始まりへの墜落
海人は、墜ちていた。ただ、墜ちていた。
「なんだこれええええええええぇぇぇぇ!!?」
足を踏み外した感覚が全身に伝わった瞬間、海人は歩き慣れた道に決してあるはずの無い"穴"が穿たれている事に気付いたが、もはや成す術は無かった。
最初は突然の事態に頭が真っ白になり、絶叫しながら墜ち続けていたが、
落下する時間が余りに長いため若干ではあるが落ち着きを取り戻し、
海人は現在の状態を分析しようとした。
自分の落下している方向に目を凝らしてみる。
底のようなものは見えない。というか、見えたら海人の人生が終わるだろう。
それに、横を見回しても壁やそれらしきものも全く見えないのだ。底があったとしても見えるとは思えない。世界は黒一色であった。
それにしても滞空時間が長すぎる。落下している感覚は確かにあるのだが、自分が本当に落下しているのかさえ怪しくなってくる。
「どうなってんだよ、一体……」
困惑と絶望が入り混じった呟きが口から漏れる。
奇妙な夢の次は底なし穴にダイヴである。正直発狂しなかった自分を褒めてやりたいくらいの状況だ。
「なにが神託だ、なにが英雄だよ……!」
海人は再び絶望した口調でつぶやく。
別に期待していたわけでは無いのだが、なにせそこまで持ち上げてのこの落とし方である。
"彼女"にも文句の一つも言いたく――――ん?
そういえば"彼女"は"こちらの世界"とか"生まれる"とか言ってたけど……って、え?何?
つまりここは"彼女"の言う"こちらの世界"とやらへの扉であり、そこへ向かってるということなのか?
そんな馬鹿な、とは思いながらも、起こっている状況が状況だ。それくらいの仮説しか思い浮かばない。
その仮説は自分が見たただの夢を判断材料にしているのにも気付かず、
このまま"こちらの世界"に墜ちたらやっぱり死ぬんじゃね?と新たな恐怖に対する冷や汗を
額に浮かべていた矢先、海人は異様な感覚に襲われた。
体中の筋肉が収縮していくような感覚だ。それに目も焼けるように痛い。
そこで海人はもう一つの仮説を思いつく。
この穴がもしも地中深くに穿たれたものだとしたら。
海底深くを例にすれば想像できるだろう。
海を1kmも潜れば、水圧は気圧の100倍以上にもなり、生身の人間ならぺしゃんこである。
では、空気の場合はどうなのか。
水よりは密度が小さくても、これだけ深くまで墜ちれば海人に圧し掛かる空気の量は
普段の何百倍にもなっているはずだ。
このまま墜ち続ければ、さらに負荷は増え、最後は車に轢かれたカエルの如く潰れてしまうだろう。
体を苛む痛みで薄れゆく意識の中、海人は自分の生きてきた16年間を思い返していた。
閉じた瞼の裏に朧げに浮かんでは消える記憶の景色を見ながら、
ああ、これが走馬灯ってやつか……と他人事のように思う。
友人や家族のことを思い、悲しませるだろうな、と罪悪感を抱く。
最後に見たのは、夢に出てきた"彼女"の泣き笑いの表情だった。
助けたかったな……と、夢の中の出来事であるにもかかわらず、そんなことを無意識に考えていた。
そこで意識は途絶え、清和井海人の16年に渡る人生は幕を閉じた。
次回からは"カイト"の人生が幕を開けます(笑)




