
「もちろん」
ベッド脇に立つと、春日井さんは起き上がって髪をかきあげる。
照明の微かな灯火が、ネクタイをはずした首元を白く浮き上がらせた。
「君も好きだね、若いってすごい」
「人並みですよ」
薄く笑う相手に、手を伸ばす。
きしむベッドの上へ上がって、座る相手と向き合った。
「今日は全部尚和くんにまかせるから、好きにして」
着ているジャケットを脱がせて、そのまま床に放り投げる。そのまま相手を寝かせて、開いての上に跨いだ。
「すごい誘い方ですね」
「飲み過ぎて、動けそうにないだけだよ」
下で見上げてくる瞳は虚ろで、上気した顔は色気がある。
ワイシャツのボタンを一つづつ外して、露になる肌を優しく撫でた。
「じゃあ、好きにさせてもらいます」
ベルトを外してスラックスに手をかけるが、本当に身動きしないせいで、脱がせるのに一苦労だった。
下から上へと、這うようにキスをする。
腰骨に手を当てて、下着に指をかけたとき、全身に鳥肌がたった。
「……これ、どうしたんですか」
正面からはよく見えない。
寝ている体を少し持ち上げて、無理やり横にさせた。
「……ああ、気にしなくていいよ」
春日井さんの細い腰を中心に、背中までそれは広がっている。鬱血の他に、大きな青あざが、痛々しくも腫れ上がっていた。
「そうもいかないですよ、なんですか」
「……大したことじゃないさ」
打って数日のものや、最近のものまである。紫色に偏食した皮膚は腫れて、赤く斑点になっている箇所もあった。
「あの人、ですか」
春日井さんは黙って、視線を合わせようとしない。
「なんで、……何かあったんですか」
「尚和くんが気にすることじゃないよ」
ひどく腫れた部分に触れる勇気はない。そこから目を背けて、話をそらす相手を引き寄せて起こした。
「気になります」
春日井さんはこちらを見ようともしない。
「教えて下さい」
黙る相手の腕をさらに引いて、身を寄せる。
「……自分以外に、相手をする人がいるのは、嫌なんだって」
下を向きながら、寄せたその人はぽつりと言った。
「それって……僕としてるのが、気にくわないってことですか」
「……尚和くんのことは言ってない」
全身から力が抜けていき、引き寄せていた腕がするりと遠くなる。
あのすまし顔の議員が自分以外と体を重ねていること知って、怒りのままに春日井さんを殴ったのだろう。それが目の前で披露されて、狼狽えるしかない。
「……この前、跡つけたの、見たんですね」
「かもしれないね」
わずかに芽生えた自分の嫉妬心のせいで、目の前の人を傷つけてしまったのだと気づく。
己の欲望がこのような結果を招き、罪悪感で押し潰されそうだった。
「……すみません」
「尚和くんのせいじゃないでしょ。あの人、最近独占欲が強くなってきたからさ、それで……泣くなって」
うなだれていると、ふいに頭を撫でられる。優しいその手は、そのまま頬を捉えた。
「泣いてません」
無理やり顔を上げられて、無様な表情をさらしてしまう。
「泣いてもいいけど」
「泣きません」
頬を包んだ手を払いのけようとしたが、少し遅かった。
春日井さんが身を乗り出したと思った瞬間、唇を奪われる。
「ほら、するんだろ。早く手を出せ」
鼻が擦れるところま寄る相手は、変わらぬいつもの様子だ。
「……でも」
「こっちをやる気にしといてそのままとか、性格悪いな」
戸惑うこちらの態度を無視して、どんどんと迫ってきながら、ついには上と下が逆転していた。
「……いいんですか」
「いいもなにも、そのために泊まったんだから、しないわけないだろ」
腹の上にまたがってきた春日井さんを見上げる。まさか自分が下着姿の、しかも年上の男から上に乗られるなんて思いもしなかった。けれどそんなこと、許す気は更々ない。
「途中でやめませんよ」
すぐさま状態を起こした自分は、上にいた相手を軽く押し倒す。
「痛くしないでね」
「しませんよ」
薄く笑った春日井さんの言葉の裏に、あの議員の影が見えた。
それを承知の上で、痛め付けられた相手を、さらに抱き犯すことになった。