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探偵はハーブボイルド ―短編集―

探偵はハーブボイルド ―怪人 ダイブマン―

作者: 中野 工事

 ロングラウンド国の首都、ランドン。

 ここは別名『霧の(みやこ)』と呼ばれていて、その名の通り、街が霧で覆われる事が多い。

 もちろん、そのせいで視界が悪い事が多いが、住人達には慣れたもので、特別何かを感じるわけでもなく生活をしていた。

 しかしそれが濃霧となると、話は別だ。住人達の多くは一斉に建物の中に避難する。濃霧を恐れているからだ。


 『霧は時に、良からぬ者を連れて来る』。住民達の間では常識とも言える程に有名な言葉だ。濃霧に紛れて何かが街中を移動する事からそう言われている。

 その何かとは、ギャングであったり、殺人鬼であったり、そして得体の知れない怪物であったりする。


 そして最近はというと、もっぱら『ダイブマン(潜水野郎)』と呼ばれる者の噂で持ち切りであった。

 その者は、名前通り潜水服のような物を着ており、時々うめき声を上げながら街中をうろつくという。

 その不気味さから住民達は彼を恐れ、霧が少しでも濃くなろうものなら、すぐに建物へ避難するようになったと聞く。


 探偵であるヘイヤの耳にも、このダイブマンの話は当然入っていた。しかし、調査を開始する事はできないでいた。

 探偵を生業としている以上、調査をするというのは収入と結びついている。誰かから依頼でもされないと、一銭も得る事ができない。特に、ヘイヤの所のように貧乏な事務所では死活問題である。

 さらに問題なのは、街にはヘイヤの所以外にも探偵事務所がある事だ。もし他の事務所で調査を行なっていた場合、調査の邪魔になる可能性がある。こっちも依頼されているのなら、まだ言い訳できるが、興味本位で調査した場合、敵対関係にまで発展する可能性もある。

 それを考えると彼は簡単には動く事ができなかった。しかし、気になっているのは事実であった。だから、『今日こそダイブマンについての依頼が来て欲しい』等と思いながら、悶々と日々を過ごしていた。


