ヘイ、タクシー
森、というほど深くなかったようで、少し崖を降りたら細い道に出た。
遠く道につながる先におぼろげだが町のようなものが見える。どうやらここは、町から少し離れた場所のようだ。ラズはそれを確かめるとそちらへ向かって歩き出す。前方までおよそ2キロという所だろうか。道は平野に囲まれていたが、ラズが降りてきた反対側はゆるやかに上り坂になっておりその先を見ることができなかった。時折わき水が地を濡らしている。道の幅はおよそ4メートル。これならば車でも通れそうだ。
「・・・・車?」よく見れば蹄の跡がある。そして一定の区間を空けた足跡だ。
「馬車・・・・かな。」そう言っているうちに後方から馬の鳴き声が聞こえてきた。
ボーン・ボーン・ボーン・ボーンッ突然、町から鐘とおぼしき音が聞こえ始めた。
つい、手元の時計を見てしまう。15時をまわった所だった。近づいてくる馬車の音を聞きながら、道のはしに移動する。そして、腕をあげ、拳をにぎり、親指を一本。それほど長い距離ではないが、それはあくまでラズの目分量であり、町までが2キロだとは限らないのだ。
そして、馬車が見えてきた。
「え?」
見えた、と思った瞬間には目の前を通り過ぎていた。ごお、と風が彼女のまとめていた髪を解く。
そして町へと続く道で米粒のように小さくなってから、急停車した。
「・・・・ナントカは急に止まれないっていうけれど・・・」ラズはあきれたが、置いていかれるといけないのでその場から走り出した。
「運が良かったよあんた。」明るい顔をした40代くらいの女が言った。
「あたしゃオルト。オルト・クレー。商いを生業としてる。今日、ちょうどエレクの町へ帰るところさ。」そう言って日に焼けた顔で笑う。赤い巻き毛をバンダナでひとつに束ねている。バンダナはすべて刺繍でできていて、高価なイメージを抱かせた。
「ありがとうございます。」ラズはとりあえずお礼を言う。この馬車は御者もいないのに勝手に走っている。だから、オルトとは自然に馬車内で向かい合う形で座っていた。
「それにしても、あんたいい年した女があんな所で何やってたんだい?下手すりゃ危ないことになってたよ。」オルトは初対面のラズにも心配そうに聞く。
「・・・・ちょっと、道に迷ってしまいまして。ところで、あの町には宿はありますか?」ラズは無難な答えを言った。オルトはそれで納得していないようだが、何も言わず、同系色の目を輝かせた。
「旅人さんかい?それにしては軽装すぎるね。・・・ま、いいだろ、あたしも人に言える身分でもなし。それにしても、あんた、あんな所で『夜』に飲み込まれたらどうするんだい!?まぁあんたのような人間がいるから、私も儲けさせてもらっているのだけどね。」
「オルトさんが?」
「オルト・クレー。アラヴィスタ屈指の葬儀屋さ。近頃じゃ『夜』の所為で死人ばかりだ。」
「本当に助かりました。ありがとうございます。それで、アラヴィスタっていうのがこの先の町なんですね?」できるだけおかしく思われないように発言したつもりだったが、オルトはまた奇妙な顔をして、
「アラヴィスタを知らないのかい?あんた、一体どこの田舎者だね。アラヴィスタは6つの町からなっている地方都市だよ。この先の町はエレク。一番東にある町さ。まさか、他の町も知らないんじゃないだろうね?」
「す、すみません。」ラズは冷や汗をかきながら言う。
「どっから来たんだい?アスト?イオス?仕方ないね・・・6つの都市は、『エレク』・『コス』・『タイラス』・『チャンバースト』・『ツァイニング』・『メルト』。アラヴィスタは六番目の王子クロラストリィティスが治めてる領地さ。主には観光業で成り立ってるね。エデル湖は見た方がいい、今の時期なら観光客が少ないだろうからね。・・・で、あんたも王子目当てかい?」
「は?」
「もう一つの観光名所。アイオレーリィ。王子の住んでる宮殿さ。ま、変わり者でね。自分の御殿をそっくりそのまま観光地にしちまった。いい年した男が「菫の君」なんて呼ばれて若い子に大騒ぎされてるんだよ。だから、あんたもそのクチかと思ったのさ。」
「・・・・いえ、多分、違うと。」(菫の君って・・・・)
「そうかい。で、宿だっけ?・・・・来たね。」オルトの顔が急に険しくなった。
「・・・!?」ラズも異変を感じて身体を固くする。
(何かが、近づいてくる・・・?)
