出発-1
ここからカイトともう一人の視点を主体にしようと思います。
想像以上に文量が増えたので、また話を分割することに…。
もう一人は、また次の登場になります。
通りは喧騒に包まれ、食べ物を売り歩く声や楽しげな笑い声が聞こえてくる。
ここは異世界”オリンティリア”、西の国ランパード王国のさらに西端、コモル自治区。
おれが居るのはその中でもさらに西端の村、ヴェストリー。
”最果ての村”とも呼ばれるこの村は、不可侵危険地域に指定されている"魔獣の森"と境を接しており、その為高ランクの魔獣による襲撃が絶えない。
しかし魔獣から取れる素材は勿論、大陸中でも珍しい動植物に溢れる"魔獣の森"を目指してやって来る”命知らずな”、もとい”勇敢な””冒険者”や商人が絶えることは無い。
皮肉にも、人々に脅威を与えているこの森のおかげでヴェストリー村は人口300人の規模とはとても思えない程の活気がある、という訳だ。
今も、朝も早いというのに村で一番大きな通りには整備されてない地面の上に屋台やら荷車やらを持ち出しては様々なものを売っている姿を見ることができる。
おれも最初にこの光景を見たときは結構驚いた、というかあらゆるものが新鮮ではしゃぎ過ぎて師匠にどやされたものだったが、今では日常的な光景として感じるようになった。
すっかり馴染みとなった景色に、今日でそれもしばらく見納めという感慨を抱き、顔なじみとなった村人たちと言葉を交わしながら村の正門を目指す。
「おう、遅かったじゃねぇか、カイト」
「荷物の整理に時間かかっちゃって」
「その割には荷物が少ねーんじゃないか?」
「ふっふっふ、おれの収納術をなめないでください」
「いや、そういう問題じゃねぇと思うんだが・・・」
胸を張って答えるおれに苦笑をこぼしたのは、ロイクさん。
がっしりとした体格に茶色の髭をもじゃもじゃ生やし、背中に巨大な戦斧を背負った姿は見た者に畏怖を与えてしまうが、気さくで快活な性格を知ればその印象はガラリと変わるだろう。
頼れるオッサ…もといアニキ的存在である。
「カイト君とホルス嬢に常識は通用しませんからね」
「まあ、それもそうだな。がっはっは!」
ロイクさんに聞き捨てならない相槌を打ったのは、セルジュさん。
綺麗に整えられた格好に丁寧な口調、流麗な動作はまさに紳士の体現者であり、おれの憧れである。
まあ、憧れているだけでとても真似できないのだが。
「いや、師匠はともかくおれは常識的な人間のつもりなんですけど…」
「ふん、ドラゴンをサシで倒す時点で常識からはとうにはずれておるわ」
不機嫌そうに返したのは、ガエルさん。
この村の”冒険者”の中では最高齢と言っても、白髪混じりの赤毛を逆立たせ鋭い眼光で睨まれれば魔獣だって立ちすくむほどの威厳を放っている。
「それでもアタシは一人で行かせるなんて反対だね」
こちらも不機嫌そうに眉を寄せて言うのはアン姐、もといアンナさん。
成人となってからすぐにこの村に”冒険者”としてやって来たという彼女。散切りにされた真っ赤な髪と射抜くような眼を見れば、ガエルさんの親戚というのも納得だろう。
この村の”冒険者”で最年少である彼女は小さい頃からいつもおれのことを構ってくれていた。
きっと今もおれのことを心配してくれているのだろう。
「アン姐、心配してくれてありがとう。でも自分で決めたことだから」
「でもねぇ……」
アン姐はそれでも納得してないようだ。
「アンナ、カイト君を困らせてはだめよ?」
助け舟を出してくれたのはエリアーヌさん。
奥ゆかしい口調と態度で、その姿はロイクさんと同じ年とは思わせない若々しさを持っている。
一番の驚きはロイクさんと結婚していたことだが……
「でも、いくらカイトでもまだ成人になったばかりなんだ。一人旅なんて危険すぎるよ」
「あら、親御さんの反対を振り切って成人してすぐにガエルさんの所に転がり込んだのは一体誰だったかしら?」
「ぐっ…そ、それでもアタシは反対だよ!」
「ふふふ、そんなこと言って本当はカイト君がここを離れるのがいやなだけなんじゃない?」
