01
季節を地球の表現で言い表すならば、初夏。
一匹の虎が森の中にある開けた野原で唸りを上げていた。
しかしここは地球とは異なる異世界。
剣と魔法が中心となる、ファンタジックな世界である。
魔王が居て、魔王の配下として魔物の軍勢が居て、当然のようにニンゲンと生存競争という名の戦争を行っている時勢である。
その世界に居る虎が、普通の虎であるはずも無かった。
まず色からして珍しい、白い毛並みに黒い模様、つまり白虎である。
その白虎がまるでニンゲンのように切り株に腰掛け、上半身には鎧を纏い、足元には大斧を転がしていた。
目には知性の色があり、その目線は森の先、ニンゲン共の住む国のひとつが首都、『ウーレンテ』を見据えていた。
先の魔王の大攻勢宣言により彼(白虎は雄であった)は魔物の中でも「獣」に属するものどもを束ね、ひとつの戦闘集団を形成し、その長についている。
村々を蹴散らし、次々に集まる仲間を糾合し、城壁に挑むも攻城戦の経験の無い彼は手痛い反撃を受け一度撤退。
あのニンゲン共の作り出した小ざかしい壁をはてさてどうして突破するか、そんな事を考えていた時だった。
遠くから、獣の吠え立てる声が白虎の耳に届く。
白虎はふむと頷くと、声のする方角へ頭を廻らせた。
敵襲では無い、どちらかといえば新しい仲間を迎えるような音色だったためだ。
壁に対する有効な攻め方も思いつかず、新入りの顔でも見てみるかと思った直後に、ソレは現れた。
出会ってみると何とも奇妙な存在である。
その者は服を着ていた。
それは構わぬ。
白虎も鎧を身にまとうし、他の獣に属する魔物も武器や鎧、服を身にまとう者がいる。
悪魔や吸血鬼に属する魔物に至っては、ニンゲンの貴族のような姿をとる者もいるのだ。
そういった存在に比べれば、いささか地味ともいえなくも無い。
使っている布もすべて茶色い地味な色である。
ニンゲンの成人男性ほどの背丈の二足歩行。
スラっとしたズボンとは裏腹に上半身には緩めの……地球でいうならばフード付の袖無しトレーナーを着込み、そのフードにより鼻から上の顔は隠れていた。
太陽に晒す両腕の肌はどちらかというと色白く、あまり活発的な印象を与えない。
両手は上着の正面にあるポケット(よくあるトレーナーの左右の穴がつながってるアレ)に突っ込まれており、どこか飄々とした雰囲気でこちらに歩いてくる。
一見ニンゲンに見えなくも無いが、はっきりとした目に見える違いがそれを否定していた。
フードの上から伸びる炎で形成された三角の耳、トレーナーの後ろから垂れ下がった分厚い、やはり炎で形成された尾。
どうやら炎の精の加護を受けた獣の化身のようである。
これには白虎もほほうと咽を鳴らした。
言語をしゃべり、知恵を付け、魔物となった今であっても、炎とは彼ら獣の魔物にとって特別なものであったからだ。
押しなべてそれは、彼らが総じて『属性魔法』と呼ばれる魔法を苦手としており、また多少二足歩行になって器用になったからといって炎を起こす能力を持たなかったからであった。
つまりは炎を操るだけで、かの獣は他の獣とは一線を画す、言うなれば『格が違う』存在なのだ。
しかも、見た目が人に近い。
総じて彼ら魔物は人に形が近い程知恵があり、魔法に強いという特徴があった。
丁度知恵が欲しかった所である。
白虎は己の軍団の思わぬ強化に胸を高鳴らせつつもその者に誰何した。
「何者だ」
炎を操る者は答えた。
「東の島国から来た。ファイアフォックス[焔狐]代表だ」
返す声は、男の物であった。
もしもニンゲンがその声を聞いたならば、どこか疲れているのかと、そう問いたくなるような声であった。
しかし、彼の耳と尾がその力強さを示している。
白虎は気にしなかった。
「独りで来たのか」
「あぁ、生憎……」
男は肩をすくめて答える。
「一族の生き残りは俺と弟、あとは両親しかいなくてな。俺が今戦える最後の戦士ってワケだ」
「ふむ……ふむ……よく来てくれた。ファイアフォックスの戦士よ。魔王殿も、我等が神ルギルスも、お前の参戦を喜ぶだろう」
ルギルスとは彼ら魔物が総じて信仰している神である。
その信仰は絶対であり、たとえ知恵の在る魔物にニンゲンがどれほど賄賂を贈った所で、彼らは絶対に彼らの神を裏切らない。
音声言語を殆ど解さぬ本能のみのような魔物とて、ルギルスの像を見れば頭を低くして歩く程に徹底されていた。
最早それは、魔物に分類されるものどもの本能とも言えるだろう。
「ご機嫌なところ悪いんだが」
「む」
このご時勢、魔物の種というのは思いのほか多いのだが、ニンゲンとの戦争も長く絶滅する種族も多数存在していた。
たった1家族にまで減ったとなれば、最早滅びの運命からは逃れられない。
そんな中に戦士を輩出してくれたファイアフォックスの気高き戦士の血に喜ぶ白虎に、ファイアフォックスは水を差した。
「俺らはずっと島国の山の中に隠れ住んでいたもんでな。自分らがどれくらい強いかもよく解ってねぇんだ。んで……この群れの大将はアンタでいいのかな?」
「野生の習いという事か」
「あぁ」
この時白虎の機嫌は最高点を突破していた。
隠れ住んでいたと言う割りに、仮にもニンゲンの国の首都を落とそうとしている群れの長に正面から喧嘩を売る気概。
使えるというのはその炎を見れば解る。
どら、ならば世界という物を教えてやり、我が右腕に添えてやろう。
いずれは小さい群れを任せてもいいかもしれない。
野生の習いとはつまり、『強さこそ全て』。
強い方が偉いのであり。
強いヤツが正しいのであり。
強い存在にこそ皆が従うのである。
群れの長に喧嘩を売るということは、負ければ殺されても文句は言えないという事。
口にするまでも無い常識である。
この年、この日、この時間。
この世界の、この国の、この場所が。
ファイアフォックスと名乗る男が最初に魔物の歴史に現れた瞬間であった。