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第一章 ⑩

 本人がフルネームと誕生月を言ってくれたのはありがたかった。そのまま生年月日を聞いてバインダーにメモを取る。


 二条桜子、現在二十歳。


「今日は、せっかくですから、『保険の営業マンの嘘が分かる話』をさせていただきますね」


 桜子がころころと笑った。


「そんなお話があるんですね。おもしろそう」


「もちろん、この話をしたら、私も桜子さんをだませなくなります」


「ふふふ。小笠原さん、私をだまそうとしてたんですか」


「そんなことはないですよ」


 からかわれているのだろうか。


 ここは年上の威厳を保たねばならない。


「生命保険って、世の中にいくつあると思いますか」


「え……ちょっとわからないです。すごくたくさんのイメージ」


「そうですよね。でも実際にはたった三つしかないんです」


「えっ、そうなんですか」


 桜子がかわいらしく目を丸くした。


「そうなんです。そしてこの三つを知っておけば、さっき話したとおり、保険の営業マンの嘘に騙されなくて済むようになるのです」


 バインダーは桜子の方に向けて、数字は仮のモノですと断って長方形を書く。


「一つ目のカタチ。三十歳の男性が亡くなったときに一千万円出る保険に入ります。いつまでか。六十歳までです。つまり、三十歳でも三十五歳でも、五十歳でも五十五歳でも、いつ亡くなっても一千万円の保険金ですけど、六十歳までにしますというカタチです」


 話に合わせて、長方形の中に「一千万」や下に「三十」「六十」と書いていく。


「ふむふむ」


「この保険に入っている男性が、仮に六十一歳でお亡くなりになったら、保険金はもらえるでしょうか、もらえないでしょうか」


 長方形の下、「六十」と書いた横に「六十一」と書く。


「もらえ、ない?」


 やや自信なさげに桜子が言った。


 真備は笑顔で桜子に頷いた。


「その通り。六十歳でおしまいの保険なので、何ももらえません。すごくあたりまえのことのようですが、これ、すごく大事なことなんです」


 バインダーの「六十一」の上に大きく×を書く。


「三十歳で入って毎月お金を払っていって、六十歳になったらおしまいの保険。保険の終わりの期日が定まっているので『定期』保険というわけなんです」


 桜子から見て長方形の左側に「定期」と書く。


「この保険の特長は、毎月の支払が安いことです。毎月三千円くらいでいけますかね」


 長方形の上に「三千」と書く。


「ただし、やめたときのお金はほとんど戻ってこないと思ってください」


 長方形の下辺の上に、低く緩やかな弧を描く。いわゆる「解約返戻金」の額を高さで表している。


「ですから、これ、『掛け捨ての保険』なんて言われることもあります」


「あ、聞いたことあります」


 桜子がぱっと笑顔になる。名前の通り、桜が咲くような笑顔に、真備も思わず笑顔になった。


 素直な性格だな、と思う。


「次が養老保険という保険なのですけど、聞いたことあります?」


「いいえ……あ、郵便局で聞いたことあった」


「そうですね。郵便局の養老保険は有名ですね。保険の長さとしては、実は定期保険と同じで、この例だと六十歳までです」


 先ほどの定期保険と同じ図を、今度は青色のボールペンで書く。


「では定期保険と養老保険とで何が違うかというと、養老保険の場合、六十歳まで元気で何事もなかったら、保険金ではなく、満期金として、同額の一千万円のお金がもらえます」


 保険を表す長方形の横に、もう一つ同じ高さの細い長方形を書く。これが満期金の表現方法だった。


「すごいですね。お金もらえるの、いいなあ」


 つくづく素直な性格だと思う。


「いいですよね。でも保険は六十歳で終わりなのは変わりません。それとこの保険」


 保険を表している長方形に対角線を一本入れる。三十歳から六十歳まで右肩上がりになる線だ。


「要は三十歳から六十歳までかけて一千万円貯めましょうということなんで、これ、銀行で同じように貯めようと思ったら」


 真備は電卓を叩く。これも桜子の方に向けている。一千万割る三十年割る十二カ月だ。


「毎月二万七千七百七十七円、貯めないといけません」


「そうですね」


「じゃあ、さっきの養老保険の場合、これよりも多くお金を払わないといけないか、少なくて済むか、どっちだと思います?」


「うーん」


 桜子が腕を組んで小首をかしげる。ちらりと真備を上目遣い。


「ヒントください」


「ヒントですか」


 初めての展開だった。


「銀行の預金だったら、一千万円貯めようと決意して一回お金を預けて、銀行出た途端に車にひかれて死んでしまったとしたら」


「悲惨ですね」


 そこでツッコミが来るとは思っていなかった。ちょっと吹いてしまった。


「悲惨だね。そのとき、いくらもらえる?」


「二万七千七百七十七円」


「だよね。養老保険なら一千万もらえます。保険だからね。さて、月々の掛け金はどうなる?」


「高くなる?」


「理由は?」


「保険があるから」


 順調な答えである。

 陰陽の術ではなく、ゆかりの教えてくれた「三つの保険」の話法通りに誘導されている。


「そうだよね。でも実際には、二万七千円くらいで済むんだ」


 真備はその金額を紙に記入する。


「ちょっと安い」


「そう。何でだと思う?」


 桜子が眉根を寄せて首をかしげた。「わかりません」という意味らしい。


「銀行は、例えば今日お金預けても、急に入り用になった思ったら、その日にコンビニのATMとかで下ろせるよね」


「はい」


「でも、保険の場合は?」


「下ろせない」


「そう。理由としては、保険って、さっきの例でいくと、一回お金を払ってもらったら、その方に万が一があったときのための一千万円を用意しておかないといけないわけ。すぐにお金を下ろされたり、また戻したりなんてされたら、計算がめちゃくちゃになっちゃうよね」


「ふむふむ」


「下ろしにくくなっている分、十年に十年という長い時間をもらえば、銀行より月々の預かる額は少なくても、銀行よりもお金を増やしてみせますよというのが保険の特長なんだ」


「へー」


 桜子の目が輝いていた。尊敬のまなざしで真備を見つめている。


「保険ってすごいんですね。わたくし、知りませんでした」


「すごいですよね。でも、月々の保険の支払がさっきの定期保険と比べれば全然高い。それがこの保険の欠点」


「あー、いいことばかりじゃないんですねー」


 桜子がちょっと残念そうに言うのが面白かった。

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