師との出会い
ここから一話が平均的に長くなります。
目を覚ますと、ベッドの中だった。
もちろんカイトの部屋の、ではなく、見知らぬ部屋の、である。
「夢じゃなかったんだな、やっぱり……」
思わずため息をついてしまう。
異世界に墜ちた直後トラに襲われ、ローブを纏ったお姉さん―――と呼ぶには少々威厳がありすぎた―――と銀のオオカミに助けられたのも実際に起きたことなんだろう。
その後、緊張から解放され、安堵したせいで気絶してしまったのだ。
情けねー……と落ち込むのと同時に、はぁ、生きてて良かったー……と再び安堵する。
その時、扉の向こうから美味しそうな匂いが漂ってきた。
それにつられるように扉を開け、階段を下りると、案の定カイトを助けた女の人とオオカミがいて、女の人は鍋をかき混ぜている。
と、カイトの気配に気付いたのだろう、振り返り微笑を浮かべる。
腰まで伸びた深い青の髪と、それと同じ色をした切れ長の目を持つ美しい女性だった。
トラと対峙していた時からは想像もつかなかったその表情に、カイトは少し困惑した。
彼女は微笑を浮かべたまま鍋から深皿に料理をつける。
「腹が減っているだろう? 今準備するからそこに座って待っていなさい」
そう言って近くにある大きめのテーブルと椅子を指し示す。
「あ、あの! その前に助けてくれたお礼を言わないと。本当にありがとうございました」
カイトが深々と頭を下げると彼女は驚きの表情を浮かべたが、すぐに先程の表情に戻り、続けた。
「なに、礼にはおよばないよ。さあ、準備ができた」
テーブルに置かれていたのは、野菜と肉のスープに、魚らしきものを揚げたもの、フランスパンによく似たパンだった。
それを見た途端思い出したように空腹を感じ、それを知らせるようにカイトの腹の虫が大きな音を立てた。
「じゃあ、エンリョなく。いただきます」
そう言って席に座り、食べ始める。
素朴ながらもしっかりとした味付けでとても美味しかった。
森の中で見たおかしな植物を見ていて正直不安だったが、料理の見た目の印象に違わずどうやら食事に関する心配はいらないらしい。
カイトが勢い良く食べる様子を見、女は満足そうな顔をして、それから自分も食べ始めた。
食事が終わり、女にもらった温かい薬草茶を飲んで一服した後、カイトは再び口を開いた。
「ご飯までごちそうになっちゃって……改めて、本当にありがとうございました」
そう言って再び頭を下げると、穏やかな声が返ってきた。
「さっきも言ったが、礼には及ばないさ。魔獣に襲われている子供を助けるのは人として当たり前のことだよ」
男勝り、もしくは少し老成した口調でそう言って彼女も茶を飲む。
「それよりも、君のことが知りたいな。 私はホルストレイ・ザランハックだ。 こっちはロウラ、私の相棒だよ。」
そう言って足元にいる白銀の毛並を持つオオカミの方を向く。
「おれはセガイカイトって言います。あ、カイトが名前でセガイは家名みたいなものです。ロウラ、君も助けてくれてありがとう」
カイトはロウラにも頭を下げる。
その態度がお気に召したのか、カイトに近づいて顔を舐め始める。
「ほう、珍しいな。ロウラはめったに人に懐かんのに」
「そ、そうなんで、ちょ、もう分かったから……ん?」
そこでカイトは違和感を感じる。確かロウラは青いトラと対峙したとき、トラとほぼ同じ大きさだったはずだ。
なのに、今は目測で全長1,5mくらいしかない。
「あの、ホルストレイさん。ロウラってこんなに小さかったですか? あのトラと戦ってるときはもっと大きかったような気がしたんですけど」
「ああ、それは銀狼の特性だよ。気を昂ぶらせることにより筋肉を増強し、戦闘時には倍以上に成長する」
「へぇーっ、そうなんですか。確かに普段は小さいほうが便利そうですもんね。凄いんだな、ロウラは」
そう言うと機嫌を良くしたのか、さらに激しく舐めまわしてくる。
「そこまでにしてやれ、ロウラ」
そこでようやく解放されたカイトだったが、ロウラの唾液で見るに耐えない状態になっていた。
カイトが苦笑交じりにホルストレイから渡されたタオルで顔を拭いた後、ホルストレイは口を開いた。
「カイトよ、少しじっとしてなさい」
ロウラから解放されたカイトは、ぐったりしながらも言うとおりにした。
「≪調査≫」
ホルストレイがこちらに手のひらを見せ、呟く。
