第十三話 しっぽをなくしたネコ
「相手のこと、まだなんも知らねえからさ。まずは、どういうもんに興味を持つとか、探したいんだよなあ」
読書部屋の扉近くでリアノンと向き合い、どうしたらネイチュラと距離を縮められるか相談をしていると、
「……ひらめいた」
リアノンが細い指をちょこんと立て、小さく呟いた。
「ここには本がたくさん。手掛かりになりそうなものがないか、調べてみる。どう?」
首を傾げると白銀の髪がふわりと揺れた。良いことを思いついたと、リアノンの声音が珍しく明るい。
「にゃるほど。……だけど、エルーナの本なわけだろ? ネイチュラに関する内容はあるのか?」
「残念だけれど……、魔物関連の本はないかしら。ここにあるのは、ほとんど物語のたぐいね。……だけれど、……ふふっ、いい考えかも知れないわね」
エルーナが目元を柔らかく緩めた。
「私たちが試みてるのは、普通だったらありえないことだもの。物語にはそれこそ不思議な出会いや、冒険譚がたくさんあるわ。何かしらのヒントはあるかもしれないわね」
「そういうことだよ、マイコー」
「こりゃあ一本取られたぜ~。やるなあ、リア」
「もっと褒めてもいい」
えっへん、と胸を張る。笑顔のマイコールは尻尾を揺らし、リアノンの頭をぽむぽむと撫でた。
マイコールたちは読書部屋で本を見て回ることにした。突然の事態に、ネイチュラも怯えているようだ。姿が見えなくとも雰囲気が伝わってくる。
内心で「ごめんなあ」と謝りつつ、マイコールは本探しを続けた。
気になるタイトルの本を積み上げ、その一冊をマイコールはペラペラとめくっていた。
「んっ……、あと、ちょっと……」
声がする方を見る。リアノンがつま先を伸ばして、高い棚から本を取ろうとしていた。背表紙に指を引っ掛けて――。
「リア、あぶねえぞっ」
「きゃっ!」
リアノンが狙っていた一冊を先頭に、側で並んでいた本たちまで、次々とリアノン目掛けて落下してくる。
マイコールは瞬時に跳躍。リアノンを抱き寄せ、その頭を覆うように身を丸める。落ちてきた本の衝撃を、一身に受け止めた。
「どうしたの? 大丈夫だったかしら?」
別の棚のところにいたエルーナが、騒ぎを聞きつけて姿を見せた。
「エルーナ、ごめんなさい。大切な本なのに、落としちゃった」
背中を少しだけ小さくして、リアノンがぽつりとこぼす。
「気にしないで。私こそ本を詰め込みすぎていたようね……。ごめんなさいね」
「マイコーもごめん。痛かったよね?」
「オイラはモフモフがあるから、痛くも痒くもねーな。リアが無事で良かったぞ」
リアノンを安心させるように微笑んでから、散らばった本の山を眺めた。片付けなきゃなあと考えていると、一冊の見覚えのある本が目に入った。
絵本である。かわいらしい猫が、自分の尻尾を眺めている表紙。小さい頃に紙がすり切れるほど読んだ。そのタイトルは、
「「しっぽをなくしたネコ」」
リアノンとマイコールの声が、綺麗に重なった。
どうやらリアノンも興味を惹かれたらしく、両手でそっと拾い上げ、まじまじと眺めていた。
それを見た瞬間、胸の奥がくすぐったくなった。
「……いやあ、懐かしいなあ」
「マイコー、この絵本のこと知ってるの?」
「オイラがちっちぇえ頃、何度も何度も読んだなあ」
「面白かったの?」
「楽しい話じゃねえぞ。オイラも初めて読んだときは、途中で悲しくなって泣いちまってなあ。だけど、最後まで見終わったら、また読みたくなって……。今も家にとってあるかもなあ……」
「悲しいのに、また読みたくなるの?」
「なんかそういう気分にさせてくれたんだよな」
「そっか……」
リアノンは絵本を大事そうに抱きしめて、壁際まで移動した。すとんと座り込んで、自身の膝をぽんぽんと叩く。
「読んで欲しい」
「もちろんいいぞ~」
マイコールは彼女の膝へぽふんと座る。
「せっかくだから、エルーナも聞いてくか? 大人向けの話じゃねえから、退屈かもしんねーけど」
「……お誘い、感謝するわ。……私も参加させてもらおうかしら」
エルーナの瞳の奥がわずかに揺れる。
「ここでもいいか? 綺麗な服がシワになっちまうかもしれねーけど」
「大丈夫よ」
エルーナは裾を整えてから、リアノンの隣へ腰を下ろす。柔らかな尻尾がふわりと床に落ち着いた。
