この夜にのまれて
ラズライトは生まれてからこの方、大きな街と呼べる街へ出たことがない。
それは、彼女の仕事上仕方の無いことではあるが、たまの休日もほとんどがパソコンに向かっていたので、アルヴェスタの街並の大きさや建物の多さには驚きを隠せなかった。
「ラズ、こっちだよ。」オルトに呼ばれてあわてて足を進める。二人は、これからバスでアイオレーリィの宮殿が含まれる『フィール・ディス・ピア・ソリド』へ向かうところだ。FDPSには宮殿の他様々な役所が含まれ、アルヴェスタの中枢とも言える場所で、一般公開されている観光地は公園としても解放され、またその北側の大部分がアルヴィスタの遺跡保護地区となっていた。
「来たよ。」オルトの言葉に顔をあげると、路面電車がこちらへ向かってくる。ラズは思わずパソコンを入れた布の袋を握った。(袋はオルトが布を簡易的に使い作ってくれたものだ。)
こちらのバスは、主に路面電車のことを言うらしい。アラヴィスタの東の町エレクからバスで20分くらいの所に『フィール・ディス・ピア・ソリド』はある。ちなみに、そこはもう『タイラス』の町だ。
後部の入り口から乗り込み、入り口に備え付けてある機械から整理券を取る。時刻は午前8時を回ったところだったが、あたりはまだ暗く、闇が続くばかり。それなのに、バスは満員でオルトたちはつり革につかまることにした。
「記憶喪失?」改めて人に問われるとずい分陳腐に聞こえるものだなとラズは微苦笑した。
「はい。」ラズはオルトに自分が記憶喪失であること、気づいたらあの場にいたことを話した。
「それにしたって、着の身着のままで、あんな所に?」
「多分....私はどなたかに仕えていたのだと思うのです。ですから、とりあえず一番大きな街へ来ようと。」ラズはどうしたってこれ以上突っ込まれるわけにはいかなかったので、オルトの目を見て必死に話した。
「それで、これからどうするつもりだい?取り調べが終わったら自由の身だ。その後、銀行へ行って多少身なりを整えて...ギルドに申し込んであんたの素性、探してもらうしかないねぇ。」元々、そういった仕事も騎士団はするのだそうだが、四分の三の『夜』のおかげで、もっぱら『夜』の影を追うことが彼等の仕事となってしまっていた。そうこぼしているオルトにラズは気になっていたことを聞いた。
「『四分の三の夜』って何ですか?」ラズの質問にオルトは目を見開くと、
「それまで忘れちまったのかい?」やれやれ、とため息をつくと荷物をまとめていた手をとめて、ベットに座り、ラズと向かい合った。
ちょうど、今年の豊作祭の後だった。
満月はこつ然とその姿を隠され、一瞬にして主要都市が闇に飲み込まれた。
『影』と呼ばれるものは見えないが、確実に存在し、人々を殺し、王族さえその例外ではなかったという。
突然、私たちは24時間のうちの、6時間、9時~15時までを昼とし、その後の四分の三の夜と生きなくてはいけなくなった。
どうしてそうなったのか、誰がそんなことをしたのか、何がそうしたのか、誰にもわからなかった。
けれど、人も負けてはいなかった。魔動司と騎士たちは、影が浄化光に弱いことを知り日常的に使用していた『鉱石』に自らが発光するように『息吹』を吹き込み、あるいはジルコンと融合させ光を蓄積したりと、工夫を重ね、少なくとも街の城壁内では夜の間も外出ができるようにした。
だから、人々は必ず携帯する何らかの『光』を持ち、各家庭には非常用の『光』もあった。
闇に怯えながらも人々は、決してくじけたりはしないのだ。
「もう、3ヶ月になるんだねぇ...」オルトはまだ光がこの世の半分を覆っていた頃の事を思い出す。失われた仲間、そしてそれを見送った自分。あまりにも早い時間だった。
「何か、対抗策は無いんでしょうか。」ラズはそうつぶやいた。それが無責任な発言だと知っていても。
「....伝説ならあるんだがね...」オルトは言いにくそうに口を開いた。
「伝説?」いよいようさん臭さ倍増になってきたが、このおとぎの国のような場に自分もいるのだから、それすら真実なのかもしれない。ラズはそう思いつつ、静かにオルトの話を聞いた。
曰く、『フィール・ディス・ピア・ソリド』には今もまだ解明されていない遺跡が眠っているという。
かつて、この大地を覆う闇を払う女神が、この地に現れたという。ありふれたどこにでもあるような一説だ。
遺跡の壁に刻まれた文字はこの地どの時代のものでもどの文明のものではなく、だから解明が遅れているのだそうだ。
ラズはなんだかどこかで聞いたような話だなと思った。
「ともかく、そんなわけだから、あんたもこれを持っておきな。」そう言ってオルトにつけられたのは、小さい石がはめ込まれた首飾り。石は水晶のように透明で、無骨だが暖かみのあるカッティングがされていた。
ラズはこれが護身用だとわかると、オルトに視線で問い掛けた。
「いいんだよ、他にもいくつかあるからね。」ラズはそういわれ、素直に喜ぶことができなかった。礼は言ったが、何故見知らぬ自分にここまで優しくしてくれるのか、オルトがわからなかった。
そして何より自分がオルトをどこまで信用しているのか、それすらはかりかねていた。
物心ついた時から、自分のまわりには自分と、自分が仕える方と、そしてあの兄のようなトパーズとその同僚だけしかいなかった。同年代の子供もいなかったし、それが当然だと思っていた。
自分が仕えるのはただあの方のみ。それこそ至福であり、生きるすべてだった。そういうと、トパーズは何故か少し困ったような顔をしてラズに笑うのだ。
考えてみると、オルトはラズが会ったはじめての自分の家族と呼べる人以外の人なのかもしれない。
そんなことをつらつら考えていたら、いつの間にか眠ってしまい、定期報告を入力するのを忘れてしまった。失態だ。
だが、オルトが一緒の部屋では怪しまれる。せめて自由な時間を手に入れるまではおとなしくしておこう、そう思い、ラズはしばらくあちらのことを考えるのをやめた。
「着いたよ。」小銭を渡され、見るとオルトが備え付けの機械に入れるところだった。その機械の下の部分からレシートのようなものがくるくると出てきて、オルトはそれを取る。文字はわからなかったが、聞くと領収書だと言う。ラズもそれをまねて領収書はオルトに手渡した。
大きな門の前には観光案内図があり、その端にパンフがあり、三つ折りのそれを開くと『フィール・ディス・ピア・ソリド』の地図になっていた。
「入場料?」数字の部分だけは確認できた。
「大丈夫さ、私らが用があるのは番署の方だから、東門から入れば良い。」実際に使用している場所は立ち入り禁止になっているのだと、オルトが歩きながら説明してくれる。
しばらく歩いていると、正面の門よりは小さな門が見え、入り口でチェックを受けた。
「それは?」お守りだと主張するラズの手持ちのパソコンは、持ち込み禁止とされたので、ロックをかけて預けて行くことになった。自分の半身を奪われるようで不安だったが、すぐすむのだからと言い聞かせる。
長い庭を通り、荘厳な扉から入り、左に折れ長い廊下を歩き一番奥の部屋に通された。