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第一章 ⑨

「えっ」


 初対面で家に上がってよいというのは、営業マンとしては願ってもないチャンスなのかもしれない。


 しかし、両親が保健を管理していると告げられた以上、この様子では現在加入している保険契約の証券などが出てきても、そこですぐに乗り換えの話までは行かないだろう。


 それに、保険の営業というものは天の邪鬼なもので、あまりにも熱心に入りたいという人は敬遠する傾向がある。


 たとえばその人がガンを患っているとしたら、ガン保険に入りたくてしょうがないだろう。また夫に高額の死亡保険を夫に内緒で掛けたがる妻というのも怪しいものである。そういうことを疑うのが保険営業の世界でもあるのだ。


 保険に入りたい人は疑い、保険なんてどうでもいいという人を保険に入れなければいけないのだから、大変なのである。


 ぱっと見の第一印象では犯罪的なものは感じられないのだが……。


 それよりも、だ。


 初対面である。


 しかも両親がいないと言っている。


 もちろん、真備自身にやましい気持ちはないし、万が一そんな気を起こそうものなら姉弟子に根性をたたき直される。


 彼女以外に家族がいないとは言ってはいない。


 それでも、うら若き美人がいきなりやってきた営業マンを家に入れていいものなのか。


「昨日あたりから保険のこと、何だか気になっていたんです。保険のお話、聞かせていただけますか」


 清楚なお嬢様から上目遣いで懇願されてしまった。ここで断っていいものだろうか。


「わかりました。お邪魔します」


 言って真備は革靴を脱いだ。飛び込みをする関係上、ソフトタイプの革靴なので脱ぎやすい。出されたスリッパを履いて、案内されるままにリビングへ。


 エアコンが効いていて、文字通り生き返るようだった。


 彼女のかわいらしさに負けたと言うより、暑さに負けたのだ。姉弟子にはそう言おう。真備は思った。


 外見通り、広くて立派なリビングだった。大きな白木のテーブルに座り、彼女が書類探しに行くのを見送って、室内に素早く視線を走らせた。あいにく、外国のホームドラマなどでお目にかかるような家族写真は飾っていなかったが、室内の雰囲気からして、ほんとうに彼女ひとりでこの家にいるのかもしれないという思いが強くなってきた。


「すみません、お待たせしてしまって」


 戻ってきた彼女は手に何も持っていなかった。


 真備の向かい側に座りながら、申し訳なさそうな顔で彼女が言った。


「やっぱり私ではどこに書類があるのか、分かりませんでした」


「まあ、そんなものですよね、保険なんて。実際そういう方は多いのですよ」


「そうなのですか」


「でも、保険って、大事なものですよね」


「そうですよね」


「さっき、保険のことで気になっていると言う話でしたけど、何かあったのですか」


 さりげないふうに真備が質問すると、彼女が少しだけ声を落としたものの、答えてくれた。


「実は私、先月入院して大学を休んでいたのですけど、退院して保険に入っていたか改めて心配になって」


「ああ、なるほどですね」


 微笑んで頷きながら、営業マンとしての真備はちょっと落胆していた。


 お客様は知らないことも多いが、病名によっては退院直後となれば保険加入は数カ月から数年延期になったり、新契約が引受不可になってしまっている可能性もあるのだ。


 病歴は機微情報として通常の個人情報よりさらにセンシティブな情報とされている。真備個人としても、会ってまだ数分の女性に「何の病気で入院したのですか」などとは聞けない。世の中には聞いてしまう営業マンもいるらしいが、もう少し時間が経ってからでもいいと考えてしまう。


「少し保険の話を教えていただいてもいいでしょうか」


「はい、喜んで」


 反射的にどこかの居酒屋のように答えてしまう。営業マンというのはいつも誰かに話を聞いてもらいたい種族なのだ。ましてや、大和撫子な女性を前にすれば、なおさらである。


 鞄から、A4コピー紙を挟んだバインダーを取り出して、軽く咳払いを一つ。


「ほんとうなら、今日いきなりここまでお離しするつもりはなかったのですが。というのも、いきなり飛び込んでお時間をそんなにもらうわけにも行かないので」


「時間なら私一人なのでたっぷりありますし。それに悪い方ではないようだし」


 飛び込みのときに、真備は自分の霊力をこっそり込めている。


 一種の邪気払いであり、自分と波長の合う相手を見つけやすくするためでもある。


 それに感応してきたと言うことは、何らかのご縁のある方なのだろう。


「それでは二条さん、さっそくですが」


「桜子」


「えっ?」


「私の名前、桜子でいいです。みんな、そう呼ぶので、名字だと何だか落ち着かなくって」


「ああ、桜子、さんですか。すてきな名前ですね」


「小笠原さんも、すてきなお名前です」


「いえ――」


 学生の純粋な目で見つめられてそんなことを言われると、無性に恥ずかしく感じる。


「じゃあ、私のことも『真備』で。そうじゃないとフェアじゃない感じがするので」


 恥ずかしさの上塗りのような台詞が口をついて出た。


「うふふ。おもしろいですね」


 やめておけばよかった。


「じゃあ、まき……やっぱり、ちょっと恥ずかしいかな」


 頬を赤らめた桜子を見て、真備は死にたくなった。


「そうですよね。言えない、ですよね」


 桜子がごまかすように話題を強引に変えた。


「四月、丁度桜の満開のころに生まれたので桜子。単純ですよね」


「いえ、そんな」


「近所のお稲荷様の桜がきれいで、そこから取ったらしいです。この辺では有名なんですよ、お稲荷様。お狐様を見たことのある人もいるとかで」

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