第十一話 白いネイチュラ
「にゃはは。ホント、恥ずかしいところをみせちまった。オイラ、すっかり動揺しちまってよ……」
マイコールはリアノンに抱きつきながら、しがみつくように身体を預けていた。リアノンが歩く度に、力のない尻尾が揺れる。
二人分の重みで廊下の床が、わずかに軋んだ。
「マイコーのもふもふは、わたしにとって三度のご飯より、必要……」
リアノンは淡々と言いながらも、しっかりと抱き返してくれる。
その後ろから、エルーナが静かについてきた。
ふと、目が合う。
優しく見守るような、面白がるような視線。
マイコールの耳がぴくりと跳ね、次の瞬間ぐいっとリアノンの肩に顔を埋める。
「み、見ないでくれえ」
「マイコー、顔、くすぐったいよ」
エルーナがくすりと笑った。
そうこうしてるうちに、たどり着いた扉。マイコールが尻尾で、トントンと叩くと中から「おお……」と短く返ってくる。
尻尾で扉を開けると、ベッド上で身体を起こしているバルカンがいた。片手を頭に添えて、ぼんやりとしている。
ちょうど目が覚めたばかりなのかもしれない。
マイコールとリアノンだけが、部屋へと一歩入る。
「アニキ……か。ここは……」
窓から差し込む光に誘われ、バルカンが外を眺める。
「森で見つけた家だ。一部屋貸してくれるって言うんで、甘えたんだ」
「そうかよ……、迷惑かけた……、あん? なんでリア嬢ちゃんにしがみついてんだ」
「細かいことは気にすんな。今は……、ちょっとな……」
「お、おお? そうなんだな?」
振り返ったバルカンが、不思議そうに頭をかいている。
「私も入っていいかしら?」
気を利かせて廊下で待っていたエルーナから、静かな声が届く。マイコールがうなずいた。
「バルカンさん。はじめまして」
「え……」
エルーナが一歩入ると、バルカンの息を飲む音が聞こえた。
前で重なった白い布が、歩みに合わせてやわらかく揺れた。閉じていた重なりがほんの少しだけずれ、内側の薄布越しに膝下の白い脚線がのぞく。
木の床を踏む素足が、静かに現れては隠れた。足音はほとんどしない。
バルカンの喉が、ごくりと鳴る。
「……」
視線が、揺れる裾から、ゆっくりと上へ。
鼻の下が、じわりと伸びた。
「お、おう……。は、はじめまして……」
明らかに調子が違うバルカンを、リアノンがじっと見つめた。
「バルバルの顔……、ゆるゆる」
その言葉に、エルーナは一瞬だけ目を瞬かせた。
ほんのわずか、間。
けれど次の瞬間には、いつもの穏やかな微笑みに戻っている。
「そういう顔をされるのは、あまり慣れていないのだけれど」
「あっ、すまねえっ!」
「森では、精霊しか見てくれないものだから」
声音はやわらかい。からかいも、怒りもない。ただ、静かに受け流す。
バルカンがごほんと咳払いをする。
「……それで、アニキ。こんなに集まって、どうしたんだ?」
◇
木の家は静かだった。先ほどまでの空気が、嘘みたいに落ち着いている。
エルーナに連れられて、マイコールたちは廊下を進む。やがて、ひとつの扉の前でエルーナが足を止めた。
エルーナに連れられて、マイコールたちがたどり着いた扉。
「ここね」
エルーナのしなやかな指が、ドアノブに触れた。
「ここにクモの魔物⋯⋯。ネイチュラがいるってのか?」
バルカンの問いかけに、エルーナが「ええ」と声を添えながら頷いた。
――家から出られなくなったネイチュラを、森で生きられるように手伝って欲しい。
そう頼まれたことは、二人に伝えてある。
「どーして、部屋から出られなくなっちまったのかなあ」
「はっきりとは分からないのだけれど……」
マイコールの問いかけに、エルーナが口元に手を添えわずかに目を伏せる。
「私が見つけた時……、全身が糸にまみれていて動けなくなっていて……、周囲に気配はなかった……と思うわ」
「糸まみれ、かあ」
マイコールはヒゲを撫でる。
糸から想像されるのは、やっぱりクモ系の魔物だ。
ネイチュラは弱い。E級冒険者でも倒せるほどだ。
森で見かけた別種のクモ系というと、ビッグスパイダーやポイズンタラン。それらに襲われたのなら、そのままエサにされる方が自然だ。
でも、そうはならなかった。
生きている。
「たとえば、同じ種類の魔物にやられた……、とかな」
「ネイチュラたちの喧嘩?」