「なっ、ちがッ…」
「ずっとカイト君のこと可愛がってたし当然よねぇ。『まるで弟ができたみたい』っていつも言ってたもの」
ニコニコしながら言うエリアーヌさんの横で、アン姐の顔がみるみる真っ赤になってゆく。
やがて、アン姐は観念したように「ふんっ、もうどこにでも行っちまいなっ!!」と言ったきり赤い顔でそっぽを向いてしまった。
変わらず微笑ましいといった表情でアン姐を見るエリアーヌさん。
彼女が”冒険者”でいられるのは、そういう強かさの中にあるんだろうな、と思う。
この五人はコモル自治区から正式な依頼を受けてこの村に常駐している”冒険者”であり、危険な地区をたった五人で任されている辺り、彼らが相当な実力者であることが見受けられる。
おれが住んでいた師匠の家から一番近いこの村の人たちには良くお世話になった。特にこの五人には修行や魔獣の討伐関連でおれがこの世界に来た時からずっとお世話になってきた。
今年で15歳になり、晴れて成人した時にも村の人たち総出で祝ってくれたこと、ここを旅立つと決めた後に開かれた宴も記憶に新しい。
みんなは「いつも魔獣を追い払ってくれているお礼だ」と言ってくれたが、感謝の念が絶えることは無い。
しばらく五人と談笑を続けていると、こちらに近づく四つの影に気付く。
「遅くなってしまったな、すまない」
そう声をかけてきたのは、ホルストレイ・ザランハック。
言わずと知れたおれの師匠である。
魔獣の呪いにより青い髪と眼を持つ彼女は、今日は袴に似たゆったりとした服を着流している。
まさに師匠然とした格好である。
その隣に静かに佇むのは師匠の相棒である銀狼のロウラ。
今は大型犬くらいの大きさしか無いが、戦闘時には倍以上の大きさになる。
12年の共同生活を経て、ロウラとは無二の友となった。
師匠とまではいかないものの、ロウラの顔を見れば何が言いたいか大体分かるようになったのだ。
「薬の精製の仕上げをしておったのだ」
声を聞いて、師匠と一緒に来た残りの二人の方へと目を向ける。
声を発した方の人物は、腰まで伸びた金色の髪の妙齢の女性。
一番の特徴は左右に突き出る尖った耳。
そう、彼女は≪風精霊≫なのである。
一方、声を発することなくニコニコとこちらを見ている人物は、白い髭を伸ばしているがっしりとした老人。
彼も短いとはいえ尖った耳をしているが、特筆すべきはその身長。
おれの腰を少し超えているくらいだろうか。
言わずもがな、彼は≪岩精霊≫である。
「師匠と一緒にですか?また怪しい薬とか作ってませんよね……?」
ジト眼を向けるおれに対し、≪風精霊≫であるオーリグは、
「さてな……?」
と不敵な笑みを返す。
師匠はあらぬ方向へと顔をそらしている。
あ、怪しすぎる……。
はぁ、盛大にとため息をついた後、≪岩精霊≫のビヤードさんに声をかける。
「おはようございます、ビヤードさん。―――――わざわざここまで来てもらってありがとうございます」
驚くなかれ、ビヤードさんは齢200。
そりゃあ腰も低くなってしまう。
「おうおう、構わんて。それに防具の調子の確認もせんといかんかったでの」
「それなら完璧ですよ!まるで付けてないみたいです」
今おれが付けている防具は竜の素材から造られている。
丈夫さは折り紙つきで、その強度は重金属の鎧にも劣らない。
何よりも、羽のように軽い。
これなら戦闘の負担になることはまず無いだろう。
防具は陽の光を受け、神秘的な銀の輝きを放っている。
腕をぐるぐる回して快調を示すおれに微笑みながら、ビヤードさんは言葉を返す。
「そりゃ一安心だわい。まあドラゴンの素材から造られとるでの。性能の心配はしとらんかったが」
「それもそうですけど、ここまで良いモノになったのはビヤードさんの力があったからですよ。改めて、ありがとうございます」
「おうおう、それは鍛冶師冥利に尽きるわい」
優しげに返してくれるビヤードさん。
彼と話しているとまるで本当の祖父のように思えてくる。
ビヤードさんもおれのことを孫のように思ってくれているのだろうか。
「では、私からも餞別を送ってやろう」
