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第一章 ⑤

 玄関の電気を消し、リビングへ。エアコンの冷気がすっきりと身体を覆ってくれた。


「おまたせー、って、えっ?」


 そこには部屋着にメガネというくつろぎきった姿の姉弟子ゆかりが、ハンバーグを食べていた。生乾きの髪がさらにリラックス感に磨きをかける。気の抜けきった姿なのに玉のような肌と目を見張るような美しさがまったく陰っていないのは、さすがだと思う。


「先にいただいてるわよ」


 ごく当然のように言い切り、柴漬けを口に放り込む。パリパリといい音がした。


「ゆかり様、おかわりありますからどうぞ」


「ありがとう。梨華の作るハンバーグはほんとうにおいしいわね」


 梨華と呼ばれたサイドテールのエプロン少女が、ゆかりに冷たい麦茶のおかわりをついでいた。年齢は十代後半だろうか。色白で整った顔立ちをしていたが、どこかこの世離れした雰囲気があって、ミステリアスな雰囲気をしていた。


「真備様、早くしないとゆかり様に全部食べられてしまいますよ」


「梨華もさ、平然と姉弟子にご飯出してるけど、姉弟子の家は隣りだからね」


「あたしはゆかり様と真備様のお二人によって作られた式神だよ。ゆかり様はあたしのもうひとりのご主人様。おもてなしするのは当然じゃん」


 ずいぶん気楽な口調の式神だった。


「まさかとは思いますが、姉弟子、うちのシャワー使ったりしてませんよね」


「シャワーは家で済ませてきたわ。それから二階の窓を乗り越えて」


「鍵はあたしが開けたよ」


「あのね、梨華、戸締まりを守る式神が積極的に外部の人を招き入れてどうするの」


「あら、真備くん、女子高生(式神)と二人っきりの夜がよかったのかしら」


「真備様、ヘンタイ?」


 まったく気持ちのこもっていない表情で、エプロン女子高生式神がお盆で口のあたりを隠しながら後ずさる。


「普段から二人っきりですが、式神相手にやましいことがあるわけないでしょ」


 ゆかりがにたにたと楽しそうな表情をしたあと、ご飯を掻き込んでいた。


 ため息をついて椅子に腰を下ろす。これ以上話をしていたら、ほんとうにゆかりにハンバーグを全部食べられてしまいそうだったからだ。


 合掌して、「いただきます」


 味噌汁とご飯を一口ずつ食べ、ハンバーグを一口大に箸で切って口に入れる。熱い肉汁が口に広がって、疲れた身体に染み渡るようだった。梨華特製デミグラスソースとの相性もばっちりで、この点、梨華にたぐいまれな料理の才能を植え付けてくれた姉弟子に感謝している。


「味はどうって、聞くまでもないか」


「梨華、おかわり。大盛りで」


「はいな」


 二膳目のご飯になってやっとじっくり味わう余裕が出てきた。


「さっき、何の生霊が来ていたの? 生霊ってめんどくさいわよね。火炎呪で燃やし尽くせないし、ある程度本人の気の済むまでは付き合ってあげないといけないし。――サラダも食べなさいよ」


「前橋マネージャーの生霊ですよ。――姉弟子、ハンバーグ食べすぎです」


「あー、しつこいのよね、あの人。頭の毛が薄い方がしつこいのかしら。――このひじきも上手よ、梨華」


「梨華の作るひじきの煮物はほんとうにおいしいですよ。――姉弟子の所には行かないんですか、マネージャーの生霊は」


「一度来たことあるわ。何だかぐちゃぐちゃ言ってたけど、『ひとり暮らしの女性の家に入ろうとするのはセクハラです』って怒鳴りつけたら、以後来なくなったわ」


「女性ならではの撃退法ですね」


 姉弟子にマジにらみの全力で怒鳴りつけられたら、真備であっても三日は寝込むだろう。


 それだけの法力があるのだ、目の前の美人には。


「何があったか知らないけど、半分現象化してたのよ? どんだけ念力強いのよ、あの薄毛。あ、麦茶おかわり」


「薄毛はやめましょう、薄毛は」


 好きでそうなったわけでもあるまいから。


「しかし、生霊が現象化するほど念が強いから、営業が強いんですかね」


「霊存在って、電気関係に干渉することがあるでしょ? うちの玄関の電気、ショートさせたのよ、あのハゲ」


 もっとひどくなっている。


「現象化した生霊になれば玄関の鍵くらいは開けられますからね」


「ドアは開けられないにしろ、か弱い女性のひとり暮らしで鍵を開けられるなんて、たまったもんじゃないわ」


「そのときは、梨華が飛んでいきますよ」


 おかわりをかいがいしく用意してくれている女子高生式神がにっこり微笑んだ。ゆかりが梨華を軽くハグした。


「真備くんは来てくれないの?」


「まあ、俺もいきますけど」


「イヤイヤ感丸出し。冷たい弟弟子を持って私は悲しいわ」


 火炎系の呪法なら真備より出力が高い陰陽師が、そうそう危機に陥るとも思えないのだが。


 ゆかりは口いっぱいにご飯を頬ばった。

「まあ、今日のミーティングでネチネチやられてたから、真備くんの所に行くんじゃないかなとは思ってたけどね。――ハンバーグもう一個もーらい」


 ゆかりが真備の皿から食べかけのハンバーグを略奪し、さもおいしそうに頬ばった。


「それ、俺の。――って、生霊が来るって分かってて、俺の家で飯食って待ってたんですか。助けてくださいよ」


「言ったでしょ、あいつはしつこいって。だからさっさと心の波長をずらして隠形して接触しないようにしてたのよ」


「ひどっ」


「真備様、ハンバーグ追加する?」


「ああ、ありがとう」


「私ももう一個頂戴」


 新しいハンバーグが届くまで、真備は味噌汁をすすって待った。


「まあ、ほんとうに生霊が暴れまくったら私も助けるつもりだったけど」


「ほんとですか」


「姉弟子に対し奉り、何という口の利き方」


 テーブルの下でスネを蹴られた。激しく痛い。


「痛いです、姉弟子」


「痛いだろうねえ。痛くなるように蹴ったのだから」


 ひどい人だと思う。


「姉弟子は俺をサンドバッグか何かだと思ってるのですか」


「サンドバッグなんて思ってないわよ。呪術の実験台」


「もっとひどいですよ! 確かに姉弟子には不動金縛りから始まっていろいろされましたけど!」


「大丈夫よ。日本陰陽道の祖とも言われる『吉備真備』の名前なんていうとんでもない法力の塊を名乗ることを許されているんだから」


 そこまで言うなら、それなりに敬意を表していただいてもいっこうに構わないのだがと、心の片隅で思う真備だった。

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