第十話 依頼
リアノンはエルーナに手を引かれ、浴室へ消えていった。
残されたマイコールは、脱衣所の前でひとつ伸びをしてから、家の中を見回した。
木造の家。
だが、その出来は異様だった。
必要な部屋はすべて揃い、どこも手入れが行き届いている。
古さを感じさせないのに、どこか人の手を離れたような静けさがある。
作り方を尋ねたとき、エルーナはただ微笑んで「秘密よ」と言った。
「お茶にでもしましょうか」
マイコールは小さく頷いた。
エルーナに誘われ、マイコールは居間へ通された。
暖炉も家具も、すべてが丁寧に整えられている。
木の温もりがあるのに、どこか隙がない。
マイコールは椅子に腰を下ろした。
「温かい紅茶でもいいかしら?」
「大丈夫だぞ。ただ、アツアツは勘弁な」
「それなら……、人肌より少し温かいぐらいは、どうかしら?」
「好みの温度だぞ。よろしく頼む」
エルーナは小さくうなずき、白いポットに茶葉を入れる。
マイコールはきょろきょろと見回した。
水も火も見当たらない。
どうするつもりだろうか。
エルーナは宙に手を添え、静かに呼びかけた。
「水の精霊さん。清らかな水をお願い」
何もない空間がわずかに揺らぎ、水の球がふわりと生まれた。迷うことなく自らポットへと滑り込んだ。
「にゃんと! 精霊術かっ、こりゃめずらしいな」
「火の精霊さん、温もりをわけて」
「にゃ? 二つの精霊と仲良しなのか? しかも水と火って……」
ポットの底に小さな赤い光が宿った。じんわりと温もりが広がっていく。
マイコールは顎に肉球を添えて、首を傾げる。
精霊使い。
それだけでも珍しいのに。
魔術師だろうと、精霊使いだろうと、相性の良くない属性はやりにくさがある。
特に精霊は意思があるから、難しいとのこと。
火と水の精霊が喧嘩して、災害が起きたなんて話もあるくらいだ。
それなのに――
エルーナの周りでは、争うような気配がまるでない。
「……魅了か? ⋯⋯さすがに、精霊には効かねえか?」
マイコールは顎に肉球を当てたまま、うにゃうにゃと呟く。
「どうしたのかしら?」
「いや、エルーナって精霊使いなんだろ? だけど、水と火って、相性が良くねえはずなのになって……」
「……私も、よくわからないのだけれど。ただ⋯⋯、庭であなたから聞かせてもらった話で、少し思うところがあるわ」
エルーナがぽつりと呟く。
「昔、地の大精霊様にお会いしたことがあるのだけれど……」
「大精霊にも会ったのかあ。すげーなあ」
「その方が言っていたのよ」
エルーナは、赤く灯るポットの底を静かに見つめた。
「精霊にまで届く匂いが、私にはあるって」
マイコールの尻尾が、ぴたりと止まる。
「届く?」
「当時は、意味が分からなかったわ。でも……さっき、あなたが言ったでしょう? 心の隙間の話……」
――心の隙間がでっかいほど、効きやすいんだぞ。
エルーナはゆっくりと息を吐く。
「精霊にも、匂いは届くのだと思うわ。ただ……」
視線を上げる。
「精霊には迷いも、欲もない。隙間が、ない」
ポットの中で水が柔らかく揺れる。
「だから、心を奪うことはできない。でも……、側にいたくなる」
「……なるほどな。奪うんじゃねえ。寄ってくるだけか」
「もしかしたら、ね」
エルーナは、ふわりと微笑んだ。
「水の精霊さん、茶葉を優しく揺らして……、火の精霊さん、熱を少し沈めて……」
エルーナがポットに手を添えて、白いカップに紅茶を注いだ。
「精霊って、その辺にたくさんいんのか?」
「そうね。仲良く遊び回ってるわよ。あなたの尻尾も、つついてるわ」
「うにゃ!?」
尻尾をビクリと跳ねさせ、思わず抱え込む。
「ずっと見えてたら、ちょっと落ち着かなそうだなあ」
「そうでもないわ。今はハッキリ見えてるけど、感じるのを抑えることもできるの」
「そーなのかあ」
マイコールは紅茶に口をつけた。
「にゃふう……、美味いなあ……」
熱いものが苦手なマイコールでも、心地よい温かさだった。
「それでマイコールさんは、どのようなところを旅してきたのかしら?」
マイコールは入れずの森に入ってからの出来事を、身振り手振りを交えながら語っていく。
エルーナは相槌は控えめで、こちらの話を遮らない。話そのものを、大切に受け取ってくれているのが分かる。
「グレイウルフの住処まで行って……、一匹も殺さないどころか、仲良くなれるなんて……」
エルーナの瞳が不意に揺れる。
「とても興味深かったわ。ありがとう。
「マイコールさんは紅茶のおかわりはいるかしら?」
「もらえると嬉しいぞ」
「わかったわ。せっかくだし紅茶に合うお菓子も用意しましょうか」
エルーナが籠の一つを持って、戻ってきた。
「うにゃにゃ!? これ、すっげえウマいなあ!」
「花の蜜を練りこんだビスケットなの」
「もぐもぐ……、お店が開けるぞ、これ」
肉球についたかけらをペロっと舐め、紅茶に口を付けた。
一息ついたところでマイコールは目を上げた。エルーナは籠を戻し、向かいに腰を下ろした。
家の中は静かだ。
――エルーナなら、聞いてみてもいいかもしれない。
