第六話 魔物と晩餐会
何度、死を覚悟したことか。
地面に倒れ込んだグレイウルフの長は、わずかに怯えていた。
視界に映る敵の姿。身体は小さい。だが、動きが速くて危険なやつだ。長はそう思った。
敵が突っ込んでくる。
視界いっぱいに広がる敵の姿。
こちらの牙も届く距離だが、間に合わない。
振りかぶった敵の爪が肉薄する。
長は決して目を背けない。最後の瞬間まで光景を眼に焼き付けるつもりだった。
しかし、爪は決して身体を引き裂かない。寸前のところで、また止められた。
「どーする? まだやるか?」
敵がなにやら口を動かしているが、長にはわからない。
そいつは首を傾げていた。
こちらを覗き込んでくる瞳が、何かを伝えようとしていることはわかる。
敵は身軽に跳躍し、お互いの距離が離れる。
殺せたはずなのに、決して殺してこない。
これも何度目だろうか。
敵はその場に立ち、こちらが動くのを待っていた。
長はこれまでの攻防を思いだす。
噛み殺してやると襲いかかった直後に、ひっくり返されて地面に背中を預けた。
警戒しながら敵の周囲をゆるりとまわり、背中を切り裂こうと迫った。
腕を払われ、爪先でちょん、と喉元を触られた。
長は、敵を見つめながら考えた。
小柄なやつは、どうしてこんなに強いのか。
グレイウルフたちを率いる強さを証明するため、幾度となく仲間の挑戦を受けてきた。縄張りを誇示するため、他の魔物を退けてきた。
その経験が、こいつは自分よりも強いと教えてくれる。
だが、負けるわけにはいかない。
勝つことで相手を食し、生きてきたのだ。
負けてしまえば、今度は自分たちがエサとなる。
長は牙を剥き出し、後ろ足で大地を思いっきり踏みしめ、風を切り裂いて突進した。
小柄なやつは一歩たりとも動かない。
長は、突進の勢いのまま、全体重を乗せて腕を振り下ろした。
次の瞬間――。
突き出した腕を捕まれ、横へと投げられた。
小柄な身体のどこに、あれほどの力を秘めていたのか。
勢いは凄まじく、体勢を整える暇もない。
木が眼前に迫る。
身体を打ち付ける――そう思った瞬間。
「ほい、つかまえた」
衝撃は、こない。
相手はいつの間に追いついたのか、長の身体を難なく受け止め、ゆっくりと地面へ下ろしてくれる。
「どーする? まだやるか?」
先ほどの鳴き声を、敵はまた繰り返す。
長は身体を地面に横たえたまま、首だけで敵へと向き直る。
小柄なやつが見つめてきた。その瞳に違和感を覚える。どこかで見たことのある輝き。しかし、それは決して争いの場ではなくて。
「おめえは偉いな。仲間を守るためにちゃーんとボスをやれてると思うぞ」
自身を育ててくれた親が、獲ってきた餌を与えてくれたときのことを思い出す。
まだ自分が小さく、ただ一心不乱に食べるだけだった頃。
それを静かに見守っていた、親の眼。
「だけど、オイラたち、おめえらを傷つけるつもりはねーんだ」
小柄なやつの鳴き声の意味は、相変わらずわからない。
だけど、こちらを食べようとしているわけではないとわかった。自分が仲間を気遣うときのような雰囲気だと思った。
「触ってもいいか?」
小柄なやつがしゃがみこんで、そっと手を出してくる。顎の下に触れるように、ゆっくりとゆっくりと。
噛み付けば、その腕を食いちぎることが出来る距離。
長は、口をゆっくり開けて――。
舌先でその手をペロンと舐めた。
「にゃはは、受け入れてくれてありがとな」
相手は一歩近づいてきて、グレイウルフの長へ触れてきた。それを抵抗もなく受け入れる。
撫でてくれる手。
それは生まれたての赤子を、大切に舐める時のように優しくて。
耳の付け根を撫でられるのが心地よかった。
◇
みんなで飯を食おうと考えたマイコール。
あっという間に仕留めたてきた牛型の魔物――バファロウスを三匹ほど頭上に担いで、えっほえっほと戻ってくる。
するとグレイウルフたちが尻尾を振って集まってきた。
「俺は夢でもみてんのか」
側に座っていたバルカンが、ぽつりとこぼした。
バファロウスを、マイコールはナイフで解体する。周りにはグレイウルフたちが集まり、自然と輪が出来あがっていた。
「ほい、これを持ってけ。あっ、こら喧嘩すんなっ。ちゃんと次にやるから……」
肉を切っては与え、切っては与え。
肉を手に入れたグレイウルフたちの足取りは軽く、自分の家族の元へ帰っていく。