「おわっと!」
オーリグがこちらに投げ渡したのは、3本の小瓶だった。
中には虹色に輝く液体が揺れている。
その直後、青ざめた師匠から絶叫が響く。
「オーリグッ!!お前なんてことをするんだ!」
「ん?何がだ?」
「もっと丁寧に扱わないか!お前だってあの薬の価値が分かっているだろう!?」
「なんだ、そんなことか。細かいことにいちいち怒るでない。老けるぞ」
「喧嘩を売っているようだな貴様……」
「ち、ちょっと待って!」
怒りゲージマックスの師匠もマズイが、今最も重大な問題がまさにおれの”手元”にある。
「これ!この薬、一体何なんですか!!持ってるだけでももの凄く怖いんですけど!!」
「ああ、説明がまだだったな。安心せい、それは別に危険な薬では無い」
苦笑気味に答えるオーリグを見て、師匠は憮然とした表情のまま抜きかけていた剣を納める。
「それは“ペルセポネ”と呼ばれる秘薬だ」
……何それ。
おれは周りを見渡すが、知っていそうな素振りを見せる人はいない。
みな揃って首を傾げている
少なくとも普通の人は知らないみたいだ。
「まあ知らんのも無理はないの。“ペルセポネ”は別名”再生の神薬”とも呼ばれ、それを飲んだ者はどのような難病からもたちまち全快し、塗り込めばあらゆる肉体の欠損を復活させると言われる幻の薬だ」
その言葉にその場の全員がポカンとした表情になる。
この世界には治癒魔術が存在しているが、それを行使できるのはごく僅かの人や限られた種族のみであり、治癒魔術を使っても病気を直接治すことや失われた四肢を元通りにするのは絶対に不可能なのである。
世界の理とも言えるその常識をいとも簡単に覆す秘薬。
それが何故かおれの手の中に3つも存在している。
「……そんな薬、どうやって調合したんですか」
呆然としたままおれが聞くと、オーリグが得意げな表情をしながら答える。
「製造方法は分かっておったのだがの、精製に必要な材料がどれもこれも採取不可能なものばかりだった、のだが」
「だが?」
オーリグは師匠の方へ眼を向ける。
すると、今度は師匠が得意げに胸を張る。
「私に持っていない素材など無い!」
「……という訳だ。そうしてホルスの持っている材料をありったけ使ったのだが、結局精製できたのは五人分だけだった」
オーリグはそう言って懐からカイトが持っているのと同じ小瓶を1本取り出す。
「1本は薬を調合した代金として私が貰った。もう1本は材料を提供してもらった代金としてホルスに渡した。まあ、その3本は余りみたいなものだな」
薄く笑いながらオーリグは言ったが、誰も答える者はいない。
いつも怒ったような表情のガエルさんやニコニコ顔のエリアーヌさんでさえも驚愕の色でおれの手の中の小瓶を見つめている。
心なしか震えてきたように思える手を抑えながら、おれは聞いてしまう。
「こ、これって、どのくらいの価値があるんでしょうか……」
オーリグは笑みを一層深くした。
「そうだのう…3本あれば、国が買えるのではないか?」
「ぶっっ!」
平然として答えるオーリグに思わず瓶を取り落しそうになる。
「あ、あぶなっ!!いや、こんなの貰えませんって!!というか、持ってるのが怖すぎる!!気持ちはすっごく嬉しいですけど、お返ししますっ!!」
「なんだ、甲斐性の無いやつめ。折角こんな美人が、しかも素敵な贈り物をしたというのに」
「贈り物が素敵すぎるんですよっ!!高価すぎる贈り物をされると逆に重荷に感じるって話、聞いたことありませんか!?」
不満そうな顔で返却を拒否するオーリグと必死に喚き立てるおれを仲裁したのは、意外な人物だった。
「なぁ、ちょっといいか」
おれたちの口論を引き止めたロイクさんは、おれと手元の薬を交互に見ながら言う。
「それがありゃ、お前さんの眼も治るんじゃないか?」
「あぁ、そうじゃないか!!」
その問いに反応したのはアン姐だ。
「失った肉体を治せるんだろ?潰れた眼の一つや二つ、簡単に治せるじゃないか!」
眼を輝かせ、まるで自分のことのように喜ぶアン姐を見て、心がじんわりと温かくなるのを感じる。