「……ちょっといいか?」
「なにかしら?」
エルーナは穏やかなまま、視線を向ける。
マイコールは、わずかにもごもごと口を動かした。
「不老不死について……」
その言葉に、狐耳がぴくりと動いた。
ほんの一瞬。
それだけだった。
「なにか聞いたことはないか?」
静かな部屋に、問いが落ちる。
わずかな間があった。
「……マイコールさんは、不老不死を望んでいるのかしら?」
「そ、そうじゃねえんだ。ただ、伝承を知りたくて……。長く生きてきたエルーナなら、何か知ってんじゃねえかと思ってさ……」
「……そう」
声は柔らかい。けれど、その眼差しはわずかに深い。
エルーナはカップを持ち上げる。
わずかに遅れて、口をつけた。
「マイコールさんのお役に立つかわからないけれど、私が聞いた話でよければお話するのは構わないわ」
カップがソーサーに戻る。
小さな音が、やけに響いた。
「ほ、ほんとか?」
「ただ、一つだけお願いを聞いて欲しいの」
「お願い……?」
その言葉に、マイコールの尻尾がわずかに強張る。
「魔物の子を……、育ててもらえないかしら」
「そりゃ、なんというか……」
言葉が、喉で引っ掛かる。
「大変なことをお願いしているのは、わかっているわ……。私には、出来なかった。でも……」
エルーナの指先が、膝の上で静かに絡む。白い布地に、わずかな皺が寄った。
「グレイウルフと仲良くなれた、あなたなら……」
言葉が落ちたあと、部屋の中はしんと静まった。湯気はゆらゆらと揺れているのに、時間だけが止まったみたいだった。
マイコールは視線を上げた。
そこにはエルーナがいる。
わずかにうつむいた視線の先に、絡めたままの指先がある。
ほどけきらないそれが、わずかに白ばんでいた。
ほんの一瞬、マイコールの尻尾が揺れた。
「……わかった。受けるぞ」
「ありがとう」
それだけを伝えた。
エルーナの絡んでいた指先がほどけ、膝の上で静かに重なった。
「……本当に、ありがとう」
声は変わらない。穏やかなまま。けれど、紅茶の湯気の向こうで、目元がわずかに柔らいでいた。
そんなところへタイミングよく、リアノンが髪を拭きながら現れた。珍しいことに、わずかばかり興奮している。
「マイコー、すごいよ。わたしの髪、とっても素敵な香りがする」
「甘い果物のような香りだなあ」
強すぎない香りは、鼻にも優しいものだった。洗った髪からこのような匂いがするなんて、マイコールは初めての体験だった。
「リアノンちゃん、こっちへいらっしゃい。髪を乾かしてあげるわ」
「髪を乾かす? タオルで拭いてるよ?」
「あまり強く拭いてはダメなの。髪が傷んでしまうわ」
リアノンは一瞬ためらい、タオルを胸元で握りしめた。
「えっと……、うん。お願いできる?」
リアノンを椅子に座らせ、エルーナは彼女の背後にそっと回った。
「風の精霊さん、優しい風をお願いね」
風がリアノンの髪を揺らす。あわせてリアノンの髪を撫でるように、タオルで水気を拭っていく。髪の水気はみるみるうちに消えていき、
「できたわよ」
エルーナがタオルを外すと、リアノンの白銀の髪がふわりと揺れた。
「すごい……、ふわふわになった」
リアノンが自分の髪を触っている。
「気に入ってもらえたのなら嬉しいわ。手作りの洗尾剤がリアノンちゃんの髪に合ったみたいね」
「手作り?」
「ええ、髪や尻尾に合わせて作っているの」
「尻尾⋯⋯」
リアノンの視線が、すっとエルーナの尻尾へ吸い寄せられていく。
そんなリアノンに、エルーナは微笑みかけた。
「触ってみる?」
「⋯⋯うん」
リアノンが恐る恐る尻尾に触れた瞬間――
「なに……、このふわふわ……。わたしの手を包む……」
リアノンの手が止まらない。
「リアノンのそんな顔……、オイラ、見たことねえぞ……」
リアノンはエルーナの尻尾を愛おしむように触れ続けている。
これはさすがに放っておけない!
「お、おい、リア! こっちにオイラのモフモフがあるぞっ!」
リアノンはちらりと見てきた。
……が、その手はエルーナの尻尾から離れない。
マイコールはリアノンに飛びき、モフモフを押し付ける。
「オイラのモフモフ……、エルーナのふわふわ……。リアはどっちがいいんだ?」
「……」
「リアっ!?」
「……ごめん、マイコー。わたしはフワモフに関して……、ウソはつけない……」
リアノンの口からこぼれてきたのは、
「エルーナさんの、ふわふわ……」
マイコールはリアノンの身体からぽろりと剥がれ落ちた。
「マイコーのもふもふ大好き」と優しく囁き、身体を抱きしめてくれた彼女は、もういないのだ。素敵なふわふわが、これからリアノンを癒していく。
ならば、自分のモフの意味とは……。
「う、う、う、うにゃーん! オイラ、もういらない子なんだ~」
「あっ! マイコー、待って!」
マイコールは部屋の外へ飛び出した。追いつけないと知りながらも、リアノンは部屋を飛び出していく。
「ふふ……、可愛いわね」
残されたエルーナが温かい眼差しで、二人が向かった方を眺めていた。




