第三章 ⑧
「夕方ですね」
「まだまだ暑いけど、いまくらいの時間だと飛び込みも捕まりやすいわね」
ゆかりもパンフレットを手に、飛び込みのスタイルになる。
二人で先ほどの稲荷神社に詣でたあと、桜子の家の方へ飛び込みをしていくことにした。
真備の倍くらいのスピードでどんどんインターホンを押していくゆかりの姿を見ながら、なるほど、これなら見込み客を探すのが上手なはずだと勉強に思った。
桜子の家のそばに来るまでに何十回とインターホンを押し、何人かと話をし、二人くらいにパンフレットを手渡しできた。上出来だった。
「ここまでおかしな家はなかったし、桜子さんの家も変わりはないみたいね」
「外から見ただけじゃ分からないですけどね」
「もう日も落ちるし、駅までまた飛び込みして戻ろっか。私はこっち。真備くんは一本向こうの道から」
「俺の方がちょっと遠回りじゃないですか」
「レディー・ファーストよ」
すたすたとゆかりが歩き出し、目の前のインターホンに指をかけていた。
やれやれと真備が内心苦笑し、一つ向こうの路地に入ってインターホンを鳴らした。
返事を待っているときだった。
「キャアアアァァッ」
小さいが、たしかに女性の悲鳴が聞こえた。
同時に真備の魂に直接、念波が届く。
「姉弟子っ!?」
真備は身を翻し、走り出した。インターホンから「はーい」という女性の声が聞こえた。
身分証を翻しながら駆け戻る。
黄昏時の住宅街の誰もいないアスファルト。むこうに女性が倒れているのが見えた。
「姉弟子っ!」
そのゆかりの身体の上に、三メートルくらいある大きな薄暗い靄がかかっていた。
「離れろっ!」
念力を込めた言霊を発すると、靄が揺らぐ。
しかし、揺らいだだけだった。
「何だとっ!?」
驚愕した。いくら準備なしとは言え、自分の念力をまともに食らって、揺らいだだけとは――
ゆかりの身体が不自然に動く。まるで誰かに殴られ、蹴り上げられ、叩きつけられているようだった。
いや、それは比喩ではない。真っ黒い霞が、ゆかりを殴打し、蹴り倒しているのだった。
上空に鳥の羽ばたきが大きく鳴った。
漆黒の大烏が真備とゆかりの間に降り立ち、制服姿の女子高生に変化した。
「ゆかり様っ」
ゆかりの異変に関知し、式神の梨華が駆け付けたのだった。
右手に持った鉾先鈴で黒い霞を打ち据えた。
純粋な法力の塊である式神の一撃を受けて霞がゆかりから離れた。
「姿を現せ!」
両手に印を結んだ真備が念を込めると、霞が再び揺らいだ。
その頭部に当たる辺りが、煙を晴らすように霞が散る。
そこに現れたのは――
「般若か」
長い黒髪を振り乱し、牙と角を生やした面長の女の鬼。まなじりが裂けんばかりに真備たちをにらみつける。
「怨霊退散っ!」
梨華がくるくるとコマのように回転しながら般若に躍りかかった。
式神の梨華が渾身の法力で般若を打ち据えようとしたその瞬間――
蝋燭の炎を吹き消すように般若も黒い霞も消え去った。
「どこへ行ったっ!」
怒りの声を上げる梨華を真備が制止する。
「梨華! そっちはいい。それより姉弟子を!」
駆け付けてみれば、ゆかりは頭から血を流し、唇も切れ、顔は青く腫れ、両腕が変な方向に曲がっていた。
抱き起こしても、意識はなかった。
「梨華、俺たち二人をすぐに家に運んでくれ」
大きな烏が真備とゆかりに覆い被さり、東の空へ飛び立った。
烏の飛び去ったあとには、真備もゆかりもいない。
あとには蝉の声が辺りを包むばかり――
夕日の名残はほぼ消え去っていた。
今日は短いですが、章がわりなのでここで。
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