「まったく。情けないねぇ、君は」

 そんなある日の事、相棒のチェッシャーは呆れた様子でヘイヤに言った。


「だってさ、気にならない?怪人だよ、怪人。しがらみがないなら、今すぐにでも調査したいのに……」

 ヘイヤは机に突っ伏しながら、元気の無い声を出した。


「ふぅん、君はだいぶ抑圧されているようだねぇ」

 チェッシャーはどこからか棒付きのアメを取り出して舐め始めた。


「僕ちんの所見では……そうだね……君は鬱状態に近いねぇ。何らかの楽しい体験でもして気を紛らわすべきだと思うんだ」

 チェッシャーはアメを舐めながら、ヘイヤを診断した。彼は相棒であると同時に精神科医でもある。彼は時々、こうしてヘイヤを精神面でサポートする。


「楽しい体験って?例えば?」

「そうだねぇ、何か美味しい物を食べるのはどうだろう?おお、そうだ!キドニーパイなんてどうだい?アレは良い物だ。便器を舐めているような錯覚を覚える」

「待ってよ、チェッシャー。ソレは肉食人種の食べ物でしょ……でも、美味しい物か……」

 ヘイヤは起き上がった。


「それだったらカレーなんてどうかな?」

「カレー。つまり『ナマス亭』だね?」

「うん」

 ヘイヤは頷いた。


 ナマス亭とは、インディーナ国の料理を取り扱うレストランであり、二人のお気に入りの店である。二人にとって、ここのカレーは街一番の料理。間違いなく美味しい物だ。


「いいとも、ヘイヤ君。では、『善は急げ』だよ」

「うん。向こうに着いたら、ちょうどお昼になるしね。行こうか」

 こうして二人はナマス亭へと向かった。






 今日の『ナマス亭』は随分と()いていた。おかげでカレーはすぐに来たが、いつもと違って空席が目立つのはどうにも気になった。


「うーん。やっぱり、ここのキーマカレーは最高だねぇ。そうは思わないかい、ヘイヤ君?」

 スーツ姿で細身な黒猫の男は唸った。

 元々見開いていた目を一層見開いていて、感動を表している。


「こっちのダル()カレーだって最高だよ。違うかな、チェッシャー?」

 スリングショットを身に着けている筋肉質な野兎の青年は、糸のように細い目のまま笑顔を作った。


 ここのカレーが美味い事は周知の事実である。なにしろ、インディーナ国から料理人を連れて来て、使うスパイスも直接そこから輸入しているのだ。マズいはずがない。

 それなのに、どうしてこんなに空いているのだろうか。ダルカレーを食べながらヘイヤは考えた。

 ライバル店ができたのだろうか。いや、それだったらカレー好きの自分が知らないはずがない。ではいったい……


「――い、おーい、ヘイヤ君。手が止まっているよ。どうしたんだい?」

 ヘイヤは考え込んでいた。が、チェッシャーに声をかけられて意識を引き戻された。


「あ、うん。今日は妙に空いているなって思ったら、色々考えちゃってさ」

 ヘイヤは頭を掻いた。


「うーん。確かにそうだねぇ。今の時間、いつもだったら満員なんて当たり前だったのにねぇ」

「味が落ちたわけでもなく、ライバル店ができたわけでもないし、いったいどうして、こんなに空いてるんだろうって気になったんだ」

「なるほどねぇ、確かにこんなに空いているのは気になるよねぇ。ま、ただの客でしかない僕ちん達には、潰れないように祈る事しかできないさ」

「まぁ……うん、そうだよね……」

 ヘイヤは小さくため息をついた。


「さて、僕ちんはもうすぐ食べ終わるよ。君も早く食べておくれよ。君を待っている時間がもったいないからさ」

「あ、そうだね。ちょっと急ぐよ」

 そう言ってヘイヤは食べる速度を上げた。

 すると、ウェイターが飲み物を持って、ヘイヤ達のテーブルの所までやって来た。


「失礼シマス。バング・ラッシー、デス」

 ウェイターはそう言って、2つテーブルの上に乗せた。


「おや、いつの間に頼んだんだい?」

「あれ?チェッシャーが頼んだんじゃないの?」

「いいや、君が頼んだとばかり思ってたよ」

「じゃあ間違いかな?すみませーん!」

 ヘイヤは手を振りながら、去っていくウェイターを呼び止めた。彼はすぐに立ち止まって、ヘイヤの方を向いた。


「ドシマシタ?」

「これ、頼んでません」

「大丈夫。コレ、オーナー カラノ 奢リ」

 ウェイターはそう言って去っていった。


「うーん、困ったねぇ」

 キーマカレーを食べ終わったチェッシャーは、バング・ラッシーを飲みながら言った。


「そうだね。面倒な事じゃないといいけど……」

 ヘイヤは残ったダルカレーを一気に食べ終わると、バング・ラッシーを一口飲んだ。


 バング・ラッシーを奢られるというのは、この店のオーナーからの呼び出しを意味している。二人は飲み干すと、さっそくオーナーの部屋へと向かった。






 二人はオーナーの部屋の前に立つと、ノックして入った。するとそこには、太った虎の男が二人、隣り合って上等な椅子に座っていた。彼らがオーナーのトゥイードルダムとトゥイードルディである。


「久しぶりだね、ヘイヤ君」

 左側の方が喋った。


「いや、今はこう呼ぶべきだろう『ハーブボイルド』と」

 右側の方も喋った。


 彼らは双子である。そのため、どちらが誰なのかさっぱり分からない。


「ディ、その呼び方は言いにくい」

 左側の方が右側の方に言った。


「そうか、ダム。ならば、いつも通りに呼ぶとしよう」

 右側の方が左側の方に言った。

 どうやらトゥイードルダムが左側で、トゥイードルディが右側らしい。


「それで、何の用ですか?情報のお願いはしていなかったはずですけど」

 ヘイヤは聞いた。


 彼らはレストランのオーナーであると同時に情報屋でもある。彼らとはヘイヤの師匠が生きていた時からの付き合いで、今はヘイヤのために情報を仕入れてくれる。

 しかし現在、ヘイヤに仕事の話は来ていない。当然、彼らに情報提供をお願いするはずがない。それなのに呼び出しがかかった。つまりは、それ以外の事で話があるという事。ヘイヤとチェッシャーが不安に思ったのはそういう事であった。


