二人の泣き虫
わたしは、今までの事をカイに話した。
最初は大事な部分だけを手短に言うだけの予定だったのに、一度話し出したら止まらなくなってしまった。
自分の意志とは関係なしに、次々とわたしの口から出てくる言葉。
それを滅ぼした魔獣のこと、奴隷商のこと、それに村のこと、お父さんやお母さんのこと、遂には運命のことまで話してしまった。
言葉と一緒に止めどなく溢れる涙は、つい最近まで枯れていたのが嘘のようだ。
これじゃあ泣き虫に逆戻りだなぁ……
泣き虫だった幼い頃を思い出し、少し笑ってしまう。
文字通り全てを話し終えた後も、涙が止まることは無かった。
なんだか体が軽くなった気がする。
体がふわふわするような浮遊感を感じる。
カイはわたしの話をずっと黙って聞いていた。
どんな言葉が帰ってくるのだろう。
そして、どんな言葉をわたしは返して欲しいのかさえも分からず、ただ彼の返事を待つ。
カイの顔は怖くて見ることが出来ない。
不意に、ゆっくりとカイが立ち上がる。
そして、左手に持っている剣を鞘から引き抜く。
銀色の反った抜き身が焚き火の光を反射して怪しく煌めいている。
あぁ、やっぱり、カイもなの……?
わたしは村を出てきてから何度目か分からない絶望感に襲われる。
でも、不思議と嫌では無かった。
奴隷として悲惨な一生を送るよりも、ここで殺される方がずっと良い。
それに、カイの足でまといになるのは絶対に嫌だった。
そこで彼の顔を見るが、暗くて表情は見えない。
きっと、カイはわたしのことを悲しんでくれる。
殺さなければいけないことに、心を痛めてくれるに違いない。
それだけで、十分だった。
カイは剣を振り上げる。
最期に、カイには迷惑をかけてしまったと気づく。
今更だけど、ごめんね……
わたしには会わない方が幸せだったよね……
謝罪と後悔の思いを抱え、目を固く閉じる。
剣が振り下ろされる。
そして、わたしは―――――――
ばちぃいんっ!!
凄まじい音にびっくりして足元を見ると、そこには綺麗に断ち切られた足枷。
わたしは呆然としてカイを見やる。
やっとちゃんと見ることができたカイの顔は、涙で濡れていた。
「へ……?」
思わず変な声を出してしまったわたしは、カイに急に抱き締められてさらに戸惑うことになる。
「ちょ…カイ!?どうしたの!?」
なにが起こってるの…!?
訳が分からないまま、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じる。
「ぐす…もうちょっと、このままでいいか?」
鼻を啜りながら言われたら拒否なんかできないよ…
カイの腕に抱かれたまま、小さく頷く。
感じる温もりは、わたしの体温をそれ以上に上げていく。
締め付けられるような胸の痛みは、今まで感じたことの無いもの。
でも、不快じゃなかった。
不意に、カイから声がかけられる。
「ごめんな、助けてやれなくて……」
そんなことない!
カイは、わたしのことをこうして助けてくれている。
カイにとって迷惑でしかないわたしを抱き締めてくれる。
わたしなんかの為に涙を流してくれる。
伝えたいことは一杯あるのに、さっきよりも溢れて止まらない涙が邪魔をする。
しばらくして、カイはわたしから離れる。
どこからか取り出したハンカチで涙でぐしゃぐしゃになったわたしの顔を拭いてくれるのを恥ずかしく思いながらも、触れてくれるのを嬉しいと感じてしまう。
そして自分の袖で目をぐしぐしと拭ったカイは、照れ臭そうに目を逸らした。
「はは、かっこ悪いとこ見せちゃったな」
「そんなことない。わたしの方が泣いてたし……」
「女の子は泣いても良いのさ。でも、男が泣くのはかっこ悪いだろ?」
「……わたしのせいだね。ごめんなさい」
「あ、いや、ルルのせいじゃないぞ!おれがただ泣き虫なだけだって」
「そう、なの?じゃあ、わたしと一緒だね」
そう言ってわたしが笑うと、カイも笑ってくれる。
カイが少し屈んでわたしに目線を合わせてくる。
顔の近さにまた顔が熱くなるのを感じながらも、
その優しい眼差しに、わたしは目を離すことが出来ない。
「ルル、今まで本当に頑張ったな。よく、おれの所まできてくれた。凄く、嬉しいよ」
そう言って頭を撫でてくれる。
カイの言葉に、止まったはずの涙がまた溢れそうになる。
「でも、わたし、カイに迷惑かけてて……」
「迷惑なんかじゃない!さっきも今も言ったろ?ルルとご飯食べるのは楽しいし、ルルに会えて嬉しい、って」
「だ、けど、わたし、追われててっ……!」
「心配すんなよ。奴隷商の二、三十人、どうってことないさ。例えルルの村を襲ったとかいう魔獣が相手だろうと、どんなのが相手だろうと、蹴散らしてやる!」
強がりではないと分かるその言葉に、わたしの目から涙がこぼれる。
たくさん泣きすぎて、体の水分が全部なくなってしまいそうだ。
「……だからさ、おれと一緒に来ないか?一人旅は寂しいんだよ」
そこには照れたように頬をかくカイの姿があったが、涙でぼやけた目ではぼんやりとしか見ることができない。
それでも、わたしはこの姿を決して忘れたりはしない。
わたしに手を差し伸べてくれた、≪英雄≫の姿を。
「うんっ…!ありがとう、ありがとうっ……!!」
***********
時間は朝。
おれは、ルルと二度目になる食事中だ。
昨日は今までの疲労に加えてあれだけ泣いた反動か、すぐに眠り込んでしまった。
今は最初に比べて随分スッキリとした顔でパンをかじっている。