―――――でも。
「おれは、その薬は使わない」
アン姐の表情が固まる。
「…なんでだい?まさか、もったいないとか言うんじゃないだろうね……これは、オーリグがアンタの為に作ったんだ。遠慮することは―――――」
「それもある。けど、それだけじゃない」
アン姐を遮るようにして、おれは言葉を続ける。
右手で、眼帯に触れる。
「これは、おれの”決意の証”だからね。それに、片目でも十分戦えるようになったし、今更左眼を治す必要は無いよ。もっと薬を使うのに相応しい人がいるはずだ」
「ああ、その通りだ」
すかさず返したのはオーリグ。そして、アン姐はその言葉に激昂する。
「その通りってどういう意味だいっ!?」
「その薬を使うに相応しい者がいるということだ」
「オーリグッ!!アンタ、自分が何言ってるか分かってんのかい!?」
「ああ、もちろんだ」
さも当然といった表情で返すオーリグを見てついに耐え切れなくなったのか、アン姐がオーリグに殴りかかろうとする。
それをロイクさんとセルジュさんが羽交い絞めにし、なんとか抑え込む。
アン姐は叫ぶ。
「四年前っ、セフィが連れ去られて、カイトが左眼を抉られて、アタシ達がどんな気持ちだったかっ、カイトがどんな気持ちだったかっ、分からないのかいっ!!!」
「分からないわけが無かろうがっ!!!」
叫んだのは、オーリグだった。
アン姐の動きが止まる。
「……私たち≪精霊族≫は人間から蔑まれ、日陰の元で暮らしてきた。今、私やビヤードがこの村で人並みの生活を送れているのは、カイトのおかげだ。カイトは、種族が違うというだけで忌み嫌われていた私たちに手を差し伸べてくれた最初の者だった。カイトの痛々しい姿を見たあの日、私はこんな幼い子供を虐げる世界を、神を呪った」
オーリグの顔は憎しみに歪み、ビヤードさんはその目に涙を浮かべている。
アン姐は先のショックから立ち直ったのか、再び声を上げる。
「だったら、だったらどうしてそんなこと言うんだい…!?」
「仮に、カイトの左眼を治したところで、何が変わる?」
「それはっ…!」
「彼が傷ついた事実が、どう変わる?何も変わらんだろう?お前がやろうとしているのは、過去に蓋をする自己満足でしか無い」
「―――ッ!!」
アン姐は何か言い返そうとするが、力なく項垂れてしまった。
オーリグはこちらに向き直る。
「オーリグ……おれは……」
オーリグは微笑みながらこちらに近づき、おれの頭を撫でる。
「お前が使わなくていいと思うなら、その薬を使う必要は無い」
「ああ…おれはこの薬を使う必要は無い。もっとそれに相応しい人がきっといるから。だから、この薬は受け取れない」
「……お前がその薬を受け取らないとして、それはどうなるのだ?」
「どうなるって……」
「相応しい人が出来たらその者の前に勝手に現れるのか?」
「そ、そんなこと―――――」
「ありえぬだろう?そもそも、相応しい者とは、誰なのだ?」
「そんなの、分かるわけないだろ」
「そうだな、分からない。ここにいる者の誰かか、赤の他人か。それとも、未来のお前かも知れぬな。……でもな、どれだけ相応しい者がお前の前に現れても、薬が無ければ助けることは不可能なのだ。―――――救えたかも知れぬ命を悔やんでも、遅いのだよ」
「……でも」
未だ踏ん切りがつかなくて迷っていると、オーリグは呆れたように笑う。
「まったく、お前は周囲に対しては強引なくせに、自分のことになると本当に臆病だ。あらゆる病気と欠損を治す薬。これはお前にとって大きな武器になる。武器とは相手を傷つける道具だけではない。カイト、お前も分かっているだろう?」
……ここまで言われたら、受け取らないわけにはいかないじゃないか。
「……分かったよ。大切に使わせてもらう。本当にありがとうございます」
「私に敬語は不要と言っただろう?別に感謝など必要ない。お前にはそれ以上のものを貰ったからな」
そう言って朗らかに微笑むオーリグは本当に綺麗だった。
いつもそうやって笑っていれば人気が出るのになぁと思ってしまったのは秘密だ。