「情報ではない。依頼だ」

 トゥイードルダムが答えた。


「依頼?」

「そうだ。ダイブマンの事は知っているだろう?」

 トゥイードルディが聞いてきた。


「はい。でもそれが何か……」

「奴のせいで、売り上げが落ちている。何とかして欲しい」

「え?」

 ヘイヤは思わず聞き返した。ダイブマンについての依頼だったのは嬉しかったが、それと店の売り上げがどう関係があるのか、全く分からなかった。


「その様子では、ダイブマンがどの辺りに現れるか知らないようだな」

 トゥイードルダムに聞かれて、ヘイヤは頷いた。


「この店の近くだ。そのせいで客が怖がって入ってこない」

「あ!妙に空いてると思ったらそういう理由(わけ)だったんですね!」

 疑問が解けてヘイヤは納得した。確かに、近くにダイブマンが現れるだなんて聞いたら、来店する人も少なくなるだろう。


「少し前まではあちこちに現れたんだがな。どういう理由か、この店の近くにばかり現れるようになったのだ」

 トゥイードルダムはため息をついた。


「で、だ。君達には奴の調査をお願いしたい。できれば始末もお願いしようか」

 トゥイードルディが聞いてきた。


「始末……ですか?僕達は殺し屋ではないんですけど……」

「なら、他の方法でも構わない。とにかくヤツが店の近くをうろつく事が無いようにしろ」

 トゥイードルダムが言った。






「――というわけで、さっそく張り込みを始めたわけだけど……」

「暇だよねぇ。濃霧にでもならなきゃさ」

 チェッシャーは退屈そうに言った。


 依頼を受けて、二人はすぐにナマス亭の近くで張り込みを始めた。

 やっとダイブマンについて調査する事ができたのは良かったが、彼は濃霧にならなくては現れない。その濃霧がいつ発生するのか分からない以上、かなりの時間が必要となるのは明らかだった。


「どうする?一旦事務所に戻って、濃霧になるのを待つかい?」

「そういうわけにはいかないよ、チェッシャー」

 ヘイヤは彼の方を向いて反論した。

 ナマス亭から事務所まではそこそこの距離がある。霧は気まぐれであるため、事務所からナマス亭に向かうまでに、霧が晴れてしまう可能性がある。

 今、一番優先すべき事はダイブマンに遭遇する事。そう考えると、事務所に戻るのは不適切であった。


「そうかい。それなら僕ちんはお昼寝でもしているよ。霧が深くなったら起こしてちょうだい」

 そう言ってチェッシャーは、立ったまま眠り始めた。それを見たヘイヤは小さくため息をつき、元の方向に向き直った。


 ヘイヤは張り込みが苦手であった。今回のように、かなり時間がかかりそうな場合は特にそうだ。とはいえ、これは仕事。信頼のためにも、投げ出すわけにはいかない。そう自分に言い聞かせて張り込みを続けた。

 が、それから一時間後、ヘイヤは一旦事務所に戻ろうかと考え始めていた。張り込みはもう嫌になってきたからだ。やはりチェッシャーの提案を受け入れるべきだ。そう思ったヘイヤは、起こそうとして彼の方を向いた。


