浜夏の家6
浜夏家に李樹と柊の姉弟がやってきて二週間が経ちました。
「どこに行っていたんだよ」
勝手口から家の中に入ると、台所で柊が待ち構えていた。
「ちょっと、庭のようすを見にね」
「嘘付け。庭中探したけど見付からなかったぞ」
五歳年下のイトコが隼人の家に来てから二週間が経とうとしている。
駆け落ちして実家を飛び出したという叔母の遺児である田中柊は、艶のある黒髪に少し生意気そうな端整な顔をした少年だ。
隼人はそれまで家族以外の身内に会ったことがなかった。婿養子である父親は祖父母の話しを聞かなかったし、母方の身内には隼人が幼いころに亡くなった祖父や母親しかいなかった。
この二週間でわかったのは、柊がぶっきらぼうな口調なわりに心優しい少年だということだ。
そのことを幼馴染の航太郎に話すと「そいつは、ツンデレだな」と言われた。
今まさに柊はツンデレの最中だ。
「消えるなら一言言ってから消えろよな。いきなり居なくなるから気になってこっちは宿題に集中できないだろう」
そう言った柊はうっすらと汗をかいている。本当に炎天下の中、庭に出て隼人を探してくれていたのだろう。いくら途中で隼人がいなくなったとはいえ、クーラーのきいた涼しい部屋で待つという選択もあったのに。
夏休みが終われば、秋から柊は地元の小学校に転校することが決まっている。転校先の小学校の担任が、一週間前にわざわざ柊に夏休みの宿題を届けてくれていた。隼人はそれを見てやっている最中だった。
「ごめん、ごめん。急な用事を思い出して出ていただけなんだ」
本当は美代が外出したのを見計らって裏山へあの怪物に会いに行っていた。もちろん、裏山への出入りを禁止した手前、柊に堂々とそんなことを言えるわけがない。
だが、柊は聡い子どもだった。
「裏山に行っていたのか?」
その問いは予想外で、「え」と思わず顔に出してしまう。
「う、裏山には行ってないよ。どうして?」
「ズボンに草の汁が付いてる。どっか草の生い茂る場所に行ったんだろう? 虫除けのにおいもするし」
柊が指摘する通り隼人のズボンには草原を歩いたときにできたらしい緑の跡があった。夏草の生い茂る裏山を歩いたときにできたのだろう。虫除けもこの季節に多い蚊を避けるため外出前に振ったものだ。
「裏山が危険だって言ってたのあんたじゃん。・・・何かあったら、どうするんだよ」
生意気そうな顔に不安げな色を見て、保護欲に駆られたのは隼人だけではないはずだ。
柊にはそういうところがある。日頃肩肘張っているくせに、時折見せるどこか壊れそうで脆い表情。
早くに両親を亡くし、姉を守りながら生きてきたこの少年を、いつの間にか隼人は親身になって面倒をみるようになっていた。
(こういうの柄じゃないはずだったんだけれどな・・・)
隼人は自分が常に他人と距離をとる人間なのだと思い込んでいた。いや、そう思わなければ自分の中の寂しさを紛らわすことができなかったからだというのもある。
物心つくころには母親の関心は自分になく、父親は仕事中心の生活で共に過ごした記憶は少ない。家政婦の美代は優しかったが、彼女にはきちんとした家庭があり、やはり本当の家族というものとは違っていた。
「心配してくれるの? 柊は優しいね」
誤魔化すつもりでわざとふざけた調子で言ってみる。案の定、頬を赤くした柊はうまく誤魔化されてくれた。
「べ、別に心配なんかしてねえよ。ちょっと気になっただけだからな!」
ずかずかと荒い足取りで台所から出ていく。その後ろ姿に隼人は苦笑した。
柊を追って台所から出ると、彼は少し歩いたところで立ち止まっていた。
「柊?」
少年の視線は廊下の先の天井あたりで留められている。
隼人は銀縁眼鏡の奥から瞳を眇めた。見た限りそこには天井があるだけだ。特に何もない。
「何かいたの、柊?」
再び隼人に呼ばれ、柊は視線を引き剥がすようにしてこちらに振り返った。
そこにはまたあの不安そう色が浮んでいた。
「隼人・・・」
何か言おうとして、だがやはり思い留まったように口を閉ざす。
(何かあったのか?)
柊の先の天井はやはり何もなかった。大きな虫でも見てしまったのだろうか。だが、それくらいであんな顔をするだろうか。
「何でもない。行こう」
手を引かれて歩き出す。
冷房で冷えたのか柊の手は汗をかいているのに冷たかった。