第五話 グレイウルフ
マイコールの鼻がヒクヒクと動く。
臭いが強くなる方へ進むだけの簡単な作業で、迷わずに目的地へとたどり着けた。
風向きを配慮した位置取りで、茂みの影にしゃがみこんで身を隠す。マイコールらは、こっそりとグレイウルフの住処を観察していた。
そびえ立つ崖にポッカリと開けられた穴。
どこまで深いのだろう?
わからないが、洞窟を出入りするグレイウルフの姿が確認できる。
洞窟の前は開けた空間になっており、数匹ごとのグループがあちこちに存在していた。
横になって休んでいたり、ホーンラビットらしき肉を子供の魔物に与えていたり。
緩んだ雰囲気で、それぞれが過ごしていた。
雨風をしのげる洞窟を中心に、この一帯を縄張りとして生活しているようだ。
「グレイウルフの住処で、こんな風になってるの、初めて見たぜ……」
バルカンが小さな声で言った。
でかい図体のバルカンが茂みで小さくなっている姿は、なかなかに可愛い。
「魔物ってやつは、動物よりも知性があるって噂はあったが……。こんな集団生活をすることもあるんだな……」
バルカンのそんな呟きに、マイコールはヒソヒソと声で返しておく。
「たぶんこの辺りは、入れずの森に属してるだろ? 冒険者があんまりこないから、グレイウルフも間引かれなくて、大所帯になったんじゃねえかな?
オイラも、ここまで多いグレイウルフを見るのは、初めてだぞ」
「モフモフいっぱい。
右を見ても左を見ても、モフモフ……、幸せ……」
瞳の輝きが止まらないリアノンが隣にいる。
「たくさんいて、よかったなあ。だけど、まだだぞ。ほら、おちつけ~、おちつけ~」
放っておくと、うずうずしたリアノンが今にも飛び出していきそうだった。そんな彼女の鼻先へ、マイコールは尻尾を器用に動かした。
「マイコーの香り。くんくんくん……。はふぅ……」
「やべえ薬でも嗅いでるみてえだな……」
変なものを見る視線のバルカンが呟いていた。
マイコールはこれでよし、と小さくうなずく。
これならリアノンの暴走はしばらく抑えられるだろう。
「だけどよ、この数はいくらなんでも、『いっぱい』って言葉で、すましちゃ駄目だろ」
「百モフはいる」
「そうだな、百匹……、あん? ひゃく……モフ?」
バルカンが、リアノンの言葉に振り向く。
「つまり百匹ってことだぞ」
「独特な数え方だな、おい……。そんなことよりも、さっさと離れようぜ。この数は、どうにかなるレベルじゃねえだろ」
バルカンの言う通り、まさしく数の暴力であった。
だが、マイコールに引くという考えはなかった。
「バルカンは戻ってもいいぞ。オイラたちは、やることがあるからな。よし、約束の確認だぞ、リア」
「同意のないモフりは、絶対ダメ」
「良い子だな。それが守れれば、モフってもいいからな」
リアノンの頭を肉球でポンポンと撫でる。
教えをしっかりと覚えているようで、なによりだ。
「アニキ……、何を言ってんだ?」
信じられないことを聞いた。
バルカンが、そんな顔をしていた。
「つまりだなー、相手も受け入れてくれないと、モフモフはしちゃダメってことだな。考えてみろ。知らない奴にいきなり抱きしめられたら?」
「そりゃ気持ち悪いけどよ……、そうじゃなくて……」
「モフるにも、作法がある」
リアノンが指をピンと立てて、わかった? と言いたげに首を傾けた。
「ちげえよっ。触るって……、あのグレイウルフの群れに突っ込むってことだろ?」
「そうなるなあ」
目を剥いて聞いてくるバルカンに、マイコールは穏やかに返した。
「リア嬢ちゃんを連れて?」
「もちろん、わたしも行く」
リアノンのうなずきは力強い。
「そりゃさすがにどうかしてるぜっ!?」
だらだらと滝のような汗を、バルカンが流している。
「バルバル、し~っ! 気づかれちゃう」
リアノンの制止の声も虚しく、バルカンは勢いよく立ち上がった。
「マイコー。バルバル、混乱してる」
「バルカン、とりあえず、落ち着けよ。なっ?」
二人は緩い空気のまま、バルカンを見上げた。
「くそっ! 二人共、入れずの森にある呪いってやつに、頭がやられたにちがいねえ。俺がっ、二人を守らねえとっ! 担いで逃げるっきゃ――」
バルカンが足を踏み出した、その瞬間。
パキっと、枝を踏んだ音が響いた。
次の瞬間、二百はあるだろうグレイウルフの瞳が、一斉にこちらへ向けられた。
気付かれた。
背中の毛を逆立て、グレイウルフによる低い唸り声の大合唱が始まる。
「俺のミスで……。アニキ達、すまねえっ。俺があいつらを止めてる間に、どうにか逃げてくれっ」
レザーリュックをその場に下ろして、うおぉぉぉぉと雄叫びをあげ、バルカンが茂みから飛び出した。
