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02

白虎は足元の大斧を左手に持つと、ゆるりと立ち上がった。

その上背は2.5メートルといった所か。

大型の四足の獣としては普通とも言えるかもしれないが、その丸太のような手足の太さがそこらの獣とは隔絶した戦闘能力を証明していた。

またその手もまさしく戦闘に特化した獣。

指の太さといえば小柄な女性の手首ほどもあるだろう。

ニンゲンが持つのならば両手で持ってやっと持ち上がるサイズの片刃の斧を軽々と持ち上がると、逆の右手の指先からはドス黒い爪が顔を覗かせる。

それはあまりに太く、頑丈で、かつ鋭い。


命を刈る者が持つ武器であった。



「万が一という事もある。名を聞いておこう。ファイアフォックスの戦士よ」


「……サエグス。サエグス・ジェローだ」


「よろしい、ならばサエグスよ、存分に掛かって来るがいい。そして倒せるものならば我を踏み越えて見せろ。我が名はディア。獣王ディア・ナ・ファナトスである!!」



ごう、と吼えるような名乗りには、並みのニンゲンになら近くで聞くだけで失神させる程の圧力があった。

両腕を上に広げて構える様は、まさに王者であり、阿吽の像のような神秘掛かった力強さを見るものに覚えさせる。

まさしく王者であった。


それをするりと受け流すサエグスは、その名乗りにコクリと頷くと、左足、左肩を前に出し半身に構える。

腕は折りたたまれ、右の拳は顎のすぐ近くに、左の拳は腕を折り畳みながらも相手に向いていた。

例えるならばその構えは、地球でいうボクサーのソレに似ているとも言えなくも無かった。


ディアの斧を握る腕に力が入り、ギリ、と柄が軋む音が嫌に静かになった広場に染み込む。

次の瞬間、呼応するようにサエグスの両拳から、チリ、と空気を焦がす音が聞こえる。

サエグスの拳は炎に包まれていた。

彼のフードやズボンがそうであるように上着が燃える事は無かったが、手首付近の皮膚がまるで火のついた墨の中心部の様に茜色に光る。

まるで炎を琥珀に閉じ込めて塗りたくったように、一瞬一瞬で艶かしくその色を揺らめかせていた。

拳から吹き出る炎の力に当てられ、一時的に力が結晶化して張り付いているのだ。

たとえばこれが、剣などに対して行った場合は、エンチャントと呼ばれる技術に当たるのだろう。

しかし、サエグスは別に手首にエンチャントをしたかったわけではない。


両の拳から漏れ出る炎の力が余りに強すぎて、勝手に結晶化しているだけであった。


其の様を見てディアはますます笑みを深める。


ハネッ返りの若造かと思えばなかなかどうして。

あるいは自分を上回るかもしれぬ。

自身の破壊衝動に耐えかねて一歩を踏み出すのと、サエグスが一気に間合いを詰めて飛び込んでくるのは全く同時であった。


「ルアァッ!!」


「シッ!」


まるで岩盤をハンマーで叩いたかのような轟音。


ディアが選んだ攻撃手段は、斧を持つ左手による袈裟斬り、では無かった。

逆の無手である右手による突きであった。

獣の腕は本来突きに向いていない。

爪を利用したその攻撃は、あくまで『引き裂く』『なぎ払う』といった事に特化している。

これは間接や爪の生える方向に由来する物なので、どうしようもない。


だがディアは過去に槍を持つニンゲンと対峙した事があった。

槍とは、突く事に特化した武器である。

振りかぶる事もなく、まるでそう、弓矢から弓を取り払い、矢だけにしたように。

一直線に最短に、目標に向かって突き刺すその様に、ニンゲンの武というものの片鱗を見たのだった。


ならばと試行錯誤し、身に着けたのが今彼が放った突きである。

やや開いた指先からは爪が伸びており、まるでそれがドアノブを開きながら押すかのように、削岩機の様に腕に捻りを加えながら突き出されるのだ。

完成時にはあまりの威力にニンゲンの鎧をグシャグシャに引き裂いてしまい、変形した鎧の一部が指に絡み付いて取り外すのに難儀した、そんな一撃である。


それを正面から、サエグスは左の拳で弾き返した。


右のけり足で生まれた運動エネルギーを腰から肩、肩から肘、拳と一気に伝播させ、最短で最速の一撃を放ったのだ。

当然その拳には彼を彼たらしめる炎の力が渦巻いており、ディアの一撃が伸びきる前、つまり最大の破壊力が出る前にぶつける事で相殺してみせたのだ。


だが、当然攻防はそれだけでは終わらない。


「ガァッ!!」


今度こそ斧を持つディアの左が振り下ろされた。

人の胴体と同じ太さの石柱ならば軽々と粉砕しそうなその一撃を、サエグスは右下に思い切り沈み込む事でなんとか掻い潜る。

ぐんと沈み込んで折り曲がった右足がギシリと悲鳴を上げるほどの速度で伸ばし、サエグスの右拳が、今度こそディアの胴を捕らえた。


其の威力たるやサエグスの右足付近の地面が陥没し、300kgを超えるであろうディアが5メートル近く後退させられる程。

たたらを踏んで持ち直したディアは己の殴られた箇所をそっと撫でる。

分厚い鎧がべっこりとへこんでおり、自分の肌に変形した鎧が押し付けられているのを感じ取る事が出来た。