カイトは全身を撫でられたような感覚に襲われ、悲鳴を上げそうになった。
その直後、ホルストレイの目が驚愕に見開かれる。
「あの……何かしたんですか?」
「ふむ、まさかここまでとはな……」
眉間に皺を寄せたままホルストレイは呟き、カイトに説明する。
「今、"調査"という魔術を使い、君の能力を調べさせてもらった。 とりあえず言えるのは、君の身体能力はすでに普通の大人のおよそ3倍以上、ということだ」
大人の3倍というのには驚いたが、この体格であの走りと持久力だと判っているので納得できる。
問題はホルストレイが最初に言った言葉だ。
「魔術を、使った、んですか。 じゃあ、あの爆発も魔術なんですね?」
「その通り。あれは雷撃を一点に収束させて放つ術だ。何か気になることでもあるのか?」
「あの……この世界には魔術が存在してるんですね?」
「……何を言っているんだ君は。そんなの当たり前だろう」
「あ、い、いえ、そりゃそうですよね。変なこと聞いてすみません」
そう言ったカイトは、顔に浮かべそうになる笑みを必死に抑えようとしていた。
ずっと憧れていた魔法が、この世界には平然と存在している。
まさか、魔法が使えるなんて!
「……ほう、そういうことか」
「へ?」
「君は、この世界の者ではないんだね?」
「!!」
カイトは硬直した。
ホルストレイがいきなりそんな核心をつく質問をしてくるとは思わなかったのだ。
「ど、どうして……?」
「君は異端なんだ。 見たところ5歳にも満たない子供にしては口調がしっかりしすぎている。能力も高すぎる。おまけに"加護"に"魔眼"持ちとは……そんな者はこの世界に数えるほどしかいない」
分からない単語がいくつかあったが、カイトにそんなことを気にする余裕は無かった。
「だ、だからって……どうしてこの世界の人じゃないって分かるんですか」
「実はな、過去にも何度か異世界からやってきた者がいるんだよ」
「ほ――――――」
一瞬思考が止まる。
そして、椅子から勢い良く立ち上がって叫ぶ。
「――――ホントなんですかっ、それ!!」
「ああ、歴史書にも確かにそれらしき者達がいた証拠が残っているぞ。 その者達はいずれも強大な力を有し、有名な者だと"パンドラの英雄"、他にも"滅びの魔王"と呼ばれたりしている者もいるな。 君が高い能力をっ持っているのも、こんな辺境の森でたった一人で彷徨っていたのも、それならば納得がいくだろう?」
愉快そうに目を細めるホルストレイだが、カイトは返す言葉が出てこない。2回、3回と深呼吸し、落ち着いたところでゆっくりと尋ねる。
「それで……元の世界に帰れた人はいたんですか?」
「……残念ながら、私の知る限りでは歴史に登場したどの人物も、この世界で永き眠りへと旅立っていったはずだ」
「そ、そんな……」
カイトは膝をついた。
ということは、自分が元の世界に帰れる確率はほぼ0に等しいと言うことではないか。
いくら魔法が使える世界だからって、家族や友達にもう二度と会えないなんて…………
「……ということは、やはり君は本当に異世界からやってきたんだね?」
「……はい」
「……」
それから、どのくらいの時間が経っただろう。
現実を突き付けられたカイトはその場に蹲り、ホルストレイもロウラもその場を動くことは無かった。
やがて、カイトが顔を上げた。目にはまだ悲痛の色が浮かんでいたが、大分落ち着いたようだ。
「落ち着いた?」
「……はい、一応は」
「それで、君はどうしてこの世界に来てしまったのかな?」
子供をあやす様なホルストレイの口調にカイトは少し恥ずかしさを感じながらも、何度も見たあの”夢”の話をすることにした。
「……おれは多分、この世界の神託を受けてここまで来たんだと思います」
「な、それは本当なのか?」
「ええ。向こうの世界にいる時、夢をみたんです。それも何度も。 奥が見えないくらい広い聖堂みたいな所で、女神様みたいな人に言われました。『あなたは変革者として、英雄になりなさい』って」
「オリンピア大聖堂か。だがあそこはまだ……」
少し考え込むような仕草をしてから、ホルストレイはカイトに尋ねた。
「他には何か言われなかったかい?」
カイトは少し躊躇った後、告げる。
「最後見た夢で一回だけ……『私を助けて』、と」
ホルストレイは驚愕の表情を浮かべ、そして難しそうな顔をして言う。
「そうか……恐らく、君の言ったことに間違いは無いだろう。では、なぜ……」