マイコールのつぶやきに、リアノンが不思議そうに問い返してくる。
「同じ魔物で戦うの?」
「縄張り争いなんて普通だろ。グレイウルフだって、人間だってやる」
マイコールの声は淡々としている。けれど、視線は扉の向こうへ向いたままだった。
小さな気配は確かにある。
でも、逃げようと動く音はなくて、息を殺して身を潜めているようだ。
「開けるわね」
なるべく音を立てないようにゆっくりと、エルーナが扉を開けた。
書物の香りがふわりとマイコールの鼻をくすぐった。
幾段にも重なる棚が列となっており、数々の書物が行儀よく並べられていた。親子は似るところがあるというが、ここでの持ち主と本も同じような関係かもしれない。
「ぐおぉぉ、なんじゃこの本の量はっ。頭が痛くなりそうだぜ」
バルカンがツルッと頭を抱えて悶えている。
「たくさんの本……。あ、これ面白そう。『黄金のネコとちいさな王さま』だって。マイコー、読んで」
「もちろんだぞ」
そんなやりとりもありつつ、エルーナに導かれ部屋の隅まで足を踏み入れた。
「いつもあの辺りに……。ああ、いたわ。その棚の陰のところに……」
息をひそめて告げるエルーナが、指先でそっと方向を示した。
薄暗い場所に、雪のかたまりのようなものがあった。リアノンの両手で支えられそうな大きさだ。でも、それが真っ白な毛並みなのだと気づく。
「あれがネイチュラ? あんな目立つ色じゃなくねえか?」
バルカンの言うとおりだった。
本来のネイチュラは、サイズがもう一回りぐらい大きく、色は黒に近い灰色をしている。森の影に溶け込む色だ。
だが、あそこにいるのはやけに白い。森にいれば見つけてくれと、言わんばかりだ。
ネイチュラは身じろぎ一つしない。眠っているのか、それとも動けないのか。
「マイコー、……どうする?」
ひそひそとリアノンが尋ねてくる。
「そうだなあ……。どうすっかなあ……」
「簡単じゃねえか。連れ出すなら、かついで行きゃいいだけだろ?」
「むぅ……、バカバル。そういうことじゃない。無理やりしたら、おしおき案件」
リアノンは口を尖らせ、不満そうに抗議した。
「ば、バカバル……」
「今のはちょっとなあ……」
困ったように眉根をよせて、マイコールは苦笑いする。
「とりあえず……、なるべく腰を落としてから、もう少し近づいてみるか」
「安心させながら、だね」
「んで、あったかい雰囲気で声を掛ける。どうだ?」
今までの経験上、やわらかい言葉掛けは、その空気ごと魔物に伝わることがある。グレイウルフの時と同じだ。
「うん」
リアノンが小さくうなずく。
マイコールはゆっくりと膝を曲げた。背を丸め、視線を低くする。敵意を見せない姿勢。リアノンも並ぶように腰を落とした。
マイコールとリアノンはそっと歩みを寄せる。
次の瞬間、白い塊が勢いよく振り返った。影の中でも存在感のある、大きな黒い瞳。
「ひゃっ!?」
リアノンは思わず小さな悲鳴をあげ、マイコールに抱きついた。
首が絞まったマイコールは『ぐえっ』と潰れたような声を漏らす。
そんな二人の反応に驚いて、ネイチュラがビクリと体を震わせると、慌てて棚裏へと逃げ込んでしまった。
「にゃー……、やっちまった」
マイコールは耳の後ろをかりかりと掻いた。
◇
それからというもの、読書部屋に通い続けるマイコールだったが、怯えられてしまい、どうにも上手くいかない事が続いていた。
エルーナが食事を持っていくと姿は見せないものの、あとでみると皿はからっぽになってる。
だけど、マイコールが代わりに運ぶと、口をつけてすらくれない。
ネイチュラのいそうな場所まで向かってみるが、挨拶も許されない。マイコールを見るや、するりと影へと逃げ込んでしまう。
ためしに読書部屋で仰向けに寝転んでみた。
両手両足を投げ出し、完全無防備。
これならどうだと、意気込んだのだが。
結果は完敗だった。近づいてくる気配はまったくなかった。
リアノンも読書部屋に通い続けている。
驚かせたことを謝りたいと言っていた。
だけども、会えない日々が続き、少し気持ちが沈んでいるようだった。
「前のめりすぎんのかな……」
焦って近づこうとしても、逃げられる。良かれと思って動くほどに、距離は広がっていく。
それは人間も魔物も一緒なのかもしれない。
リアノンと相談して、今日は休憩を挟むことに決めたのだった。




