セリカ・ニュール - 2
眼帯の男との接触を試みる作戦は、笑ってしまうくらい悉く失敗した。
私が追跡できるギリギリの範囲から後を付けていたのに街から離れてすぐにバレてしまい、奇襲を仕掛けて男に刃を突きつけ、一度は命を奪える状況にしたという事実を作ることで私達に協力させる材料の一つにしようとするも、魔術さえ使わずに軽くいなされてしまった。
その後、ライの機転と男の想像以上に軽かった了承の返事によって彼らとの協力関係が成立した。
しかし、いくらライの命令があったとはいえ、やはり私にはどうしても受け入れられなかった。
カイトとかいう眼帯男の口から直接聞くまでは確信が持てなかったものの、彼もまた人間である。
仕事上しかたなく組むのならまだ我慢できたのだろうが、今回は完全にこちらから人間に願い出る形なのだ。
人間に頭を下げるのも、彼にへりくだった感じのライや彼に異様に懐いている様子の鬼人族の少女を見るのも腹立たしいことこの上ない。
そして何より、最初に仕掛けた奇襲の一手――――私が放った六連射は、本気で彼の命を奪うために射ったものだった。
父親から引き継いだ弓、長年研鑽してきた技術。
自分の今までの人生の集大成であるその技があれば、殺すまでには至らずとも確実に傷を与え動きを鈍らせることが出来るだろうと思っていたその一手を、彼はいとも簡単にいなしてしまった。
体を動かさなければ当たることの無いフェイクを即座に見抜き、それを意に介することなく体に直接当てに行ったものを細長い剣ではたき落された。
しかもその内の一本は剣の柄ではじくという曲芸じみた技まで使われて……
そう、私は悔しかったのだ。
憎み、殺すべきでしか無い対象にここまでの力量差を見せつけられ、何より私のプライドが彼を受け入れることを許さなかったのだ。
思えば、人間に恐怖や憎しみ以外の感情を覚えたのはこれが初めてだったかもしれない。
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カイトという男は、まるで掴みどころが無い印象だ。
歴戦の戦士のような隙の無さと立ち振る舞いを見せる時もあれば、ルルという鬼人少女に対する甲斐甲斐しさはまるで母親のそれだ。
私がどれだけ冷たくあしらっても困ったように笑うのみで、早々に打ち解けたらしいライとダラリオにはまるで長年付き合いがある友人のような態度で気楽に接している。
かと言って、もはや同志二人の事を非難する気さえ起らない。
彼は協力に対する報酬を本気で考えていない様子で、そのことをルルが不満に思っている様子も無い。
恐らく、彼の言った『頼られたら、それがどんな相手でも力になる』という言葉も嘘では無いのだろう…。
だから私は、酷く困惑しているのだ。
敵でしかないはずの人間に気遣われ、優しく声を掛けられ、様々な表情を見せつけられる。
私が知る人間は残酷で、私達を蹂躙しようとする下卑た笑いと死の間際に見せる絶望の表情だけ。
それ以外は全てその汚い心を隠す為の仮面であり、本質は皆同じに決まっている。
私の中で作り上げてきた「人間」を頭の中で反芻していると、早速”悩みの種”が近づいてくる。
「セリカ。 ちょっと肌寒くなってきてるから、コート貸そうか?」
「…いらない」
「そっか。 一応ライに二着渡しといたから、欲しくなったらライに言えよ?」
「そんな気遣いしなくても良いわよ、別に……」
「あはは、おせっかいでゴメンな?」
苦笑をこぼしながら私の元を離れていくカイトの後姿を見ながら、私はまた何とも言えない気持ちになる。
胸がムカムカしたり頭の中がモヤモヤするような、私がまるで悪いことをしてしまったような気分だ。
人間に配慮などいらないし、されたくも無い。
むしろ、ここまで受け答えしてやってるだけ感謝して欲しいくらいだ。
…そうやって割り切れたら、楽なのに。
いっそのこと、アイツも他の人間のように醜い姿を晒していた方がずっと良いとさえ思う。
そうすれば、考えなくても済むから。
ただ、人間は憎むべき存在であると信じたままでいられるから。
「おーい、セリカ?どうかしたん?」
いつの間にか足を止めていたようだ。
少しだけ離れた距離から、ライが声をかけてくる。
「なんでも無い。すぐ行く」
彼はすでに暖かそうな毛皮のコートに身を包み、同じようなものをもう一着手に抱えている。
今の私は、どんな表情をしているのだろうか。
自分の顔に手を当ててみても、それを確かめることは出来なかった。
「ホンマに大丈夫か? 寒いんなら、これ旦那から借りてんけど…着るか?」
「……着る」
…とりあえず今は寒さをしのぐ為に、これを着ておこう。
~~~~~~
やっぱり、やっぱり人間は下劣で最低な生き物だった……!
な、なにが「報酬は私の頭を撫でること」よ……ふざけないで!
どんな要求でも飲むって条件の中でそんな報酬を願うなんて、不快だ、寒気がする…!
