私を不良品と言って捨てたあなたへ、今更縋り付いてきても応えられません
「お前みたいな不良品、いらないんだよ!」
私なりに、婚約者として頑張ってきたつもりだった。
礼儀作法も、社交も頑張り、令嬢としての嗜みを身につけて。
刺繍だって一生懸命作って贈ったりもしたのだ。
学園での課題がわからないと言われれば代わりに課題をこなし、親に任せられた領の税務処理ができないと言われれば、四苦八苦して調べながら私がやった。
だけど、それらの努力は全て無意味だった。
婚約者のエリック様にしなだれかかる男爵令嬢の姿を見る。
私と違って、豊満な体。垂れ目がちなその面差しには、涙ぼくろがあって色気を醸し出している。
「エリザベス。君のようなつまらない女にはもううんざりだ。さっさと消え失せてもらおうか」
冷たい声音で打つように言いつけられて、俯く。
「はい。わかりました」
相手は侯爵令息。私は伯爵令嬢。
逆らえる立場にはない。
それからの私は、学園で針の筵だった。
婚約者に捨てられた惨めな令嬢。
傷モノの伯爵令嬢に、引き取り手なんて現れるわけがない。
そんな噂を口々に囁かれた。元来大人しい性格の私には、人々の嘲弄の眼差しに、俯くことしかできなかった。
だから、そんな私に新たな婚約話が舞い込んできたのは、奇跡と言ってもいいだろう。
「北の辺境伯様、ですか……」
紛争の多いその地帯を収めているのは、若き英傑。
父親を毒殺してその座に収まったと噂されている、血の辺境伯だった。
「でも、どうして私が……」
父に問いかけると、父は難しい顔で腕を組んだ。
「さぁな。それはわからん。だが、少なくとも辺境伯様はお前を花嫁にと望んでおられる。我が家としても北の辺境伯家と繋がりは欲しい。嫁いでくれるな?」
父は問いかけるが、それは実質命令のようなものだった。貴族の令嬢にとって、家のための婚姻を断るだなんてことは考えるべくもない。
そういう意味では、私と婚約破棄を望んだエリック様は貴族失格とも言えた。
それから、あれよあれよという間に婚姻の準備は進み、学園を卒業した頃。
北へと輿入れする日が来た。
結婚式当日になるまで、私は旦那様になる方の顔も知らない。
馬車でひたすら北へ北へと向かっていく。
景色は豊な草花の生い茂る地域から、冷たい岩場の目立つ様子に変わっていった。
俊彦な山々に囲まれている街道を進み、たどり着いたのは堅牢な城塞都市である。
小高い丘に聳え立つ城へと馬車は向かっていき、出迎えの使用人たちが並んでいる門へと入っていく。
城の中へと案内され、大きな広間に、質実ながらも貴族らしい気品のある装束を身に纏った男性が入ってきた。
「あなたがエリザベス・ロゼモンか。歓迎しよう。ここがノルトヴァルトの城。私が城主のヴォルフガング・ノルトヴァルトだ」
「お、お初にお目にかかります。ロゼモン伯爵家が一女、エリザベス・ロゼモンと申します。辺境伯様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
「堅苦しい挨拶はいい。この街は度々紛争に巻き込まれるゆえ、みな効率主義なんだ。貴族らしい華美さなどはこの城では不要だ」
「は、はい」
バッサリと切り捨てられ、戸惑う。
ヴォルフガング様はいかめしい顔立ちで、言っている内容も実利主義といった様子で、なかなか貴族社会で育った私には慣れない。
「さあ、明後日は婚姻の宴だ。旅装を解き、支度をするがいい。侍女たちも連れてきているのだろうが、私の方でも手伝いの使用人をつけよう」
「ありがとうございます」
侍女に案内されて与えられた部屋は、想像していたよりも立派なものだった。
装飾は確かに控えめだが、家具は丁寧に作られており、暖炉にはすでに火が入れられている。窓からは城下町と、その向こうに広がる雪を被った山々が見えていた。
「お嬢様、お疲れでしょう。お風呂の準備をいたしますわ」
実家から連れてきた侍女のアニーが声をかけてくれる。
「ありがとう、アニー」
私は窓辺に立ち、城下町を眺めた。
通りには商人が行き交い、大通りには屋台が連なっている。王都のような華美さはないけれど、街には活気があった。
「お嬢様、お風呂のご用意ができました」
「ええ、今行くわ」
北の辺境伯領の浴場は、蒸し風呂形式だった。湯気で真っ白になっている浴場に入ると、旅で強張った体がほどけていく。
明後日は婚姻の宴だ。
粗相をしないように気をつけなければ。
翌日は旅の疲れをゆっくりと癒して、翌々日。
その日は朝から戦場だった。
「お嬢様、こちらのドレスにお袖をお通しください」
アニーが持ち出してきたのは、白く美しいドレスだった。王都のように華やかなレースやビーズなどはついていないけれど、絹糸で銀糸の刺繍が所狭しと並んでおり、その模様が光を反射して美しい。
北部らしい、質実なデザインだった。