「そんじゃあいくぞー。しっぽをなくしたネコ。むかしむかし、あるところに――」
優しく語りかけるような声音が、じんわりと部屋に響いていく。
◇
むかしむかし、あるところに一ぴきのクロネコがいました。
クロネコは木のうえにいることが、だいすきでした。
かぜがふんわりと、クロネコのヒゲをそよがせます。
だれにもじゃまされない、じぶんだけのばしょ。
きょうもクロネコは、そよかぜをうけながら、すごしていました。
すると、ウサギさんがやってきました。
ぴょんぴょんと、リズムよくはねるウサギさんは、とてもたのしそうでした。
なんだかクロネコも、はねてみたくなりました。
クロネコは木からおりて、ウサギさんのまねをしてみました。
だけど、うまくできません。
クロネコはウサギさんに、きいてみました。
「ウサギさん、ウサギさん。どうしてそんなに、はねるのがじょうずなの?」
「それはこのシッポのおかげだよ。いろんなシッポをためしたけど、このシッポがいちばん、じょうずにはねられたんだ」
「ぼくも、じょうずにはねてみたいな」
「よかったら、シッポをこうかんするかい?」
「いいの? やってみたいっ!」
クロネコはウサギさんのシッポをつけました。すると――。
「すごいすごいっ! こんなにはねられるよっ!」
ぴょんぴょんと、リズムよくはねるクロネコは、とてもたのしくなりました。
「よかったら、シッポをつかってていいよ」
「ありがとうっ!」
クロネコはぴょんぴょんはねながら、もりのなかをすすんでいきます。
しばらくすると、こんどはウマさんに――。
◇
「クロネコはウマさんのシッポをつけました。すると――」
マイコールの優しげな声に、エルーナは身をゆだねていた。
思っていた以上に穏やかで、耳に心地よさを届けてくれる。大切な相手に届けようと想い込めて紡ぐ言葉は、こんなにも心に染みてくるものか。
――私の言葉も、あの二人にはこう聞こえていたのかしら……。
家を失った兄妹を引き取り、一緒に過ごした日々。
妹のミナ、そして兄のカイ。
ミナにせがまれて、エルーナはたくさんの話を聞かせてあげていた。私の邪魔をするなとミナをたしなめながらも、カイもまた聞き耳を立てていた。
そんな記憶が呼び覚まされる。
エルーナは視線を落とし、手のひらで膝を撫でた。
――あなたたちをこの手から失って、随分と経ってしまったわ。
それでも、あの日の光景だけは、まだ色あせない。
エルーナの膝に座りたいミナと、エルーナへの迷惑を考えて辞めさせたいカイ。そんな二人が喧嘩をしていた頃が懐かしい。カイの言葉には正しさがあったが、ミナの想いを前にして譲ってあげることも多かった。
魅了も、立場も関係なく、ただルナとして向き合ってくれた二人。
――あなたたちとの思い出だけを抱いて、いつかくる終わりを森で迎える。そう考えていたけれど……。
自分が立ち止まっていても、世界は常に流れていて、また出会いがある。
「ゾウさんのシッポをつけたクロネコは、なんとっ、木に登れなくなっていましたっ」
小さい体で両手をいっぱいに挙げて、マイコールは語り続ける。リアノンは楽しそうに耳を傾けていた。
そんな彼らの姿に、自然と微笑みがこぼれてしまう。
マイコールとリアノン。
まるで二人で一人のような、不思議な人たち。
最初こそ緊張してしまったけれど、二人のやりとりを見ていれば、悪い子たちではないとわかる。
なにより二人が紡ぎ出す空気は、長く人を遠ざけていたはずなのに、その壁が少しずつ取り除かれていくのを止められなかった。
そう遠くない未来、また森に一人で過ごす日々が来るのはわかっている。
それでも――それを待つ時間も、きっと悪くない。
――だけど、気になることもあるわ……。
マイコールに視線を送る。
不老不死という言葉。
なぜ彼はそのようなものを追い求めるのだろうか。
力を持つ権力者が行き着く、一つの考え方でもある。本当に不老不死が存在するか定かではないが、話を耳にしたことはある。
永遠の命。それは甘美な響きのようで、決して解ける事のない呪い。
――どうして、そのようなものを追い求めるの? リアノンちゃんのため?
大切な相手が失われるのが怖いから?