そして何より、「それだけで良いの?」と一瞬でも思ってしまった自分自身が不快だ!!
人間に近づくことすら嫌悪しているはずの私が、人間に触れることを許すなんて絶対に無い、あってはならないことなのに。
でも、私達はこの任務に自らの命を懸けているのだ。
どんな苦痛を強いられたとしても、最期まで耐え抜き理性的に動かねばならない……そんなことは分かっているし、今までもそうやって行動してきた。
それが、何だこの醜態は!
ただ頭を触られるのを許可しただけで相当な腕の魔術師の協力を得られるという破格の申し出であるはずなのに、こうも私の感情を揺さぶり、落ち着かなくさせる。
分からない、分からない、分からない。
あの得体の知れない魔術師と、彼の言葉に一々振り回される私のことも、私には理解不能だ。
地に足がついてないようなフワフワとした気持ち悪い感覚に捉われながら、彼が部屋を出て行ってしまった後もベッドの中にもぐり続ける。
その後ライやダラリオが何か話しかけてくるのが聞こえていた気がしたが、この世界でも随一であるはずの私の耳には届いていなかった。
大事な作戦前夜は、眠れないまま経過していった。
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がこん。
「―――――えっ?」
何かがはずれるような音と共に突然急斜面に変わる地面。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!」
何の抵抗も出来ないまま、私はただただ滑り落ちていく。
こんな罠にかかるなんて、私は何をやっているのか。
ここまで大仕掛けな罠なんか、落ち着いて確認すればすぐ分かったことだろうに。
それこれも、全部アイツの――――いや、違うか。
自分で不用意な発言をしてアイツの言葉に取り乱して、勝手に先行して……そう、悪いのは全て私なのだ。
思えば、昨日から私はすでに作戦を遂行できる精神状態では無かったのだ。
私情を表にだしてしまえば大抵の任務は失敗してしまうと散々経験してきたのに…学習しない私は本当に愚かだ。
この斜面の先に待つのは間違いなく”死”だろう…そうして、私も命を落とした仲間達と同じ運命を辿るのだ。
今さら、恐怖など無い。
私の今まで見てきた景色が頭の中にフラッシュバックする。
移りゆくその景色のほとんどは、私が幸せだった頃の記憶。
両親が居て、友達に囲まれ、ただただ笑っていたあの頃。
そして最後に映ったのは、憎むべき、そして今も憎み続けているはずの人間である彼の姿だった。
こうして見てみると、痛々しい眼帯に左目を覆われながらも、彼の笑顔は昔の記憶の中の仲間の笑顔と変わらない純粋さをたたえていた。
そして気付いた。
彼のことが分からなかったのは、私が目を背けていたから。
自分の気持ちが分からなかったのも、自分に正直になれなかったから。
いや、本当は分かっていたんだ…彼は、私が抱いてきた人間の姿とはまるで違うことに。
だから、私は、
「セリカっ!!」
彼が捨て身で飛び込み、こちらへ手を伸ばしてきたことに何の疑問さえ浮かばず――――その手を掴んだ。
温かい―――場違いな感想が頭に浮かんだ矢先、足場が消え失せ浮遊感に襲われる。
下に目線をやれば、そこには底なしの暗闇が広がっている。
地図を見て広場と思い込んでいたこの場所は、巨大な落とし穴だったのだ。
しがみつけるような物も一切ない壁に囲まれ、私達は自由落下を始める。
「ルルを頼んだぞ、ライッッッ!!!」
この広大な空間を震わすように彼が叫び、私の体を引き寄せる。
「しっかり捕まってろよ、セリカ!」
彼の左腕に抱えられるような形になった私は、言われたとおりに彼の体を必死に抱き締め返す。
私たちを放り出した斜面がどんどん上へと遠ざかっていく中、彼の纏う魔力が爆発的に増大し、私の全身の毛が逆立つのを感じる。
なんて魔力量だ…精霊族よりも魔力量が遥かに多い人間なんて見たことも聞いたことも無い。
恐ろしくなる程の魔力を近場で浴び、落下感と相まって朦朧とし始めた意識の中、私は彼の真っ赤に染まった瞳を見た。
魔…眼……!?
人外の者に宿り災いを呼ぶもの――――眉唾ものの伝記でしか聞いたことの無い、伝説上の存在であるはずの魔眼。
私は、その怪しく光る右目から目が離せなくなる。
「ご丁寧に杭まで備えてあんのかよっ!!?」
下を見、引きつった笑みを浮かべる彼の顔。
私を抱く腕に力が入るのを感じる。
「行くぞ、セリカっ!!!」
右手を後ろに引き絞る彼を見て、私はこの後訪れるのであろう衝撃に備え、彼をあらん限りの力で抱きしめ目をギュッと閉じた。
「止ぉぉぉおおおまぁぁぁあああああれぇぇぇぇぇええええええええええええええ!!!!!」
その瞬間、体を引き裂かんばかりに襲い来るすさまじい衝撃と、それに見合うような轟音と共に、私の意識は途切れた。




