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第二章 ⑥

「それにしても久しぶりに集中したわね」


 その翌日、つまり週の土曜日の朝、まったく当然の権利としてゆかりが真備の家で遅めの朝ご飯を食べていた。


「あー、このシジミのお味噌汁、しみるわー」


「姉弟子、ちょっとオヤジくさい」


「呪詛するよ?」


「ほんと、サーセンした」


 真備が二膳目のご飯を口に運びながら、大して誠意なく謝った。


「梨華のご飯に免じて許してあげる。梨華、私もおかわり」


「はい」


 普段の朝ご飯はトーストのときもあるが、週末の朝食は和食と決まっている。


 理由は簡単。コメを食べないと力が出ないのだ。


「珍しいね。ふたりともしっかりご飯食べる週末。結構大きい調伏なの?」


 梨華がゆかりにおかわりを渡しながら真備に尋ねた。


「大きいというか同時発生的な?」


「いつどんなことが起こるか分からないから、見つけ次第、見つけた人が調伏する。それが私たちのルールだからね。でも、今週は真備くんが当たりを二軒引いてきちゃったから大変」


 そのくせ、ゆかりは喜々としている。おそらく、火炎系の法力をぶっ放すチャンスだと思っているのだろうと真備は思う。ゆかりが担当になった方の悪霊にちょっとだけ同情する。


「先週土曜日に紹介をもらった案件、どっちも悪霊が絡んでいる家だったんだよ」


「先週土曜日というと、真備様が鼻の下を伸ばして若い女性とたっぷりお話をしてきた日だっけ?」


「おっと、梨華、その話詳しく聞かせて頂戴」


「大きなお屋敷に一人きりでいる二十歳の女性を、ご両親の目がないのをいいことに、延々とあんな話やこんな話を」


「梨華っ、何わけのわかんないこといってるんだよっ」


「有意義な情報ありがとう、梨華。さて、真備くん、弁明は?」


「姉弟子、ちゃんと報告したじゃないですか」


「先に真備くんを祓っておいた方がいいかなっ」


「いや、姉弟子、そんなことしたら本番で法力が足りなくなりますよ」


「大丈夫。ご飯をしっかり食べたから、そのくらい余裕」


 卵焼きを一切れ贈呈することで真備は一命を取り留めた。


 調伏のある週末は、いつもこうして朝食を取る。


 今日の調伏の内容について情報を共有し、どの系統の法力を用いるべきか、説得の段取りはどうしたらいいか、お互いの知恵を共有するのである。


「姉弟子にお願いする方は、典型的な動物霊。ただし数が多いので、一気に調伏した方がいいと思います」


「悪霊は少ないのね」


「一体いますけど、何しろ動物霊が多すぎるので、そこを先に吹っ飛ばさないと悪霊まで届きません」


 さっき確認したように、今日の調伏案件は真備が先週、桜子から紹介された先での悪霊事案である。


 いつもなら、自分で見つけてきた悪霊だから、様態なども自分がいちばん克明に描写できる。


 しかし、今回は真備しか現実にはその悪霊を見ていないので、ゆかりが対策を立てることは困難なのだが、驚くほどあっさりと「真備くんがそう言うなら信じる」と、ゆかりは言い切った。


 陰陽の術において、真備のセンスは絶対なのだ。


「真備くんの方は?」


「俺の方は結構エグイっす。餓鬼霊が数体で、たぶん奥にもっとデカいのがいる」


「大変そうね」


「保険の話をしたときに、やんわりと餓鬼霊と通じる心はやめないといけないですよねって一般論的に話したんだけど、まあ、ちょっとそれだけじゃ自分のことだとは分からないでしょうね」


「その程度で分かったら、餓鬼霊が数体も来るなんてことはないわよね。大丈夫?」


「梨華にも来てもらいますから、大丈夫です」 


 エプロン姿の高校生式神は、真備の言葉に軽くうなずいたのだった。


 朝食のあと、ゆかりは自分の家に戻る。二階からではなく、ちゃんと玄関からだ。


 家に入る前にスマートフォンの電源を切る。これから先、調伏までは原則的に誰とも話をしない。口を開くことで霊力が漏れるのを防ぐためだ。


 おそらく真備ならそこまで張り詰めたコンディション調整はいらないだろう。だが、ゆかりの場合はそうしないと最大出力の法力を発揮することができないのである。


 ここから先はゆかりもひとりの陰陽師として自分を研ぎ澄ましていく。


 もし何か問題があっても、自分ひとりで解決するしかない。どうしても必要なら強力な念波を飛ばせば、式神の梨華が察知するし、真備にだって届くだろう。


 通常、週末の調伏は日が暮れてから行う。


 昼間でもいいのだが、その場合は人の目をごまかす必要がある。真っ昼間から準備なしの九字の一発で周囲の目から完全にステルスできる真備の法力が異常なのだ。


 何より、服装として現代の服を着るしかなくなる。本気で調伏をするときには、身なりもそれなりに気を遣うのである。


 ゆかりは家に戻ると、軽くストレッチをして身体をほぐした。


 鬱血している箇所は疲労素が溜まりやすく、霊力が滞る。


 深い呼吸と共に身体を伸ばしていくと、それだけで光が入ってくるようだった。


 それから、ゆかりは着ているものをすべて脱ぎ、シャワールームで冷たい水でシャワーを浴びた。


 浴びながら小さく般若心経を唱え、身を清める。


 清められた白布で身体を拭き、巫女装束を纏う。


 真備の家と同じく、ゆかりの家も結界を張り巡らした祭壇のある一室がある。


 巫女姿のゆかりはその部屋に入り、口に紅を差し、祭具と霊符を調えた。


 これから数時間にわたって、ゆっくりと精神を統一し、深い瞑想に入る。それによって神仏の光を自分の心に蓄え、調伏に備えるのである。


 やがて日が落ちるころ、部屋の中の祭壇周りに自然に蝋燭の炎が灯り、ゆかりに調伏の時間が来たことを告げた。


「陰陽師・御子神ゆかり、神命により調伏つかまつる」


 拝礼をしたゆかりは音もなく立ち上がった。


 調伏先までは禹歩を使う。


 陰陽師の独特な足運びで地脈に乗り、瞬時に移動する。


 本来は結界護持のためのものだったようだが、瞬間移動も秘術として伝わっている。


 ゆかりが調伏に向かったのはスナックが何軒かある路地を一本入った小さなアパートだった。


(たしかに空気がよどんでいるわね)


 こざっぱりした外見のアパートなのだが、霊的にはむんむんに臭っている。


 真備が言っていたのは一○一号室。一階ではあるが、入り口から一番奥で、この時間ではあまりよく分からないが方角的には日差しも差し込まないような当たりだ。


 アパート全体から見ても北東、つまり丑寅の鬼門に当たる方向になっている。


 ゆかりは合掌し、念を込め、九字を切る。


 これで、夕闇と相まって、周りからゆかりの姿は見えない。


「さあ、出てらっしゃい。調伏してあげる」


 右手に何枚もの霊符を広げ、左手を刀印に結んだゆかりが挑発するように声をかける。


 むわりと空気のよどみが濃くなり、蠢いていた。

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