”シヴィル”
自分で歩きたいというわたしの思いに応えて、カイは目的の町まで全速力で向かってくれた。
カイはわたしを背負っているのを感じさせない凄まじい速度で、近くを通り過ぎる獣たちも反応できないくらいだった。
まさに風のようなカイの走りによって、わたしが三日三晩をかけて町から逃げた距離をたった半日で走り切ってしまった。
常識を遥かに超えている事態だったが、半日の間振り落とされないように必死にしがみ続けたわたしにそんなことを考える余裕は無かった。
ふらふらの頭が回復した頃にはすでに目的の町、スレールの中の服屋にいた。
足元を見るといつの間にか綺麗で丈夫そうな靴を履かされ、隣には大量の服を持ったおばさんがニコニコとこちらを見ている。
カイの姿を探すと、何故か服屋のカウンターの奥で何やら作業している。
わたしが≪夜叉妃≫であるのを全く気にしない様子のおばさんに着せ替え人形のように散々着回させられた後、三着ほどの服がわたしの手元に残った。
どれも上質なものばかり。一着に至っては朱色に染められたドレスである。
「……これはなに?」
「何って、あなたの服じゃない。似合うのを選んだつもりだったけど、気に入らなかった?」
「そ、そうじゃなくて……この服、高そうなのばっかり!これなんてドレスじゃない……!」
「それなら心配いらないわ。代金は先に貰ったから。それにしても、いきなり2000ノルドも渡して良い服を見繕えなんて、あなたは相当可愛がられてるのねぇ」
「に、にせん…!?」
ノルドはお金の単位で、2000ノルドもあればカイとわたしが1ヶ月暮らせる金額になるんだけど……
「お、いいね。似合ってるじゃん。ちょっと露出過多な気もするけど」
なんとも気楽にやってきたカイの手には、わたしが着ていたローブが握られている。
わたしが今着ているのは赤と白を基調とした袖なしのパフスリーブで、胸元のレースとフリルのスカートが調和したゴシック調のスタイルである。
とても可愛いのは認める。ただ、スカートが短すぎる。
「恥ずかしいよ……」
「大丈夫だって。今それに似合う胸当て、篭手と丈夫なブーツも作ってもらってるから」
「も、もうそこまで用意してるの!?」
「まあな。…っていうかさっき防具屋にも行ったんだが覚えてないのか?」
「だって、カイトが走るの速過ぎるからフラフラしてて……」
「…それは窒息しそうな位首絞められてた時に気付くべきだった。改めてごめん」
「ううん、もう治ったから大丈夫。・・・でももうカイのおんぶはやだ」
「うぐ……きょ、今日はもう遅いし”シヴィル”に登録だけして宿に泊まろうな!」
「あなた達、本当に”冒険者”になるの……?」
カイが振った話題に服屋のおばさんが入ってきた。
「ああ、さっきも言ったろ?」
「”冒険者”の依頼はほとんど討伐や護衛なんかの物騒なものばかりよ?」
「うん、知ってるけど」
「……あなたがどこから来た貴族の息子なのかは知らないけど、”冒険者”は想像以上に危険な仕事よ?安易な気持ちでやるのなら止めた方が良いわよ?」
このおばさんは、カイの綺麗な装備と平気な顔で大金を使うのを見て彼を貴族だと思ったらしい。
おばさんの警告も、もっともなことである。
成人したばかりの二人組。その内一人は(≪夜叉妃≫のわたしとしては不本意だけど)ひ弱そうな女である。
どう見たって荒事をこなせるようには見えないだろう。
「ご忠告どうも。でも、おれは”冒険者”になるって前から決めてるから」
「……あんまり死に急いじゃだめよ?」
おばさんの表情を見れば、この人が本気で心配してくれているのが分かる。
おばさんに対してカイはニッと笑いかけ、
「簡単には死なないさ。ルルもいるしな」
自信有り気に言いながら、わたしにローブをかけてくれた。
「おばさんに道具貸してもらって丈を詰めたんだ。まだちょっと大きいけど耐魔の能力があるから我慢してな?あとは―――――」
カイがわたしの頭に白いスカーフを巻きつける。
「ローブの余った部分で作ったんだ。…ルルが≪夜叉妃≫ってバレると色々マズイから、人前ではそれで我慢してくれ」
鏡をみると、巻かれたスカーフの先がうさぎの耳のように立ててあってちょっと可愛い。
「……ありがとう」