「こっちだ、ウルフどもっ!」
そんな彼の背中を見つめながら、リアノンがこてんと首を傾けた。
「バルバル、ドジっ子?」
グレイウルフの群れを前にして冷静さを失い、バルカン自らが招き入れた窮地。
突っ込んでいく姿は、自分の尻拭いなのだが……。
沸き上がってくる笑いを、マイコールは両手の肉球で押さえ込む。
「にゃふふっ、ヤバイ時って素の性格でるから面白えよなあ。オイラは、こういうの好きだぞっ」
周囲を油断なく見据えながら構えるバルカンを、距離を保ちながら囲むグレイウルフたち。
唐突な侵入者に、まだ様子を伺う空気があるからこそ、均衡が保たれている。
マイコールがリアノンを見つめると、彼女はこくりと頷いた。背中にリアノンがしがみついてくる。
ここに彼女を置いていく判断はない。
手が届きにくくなってしまう。
マイコールが大地を蹴る。
地面がマイコールの足型に歪み、重量のある音に驚いたグレイウルフの視線が集まる。
だが、すでにマイコールの姿はそこにない。
マイコールとリアノンは空高いところを舞っていた。
成長しきった木の高さまで到達するのに、瞬き一つ分。
リアノンの銀色の髪が陽光を受けて輝いた。
浮遊感から大地へ向かう疾走感へ変わっていく。
バルカンを見下ろせる位置から、グレイウルフの輪の中央目掛けて落下していく。
リアノンに怖がってる様子はない。
マイコールの背中に身をあずけながら、毛の心地よさを堪能していた。
二人の重みを乗せたまま、一直線に落ち――、音もなく着地。背中にいるリアノンへわずかばかりの衝撃すら与えない。
「あ、アニキっ!? ど、どっから……」
マイコールの着地による突風が吹き抜けた。
警戒の色を深め、グレイウルフたちが距離をとる。
「空から」
リアノンが指を上に向け、バルカンに教えている。
「空っ!? いや、そんなことより逃げてくれっ! 俺が道を切り開くからよっ」
「バルバル、落ち着いて。殺しちゃダメ」
リアノンが柔らかい声で、バルカンをたしなめる。
「なに言ってんだ、リア嬢ちゃん」
「グレイウルフの家へ勝手に来たのは、わたしたち」
「そうだよなあ、リア。依頼とか、襲撃くらったとかじゃねえもんな」
リアノンの言葉に、うんうんと首を振るマイコール。
しかし、バルカンは納得出来ないようで。
「魔物は魔物じゃねーか。戦わなきゃ、俺たちが殺られちまうんだぞっ!?」
「人の理屈じゃ、そうだよな。でも、今回は相手の理屈もあるってことだ」
「出てくから許してくれ。はいそうですかって、魔物が逃がしてくれるかっ!?」
必死なバルカンに、マイコールは笑みを浮かべる。
「リア」
リアノンはうなずき、バルカンへと寄り添った。彼の握り拳に手を添えた。
「バルバル……。マイコーを見てるといい」
リアノンの優しげな瞳で見つめられたバルカン。少しばかり頭が冷えたのか、落ち着いた呼吸になっていく。
マイコールが一歩踏み出す。
グレイウルフの敵意が、色濃く満たされていく。
唾液をまき散らしながら、低く唸って威嚇するもの。
飛びかかろうと体勢を低く構えるもの。
一触即発の空気。
わずかな火種でもあれば、爆発しそうだった。
「さて、と」
腕を組んだマイコールは、尻尾を自在に操る。
一度、モフモフの尻尾を振り上げ――大地へと振り下ろす。
轟音一発。
大砲が地面に刺さったかのような音。
大地を揺るがす振動に怯えた小鳥たちが、慌てて飛び立っていく。
「へっ……? 尻尾……だよな? 尻尾がそんな音を出すって……、え?」
バルカンがぽかんとする。
大地は抉れ、わずかな砂埃が舞う。呆然としたバルカンは、その光景から目が離せなかった。
たった一撃にもかかわらず、グレイウルフらは腰が引け、尻尾を丸めていた。
「こっちはオイラがボスだ。おめえらにもボスがいるだろ?」
さすがに言葉が魔物に通じるわけではない。
しかし、伝えたい気持ちを雰囲気に乗せるため、あえて語りかける。
魔物は動物よりも知能が高い。
個体差はあるが、言葉はなくとも意思疎通できた経験もある。特にグレイウルフは群れで狩りをするほど賢い。
尻尾の一撃は余計な争いを避け、グレイウルフの長にも縄張りに入り込んだと教えるため。
「おめえか?」
洞窟の奥から、他よりも二回り大きい個体が現れた。
右目周囲には爪の傷跡が残されている。
幾度となく実践を乗り越えてきた風格があった。
「勝負だ。それが一番早いだろ?」、
マイコールは手を上に向け指の一本から爪を出し、ちょいちょいと小さく手招きする。
それに応じる様に、グレイウルフの咆哮が大気を震わせた。




