(1)
中立界の中心部に位置する町の一角。
商店で賑わう通りを、神族の少年天使――葵は、買い出しの為に1人歩いていた。
天魔両界初の合同任務を請けてから数日、中立界のシステムにも、まあ形なりには慣れてきた。
最初は人目の心配もあったが、中立界は神族や魔族が自由に出入りし、暮らしているせいか、思いのほか人当たりも悪くない。
各種族の特性の知識が有耶無耶なのか、もしくは事前に情報が回っているのか――まあ、マイナスに働かないならこの際どちらでもいい。
そのおかげで生活に支障はないし、定期的に出題される『課題』も、とりあえず滞りなく進められている。
ただ一つ、不満があるとすれば、この食料の調達の頻度くらいだろうか。
初日に用意されていた目測3日分の食料は、次の日の夕方には調達しないといけないほどに減っていた。
それからこの数日で何度買い出しに来ているだろう。
ここでの生活費は全て任務費用として両界で負担されているとはいえ、食費に関しては額を考えるだけでも恐ろしい。
この異常なまでの食糧消費の原因は明白だ。
任務のために同居生活をしている魔族の少年――紅の底なしのような食欲によるものである。
回数は『3食プラスおやつ』という至って普通のペースだが、1食の量は葵の2倍以上は食べているのだ。
重大だというこの任務に紅を選定したからには、その事情を知らないわけはないだろうし、まさかあの事前用意されていた食料は1日分だったのだろうか、という結論で納得せざるを得なかった。
それにしても――
(一体あの体のどこに、あんな量が入るんだろう……)
葵より少しだけ背の高い紅の体格は、お世辞にもいいとは言えない。むしろちゃんと食べているのかと思わせるような痩身である。
ああいうのが俗に言う『痩せの大食い』というやつだろうか――
で、そのエンゲル係数を上げている元凶でもある紅はと言えばだ。
家事などには一切手をつける事はなく、今日も朝食をすませて早々、町の外へ出掛けていった。
何の用事なのかは言っていかなかったが、昼食とおやつの時間には一度戻ってくるとかどうとか。
そして、それを用意するのは言わずもがな葵の役目である。
「何だかんだで僕……すっかり紅くんのペースに流されてる気がするなぁ……」
通りを歩きながら、今日何度目かの溜め息をついた。
商店でひと通りの買い物をすませ、他に特に用事のない葵は、そのまま住居への帰路につく。
買い込んだ食料は、量が量だったので、後で配達してもらう事にした。
店の人達はいつものように愛想よく接客してくれたし、特に不満はないのだが。
「……でもなぁ……」
魔族の店主には、度々『お嬢ちゃん』と呼ばれる事が内心複雑ではあった。
「そんなに間違うかなぁ……?」
1人ごちりながら、店先の窓にうすぼんやりと映る自分の姿を横目で確認した。
色素の薄い肌に、ふっくらとした頬の輪郭、顎のラインで切りそろえられた濃緑の髪、丸くて大きな瞳――
お世辞にも『勇ましい』とは程遠い容貌なのは自覚している。
しかし、外見で男女の判断をしない環境下にいた葵には、自分の容姿がどうなのかなどよく分からない。
天界の天使は『男』として生を受けるため、周りは皆、自分と『同性』だと認識している。
だから特に性別など考える必要もないのだ。
神の住まう上層区画には『女神』と称される女性の神や、その候補となる少女達が存在するが、彼女達に会い、姿を見る事ができるのはほんの一握りの、選ばれた天使のみ。
天使の中でも下位に位置する葵にはそんな機会もないのだから、確かめる術もない。
とはいえ、ここまで言われるからには、どこか女性と似通うものがあるのだろう。
相手に悪気があるわけでもなし、訂正して後々会話が長引きそうなのも億劫なので、今後は聞き流す方向でいこうと思った。
ふと空を見上げると、陽はもうすぐ昼になろうかという位置に差し掛かっている。
昼食の準備をしなければ、と、葵は足早に歩を進めた。
「おいアンタ! ふざけるのもいい加減にしてくれ!!」
通りを曲がった矢先、ひときわ大きな怒鳴り声が耳に飛び込んできた。
住居へ戻る帰路でもある通りの一画に建つ軽食店の前。
「あれだけ食べといて金持ってないだと!? 代金が払えないんなら、とっとと役人に突き出すからな!」
「いや~、ちょ~っとソレは困るんだよね~」
怒鳴り声の主は、軽食店の店員らしき男のものだ。
それと、店員に詰問されている長身の男の姿がある。
「テメェの事情なんか知ったことか! こちとら商売で店やってんだ!! 出すもん出してくれないと成り立たねーだろ!?」
「あぁ……うん……まあ……ソコは、ゴメンね★」
そう言いながら、男は茶目っ気たっぷりにペロリと舌を出しながらウインクした。
「大の男がかわいこぶってテヘペロウインクしてんじゃねーよ! むしろ引くわーっ!!」
「あ……やっぱり?」
ハハハと笑う男の謝罪は場を和ませるための冗談だったのか、はたまた本気だったのか――後者なら、たちが悪いにも程があるが――
だが案の定、店員の怒りが収まる事はなかった。