ルルを見つけた時は全身傷だらけで土にまみれていたからどんな姿か分からなかったが、
傷を治療して体を綺麗にした時は驚いた。
まず驚いたのは、少し痛んでいるものの鮮やかなピンク色の髪。
地毛とすぐに分かるものの、こんな色合いがあり得るとは、流石異世界である。
そこでやっと気付いたのは、頭からちょこんと突き出た二本の角。
夜叉と呼ばれる種族に会ったことがあるので驚きは少なかったが、この世界の神秘に感嘆せずにはいられなかった。
物凄く触ってみたい衝動に駆られたが、失礼なことに当たるのではと思い、必死に我慢した。
起き上がったときは別の意味で驚いた。
パッチリと開けられた目は淡い赤色。
いささか痩せすぎだったものの、ツンと立った鼻に少し丸みを帯びた輪郭と相まってとても愛らしかった。
ご飯を食べた後は血の気が無かった頬と唇に朱が差して、安心したと同時に一段と可愛くなって少し動揺してしまった。
彼女の話を聞いた時は、怒りが沸点を超えていた。
奴隷商に関わる奴らは纏めてぶっ潰してやると決意したが、その前にルルを何とかして救いたいと思った。
そして気付けば旅に誘っていた。
ずっと一人旅を続ける予定だったものの、口からでた言葉は嘘では無かったし、彼女がどうしてもと言うのなら先に彼女を夜叉の友人の所に連れて行くつもりである。
「ルル」
呼びかけると、こちらを向いたルルは嬉しそうにはにかむ。
うっ、可愛いな、チクショー。
頭を撫でまわしたい衝動に駆られながらも、尋ねてみる。
「おれはこの先ずっと旅をしていく予定なんだが、もしルルがそういう生活が嫌なら友達の夜叉の所に連れてっても良いぞ?あいつは何だかんだいって面倒見のいい奴だから嫌な思いはしないはず―――――」
「―――――いやだっ!!」
急に叫んだルルにビックリする。
「わたしは、カイと一緒に居たい!!…その、まだ何も恩返し出来てないし……」
最初に言ったことが恥ずかしかったのか、尻すぼみにそう言った。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、別に恩返しとか考えなくても良いよ」
「だめです!カイは命の恩人だよ?わたしはカイに何かしてあげたいの!」
「そっか…ありがとな、ルル」
「むう、まだ感謝されるようなことしてないのに……」
「その気持ちだけで十分嬉しいんだよ」
思わず苦笑してしまうおれに、ルルが詰め寄る。
「気持ちだけじゃだめなの!ねぇ、カイ。何かわたしに出来ることは無い?」
おれの言葉を今か今かと待つ姿は、まるで犬のようだ。
頭の角がだんだん耳に見えてきたぞ。
…うーむ、角か。
今まで抑えてきた衝動がここで湧き上がってくる。
……ダメ元で聞いてみるか。
「じゃあ、一つ頼み事がある」
「うん、なになに?」
期待を込めて見つめてくる。
しっぽがあれば完璧かも。
「その、角を触っても良いか?」
「……へ?それだけ?」
ポカンとした表情のルル。
これは好感触っぽい。
「うん、それだけ」
「それなら大丈夫だけど、ホントにそれだけで良いの?」
「もちろん!というかお願いします!!」
あまりの剣幕に、ルルは少し引いている。
「そ、そんなに触りたいの?」
「うん、一目見たときからずっと」
「そ、そこまで?…まあ、カイがそこまで言うなら。はい、どうぞ」
そう言ってルルは隣に座る。
おお、ついにこの時が…!
「では、失礼して……」
そろり、そろりと手を伸ばし、ついに角に触れる。
おお、思ってたより柔らかいな……。
ゴムを触っているような感じだ。
「なぁルル、角に触られてるとか分かるのか?」
「うん、分かるよ。痛覚があるのは≪夜叉妃≫だけみたいだけど」
「へー、そうなのか……」
今度は挟むように掴んでみる。
「んっ……」
「あ、ごめん!痛かったか…?」
「ううん、大丈夫。気持ち良かっただけ」
「え、あ、そうなのか?」
き、気持ちいいってどいうことだ……?
かなり動揺していると、ルルも気付いたのか顔を赤くして慌てて説明してくれた。
なんでも、角は血流が悪くて定期的にマッサージをして血の巡りを良くする必要があるのだが、ルルは久しく角のマッサージを忘れていたらしい。
つまり、凝った肩を揉むのとほぼ一緒のようなものだな。
角を両方とも解すように握ってやりながら、ルルもけっこうませてるんだな、と顔を赤くしたルルを思い出す。
マッサージのおかげでさらに柔らかくなった角は病み付きになりそうな感触だ。
ルルは気持ちよさそうに目を細め、「あ゛~」だとか「んっ、そこ、もっと~」とか言っている。
これじゃあどっちが頼んだのか分からんな、と内心苦笑しながら、おれも十分に感触を楽しんだので手を離した。
ルルはとても名残惜しそうな顔をしている。
そこで提案してみる。
「ありがとな、ルル。それで、またマッサージしなきゃいけなくなったら、おれにやらせてくれないか?」
すると、ルルはぱあっと笑顔の花を咲かせた後、慌ててそっぽを向く。
「もう、しょうがないなぁ……良いよ、また触らせてあげる」
嬉しさを隠せない様子で言われた言葉に内心でガッツポーズをする。
これで定期的にあの感触を楽しめる。
まあ、互いが利益を得られるのは良いことだよね。
「それで、その、まだちょっと凝ってるかなぁ、なんて」
恥ずかしそうに頬を染めるルルの言葉で、出発はさらに遅れることになった。
カイトの相棒となる鬼っ子の登場でした。