 その時であった。急に霧が出てきた。そしてあっという間に濃霧となった。それはまるで、張り込みを頑張った事へのご褒美のようにヘイヤは思えた。


「起きて、チェッシャー!濃霧になったよ!」

「うーん。後五分だけ……」

 濃霧になった事に少し興奮しながら、ヘイヤは彼を揺すって起こした。しかし、彼は起きようとはしない。


「ダメだよ!濃霧になった以上、ダイブマンが何時来てもおかしくないんだからさ!」

 ヘイヤはもう少し強めに揺すった。それでも彼は起きる気配がない。

 こうなったら、自分一人で調べるしかない。そう思い、彼は元の方向に向き直った。


 ゴトン。ゴトン。ゴトン。


 すると、それと同時に重々しい足音のような音が聞こえてきた。

 もしかして、この音は……


 ヘイヤは隠れながら、音のした方向をジッと見た。濃霧でよく見えないが、緑の光を放つ人影が確認できた。こちらの方向へ向かってくるのが分かる。

 ダイブマンだ。ヘイヤは直感的に思った。そしてそのまま様子をうかがっていると、霧の中から異様な姿をした人物が現れた。噂通りに潜水服のような物を着ていて、頭の覗き窓からは緑の光を放っている。ダイブマンで間違いなさそうであった。


 ダイブマンは辺りを見回しながら歩いていた。何をする気なのだろうとヘイヤが思って見ていると、彼は近くにあった生ゴミ用のゴミ箱を両手で抱え、そのまま持ち去ろうとした。

 食べ物を探しているのだろうか。ヘイヤはそう思った。確かに、この辺はナマス亭を始め、飲食店が多い。しかもその多くが名店だ。同じ生ゴミでも名店から出るのは美味いのかもしれない。だとしたならば、この辺ばかりに現れるようになったのも納得がいく。

 そう考えているうちに、ふとヘイヤは思った。彼とコンタクトを取ってみよう、と。なんとなくだが、彼は食料が欲しいだけで、こっちが手を出さない限りは安全なような気がしたからだ。それに彼が誰かを傷つけたという話は聞いた事がない。それが根拠でもあった。


 ヘイヤは隠れるのを止めると、ダイブマンに近づいてみた。気づいていないのか、彼はこっちを見る様子はない。そこで呼びかけてみる事にした。


「あの、すいません」

 すると彼は動きを止めて、こちらを見た。


「うぅぅ」

 彼はうめき声を上げた。


「ここで何をしているんですか?」

「うぅぅ」

「もしかして食べ物を探しているんですか?」

「うぅぅ」

「あの……」

「うぅぅ」

 ヘイヤが何を聞いても、ダイブマンはうめき声を上げるばかりであった。

 話す事ができないのだろうか。ヘイヤがそう考えていると、ダイブマンは背を向けて去ろうとした。


「あ、ちょっと!」

 ヘイヤは思わず、ダイブマンに触れた。すると、いきなり突き飛ばされた。まるで邪魔だと言わんばかりであった。

 突き飛ばされたヘイヤは石畳に倒れそうになった。が、誰かに支えられ、そうはならなかった。ヘイヤはその者の顔を見ると、それはチェッシャーであった。


「どうやら対話は無理そうだねぇ」

 チェッシャーはニヤけ顔で言うと、どこからともなく大量のりんご飴を取り出した。彼はりんご飴を手榴弾に変える魔法を使う事ができる。どうやら戦う気であるらしい。


「ゴメンねぇ。君に恨みはないけど、これは仕事だから」

 チェッシャーはそう言ってりんご飴を、立ち去ろうとするダイブマンめがけて投げつけた。そして当たった瞬間、大爆発した。

 この爆発では死んでしまっただろう。ヘイヤがそう思った。しかし煙が晴れると、ダイブマンはこちらを向いて立っていた。ゴミ箱は消し炭になったが、彼自身は少しコゲた程度でたいしてダメージを与えられたようには見えなかった。


「うごぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ダイブマンは怒ったようなうめき声を上げた。覗き窓の光は緑から赤へと代わり、完全に敵対したのが分かった。


「ふぅむ。もうちょっと火力を強めた方が良かったかな?でも、これ以上だと、お店とかにも被害で出るかもしれないし――」

「チェッシャー!反省するのは後!こうなったらもう、倒すしかないんだから!」

 ヘイヤはそう言って股布の中に手を入れた。そして中からプランジャーを何本か取り出すと、魔力で全体を包んだ。物体を強化する魔法。それをヘイヤは使ったのであった。


「せいっ!せいっ!せいっ!」

 ヘイヤはプランジャーを投げつけた。一本一本がダイブマンに命中し、彼はその衝撃にのけぞった。しかし、ダメージを与えたようには見えない。どうやら彼の『潜水服』は相当頑丈にできているらしい。


