第八話 リアノンの夢
食事が終われば、夜の森で出来ることはない。
うつらうつらするリアノンの手を引いて、テントでリアノンを休ませる。
魔光石の入ったランタンでテント内は明るい。マイコールは、ランタンの光を少しだけ絞った。
黒いローブを脱がせ、藍色のワンピースだけとなったリアノンは、すでに夢の世界にいるようだった。
宿屋なら寝巻きに着替えさせるが、野営では何が起こるかわからない。いつも冒険用の衣服のままで寝かせる。
「今日はゆっくり寝られるといいなあ」
マイコールはリアノンの髪を撫でてから、テントの外へ出た。
闇のとばりを下ろした世界は、少し先ですら輪郭が見えない。今日は焚き火を残していないからなおさらだ。
ここはグレイウルフの住処である。夜の焚き火は目立つ。お邪魔させてもらっているマイコールたちが、グレイウルフの生活に合わせるほうが良いと考えた。
もっともマイコールは夜目が利く。
夜でも輪郭が浮かび上がるし、魔物の臭いを逃さない。
すんすんと鼻を効かせても、近くに異様な気配は見当たらなかった。
バルカンは少しだけ離れたテント内にいるようだ。その大きな身体は見えないが、いびきが居場所を教えてくれる。
バルカンも、慣れない体験で疲れていたのだろう。
洞窟の外を寝床にしているグレイウルフたちが、迷惑そうに距離を取っていた。
「そろそろ、オイラも寝るかなあ」
森など魔物が多い場所では、休息を取るのに不寝番をたてるのが普通だ。
しかし、マイコールは眠りながらも、起きている時と同じにぐらい臭いや気配を察知できる。
リアノンと二人で旅をしてきた。彼女に不寝番をさせたくなくて、身につけた特技だ。
マイコールは装備を脱ぎ、ズボンだけの軽装になった。圧迫されていた毛がふわっとした。毛を撫でる夜風が心地よい。
服を畳んでからテントへ向かうと、
「……う、……や、だ」
リアノンの声がテントから漏れてきた。
ハッとしたマイコールは、テントへ飛び込んだ。
「リアっ! おい、リアっ!」
脂汗をかき、眉間にシワを寄せたリアノン。
小さく丸まって、呻き声をあげている。
身体を揺すっても、声をかけても、起きる気配はなかった。
何度見ても、慣れることはない。
リアノンと出会った頃から、時々起きる発作のようなもの。
どんなに苦しそうにしても、決して眼が覚めることがなかった。
何かしらの夢を見ているのだろう。
だが、眼が覚めたリアノンに聞いても、内容を思い出せることはなかった。
わかっているのは、良くない夢をみていること。朝が来るまで、夢からは逃れられないということ。
「こうなると、オイラに出来ることは一つしかねえんだよな……」
マイコールは布でリアノンの汗をぬぐいながら、ぽつりと呟いた。
◇
リアノンは夢を見る。
悲しい夢、辛い夢、苦しい夢……。
どうにかして逃れたいと願っても、繋がれた悪夢の鎖が離してくれない。
頭を押さえつけられたかのように、目を背けることができない。
光景は濁流となって押し寄せてくる。
次から次へと……。
前に見た夢もあれば、初めての夢もある。
世界が暗転した。
◇
また世界が切り替わる。
ボクと父さんで、ホーンラビットを捕まえることが出来た。久しぶりのお肉に、姉さんも母さんも喜んでくれるに違いない。
そんな楽しい気持ちで、村まで帰ってきたのに。
高台から見える村は、燃えていた。
誰かの悲鳴が聞こえてきた。どこかで助けを呼ぶ声がする。
父さんは坂道を駆けだした。あっというまに父さんの背が見えなくなった。
遅れてたどり着いた家。
勢いよく家に飛び込んで、ボクは立ち尽くすしかなかった。
姉さんが床に倒れていた。
椅子に座っている母さんの首が、おかしな方向に曲がっていた。
たった今、父さんが床に倒れて、血が広がっていく。
黒いフードを被った誰かがいた。
視界がぐにゃりとして、場面が捻じ曲がる。
冷たい石の床に、ボクは座り込んでいた。同じぐらいの年の子供たちが、すすり泣く。
松明の明かりが、ゆらゆらと揺れている。外界とは、鉄格子で隔てられていた。
牢屋には子供たちが押し込まれていた。
なるべく目立たないよう、隅に座る子が多い中、ボクは部屋の中央で膝を抱えていた。