全身を磨き上げられ、飾り立てられると、城の広間へと降りていく。広間の前には、ヴォルフガング様が盛装に身を包み待っていた。
ヴォルフガング様はいかめしいけれどもよく整った顔立ちをしていて、華やかな装いをしていると精悍な美丈夫に見える。
この方が私の旦那様になるのだと思うと、少し気恥ずかしいような気がした。
「エリザベス、よく似合っている。そうだ、このブローチを……」
そう言ってヴォルフガング様が懐から取り出したのは、美しい銀のブローチだった。意匠は勇猛な狼。ノルトヴァルト家の紋章だろう。
「渡すのを忘れていた。このブローチはノルトヴァルト家に迎え入れられるものが身につけるのだ。胸元へつけるといい」
「ありがとうございます。頂戴いたします」
そっと両手で受け取った銀のブローチは、ノルトヴァルト家の歴史を感じさせる重さだった。胸元にブローチをつけると、自然と背筋が伸びる。
かつて、エリック様の婚約者だった頃——。
いつも私は背を丸めて、俯きながらエリック様のご機嫌を伺っていた。
けれど、ヴォルフガング様の隣にいると、なぜか私もしゃんと背筋を伸ばさなければという気分になる。それは、ヴォルフガング様の持つ独特の精悍な雰囲気がもたらすものかも知れなかった。
「さあ、広間に入ろう。来客を迎え入れなければ」
「はい、ヴォルフガング様」
「ヴォルフ、と呼べ」
愛称で呼ぶようにと言われて、戸惑いつつも「ヴォルフ様」と呼びかけると、ヴォルフ様は満足げに頷かれた。
それからは、音楽と豪勢な食事とで来客をもてなす時間だった。
広間にはこの北部の有力者たちや、近在の領の貴族たちが集まり、陽気に語り合いながら食事に舌鼓を打っている。
王都の厳かな婚儀と比べたら、ともすれば野蛮とも言われそうな様相だけれど、私はこの北部流の結婚式が気に入った。
客たちに随分と酔いが回った頃、誓いの儀式が行われることになった。契りの杯を、互いに交わすのだ。
神父によって葡萄酒の注がれた杯がヴォルフ様の手に渡り、一口、喉仏がゆっくりと上下して飲み込まれる。
ヴォルフ様はふ、と微笑みながら杯を渡してきた。この杯に口をつければ、婚姻成立だ。
私は緊張しながらも、葡萄酒を口に含んだ。慣れない酒精で咳き込みそうになりながらも、それをなんとか堪えて飲み込む。
「契りはなされた!」
神父の宣言によって、広間に歓声が上がる。
それから、人並みがサッと左右に割れ、出口までの道ができた。
この道を歩いて渡り、初夜の部屋まで二人で行くのだ。
道を歩いていく間、来客たちからは葡萄酒をかけられたり、口笛を吹かれたりする。ドレスが汚れてもったいないけれど、この北部では貴重な葡萄酒で初夜を行う乙女を浄化するというのが慣習なのだそう。
夫婦の寝室に行くと、一旦私は控えの間に案内され、汚れたドレスを侍女の手によってサッと脱がされる。そして、レースの透かし編みの入った寝巻きへと着替えた。
ひどく心許ない装束に不安を覚えながらも、私は寝室で待つヴォルフ様の元へ向かった。
「お、お待たせしました」
葡萄酒で汚れたジャケットを脱いだヴォルフ様は、シャツ越しに鍛え抜かれた体が浮かび上がっていて、とても緊張する。
「ああ」
ヴォルフ様は、何か悩ましげに虚空を見つめていた。
「ヴォルフ様?」
初夜を覚悟していたのに、何も起こらず戸惑う。
すると、ヴォルフ様はベッドに腰かけたまま、ゆっくりとこちらを向いた。
「エリザベス、なぜ私の求婚を受け入れた? 私が恐ろしくはないのか?」
低い声で問いかけられる。その質問の意図がつかめず、私は頭を捻った。
「恐ろしい? ……えっと、私は、婚約破棄されてからずっと学園の笑い物で、新しい婚約相手も見つからず困っていました。そんなところへヴォルフ様からの求婚の声が届いて……。感謝しかありません」
「だが、私は父を毒殺した男だぞ」
「その噂、本当だったんですか?」
北部なんて、王都からしたら蛮族だのなんだのと好き勝手な噂の対象だった。熊を素手で殺して食べる人がいるとか、鹿に乗って渓谷を渡る人がいるとか。ヴォルフ様の父を毒殺したという噂も、その一環だと思っていたのだけれど。
「そうだ。……言い訳をするようだが、父はろくでなしでな。領民に美しい女を見つけると、攫ってきて嬲り殺しにするような人だった。私の母も、父に拐かされてきた内の一人だった。父の凶行を止めるためには、殺すしかなかったんだ」
「そんなことが……」
北部は恐ろしいところだと聞いていた。その噂の源は、ヴォルフ様のお父様にあるのかもしれない。
「それは……、辛かったですね」
私は実の父親を殺さざるを得なかったヴォルフ様の気持ちを想像して、涙ぐむ。
「私のために泣いてくれるのか、エリザベス」
「だ、だって……」
「……ありがとう」
ヴォルフ様は、優しく私を抱きしめた。
その夜から、私とヴォルフ様の距離は急速に縮まった。
