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第四章 ①

 大怪我をしたゆかりを、式神の力を使って家まで運んだ真備は、そのまま拝殿のある部屋にゆかりを運んだ。


「梨華、治癒符をありったけ。それとたらいに湯を。乳香も持ってこい」


「はい」


 梨華が流れるように動く。さすがに軽口を叩く余裕はない。


 その間に真備は、清潔な布を二枚取った。拝殿に奉納してある御神酒を惜しげもなく布の一枚にぶちかました。


 御神酒で十分に濡らした布で、ゆかりの顔や頭の血をぬぐう。


 もう一つの布は十分に聖別された閼伽(功徳水)をかけ回して濡らし、やはりゆかりの顔や腕をぬぐった。


「ううっ」とゆかりのうめき声が聞こえた。


 梨華が治癒符を持ってきたので、呪を唱えながらゆかりの頭部や頬、腕に貼っていく。


 梨華が、たらいに張った湯に乳香を入れた。


 室内に香りが満ちる。


「おんころころせんだりまとうぎそわか」


 薬師如来真言を唱え、印を結び、貼り付けた霊符にさらなる光を入れていく。


 式神の梨華も乳香を入れたお湯に手を入れて濡らし、その手でゆかりの身体に触れていく。文字通りの手当だった。


 その間も、真備の真言の声が小さく続いていた。


 陰陽師と式神の主従が力を合わせること一時間。ゆかりの表情から苦悶の色が消え、穏やかな顔色に変わっていった。


「バン・ウン・タラク・キリク・アク」


 真備が晴明桔梗を切って法力をさらに注ぎ込む。


 ゆかりが小さくうめいて、ゆっくりと目を開けた。


「ごめん、真備くん。助かった」


 疲労の残りは見られるものの、彼女の目には優しげな親愛の情と心からの感謝の光が宿っていた。


 真備は大きく安堵の息をついた。


「ここはどこか、分かりますか」


「天国かしら。とても心地いいわ」


「残念ながら、俺の家ですよ?」


「分かってる。だから、とても心地いいのよ」


 ゆかりが一度目を閉じ、大きく深呼吸をした。


「どこか、痛みますか」


「全然」


 そう言ってゆかりは、腕を持ち上げ、真備の頬に触れた。しっとりとした女性の掌の感触が、真備の頬に広がる。


「大丈夫そうですね」


 ゆかりが持ち上げた腕は、先ほどまで折れていた腕だ。どうやら、治療符と真備たちの法力によって、問題なく治癒されたらしい。


「姉弟子を危険な目に遭わせて、ほんとうにごめんなさい」


 改めて謝罪の言葉を口にする真備に、やんわりとゆかりが微笑んだ。


「大丈夫よ。気にしないで。でも、もし真備くんが気に病むようなら、そうね、今度、ご飯でもおごってもらおうかしら」


「食べたい物、考えといてください」


 頬に当てられたゆかりの手を取り、真備が両手で包む。


「姉弟子の家の式盤、使わせてもらっていいですか」


 普段、真備が使用している式盤はこの部屋にある。ゆかりは骨折も治癒したとは言え、もう少しここで霊肉の回復を図った方がいいから、ここで真備が式盤を操って先ほどの怨霊の正体を追求するわけにはいかないのだ。


 真備の言葉にゆかりがあっさり許可を出した。


「ついでに着替えも取ってきて。下着も替えたい」


「それは梨華にお願いしてください」


「ふふふ」と笑って、ゆかりが再び大きく息をついた。


「仇討ちはよろしくね」


 えもいわれぬかわいい顔で微笑むと、ゆかりは再び眠りに落ちていった。すやすやという寝息が無防備であどけない。


 真備は自分の霊力を梨華に分け与え、自分が不在の間のゆかりの治療を任せると、合い鍵を使ってゆかりの家に入った。


 家の中は、女性の家らしくきれいに整い、どこからともなく甘い薔薇の香りがしていた。花を飾っているのかと思ったが、そうではないので、香を焚いているのだろうか。


 二階に上がり、祭壇のある部屋へ入らせていただく。


 作法通りに拝礼して、ゆかりが普段使っている式盤を用意する。


 つやつやと木が光っていて、長年大切に使い込まれてきたことが一目で分かる。


(姉弟子の式盤使いは天下一品だからな)


 式盤を複雑に回し、時に黙考し、また式盤を操る。


 式盤が告げる事実を足がかりに、次々と真実を見つけていく。


 その日、遅くまで真備は式盤を操り続けるのだった――

 

☆☆☆☆☆


 気がつけば太陽の光が家に差し込んでいる。蝉の声がいっそう騒がしくなった。


 また昼間になったようだ。


 あまり時間の感覚がないが、昨日の夕方辺りから身体が重い。


(二階のベッドで寝てるわけでもないのに)


 桜子はリビングでぼんやりとほおづえをついた。


 何かとても長い夢を見ている気がする。


 その夢も、夕べはとんでもなくひどいものだったようにも思う。


 一人で家の中にいるからそんなふうにあれこれ思考が回ってしまうのだと思う。


 だが、これが現実なのか夢なのか、桜子にはそれすらも判然としない――


 桜子がひとり自分の心をもてあましていたときだった。




 ピンポーン――




 家のインターホンが鳴った。


 誰だろうか。


 インターホンの白黒の画面を見れば、半袖ワイシャツ姿の青年が微笑み顔で立っていた。


「小笠原さん!?」


 今日約束していただろうか。服装は大丈夫か。髪型は整っているか。少しお化粧をする時間が欲しい。ああ、でも待たせたらもっと悪い。留守だと思って帰っちゃったら最悪だ――


「はーい」


 気がついたら返事をしていた。


「小笠原です。土曜日の朝からすみません。いま大丈夫ですか」


「はいはいはい。大丈夫です。お入りください」


 玄関で鍵の開く音がした。


「お邪魔します」


 玄関に急ぐと、いつもの優しそうな小笠原さんがいる。


「どうされたのですか、小笠原さん」


 何だろう。真備がいつもより大きく感じる。ちょっとドキドキする。


「桜子さん」


「は、はいっ」


 妙にドキドキする。すごくドキドキする。顔が火照る――


 そして、真備が言った。





「桜子さん、今日は『あなた』に会わせてください」





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