第四十七話 約束
「想像通り……。この色はユキマルに、よく合う」
声が聞こえた方へとマイコールは視線を向ける。
買ってきた布をリアノンがユキマルに軽くあてていた。
森にあるエルーナの家。
やわらかな日差しが照らす庭で、マイコールは毛を日光浴させながら紅茶を口にする。
「ほっとする味だ……。エルーナの入れてくれる紅茶は、今日もうまいなあ」
「ふふっ、褒めても紅茶しかないわよ? ……おかわりはいるかしら?」
「もらいたいぞ」
隣に座っているエルーナが、空いたカップに紅茶を注いでくれる。
わずかな湯気が立ち上り、マイコールの鼻をくすぐった。
そこらの店ならば、熱くないかな? と恐る恐るすするのだが、今だけは気にする必要もない。
躊躇いなくカップへ口をつける。
マイコールの舌でも受け入れられる、かといって冷たすぎない完璧な温度。
うんうんとマイコールがうなずいた。
「ユキマルとリアちゃん、随分と仲良くなったわね」
何気ないエルーナの一言に、リアノンの様子をうかがってみる。
リアノンが話しかけ、ユキマルが大人しくしている。
じ~っと観察をしているようにも見えた。
リアノンのモフ欲を満たすために、様々な魔物と接してきたマイコール。
賢い魔物だと言葉を理解してそうな反応も多々あった。
けれど、意思疎通が成長していくのは、初めての経験だった。
もっとも、魔物を育てるほど一緒にいたことがなかったのだが。
「すげえよなあ。言葉のやりとりが、少しずつ出来るようになってるもんな」
それはもはや、気がする、という曖昧なものではない。
「皆で沢山の絵本を読んでいるものね」
「そのおかげなのか……、それともユキマル自体が特殊個体なのか……。うーん、どっちだろうなあ?」
色合いが特殊なユキマル。絵本に興味をもつ魔物なんて、それこそ物語の中にしかいなそうだ。
「……まあそりゃあ、どーでもいいことか」
リアノンとユキマルの相性が、とても良いことには違いがないのだから。
マイコールは出発前のことを思い出す。
留守番について教え込むリアノンの提案には、少しだけ不安があったのは事実だ。
だが結果だけいうと、リアノン発案の『ユキマルの留守番大作戦』は成功といえただろう。
昨日、自宅に戻ってから最初にしたことは、読書部屋を覗き込むことだった。
目の当たりにしたのは、棚の影からこっそりと様子を伺ってくるユキマル。
虫を捕らえたばかりだったのか、もぐもぐと口を動かしていた。
何皿かに分けて用意していた食事も、綺麗さっぱりなくなっていた。
来訪者がマイコールたちと分かり安心したのか、もそもそ移動し、リアノンの頭に乗っていた。
怯えて、人を遠ざけていた頃のユキマルを思い出すと、なんだか心にじ~んとくるものがあった。
ふと、リアノンの言葉が脳裏に蘇った。
――ユキマルも、皆も頑張った。あとは、信じる。
リアノンのそんな言葉を、マイコールはもう一度、胸の奥にしまった。
少し強い風が抜けていく感覚。
毛がふわふわとそよいだ。
「あっ!」
リアノンの短い声。
風の悪戯でリアノンが持っていた布が、手から離れた。
ひらひらと、宙をさまよっていく。
取ってあげようかと、マイコールは立ち上がった。だが、リアノンのやわらかな瞳が、布を強く見据えていた。
何かを伺っているようだった。
跳躍して布を取ろうとした自分を押さえた。
エルーナと目配せをする。
彼女も思うところがあったのか、風の精霊に頼む様子がなかった。
少しだけ待ってみる。
わずかに風の勢いが緩んで、布の動きがわかりやすくなった瞬間。
「ユキマルっ! あれっ!」
宙を舞う布を、リアノンの人差し指が示した。
するとユキマルの口元が、もぞもぞと動いた。
シュッ!
糸が鋭く飛んでいき、見事に宙を舞う布へと触れた。
リアノンが糸を引き寄せる。
ふわり。
夕焼け色の布はリアノンの手元へと返ってきた。
「おおっ、やるなあ」
そんな光景をみて、マイコールは思わず手をぽむぽむ叩き合わせてしまう。
「……約束は果たされた。そう思っても、いいのかもしれないわね」
エルーナがぽつりとこぼした。
「約束?」
にゃんだっけ? とマイコールは首を傾げる。
「あら……、ユキマルと関わることになったきっかけを、忘れてしまったのかしら? マイコールさんは、知りたいことがあった……。私はそれに関する情報を持っていた……」
「そういやあ、そんな話をしてたなあ」
「……大事なことなんでしょう?」
エルーナが優しく言う。
だけど、その瞳は少し揺れていた。
「……んにゃ。……そりゃ間違いねーんだけど」
マイコールは耳の後ろをぽりぽりとかきながら、にゃははと苦笑した。
不老不死の噂。
エルーナがそれを教えてくれるかわりに、ユキマルの成長に関わると約束をしたのだった。
「……忘れてたなあ」
「あら、忘れてたの?」
旅の目的の一つが、すっかりと頭から抜け落ちていた。
その理由は明らかだった。
エルーナ……、ユキマルとリアノン……、順繰りに視線を巡らせ、そして姿が見えないバルカンへ思いを寄せる。
「楽しすぎたから、だなあ……」
「えっ?」
「エルーナの家で過ごす毎日が……」
エルーナと見つめ合うと、今までの出来事が頭の中に次々と溢れてくる。
そして彼女たちと過ごす明日は、どんなことが起きるのだろうか? そんな期待すら感じてしまう。
だけど、それはこの先もずっと続かない。
終わりが……、近づいてきている。
マイコールたちは、旅で各地を転々とする未来。
エルーナは、森のなかで静かに過ごす未来。
時々は交わるかもしれないが、それは決して同じ道ではない。
心の奥がきゅっとした。
「私も……、楽しいの……」
せめてもの救いはエルーナも、一緒に過ごした日々に、同じ思いを抱いてくれていたこと。
「あのさ……」
マイコールはそこまで言いかけて、しかし言葉を飲み込んだ。
オイラたちと、一緒に行かねーか?