肉に夢中なグレイウルフたち。
例外は、伏せながらもマイコールを観察しているグレイウルフの長と、焚き火で骨付きもも肉を焼くバルカンぐらいか。
「火が熱い……。間違いなく現実……、なんだよな」
「バルカン、こがすなよー。食べるために、命をもらったんだ。しっかり、最後までやり切るぞ」
「あ、ああ……。わかった」
バルカンが作業に集中していく。
マイコールはバファロウスの肉を、グレイウルフに与えるために手を動かし続けた。
少しずつ陽が沈んでいく。
森は街中よりも、闇夜に支配されるのが早い。油断しているとあっという間に辺りが暗闇に沈んでしまう。
百匹近いグレイウルフたちは、数匹の集団にわかれていた。与えられた肉を貪っているやつら。
これから来る肉を心待ちにしながら涎を流しているやつら。
だが、マイコールから少し離れたところに、不思議な集まりが一つあった。
リアノンを中心に、グレイウルフたちが囲んでいた。
「君は少しゴワモフ系、だけどそれも良い」
マイコールの周囲にいる飯待ちの集団。それを上回る最大勢力は、リアノンにモフられたい集まりだ。
そんな集団の中央では、一匹のグレイウルフが仰向けにひっくり返って、リアノンに身体を撫で回されている。
野生を忘れたグレイウルフは、目を細めて心地よさそうだ。
「……しかし、嬢ちゃんもすげえな」
バルカンが、モフられたい軍団を何とも言えない顔で見つめていた。
「リアの手はすげえんだ。オイラもあとでやってもらおうかな」
「意味がわかんねえ光景だぜ」
バルカンがツルツル頭をぽりぽりとかいた。
一拍ほどしてから、首を横に振る。
しばらくして、焼けた肉を持ったバルカンが近づいてくる。
「出来上がったぜ」
「バルカンが先に食っていいぞ」
「そうか? 肉を切るのを変わっても……」
「できんのか?」
バルカンが周囲を眺めていた。
肉を切るマイコールから、周囲のグレイウルフへ視線が流れていく。
グレイウルフの長を見た瞬間、バルカンが複雑な顔をした。
「いや……、まだちょっとキツイな」
「だろ? こっちはオイラに任せとけ。とりあえずそれを食いながら、あと二本焼いといてくれ。頼んだぞ」
「おう」
バルカンとの短いやりとり。
すぐに肉を焼きに戻るかと思えば、彼はその場から動かなかった。
「どうした?」
マイコールはせっせと手を動かしながら尋ねた。
「いや、アニキたちは、魔物は殺さねえ主義でもあんのか?」
「うんにゃ、そんなことねーな」
「さっき、こいつらの家に押しかけたって、リア嬢ちゃんが言ったよな。確かに、言いたいことはわかる」
バルカンは言葉を噛み締め、そして続きを口にする。
「でもよ……、こんなにグレイウルフがいたら、誰か……、犠牲になるかもしれねえじゃんか」
「そういうことも、あるかもなあ」
マイコールは穏やかに言った。
バルカンは拳を強く握った。
「だったらっ!」
バルカンの大声に、グレイウルフの長がわずかに首を持ち上げた。
鋭い視線をバルカンへと向ける。バルカンも負けじと睨み返す。
一触即発な空気――、
「ほいっ」
マイコールが肉球同士をぽむんと叩き合わせた。長とバルカンの意識が、マイコールへと向けられた。
「オイラには、人も魔物も、それ以外も同じだな」
「同じ?」
「酒やミルクを、飲み交わしたいヤツもいる」
マイコールはバルカンへ、優しい眼を向けた。
「隣に並んで、肉を食いたいヤツもいる」
マイコールは長へと向き直る。
「そんだけのことだぞ」
焚き火がパチパチとなる音だけが、夜に染み渡っていく。
マイコールは肉を厚めに切った。そして大きな葉に乗せて、バルカンに渡した。
「頼んでもいいか?」
マイコールの視線の先には、長の姿があった。
バルカンが長を見つめ、小さく息を吐いた。
「……おう」
バルカンは食べかけの骨付き肉を口で咥えたまま、両手で厚切り肉を受け取った。慎重に、一歩ずつ長へと近づいていく。
長の視線は決してバルカンを離さない。
空気が、わずかに張っている。
「ほら⋯⋯、食えよ」
バルカンはその場にあぐらをかいて、厚切り肉を差し出した。自身も骨付きを咀嚼する。
ふんふんと臭いを嗅いでから、長は控えめに厚切り肉へ口をつけた。
そんな二人の姿を、マイコールは優しく見守った。




