現状3~再会
静寂が、辺りを包んでいる。
普段は鳥や小動物の鳴き声で騒がしい、森の中でも村に程近い所であるこの場所だが、今はそれらの影も無く、異様な緊張感が漂っている。
その中で対峙しているのは一人の少年と一匹の魔獣。
この世界では比較的珍しい黒目黒髪で形の整った顔をした少年は、銀のローブをまとい、少年が扱うにはいささか大きすぎる長剣を脇に携えている。
一方、魔獣の方は青と黒の縞の映える体毛を逆立たせ、金に輝く目で少年を睨み付けている。
この巨大な青いトラは≪スークジール≫と呼ばれる強大な魔力を持つかなり高位な魔獣であり、よほど精神が鍛えられた者でなければ、見られただけで動けなくなるほどの威圧を放っている。
しかし10歳を過ぎた辺りだろう、顔にあどけなさを残したこの少年はスークジールの強烈な殺気に当てられているにも関わらず、平然とした表情で立っている。
やがて、少年は脇に差した剣を鞘から抜く。その刀身はローブと同じ銀色だったが、日光の照り返しとは明らかに別種の輝きを放っていた。
少年は、抜き身の剣の先を地面スレスレまで落とし、構える。
それは一見すると剣の重さに耐え切れていない姿にも見えるが、彼の表情には余裕があった。
睨み合う両者。
お互いに一歩も動くことなく、瞬き一つすることなく時間が過ぎていく。
と、ついに耐え切れなくなったのか、スークジールが先手の一歩を踏み出し四足の稜力で猛然と襲い掛かる。
少年もそれに反応し駆け出す。それは無駄の無い動きで風に乗るように一気に加速していく。
互いの距離が零になる寸前、スークジールは右の前足を振り上げ恐ろしい速度で少年へと振り下ろす。
少年の全身を砕いてなお余りある攻撃を、少年は体を大きく捻ることでギリギリかわし、さらにその捻りを利用してスークジールの右肩を切り上げる瞬間、
「≪爆破≫」
爆音と共にすさまじい衝撃がスークジールを襲い、3mはあろうかという巨体が上空に吹き飛ぶ。
そしてその勢いのまま木々を巻き込みながら地面に打ち捨てられる。
この時点でスークジールに致命傷を与えていたが、少年は一瞬の速さで近づきさらなる追撃を与える。
「≪旋風一閃≫」
彼が呟くように言葉を発した瞬間、剣の光が増してゆき、風の渦を纏う。
「せいやああああああああああああああああ!!」
雄たけびにも似た掛け声と共に、剣を横薙ぎに払う。
その瞬間、剣から圧縮された密の風が立ち上がりかけたスークジールに襲い掛かり、硬いはずの毛皮を易々と突き抜け、左のわき腹を切り裂いた。
心臓にまで達したその斬撃は、高位魔獣であるスークジールの命を一閃の元に絶ち切ったのだった。
「よっし、剥ぎ取り完了っと」
スークジールの毛皮や有用な部位の剥ぎ取りを成れた手つきで終えたカイトは、伸びをしながら立ち上がる。
カイトがスークジールに出くわしたのは今日で二度目だ。
異世界にきて最初に巨大なトラに見つかった時のことを思い出し、懐かしい気持ちになる。
あの時はただ立っているのが精一杯だった。それが今や一回り小さいとは言え、たった2撃で沈めてしまった自分に、嬉しさ以外にも様々な感情が湧き起こっていた。
思えば遠くまで来てしまったものだ。
元の世界ではネズミでさえ殺すのを躊躇ったであろう自分。
こちらの世界に来てからはホルスに毎日剣術や剥ぎ取りの技術を叩き込まれ、10歳にして1流の"冒険者"と肩を並べるまでの力を身に付けた。
極めつけは魔術だ。
古の言葉を鍵として、自分の中に存在する魔力を適切な魔術に変換する。
魔術を使い始めた頃は魔力を使いすぎて寝込んでしまうことがよくあった。
次の日になるとホルスに叩き起こされ、修行を再会させられていたが。
ホルスとロウラの元で戦闘訓練を行い、森の魔獣達を何度も何度も殺していく内に、
罪悪感はあるものの、殺すこと自体への抵抗はほとんど無くなってしまった。
こちらの世界に順応していくほど元の世界との繋がりが薄らいでいくような気がして、
それに対する恐怖や焦りのような感情がカイトの心の隅にいつも横たわっていた。
(まあ、標準語が日本語で古の言葉が英語なのが唯一の繋がり、になるんだろうな……)
異世界で言葉が通じる理由をホルスに聞いてみたが、彼女にも詳しい理由は分からなかった。
しかし、食べ物を始めとして全く違う文化であるこの異世界の中で、言葉だけが自分と元の世界を繋いでいるものと言えた。
「それにしても、こんな所まで来てるとはな」
カイトが戦闘を行った場所は、村から500mも離れていない。森の奥深くに生息し、人前に滅多に現れることのないスークジールがこのような所まで来るのは異常であり、高位魔獣と接触しかけたというのは、村にとってはかなりの非常事態でもある。
(やっぱりあの事件が原因だろうな……)
先日、"魔獣の森"で大規模な爆発が起こったのだ。森の奥の方で起きたため村やホルス宅には直接の影響は無かったものの、爆発の衝撃で食器皿は割れタンスは倒れで、まるで地震に遭った後のような状態になってしまった。
この爆発のせいで住む場所を無くした魔獣たちが森の中を徘徊し、村の近くまで出てくるという事態になってしまっている。
現在、ホルスとロウラが爆発の起こった場所へ赴き調査を続けているが、無残にも破壊された森と膨大な魔力の残り香が見つかったのみで、詳しい原因は判っていない。
カイトは村の冒険者達へのさらなる警護の呼び掛けと、本来の目的であるホルスに頼まれた買い物をするために、村への道を歩き出した。
緊張気味の守衛に手を振ったあと、カイトは自分の住む家への帰路を歩いていた。
帰路といっても、森の中なので当然舗装はされておらず、獣道と言っても差し支えないものなのだが。
「にしても多すぎだろ……」
二つの頭を持つ巨大な白トカゲ"ユレザード"を真っ二つに斬り裂いた後、皮を剥ぎ取りながら呟く。
普段は魔獣の襲撃が一回あるか無いかというこの道で、カイトはもう三回も襲撃に遭っている。
いくらある程度の魔獣は楽々と倒せるとはいえ、こう何回も命のやり取りをするのは精神的に辛いものがある。
剥ぎ取りを終え歩き出した先に再び魔力を感じ、「勘弁してくれ……」と10歳の少年にはあまり似合わない台詞を吐き、剣を抜いて近づいていくと――――――
―――――そこに居たのは魔獣ではなく、傷だらけで倒れている幼い少女だった。