父さんも母さんも、姉さんも……。みんな、いなくなった。ここがどういう場所なのかわからない。
分かることは一つ。
牢獄から連れ出された子は、二度と戻ってこない。
◇
また世界が切り替わる。
明日はわたくしの誕生パーティー。お父様とお母様はもちろん、お友達にも来てもらって、楽しく過ごすはずだったのに。
大きな音がして、馬車がひっくり返された。
戦っている音が聞こえてくる。
怖い。
怖くて仕方がない。
だけど馬車の中に、ずっといるわけにもいかない。
メイドの手をつかみ、どうにか馬車の外へ出る。
手を引かれて逃げようとする。
その直後――。
メイドの身体から、剣が生えてきた。
わたくしに向かって何かを言おうとしていた。
だけど。
言葉の代わりに彼女の口から出てくるのは、大量の血……。
わたくしの身体を赤く染めていく。
黒いフードが、メイドの身体を蹴り飛ばし、わたくしの腕を無理やり引っ張った。
景色がぐるんと周り、目に映るものが切り替わる。
どこまで続いているのか、先の見えない廊下。
腕を引っ張られながら、進んでいる。
石造りの廊下が、寒気を後押しさせた。
けれど、もはや怯える心は枯れ果ててしまっていた。
連れてこられたのは広間。
魔法陣の中央に放り出された。
黒いフードから伸びる手には、禍々しい剣が握られおり、
そしてその剣で――。
◇
リアノンは悪夢を見続ける。
いつも見るわけではない。
だが、一回始まってしまえば、リアノンではどうすることもできない夢……。
知らない誰かの視点で見続けるこの世界に、どういう意味があるのか。
リアノンには、わからない。
どうにか覚えていようとしても、目が覚めれば霧散してしまう。
目が覚めたあとに残るのは、吐き気を催すような重くて暗い感覚だけ。
だけれども悪夢の世界に戻れば、一度見たことのある夢は、手に取るように先を思い出せてしまう。
だから今見ている夢を、リアノンは知っていた。
物珍しい奴隷として売られたエルフの子供。とある冒険者に救われ、一緒に旅をするようになる。
一緒に過ごし、冒険者の気遣いに小さな幸せを感じ、癒されていく日々。
しかし、冒険者は黒いフードに殺されてしまう。
リアノンが魅せられているのは、まさにその光景であった。
自分のことを助けてくれた相手。
その瞳から生気の輝きが失われ、エルフの子供は呆然とする。
この後の顛末は悲惨だ。
エルフは人族よりもマナに満ちており、それゆえに使える素材が多い。
つまりは、そういうことだ。
リアノンは思う。
願いは届かないことは知っている。
それでも誰か助けて、と。
黒いフードの手が近づいてきて――。
次の瞬間、リアノンの目の前に、陽だまりみたいな輝きが生まれた。
これが何であるのか、わからない。
だけれど――
「リア」と呼ばれた気がした。
そして思い出す。
この輝きは、この悪夢の世界でリアノンを守ってくれる唯一のものだと。
優しい温もりを感じるそれを、リアノンは抱きしめる。
暗く澱んだ何かが、白光で塗りつぶされていく。
◇
「……テント。……わたし、寝てたの」
ランタンの淡い光が目に入った。
「起きたか?」
綿毛のように、ふわっとした声。
ふと目を下げると、リアノンの腕にすっぽり収まったマイコールがいた。
「うん」
「まだ夜も遅いからな。眼を閉じて、休むといいぞ」
「わかった」
「オイラも、寝るからな。おやすみ」
「おやすみ」
どこか安心した様子のマイコールが、目を閉じた。
そして、すやすやと寝息を立て始めた。
リアノンがもぞもぞと姿勢を直す。
それがリアだと分かっているかのように、マイコールは目を覚まさなかった。
ぎゅっとして眠ると目が覚めないのか、マイコールに聞いたことがある。
――慣れてるからな。
そんな一言だけを返してくれた。
……思い出せないが、何か嫌な夢を見ていた気がする。心の奥底に、どろりとした何かが感じられた。
リアノンはマイコールの額に顔を寄せた。
ふわふわの毛並みが、リアノンの鼻をくすぐる。
じんわりと温かいものが、どろりとしたものを遠ざけてくれる気がした。
「ありがと、マイコー」
リアノンはぽつりと呟いて、目を閉じた。
この後はゆっくりと眠れそうな気がする。