「僕ちんも負けてはいられないねぇ」

 チェッシャーは再びりんご飴を取り出して投げつけた。さっきよりも大きな爆発が発生する。

 これなら倒せただろう。ヘイヤはそう思ったが、煙が晴れると、そうではないと分かった。


 ダイブマンの姿は消えていた。そして、彼がいた近くには蓋が開いたマンホールがあった。どうやら下水道へ逃げてしまったらしい。


「追うよ!」

「ああ、もちろん」

 二人はダイブマンを追って下水道へと入っていった。






 下水道というだけあって、中は臭くて汚かった。しかし、ダイブマンを追わねばならない。ヘイヤは臭気を我慢しながら辺りを見回した。

 灯りが無いせいで視界が悪い。ダイブマンは『目』が光っているから見つけるのは簡単だろうが、問題は地形だ。良く見えないせいで簡単には動く事ができない。


「よし、アレを使おう」

 ヘイヤは股布からケミカルライトを何本も取り出すと、その辺に投げた。これで少しは明るくなった。


「ナイスだよ、ヘイヤ君。でも違う準備も必要なんじゃない?」

 チェッシャーに言われて、ヘイヤは思い出した。さっそく、その準備をするために股布に再び手を入れると、一枚のカードを取り出した。


「変身!」

 ヘイヤはそう言って、カードを自身の尻の谷間に通した。


変身(チェンジ)

 カードから無機質な声が出て、ヘイヤは光に包まれた。そして光が消えると、ヘイヤはハードゲイの恰好になっていた。これはヘイヤの戦闘服であり、今の行為はそれに着替えるための魔法だ。


「よし、準備完了。これでどこから来ても大丈――」

 ヘイヤが言いかけた瞬間、何かが飛んできて頬をかすめ、壁に突き刺さった。確認すると、それはリベットだった。


「これは……」

 ヘイヤは飛んできた方を見た。するとそこにはダイブマンが立っていた。しかも、右手にドリル、左手に大きな銃のような物を持っている。武装しなくてはいけない敵だと判断したらしい。


「僕ちんが時間を稼ぐよ。君は大技の準備をするんだ」

 チェッシャーはどこからか巨大なペロペロキャンディーを取り出すと、ダイブマンに向かって行った。

 ダイブマンは銃のような物から何かを発射した。おそらくはリベット。しかし、チェッシャーはペロペロキャンディーで防ぐ。物を強化する魔法は彼も使えるのだ。


「それっ!」

 チェッシャーはペロペロキャンディーを振り下ろした。ダイブマンはドリルで防ぐ。ドリルは回転しているが、火花を散らすばかりでペロペロキャンディーは傷一つつかない。


「さあ、早く!」

 チェッシャーはヘイヤの方を向いた。ヘイヤはすぐにパンツの中に手を入れてカードを三枚取り出すと、一枚ずつ自身の尻の谷間に通した。


蹴り(キック)

旋風(サイクロン)

俊足(マッハ)

 それぞれのカードは無機質な声を出し、光へと姿を変える。そしてそれらはヘイヤの体へと吸い込まれていった。

 吸い込まれた光は魔法だ。それらをヘイヤの中で一つの魔法に合成する。これも彼の魔法だ。


弾丸蹴り(バレットキック)

 ヘイヤは呟いた。そして、ダイブマンへ目掛けて跳び蹴りを放った。

 チェッシャーはそれに合わせて避け、ヘイヤの一撃はダイブマンを直撃する。


「うごぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ダイブマンは大きく吹っ飛んだ。そして壁に叩きつけられ、うつ伏せに倒れる。もう動く気配はない。