エルーナの問い掛けは、心の中に響くだけだった。
◇
「おかえり、ボクのシッポ……。クロネコはシッポを大切そうに抱きしめました。……おしまい」
マイコールは本をぱたんと閉じた。
しばらくの間、静かすぎるくらい誰も口を開かなかった。
その静けさをやわらかく破ったのは、控えめな拍手だった。ぱち、ぱち、と一回ずつを丁寧に……。
エルーナのしなやかな手から生まれている音だった。
「クロネコさん、……シッポが戻ってきて良かった」
リアノンが瞳を涙で揺らしながら、ぽつりと言った。マイコールは肉球で目尻を拭ってあげる。
「わたしもこの本、好きになった」
「そりゃあ、よかったなあ」
「すぐ側に大切なものはある。尻尾を大事にしてね」
リアノンが尻尾をギュギュッと握り締めている。
「お話、面白い。他にも、素敵な本ないかな」
「エルーナに聞くか。……だけど、まずは一回お片づけすっか」
「あ……、忘れてた」
ふと見れば、雪崩を起こして積み重なった本の山々がある。
「それから別の本を……、んにゃ?」
本棚の陰から視線を感じ、ふとそちらを見れば、白い雪玉みたいなものが――いや、ネイチュラだ。
ネイチュラと視線がぶつかると、大小四つの瞳がぱちりと揺れ、棚の影に身を隠した。
「どうしたのかな?」
リアノンもネイチュラに気づいたらしい。かさ……という音がして、ネイチュラがまた本棚から顔をのぞかせる。
いつも逃げ回っていたのに、それとは明らかに異なる反応だ。クリッとした大きな黒い瞳からも、怯えの色が減っている……ように見えなくもない。
何かに興味をもったのだろうか?
かさ……かさかさ……。警戒の色はにじませつつも、ネイチュラが床で山積みになった本へと近づいてくる。
マイコールは動けない。下手に動いて警戒させたら……。吐息の音ですら雑音になりそうな雰囲気に、マイコールは静かに見守るしかなかった。
ネイチュラは太めの脚が六本、そして口近くに触肢があった。その両触肢を器用に操り、山から一冊の本を抱えて眺めては、横に避けていく作業を繰り返していた。
やがて一冊の本を両触肢で掲げたところで、ネイチュラがこちらへ振り返った。
外側にある小さな眼が二つ、内側に並ぶまん丸の眼が二つ。どの瞳も黒目の周りに淡い夕日色が縁取るようにある。そんな計四つの瞳が全てマイコールを映していた。
かさ……かさ……。少しずつ、本当に少しずつ、ネイチュラが歩み寄ってきて、
「キュキュ……」
マイコールに向かって本を渡してきた。優しいタッチで描かれた、森が表紙の絵本だった。
ほんの少しでも踏み外せば、逃げられてしまいそうな空気。そんな思いが一致している中で、動いていいのは自分だけだと感じた。
近寄ってきた? かわいい声で鳴くんだな? 驚かせないようにしないと。
様々な考えが渦巻いては、まとまりがなくなる。それでも何かをしなければ。そう考えて、
「え、と……。ありがとな? 片付けを……、手伝ってくれんだな?」
マイコールは、受け取った本を元あった場所に置いた。
「……キュ…………」
あきらかに四つの瞳がしゅんと沈んだネイチュラ。
「マイコー、……違う」
「にゃ?」
リアノンがぽつりと呟く。驚かせないように、優しい声で。
「きっと……、読んでって……、言ってる」
「にゃる……ほど……」
何が正しいのか、手探りでいくしかない。だが、リアノンに言われてみれば、確かにそっちの方がしっくりくる。
マイコールは絵本を持って、床に腰を下ろす。ネイチュラに見えるように絵本を開いて見せると――。
少し離れたところで、ネイチュラもまた床へと座り込んだ。四つの瞳は興味深そうにこちらを捉えている。
「すげーぞ、リア。こりゃ本当に絵本が気になってんだ」
マイコールは、つい声が弾んでしまった。いろんな魔物と出会ってきたが、これはさすがに初めての体験だった。
「マイコー。わたし、やりたい」
リアノンがマイコールの隣へ、すっと並んでくる。
「ネイチュラに、読んであげたい」
「お、おお、そうだな。じゃあ、オイラがネイチュラが見やすいようにするから、リアは読み聞かせてやってくれな」
「わかった」
静かだった読書部屋に、リアノンの静かな声が優しい彩りを加えていく。
白いネイチュラは最後までその場から動かなかった。