北部での暮らしは、自然環境こそ厳しいけれど、その分人々が支え合っていて温かい。
勇猛に狩りに出ていくヴォルフ様を見送り、領主としての執務を手伝えるように私は城で勉強をする。
寒い冬の夜には暖炉で爆ぜる火を見ながら温めた葡萄酒を片手に語りあい、国境で小さな紛争が起きてヴォルフ様が出陣するとなれば、無事に帰還してくれるよう刺繍をして見送った。
長い冬を越え、雪解けとともに春の芽吹きを迎える頃——。
ノルトヴァルトの城に、エリック様が現れた。
使用人から客人の訪れを告げられて、私は戸惑う。
ヴォルフ様は、雪解けに伴って山道が荒れていないか、視察に赴かれている。
私が一人で対応しなければならない。
「エリック様が、どうして……」
客人を迎える広間にお通しして、私はお茶を用意した使用人とともにエリック様の元へ向かう。
「お待たせいたしました。エリック様。お茶のご用意をしてありますのでお召し上がりください」
「ふん。随分と陰気臭い城だな」
「住めば良い所ですよ」
傲岸に言い放つエリック様に対して、なるべく穏やかに、けれど毅然として言い返す。
エリック様に言い返すだなんて、婚約者だった頃は考えられなかった。お強いヴォルフ様と一緒に過ごす中で、私も彼の強さを少しでも身につけられたのだろうか。
「ところで、どういうご用件でございましょうか?」
エリック様にお茶菓子を勧めつつ、穏やかに急かす。できれば早く用件を言って帰って欲しい。元婚約者を夫との城に迎えるのは、あまりいい気分ではなかった。
「戻ってこい。エリザベス」
「はい?」
「うむ。いい返事だ。では一緒に王都へ帰るぞ」
そっちの「はい」じゃない。
私は慌てて聞き返す。
「肯定などしておりません。戻ってこいとはどういう意味ですか」
「なに。お前は地味でつまらない女だが、何事も俺の言いなりになり、執務などもこなせる女は中々他にいなくてな。この際傷物でもいい。引き取ってやる。こんな北部の野蛮な街で生活するのは疲れたろう。俺が王都へ連れ返してやる」
な、なにを言っているんだろう。この人は……。
私が絶句しているのを肯定と受け取ってか、エリック様はテーブルを回ってこちらに近づき、私の腕を引っ張る。
「お、おやめくださいエリック様。私はヴォルフ様の妻です。今更離婚してエリック様の元になど行けません」
「傷物でも受け入れてやると言っているだろう」
どうしよう。この人、私の言葉がまるで通じないみたい。
いや、私の言い方が悪いのか。いつもエリック様の顔色を伺って過ごしていた弊害が出ている。
「行けません」じゃだめなんだ、「行きたくない」と伝えないと。
「私は! ヴォルフ様をお慕いしています! ヴォルフ様以外に夫にしたい殿方はおりません。だから、エリック様にもついて行きたくありません!」
私は、普段は出さない大声を出して、エリック様の腕を振り払った。
「なんだと! 生意気な!」
「きゃ」
エリック様は腕を振り上げる。その腕が強かに私を打ち据えようとしたその瞬間——。
足早に広間に入ってきたヴォルフ様が、その腕を掴んだ。
「これはどういうことかな。エリック・シュナイダー殿」
低い声で、唸るように言う。ヴォルフ様はエリック様よりも頭ひとつ分身長が高く、横幅もずっと大きい。たくましい腕はエリック様が振り解こうとしてもびくともせず、エリック様は顔を青褪めさせた。
「こ、これは……。だって、お前がエリザベスを奪い取るから!」
「奪い取る? なにを言う。エリザベスは物じゃない。それに、婚約破棄をしたのはあなたからだろう」
冷たい声で、ヴォルフ様はエリック様の言葉を切り捨てた。
「まぁ、いい。あなたはエリザベスを口説きにきたんじゃない。「遊学」にいらした。そう言うことでよろしいな。あなたは少し見聞を広める必要がありそうだ。私に任せてもらおうか」
ヴォルフ様は脅すように低い声で囁くと、有無を言わさずエリック様の腕を掴んで部屋の外へ引きずっていった。
それから三日間、ヴォルフ様は城へ帰ってこなかった。
「だ、大丈夫でしたか? ヴォルフ様」
ヴォルフ様が帰ってきた日、心配でヤキモキしていた私は、感極まって抱きついてしまった。
「待たせたな、エリザベス。エリック・シュナイダーのことは然るべき対応を取ったので安心するといい」
「は、はい」
ヴォルフ様がなにをしたのかはわからない。
ただ、後に王都の方から、「エリック・シュナイダーが酷く怯えた様子で廃人のようになって帰ってきた」という噂が聞こえてきた。
ただ、なにをしたにせよ、私はヴォルフ様を信じて着いていくだけである。d
お読みいただきありがとうございます!
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またたくさん短編も書いているので、そちらもお楽しみいただけたら幸いです。




