第一章 ⑪
「保険がいかに良さそうに見えても、しょせんは人間の作るモノだからね。で、三番目の保険」
三十歳で保険に入る。保険金は一千万円。払込は六十歳まで。真備は養老保険の図の下に、もう一つ、赤色で図を書く。
始点は長方形だが、先の方は矢印のようにとがっている。
「これ、終身保険ってヤツなんだけど」
「あ、聞いたことありますっ」
桜子が大きく挙手をした。よい生徒だと思う。
「よくテレビとかでもやってるよね。この保険の特長は、その名の通り、一生涯の安心が続くって言うこと。さっきまでの二つの保険は必ず終わりがあったけど、終身保険の方は、六十一歳になっても、七十歳になっても、百歳になっても、辞めない限りずっと続いてて、亡くなったときにお金が出てくる」
ほんとうのことを言うと、終身保険は「終身」ではない。男性であれば一○五歳、女性は一○八歳を満期と見た超長い養老保険なのであるが、それを言い出すときりがないので、普通は話さない。
わかりにくくなったら、保険は入ってもらえない。姉弟子の教えだ。
だが、知っていると言うことが自信になるし、場合によっては契約が横取りされそうなときに、「その営業に『終身保険に満期があるって知ってますか。それは何歳ですか』って聞いてみてください」と信用力をこちらに引き留めるために使ったりはする。
「知は力」とは、保険でも霊能の世界でも同じことなのだ。
「この条件だと、うちの保険だと掛け金はだいたい一万八千円くらいかな。養老保険と比べれば、安い高いじゃないけど、月々の支払は」
「少なくて済みますね」
「そう。でも、これだけのお金を払うと言うことは、もう一つの特長、終身保険もやめたときにお金が返ってくるタイプの保険だということ。ただし、さっき養老保険の時に話したよね。『保険は十年二十年の時間でお金を増やしていくのが得意だ』って」
「はい」
「だから、最初はやめたときに戻ってくるお金はあんまりない」
真備の属している会社で主として売っている終身保険は低解約返戻型である。
その名の通り、加入当初の解約返戻金は低く抑えられており、七十パーセントを越えるのは、真備の会社の保険の場合、払込終了の四年前である。
真備は解約返戻金の増え方を赤線で記入し始める。
「最初はいま言ったとおりあんまり返ってこないけど、お金を払い終わる四年前にくっと返ってくる金額が増える」
「ふむふむ」
「さっき話したとおり、三十歳から六十歳まで毎月一万八千円払うから」
電卓を叩く。一万八千×十二×三十で、
「六四八万円、お金を払っている。じゃあ、このときに、六十歳になって定年になって、もう仕事も辞めたから保険もいらないから解約するとしたときに、これまで払ってきたお金六四八万円に対していくら戻ってきたら、嬉しいですか?」
「いくら戻ってきたら?」
「いくら戻ってきたら」
桜子が腕を組み、小首をかしげた。
「……全部?」
「そうだよね」
真備がにっこり笑って答える。桜子の答えは順当なところだ。多少、保険を知っている人だと「半分戻ってくればいい」というふうに答えることもある。
「じゃあ、早速ご契約を」
冗談めかして真備が頭を下げると、桜子がまたころころと笑った。
「普通の終身保険だと、景気もあまりよくないので、掛け金の七割くらい戻ってくればいい方だね。モノによってはかけたお金の半分しか戻ってこない、なんてのもある」
「悲しいですね」
「悲しいね」
商談の名を借りて、桜子としゃべっていることがだんだん楽しくなってきた。
「でも私がいま書いているこのタイプの保険だと」
そう言って終身保険の解約返戻金のところに数字を書く。七一一万円。
「預けたお金が六四八万円、保険もずっとついてたのに、払いきってやめたら七一一万円。すごくない?」
「すごいですねっ」
桜子が再び目をきらきらさせる。
「終身保険にはこのあと続きがあるんだ」
真備は六十歳段階の解約返戻金の所に赤ペンを置く。
「さっき、六十歳で保険をやめたらって話をしたけど、このときに、とりあえずお金もあるし、もう払い込みもないんだから、保険は解約しないで放っておこうということで、そのままにしといたら、このお金、どうなると思う?」
「どうなるのですか?」
「さらに増えてくんだ。保険会社も金融機関だから、お金をそのまま素預かりはできないからね」
真備はゆるゆると赤線を、桜子から見てゆるゆると上昇させていく。
「で、あとは自分のお金の必要なとき、部分的に解約すればいい。例えば、娘が結婚するから結婚資金を少しサポートしてあげたい、とか」
赤線をすとんと落とし、さらにゆるゆると右肩上がりに書いていく。
「残った分はまた増えていく。次は孫が生まれたのでお祝い用に、少し解約してお金を下ろす。また増える。今度は夫婦でゆっくり海外旅行にでも行こうねということで、少し下ろす」
少し落としてはまた右肩上がりにする。階段状の線が書かれた。
「こう言うふうに何度にも分けてお金を下ろして、最後、お葬式台だけあればいいと言うことで、百万円くらいの終身保険だけ残しておけばいい。そうすると、現役時代は自分の家族を守ってくれた保険が、リタイアメント後は自分たちの経済的な自由を守ってくれる。これがほんとうの終身保険の使い方なんだ」
お客様相手だというのに、いつの間にかタメ口になっていた。
「保険って、すごいんですねっ」
桜子は桜子でまったくもって感動の面持ちになっていた。
「こんなお話、はじめて聞きましたっ。大学の勉強より、すごくためになりました」
「いやいやいや。それは言い過ぎだよ。ところで桜子さんは学部は?」
「法学部です」
「優秀だね」
「そんなことないです」
「いや、優秀だよ」
桜子がちょっと照れていた。
「さて、桜子さん」
「はい」
「いま三つの保険の話をしたけど、実はこれで、保険って、全部なんだ」
「これで全部なんですか」
「そう、全部。後はこの組み合わせだけ」と、真備はにっこり微笑んだ。
「すでに桜子さんは半端な保険営業マンよりも保険について詳しくなってるよ」
「ありがとうございますっ」
これが真備の言う「保険営業マンの嘘が分かる話」であった。