「うわぁ……見てよチェッシャー!今の攻撃でも傷一つつかないよ。なんて頑丈なんだ」

「でも、中身はそうでもないみたいだねぇ。ヘイヤ君、僕ちん達の勝利だよ」

「そ、そうかなぁ?油断したところで、また襲いかかって来ない?」

「じゃあ、確実に仕留めようか?今なら、潜水服を脱がせそうだしねぇ」

「そ、そうだね。そうしようか」

 二人はダイブマンに近づいた。


「止めて!」

 すると、小さな女の子の声が聞こえてきた。二人が声のした方を向くと、汚らしい恰好の兎の女の子が立っていた。


「おじさんをいじめないで!」

 彼女は叫んだ。


「おじさん?……え?」

 ヘイヤは女の子とダイブマンを交互に見た。

 もしかするとダイブマンの事を言っているのだろうか。さっき生ゴミを持ち去ろうとしたのは、彼女に食べ物を与えるためでもあったのだろうか。ヘイヤは二人の関係をそう推測した。


「ああ、なるほど。全てがつながったよ、ヘイヤ君」

「え?」

「謎は全て解けたのさ」

 チェッシャーはニヤけ顔を一層ニヤけさせて言った。


「これはみんな、『ラプチャーサイエンス』の仕業だよ」

「それって、海底都市を作ったっていう、あの?」

 ヘイヤは聞き覚えがあった。『科学の科学による科学のための都市』をスローガンに掲げる海底都市。それを作り上げたのがラプチャーサイエンスという組織である。噂によると、そこでは非人道的な実験が日々行われているという。


「そう。彼らはそこから逃げてきたんだ」

「どうして分かるの?」

「彼女の目をご覧よ。光っているだろう?」

 チェッシャーに言われてヘイヤは女の子の目を見た。さっきまで気づかなかったが、確かに目がケミカルライトのように光っている。


「彼女は『輝きの子供(グロウ・チャイルド)』。心臓が高濃度のエネルギー物質に変異した子供さ。都市のエネルギー源を確保するために作られて、大きくなったら心臓を取られて死んじゃう運命なのさ」

「詳しいね、チェッシャー。行った事があるの?」

「いや、君の師匠が一時期お熱でね。彼から教わった事を思い出しただけさ」

「へぇ、じゃあダイブマンの事は?」

「よく覚えていないけど、海底都市を作る際に大量の人造人間(ズーマノイド)が製造されたらしい。彼の持っている武器を見てごらん。リベットを発射する道具にドリル。建設用の道具に思えない?」

「言われてみると確かに……でも作業用の人造人間がどうして輝きの子供と一緒にいるのさ?」

「大量に製造したなら、欠陥品だって出るさ。たまたま輝きの子供の運命を哀れむ個体が誕生して、一緒に脱走したとしても何の不思議もないさ。そうだろう、君?」

 チェッシャーは女の子を指差した。


「おじさんの事は良く知らない……でも、おじさんが助けてくれたのは本当よ。あのままだったら私……」

 女の子は泣き始めた。よっぽど怖い目に遭ったらしい。もしかすると、心臓を取られる寸前だったのかもしれない。


「さて、どうする?ヘイヤ君」

「どうするって?」

 ヘイヤは聞き返した。


「君は選ばなきゃならない。彼女が生きるためには今後もダイブマンに食料を持ってきてもらう必要がある。隠れていなきゃいけないからね。でもそうすると、ナマス亭やその他の店が潰れるかもしれないし、君自身の信頼を失う事になる。さあ、どっちを選ぶ?」