「……いかんな」


「………………」


サエグスは最初の構えに戻り、じっとディアを見つめている。

まるで引き絞られた弓のようだな、とディアは思う。

そして、良くぞ現れてくれた、とも。


「あぁ、これはいかん…………楽しくなってきてしまった」


斧を捨て、鎧すら脱ぎ捨てた。

ディアは己の体の中に流れる力。

自分を唯の獣とは違う、魔物たらしめる根源の力の渦を意識し、そこに命を注ぐ。

力の渦はどんどんと大きくなり、やがて大きなうねりとなり、全身を駆け巡る。

胸筋や背筋が肥大化し、体が一回り大きくなるとともに腕も其のサイズを上げ、爪はより鋭く禍々しい気を放ち始める。


彼ら獣に属する魔物は属性魔法は苦手である。


苦手である、が、魔力だか何かは不明だが彼らを魔物たらしめている力の運用が全く出来ないという訳では無かった。


純粋に力を力として行使する。

そのパワーとタフネスは他の種族とは比べ物にならない。

悪魔族でもミノタウルスやレッサーデーモンといった獣の流れを汲む魔物は当然肉体能力が高い。


力が長続きせず、反動もあるため普段は使わないが、ここぞという時にはもちろん使う。

そう、この世界の手負いの獣は本当に危険なのである。


「くはっ」


それは絶対に裏切らない最も頼れる己という名の武器。


ディアの口から思わず零れる笑い。

やはり、よい。

自己の力を十全に発揮するのは、何物にも代え難き愉悦であった。


己の中の衝動に任せ、なぎ払うように右腕を振るう。

サエグスは合わせるように踏み込み、左腕を立ててディアの右手首にぶち当て、その一撃を止めた。


先ほどと同じく、最大攻撃ポイントをずらした見事な受けであった。

だが―――――


「ちぃ…」


「ハッハァ!!」


ひとつ問題があるとすれば、ディアの攻撃の威力が余りに強力だった事だろう。

サエグスはディアの右腕を止めるのに精一杯になってしまい、体勢を崩してしまう。


そこに下から爪を顎に引っ掛けて首から引き抜くようなディアの払い上げを受けてしまった。

咄嗟に右腕をねじ込んで防御するも、今度は派手にサエグスが吹き飛ぶ番であった。


だがサエグスも寸での所で防御が間に合ったためか、その戦意は些かも霞んではいない。

空中でトンボを切ると足からしっかりと地面に着地し、三度ファイティングポーズを取るのだった。

右腕には生々しい爪による裂傷が4本走っており、皮膚は裂け肉が見えていた。

だが傷の内側から炎が吹き出たと思った次の瞬間には、傷は綺麗に消えていたのである。


その様子を見てディアは獲物に襲い掛かる直前の肉食獣のように腰を下げた。


何か伝えたい事がある筈だったが、ディアの咽からはルルルと唸り声が上がるだけだ。

呼応するように、サエグスの拳の炎が空気を食らって吼え、その色を変える。


木材を燃やした時、ロウソクの炎を燃やした時、炎の色は何色であろうか。

オレンジ、または黄色ではなかったであろうか。

それが普通である。


だが、サエグスの炎は尋常では無かった。

血のように赤い紅蓮の炎。


それは近寄る者全てに等しく降り注ぐ灼熱の焔。


ディアが獣の咆哮を上げ飛び掛る。

一歩一歩と進むたびにその爪先は確実に地面を捉え、強力な筋肉のバネの力を余すことなく速度に変えてゆく。

サエグスは顎付近に握り締めていた右の拳を腰の位置まで下ろすと、腰を落として大きく息を吸い込む。、


ディアが放つのは最速にして最強の右突き、それに答えるサエグスの突きもまた右突きであった。

しかし、サエグスの拳は今までの二度の攻防とは様子を変える。

右足の踏み込みと同時に放たれる拳は掌側を下に向けていた今までとは違い、親指が上、小指が下の直突き。

最大のインパクトの瞬間、体中の全ての間接を固定して『拳で受ける』という暴挙に出た。



三度目の、衝突。

炎と砂埃が一瞬嵐のように広場に吹き荒れる。



拳と爪が激突した瞬間、その鋭利な爪に引き裂かれながらもサエグスの拳は緩まなかった。


勝因、敗因というならば、そこにあったのだろう。


如何に強力とはいえ、ディアは中途半端に獣としての戦いから武に足を踏み入れてしまった。

そして単純に武の完成度として、サエグスがそれを上回っていた、それだけがディアの敗因。


爪を超えれば無防備な掌を掠めて、拳はディアの脇腹に突き刺さっていた。

ディアの爪も大きくサエグスの頬を引き裂いていたが、戦闘続行に支障があるのはディアだろう。



どちらかが倒れるという事は無かった。


だが、ディアは一歩下がると首を下げ、服従の意を示す。


遠巻きに感染していた獣たちが一斉に新たな群れの長を称える咆哮を上げた。


サエグスも流石にこの短い攻防の間に消耗したらしく、炎を消し去ると大空を見上げふぅとため息を吐いた。



「さて、始めるよ」


誰にともなく、呟く。



彼が、彼こそが、この魔物とニンゲンの支配するこの世界での唯一の人間。



地球人、三枝治郎である。


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