「ん。それじゃいまから”シヴィル”に行くか!」
ご機嫌な様子のカイに、おばさんが呆れた様子で、そして少しだけ不安そうな表情で言う。
「……気を付けるのよ?」
「分かってる!…ルルに普通に接してくれてありがとな」
カイがおばさんに近づいて何かを言ったがわたしには聞き取れなかった。
「わたしは見た目で人を判断したりしないわよ。今後ともご贔屓に!」
おばさんの言葉でカイがさっき何を言ったか分かった気がする。
「…ありがとうございました」
わたしはおばさんにお礼を言った後、また来れるかな…と思いながら、カイに連れられ服屋を出た。
*****
この世界には、人間と呼ばれる種族以外に大きく分けて二つの種族が存在している。
一つは≪精霊族≫。
高い魔力量と尖った耳を持つ彼らは総じて人間よりも長命であり、得意とする魔術系統によって外見や身体的特徴はかなり異なる。
例えばヴェストリー村の薬師であるオーリグは≪風精霊≫であり、風系統の魔術を得意とし≪精霊族≫の中でもずば抜けて長命なことで知られる。
同じくヴェストリー村の鍛冶師であるビヤードさんは≪岩精霊≫であり、小柄な身長と得意な魔術系統は無いが金属や魔獣の素材の扱いに長ける。
ここで魔術の話もしておこう。
魔術は体の中を巡る”気の流れ=魔力”を媒介にして発動呪文によって自分のイメージを具現化させる機構のようなものである。
魔術はその性質によって火、風、水、土、雷と治癒、障壁などの特殊なものに系統が便宜的に分けられていて、個人ごとに得意とする系統が違う。
得意というのは魔術を魔力消費を抑えて、尚且つスムーズに行使できるという意味だ。
ヴェストリーの冒険者に聞いた話だと魔術の発動にはもっと手順がいるとか何とか言ってたけど、おれはそんなの知らない。
師匠はそんなこと言ってないし。
もう一つの種族は≪獣人族≫と呼ばれる者たちで、彼らは人間や≪精霊族≫には無い身体的特徴を兼ね備えている。
それは角だったり尻尾だったり、または牙だったりもする。
寿命は人間と同じくらいだが身体能力がかなり高く、さらに細かく分かれた種族によってとび抜けて高い能力を持つ。
それは跳躍力だったり、純粋なパワーだったり。
しかし彼らは一部例外を除いて魔力に恵まれない。
魔術を中心に発展してきた人間より発展が遅れ、未だに未開拓の森の村に住んでいるものが多いのはそのせいだろう。
人間たちは自分たちより高い能力を有する二つの種族を恐れて数の力で彼らと敵対し、幾度となく起こった戦争の中で彼らに対する忌避の思想が人間たちの中に浸透しているのだ。
この思想は人々の間に深く根付いている。
それは仕方のないことなのかもしれない。
だからといってその差別意識を正当化する気はサラサラ無いし、ルルを旅に連れて行くと決めた時点でこの問題と向き合って行かなくてはいけないことは決定しているのだ。
今日はその点、運が良かった。
服屋のおばさんや防具屋のおっさんはルルを見て嫌な顔をすることは無かった。
おっさんの方はただおれが金をたくさん出したからだけかもしれないが。
だが、これからはそうも行かないだろう。
悲しいことだが、人前ではルルの正体ができるだけバレないよう注意を払わないといけない。
まあ、おれの前でルルとか他種族を貶める奴がいたら問答無用でぶっ飛ばすけどな。
これから潰すことになる奴隷館も含めて……。
「どうかしたの?」
考え事をしていたら、ルルが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「なんでもないよ。早く冒険者登録してご飯にしよう!」
「うん!」
ルルには辛い思いをしてきた分、幸せになる権利がある。
あんな思いは二度とさせないと誓いながら、念のためルルにローブのフードを掛けてから”シヴィル”に足を踏み入れた。
ノルド…「ノルド語」より。北欧で話されている語派の総称。北欧神話は基本的に古ノルド語で著される。
ゴシック…中世ヨーロッパの廃墟(主に教会や館、城等)を舞台に繰り広げられる、ホラーの混じった冒険譚を題材にしたゴシック小説及び映画に登場する人物に影響を受けたファッション。
よってゴシック様式や中世ヨーロッパ自体のイメージとはあまり関係が無い。