「そんな……選べないよ、チェッシャー」

「ダメだよヘイヤ君。選ぶんだ」

「でも……あ!」

 ヘイヤは手を叩いた。


「どうしたんだい?」

「両立できる方法を思いついたんだ!」

「ほう、どんな方法だい?」

 チェッシャーは興味を持ったかのようにヘイヤに顔を近づけてきた。






「……で?私の所に来たってわけ?」

 兎の女性が苛立った様子で聞いてきた。


「頼むよアリス!君だけが頼りなんだ!」

 ヘイヤは深々と頭を下げた。


 ここはアリスの家。彼女一人で作物を育てている小さな農園だ。

 アリスはヘイヤの友人だ。そして今、ヘイヤは輝きの子供と人造人間を連れて、匿って欲しいとお願いしている最中である。


「あのねぇ、私には私なりの生活があるの!いきなりこんなのを匿えって言われても困るの!」

 アリスと呼ばれた女性は激しく足を鳴らした。完全に怒っている。


「人助けだと思ってさ……頼むよ。友達だよね?」

「お願い!お姉さん!」

「うぅぅ」

 女の子とダイブマンも頭を下げる。それに対し、アリスは深くため息をついた。


「……何よ、これじゃあ私が酷い事言っているようじゃない」

 今の行動に何か心に来るものがあったらしく、彼女は困った様子で言った。もう怒ってはいない。


「じゃあ、こういうのはどうだい?匿う代わりに何か仕事をしてもらう、というのは。どちらにとっても得な話でしょ?」

 チェッシャーが提案した。


「うー……それだったら……」

 迷っている様子ではあったが、アリスは同意ともとれる事を呟いた。


「いいのかい?ありがとう!」

 ヘイヤはアリスの手を掴むと激しく握手をした。


「ああ、もう!分かったわよ!匿えばいいんでしょ!」

 アリスはヘイヤの手を振りほどいて叫んだ。


「やったぁ!」

「うぅぅ!」

 女の子とダイブマンは嬉しそうだった。


「じゃあ、さっそくだけど、一つやってもらおうかしら?」

「はい!」

 女の子は元気よく返事をした。


「二人共、すぐにシャワーを浴びなさい。凄く臭いのよ」

「はい!どこですか?」

「うぅぅ……」

 女の子は返事をしたが、ダイブマンの方は拒んでいるような仕草をした。そして彼はどこかへ去ろうとした。


「ちょっと!」

「いいの、お姉さん」

 ニコルが彼を止めようとすると、女の子は彼女の前に立ち塞がった。


「おじさんはきっと、下水道に戻るつもりなのよ」

「下水道に?」

 ニコルは聞き返した。


「おじさんって下水道が好きなの。暇さえあれば、そこを綺麗にしたり、修理したりとかしているの」

「ふぅん。きっと作業用として造られた(さが)なんだろうねぇ」

 女の子の話にチェッシャーが入ってきた。


「でも、そうしたら食料は?また街中をうろつくんじゃない?」

「心配いらないよ、ヘイヤ君。確か、人造人間は食べる必要がないはずさ。アレは彼女のためだけにやってた事なのさ」

 去っていくダイブマンを見ながらチェッシャーが答えた。


「まあ、こっちとしては、この子だけを匿えばいいわけだし、戻りたいなら止めないわ……さて、アナタはこっちよ」

 アリスは女の子を連れて案内し始めた。


「これで一件落着かな?」

「そうだろうねぇ」

 ヘイヤが聞くとチェッシャーは頷いた。


「あの子は安全な場所を見つけ、ダイブマンは食料を探しに街中を歩く必要がなくなる。そしてナマス亭は再び賑わう。完璧なアイディアだよ。アリスには悪いけど」

 チェッシャーはククッと笑った。


「うん。アリスには本当に悪いと思ってるし、ダイブマンが下水道に戻るっていうのは誤算だったけど、これで丸く収まったね」

 アリスの事についてヘイヤは少し良心が痛んだが、それを外に出さないようにした。


「これで君はさらに有名になるねぇ。なにしろ連続殺人事件を解決したばかりだというのに、今度は謎の怪人を街から追い出したんだから」

「あ、そっか。そういえばそうだね」

「さて、これからどうしたい?有名人君」

「有名になったからって特別何かをする気はないよ。でもそうだな……とりあえず、ナマス亭に行こう。報酬が欲しいし、動いたらお腹空いちゃって……」

「僕ちんは反対だね。まずはシャワーさ。下水道に入ったんだもの、僕ちん達はきっと臭いよ」

「あ、そうだね。じゃあ事務所に戻ろうか」

 二人は歩き始めた。

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