第一章 ⑫
現実に、この三つの保険の区別を知っているだけでも、保険で悩むことは格段に減るはずである。
さらに営業マンにとっても、この話のありがたい点がある。
うまく話の内容が相手の心に決まった場合、話した真備はお客様から先生的に扱ってもらえるようになる。
丁度、いま桜子が真備を見ているようなまなざしで。
そうなってしまえば、ただの営業マンではなく、ある種のコンサルタントになり、「この人はただの物売りではなく、専門家だ」と思ってもらえるようになる。
余談だが、真備はファイナンシャルプランナーの資格も持ち、名刺には「AFP」の資格も書いてあるのだが、あまりそれに触れてもらえたことはない。
「桜子さんとしては、この三つの保険、ちなみにどれがいちばん好き?」
「そうですねぇ」
桜子がほっそりとした指を顎に当てて考える。
「やっぱり、終身保険がいいです」
「どうして」
「お金が一杯もらえるから」
「そうだね。お金が貯まるのはいいよね」
ここでのポイントは、入りたい保険を聞くのではなく、あくまでもお客様に好き嫌いを選んでもらうということにある。
例え、三色のボールペンで「黒・青・赤」に図の色を使い分けることで、最後に書かれた赤色の終身保険を選びやすい心境に誘導しようとも、である。
「お客様は自分で選びたいのよ。保険のおばちゃんが持ってくるセットものではなく、自分の選択で自分の保険を選んだ満足感が、気持ちよく加入していただくためには不可欠なのよ」とは、ゆかりが真備に教えてくれたことだった。
通常なら、この話は二回目の訪問、いわゆる「次アポ」のときにする話だ。何しろこれだけで二十分から三十分はかかるから。
だが、次アポの段階ではこれだけで帰ってはもったいない。
この後、普通なら加入している保険証券を出してもらうのだ。
「ここまで保険の話を聞いてくると、たいていの方は、自分の保険がどうだったのか不安になってくるんだ」
「わたくし、いま不安です」
「なので、ここでいまはいってらっしゃる保険証券を一緒に確認するんだけど、見つからなかったんだよね」
「はい」
桜子が悲しげに頷いた。
この「三つの保険の話」を聞くことで、お客様は自分の保険証券が読めるようになる。
日本の保険会社に入っている人がほとんどだから、大体は「にこにこ人生」やら「生きていく喜び」やら、何かかわいらしいペットネームの保険に入っている。
それだけでは内容はよく分からないのだが、証券に書いてある保険の正式名称を見れば、必ず「○○付終身保険」「××定期特約」などとかいてある。
その段階で、この三つの保険のどれに当たるかが分かる。
あとは、営業はお客様と一緒に、それぞれの保障金額と保障期間、解約返戻金の貯まり具合を確認すればいい。
たいていの人は「こんなはずじゃなかった」となる。
それはそうなのだ。
きちんとした営業がついていないなら、まともな説明は聞いていないこともあるだろうし、仮に聞いていたとしても忘れている。
そして何より、いまの既契約に加入したときと現在では状況が違う。
状況が違えば必要な保険も違うわけで、「では、いまのあなたに必要な保険を設計して持ってきますね」となる。
ちなみに、マネージャーの前橋などは証券分析はまったくしないらしい。
前橋曰く、「時間かかってめんどくさい」。
どうしてもと言われた場合は分析するらしいが、それでも結局内容は無視して根こそぎ自分の契約に切り替えさせてしまうらしい。
自分の所で一元管理した方がお客様も入院や手術などの際に手続きが楽だと言うが、本当のところは他の保険を残しておいて他社の営業マンが介入する余地を残したくないからである。
以前、そのように生霊が自慢げに言っていた。
真備にはまねのできない芸当だった。
証券分析は、たしかに時間はかかる。
でもその分、お客様が納得できる。
分析の結果、お客様にプラスが大きい残しておいた方がいい保険は残しておく。
簡単に言えば、何でもかんでも変えた方がいいと思っているのが前橋で、何でもかんでも変えればいいとは思っていないのが真備なのである。
何はともあれ、今日は証券がないのでここまでである。
「普段からちゃんと管理してないとダメですね」
「まあ、保険なんてみんなそんなもんだよ。だからこそ、私たちみたいな営業がきちんとついて、いつでも聞けるようにしておけば、安心なわけ」
「ほんと、そうですね。小笠原さん、また保険のお話聞かせていただけますか」
「はい、喜んで」
答えながら、次回は通常バージョンの設計書と、病気でいわゆる緩和型保険しか入れない場合の設計書と両パターン作っていこうと考えた。
退院直後だからおそらくは無駄仕事に終わるかもしれない。
でも、せっかくのご縁を大切にしないと、営業なんてやってられないと真備は思うのだ。
「あの、わたくし、今日の小笠原さんのお話を聞いていて、他の方にも聞いて欲しいなって思ったんですけど、そういうのってお願いできるのですか」
この段階で、しかもお客様の側から紹介が出るというのは願ってもないことだった。
「はい、喜んで」
今日、フリー修行日を一日つぶしてここまでやってきてよかったと思った。
暑い中、飛び込みをしてやっと話ができた桜子の家で、麦茶の一杯も出なかったけれども、よかったと思った。
(たぶん、これからもここでは麦茶は出ないだろうけどね)
自転車にまたがり、こぎ始める。
そのペダルが軽く感じられた。
……しかし、桜子が紹介してくれたいくつかの家が、新しい問題になろうとは、このときの真備は考えてもいなかった。