カイトもホルストレイもしばらく無言で考え込んでいたが、やがてカイトがその沈黙を破った。
「おれは正直、英雄とかには興味ないんです。 むしろ、そのためだけにこっちに連れてこられたのなら怒り狂ってたと思います……でも、最後に見た夢でおれに神託を教えてくれた人、泣いてたんですよ。――――――だから、本当に彼女の存在が確で、今でもおれのことを待っているのなら、おれは彼女を助け出したいんです! 向こうに帰る方法を考えるのは、それからでいい」
そこで一息つき、さらに続ける。
「でも、おれには手がかりが無い。 この世界に対する知識も持っていない。 気を失う前まではがむしゃらに走ってたんですけど、きっと闇雲に彼女を探したところで見つからないのは分かってるんです……まあ、直感ですけどね。――――――だから、ホルストレイさんにお願いがあります。 彼女を探す手伝いをしてくれませんか? ううん、最初の手がかりだけで良いんです……おれはここに来たばかりで、他に頼れる人がいないから。 迷惑ばかりかけてしまいますけど、絶対に恩は返します。だから……とにかくお願いしますっ!!」
そう言って膝をついたまま額を地面に擦り付けた。
ホルストレイはしばらくの間呆けた顔をしていたが、やがてカイトに問いかける。
「君は、本当にそれで良いのか? 元の世界には君の家族がいるんだろう? 元の世界の暮らしよりも、夢の中でしか会ったことの無いような女性を助けるのを優先するのか?」
ホルストレイの尤もな疑問に対し、カイトは照れくさそうに、しかし揺らぐことの無い瞳で答える。
「泣いてる女の子を見捨てて生きれるほど器用じゃないんです。――――――まあ、つまるところ、ほうっておけないんですよ」
ホルストレイは先程から何度も見た驚きの表情で固まったまま、カイトをしばらく見つめる。
と、耐え切れなくなったように吹き出し、大声で笑い出した。
「くく、あっはっはっは………ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。 君はお人好しが過ぎるぞ!」
「……信条みたいなもんです。ほっといてください」
照れ隠しか、憮然とした表情で言うカイトだったが、ホルストレイの笑いは止まらない。
「くくく……まったく、60年以上生きてきたが3歳児に土下座されたのは初めてだよ。いいだろう、情報を探ってくる」
「ろくじゅ……!? あ、ほ、本当ですか!?」
カイトの顔が輝く。
ホルストレイが60歳超えというのに衝撃を覚えたが、それよりも嬉しさが先立った。
「ただし、条件がある」
ホルストレイはようやく笑いを収めたが、愉快そうな表情は崩さないままだ。
「条件、ですか?」
カイトは少しだけ緊張した面持ちで応える。
「誰かを助けに行くのに、自分の身も守れないようでは話にならんだろう?……だから、私が確かな情報を掴むまで、君は私の元で修行を積みなさい――――――それが条件だよ」
「……はい?」
今度はカイトが呆けた顔をする番だった。
「君だけの問題ではないのだ。英雄が現れるとき、世界には災いが降りかかるという。そして、君が助けようとしている女性がそれに関わってくる可能性もあるということだよ。しかし、君にはそれを退ける力を大いに秘めているんだ。力を付けておくに越したことはないだろう?」
ホルストレイは微笑を崩さず言う。
「そんな、これ以上の迷惑はかけられませんよ……」
弱弱しく呟くカイトに、ホルストレイは少し怒ったような顔をし、さらに続ける。
「元から身寄りの無い君を放り出そうなんて気は無いぞ? それに、英雄の物語に携わるのも面白いと思うしな・…・そしてなにより、私は君のことを気に入ったんだよ、カイト・セガイ」
そうして華のような笑みを浮かべるホルストレイを見て、カイトはこの世界に来て初めて出会った人がホルストレイさんで良かったと心の底から思っていた。
「お人好しはあなたの方じゃないですか……」
涙ぐみながらいうカイトに、ホルストレイは再び笑い声を上げ、告げる。
「私の修行は厳しいぞ! それから私のことはホルス、または師匠とよぶように」
「分かりました! よろしくお願いします、ホルス師匠!」
そう言いながら、再び土下座するカイトだった。
ホルスさんは自分が認めた人しかあだ名で呼ばせません。