ダメだ。
エルーナに迷惑を掛けてはいけない。
誘いを断らせてしまったと、そんな思い出にさせてはいけない。
エルーナは人里から離れて、三十年も森にこもっていたという。
それほどの生活を続けるには、何かしら理由があるはずだ。
人には誰にも話せない秘密がある。
マイコールにだって、それはある。
エルーナといえど、決して伝えられないこと。
そんな隠し事があるなら、どんなに迷ってもエルーナを誘う資格はないのだと思った。
「……どこかで、……時間をとって、お話をさせてもらうわね」
「……そーだな。……ありがとうな」
エルーナの言葉に、マイコールはうなずいた。
なんだか、うまく尻尾に力が入らない気がした。
いつ話すのか、決めなかった。
それがマイコールにとって小さな抵抗だった。
◇
それからというもの、楽しい瞬間が訪れるたび、マイコールはつい考えてしまうようになった。
この瞬間は、あと何回くるのかなあ。
当然のようにリアノンには突っ込まれる。
考え事?
そう聞かれ、答えられなかった。
エルーナとはあれ以来、二人きりになっていない。
……いや、正直に言うならば、二人きりになるのをマイコールから避けていた。
話を聞く覚悟が出来ていない。
もしかしたら、例の話を急に振られてしまうかもしれない。
木の香りが残る床で大の字になって、ぼんやりと天井を眺める。
右にゴロゴロ……、左にゴロゴロ……、もう一度右にゴロゴロ……。特に意味もなく転がってみる。
踏んじゃうから危ない。
そう咎めてくるリアノンは家にいない。
クッキーの材料になる森の恵みを探しに行っている。
ユキマルとエルーナも一緒だった。
リアノンと離れて森へ送り出すなんて、以前のような二人旅なら、ありえないことだった。
リアノンから、エルーナと二人で森へのお出かけをすると聞いたとき、すんなりと受け入れている自分がいた。
エルーナが精霊を使役できるから?
……いや、それは決定打ではない。
理屈よりも感覚の話。
純粋にエルーナなら任せられる。そう思ったのだった。
「にゃっこらせ……、こうやって考えても答えはでねえよな。よーし、ちょっと身体を動かすか!」
床から起き上がったマイコールは、肉球で両頬をぷにん! と叩いて喝を入れる。
ぽてぽて歩いて外への扉を開いた。
すると馴染みの顔が全力疾走で、こちらへ突っ込んで来るではないか。
「アニキ〜! ちょうど探してたんだぜっ」
転がる岩石みたいな勢いで現れたのは、もちろんバルカンだった。
息をわずかに切らしているが、まだ走れる余力は残してそうだった。
都市から帰ってきてから、ますます特訓に磨きが掛かっている様子だ。
初めて出会った時も、なかなかの筋肉が詰まった身体だった。
しかし、日々の積み重ねで一回りぐらい大きくなった気がする。
首は大木みたいだし、あちこちの筋肉の隆起がますます膨張してきたようだ。
「どーしたんだ? なんかあったのか?」
「アニキに頼みがあるんだっ!」
マイコールの頭部を鷲掴みに出来そうな両手を合わせて、軽く頭を下げてくる。
「俺と勝負してくれっ!」
「勝負? オイラと戦いてーのか?」
「もちろん、アニキを舐めてるわけじゃねえ。だが、強い相手と戦って、自分の実力を知りてえんだっ」
「強い相手なあ……。オイラ、強い弱いをハッキリさせるだけの戦いって、あんま得意じゃないんだよなあ」
ふいにジェルダンのことを思い出す。
勝負事に巻き込まれたあの時も、皆はどっちが強いか興味をもっていた。
冒険者としての性分なのだろう。
その点からすると、自分は冒険者向きの性格ではないのかもしれない。
「頼むっ! 俺の知り合いの中で、一番強えのがアニキなんだ。それに……」
「それに?」
言いにくそうにしたバルカンに、続きの言葉を促す。
「本物のS級と、今の俺で……、どれくらい差があるか知りてえんだっ!」
恥を振り切った大声で、マイコールの毛と心がわずかに揺れた。
ああ、とマイコールは悟った。
先日のジェルダンとの一件。気にした様子もなく明るい調子だったが、冒険者としての誇りが無傷ではなかったのだ。
「……バルカンの頼みだ。わかったぞ」
「助かるぜっ!」
「ただ……、どういう条件で勝負する? それはバルカンが決めてくれよな」
「条件?」
バルカンはピンと来ない様子だ。
勝つか負けるか。それ以外のことは、考えていなかったのだろう。
「プニモフ拳……、使っていいのか? オイラが肉球を強化したら、プニっと一発で沈んじまうぞ? それだと……、バルカンの知りたいこととは、ちょっと違う気がすんだよなあ」
「あ……、確かにな……」
初対面でプニっとされた記憶を呼び覚ましただろうバルカンが、複雑そうな顔をしていた。