「ちぃ、もっと気合い入れて走りな!このオンボロ!町まではあと3分も無いよ!」オルトはそういって手持ちの袋から白い水晶を出してちょうど壁に埋めこめるようになっている場所にはめた。
「!?」シートベルトをしていたからよかったようなものの、ラズの身体はとんでもないGに引っ張られ、あやうく息がつまる所だった。そして先ほどより激しくなった振動に、この馬車がスピードアップしたのだとわかる。
「オルトさんっ。」ラズは思わず言っていた。スピードアップしたにも関わらず、何か漠然とした不安が胸に広がるのだ。
そう、まるで何かに追われているかのように。
「来たよ、『夜』が・・・!」
馬車内を照らしていた光はすべて消え、とたん馬車は転倒し道からはみ出し崩れながら転がった。
それは影。
闇夜にうごめく影が、壊れかけた馬車を囲んでいた。
「う・・・・」オルトは馬車にはさまれた身体を動かせないことを知ると、顔だけ上げた。
上げなければよかったと心底思った。それは漠然とした恐怖。
何がいるわけでもない。現に、闇には何もないように見える。そう何も見えない。けれども、何かが、確実に自分のことを見ていた。急速に口が乾き、手足の体温が奪われていく。
幾度彼等に殺されたあわれな仲間をこの手で埋葬してきただろう。今度は自分がそうなるのだ。
せめて社葬は豪華にしてほしいと思った。
その時。
急に影がひるんだ。
見えたわけではないが、自分に対するプレッシャーが確実に失われつつあるのを肌で感じたのだ。
「去ね。」その声にはっとなる。そうだ、自分は一人ではなかった。ほっとした反面、彼女に何かあってはいけないと思い、逃げるように言おうとした。その時、近づいてくる蹄の音を聞いた。それも複数だ。
「光・・・!」光と共に掲げられる旗を見た瞬間、オルトは助かったと思った。それは雪の結晶と月の華をかたどったアラヴィスタの騎士団の紋章だった。騎士団が近づいてくるにつれ、あれほどあった死の恐怖も無くなった。人の気配を感じて顔をあげると、ラズがかがんでオルトの身を拘束している馬車の木材を取り除こうとしていた。
「無理だよ、大丈夫だもう騎士団が来てくだすった。」オルトは穏やかに笑いながら懸命に動かそうとするラズに言う。
「・・・オルトさん、お願いがあります。私の名前はラズ。今からオルトさんの弟子にしてください。」
「社員は足りてるよ。だがそうだね、町の宿までなら助けが欲しいところだ。」オルトは真剣なラズを見て言う。
「ありがとうございます。」ラズはこの地についてはじめて少しだけ笑った。
騎士団は銀色の鎧と兜をつけていた。銀は基本色で、それにそれぞれの色と文様を入れた鎧は美しい鑑賞品のようだった。
「本来ならば、事情徴収となるが、オルト・クレーに免じ、明日の出頭を命ずる。四分の一の昼に来られたし。」そう言って、背の高い騎士はオルトとラズを見比べ宿から出て行った。
「あったり前だよ。こんなか弱い女に向かってねぇ?」ラズはそれを聞いて深く頷いた。
「今夜はあたしもここへ泊まるよ。どうせ明日出頭するならその方が楽だからね。」そう言って、オルトは勝手に部屋をとってしまった。ラズはそれをあっけに見ていたが、オルトに呼ばれその後を駆け足で追った。
「・・・・で?」オルトは部屋に入ると、二つあるベットの左側に腰掛けてラズに座るよう促した。
「ヤボなことは聞かないよ。ただ、あん時あんた見えたのかい?奴らが。」オルトはそういいながら服を脱いでいく。
「いいえ、ただ、何かとても嫌なものがいると思って・・・これを、開いてみたんです。」そう言って、手持ちのパソコンを開く。オルトがそれを見ると画面が光りだした。
「何だいこりゃ?」
「これが光ったから、逃げたんでしょうか?これは今の私にとって、お守りのようなものです。」そう言ってラズはパソコンを閉じる。それをそっとベットの枕元に置いて、自分も着ていた服を脱ぎ始める。
「まぁ、何にせよ助かったよ。」
「何にもしていませんよ?」
「いいんだよあたしが言いたいんだから。」
「・・・・あの、出頭って、どこへ行くんですか?」
「そんな顔するんじゃないよ、何もとって食われるわけじゃないんだから。御殿さ。ごーてーん。あすこの端に騎士団の事務所があって、そこで今日あったことを話すんだよ。・・・で?ラズは私の弟子だって?」オルトはにやり、と笑いラズを見た。
「はい・・・あ、ここのお代。」ラズは自分が宿代を出していないことに気づいた。
「ああ、いいんだよ、あんた文無しだろ?」
「ええと、少しなら。」ラズの持っている金はこちらのものではなかったが、いくつかの装飾品を身につけていた。それを売ることで少しは金銭が得られるかと思ったのだが。
「それはギルドへの入会金にとっておきな。で?私は言ったはずだね、社員は足りてると。」
「私は・・・」ラズは迷った。ここでオルトに話したところで到底理解されないだろう。自分が何者で、どこから来たのか。
けれど、明日の事情徴収では否応なく自分の身元を確認されるだろう。では、オルトの弟子に何がなんでもならなくてはならない。つまり、彼女を説得できなければラズに明日は無いのである。
ラズには彼女から逃げようという選択肢は無かった。