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四、覚醒者

 さっきからずっと現実離れしたことが起きていて、状況を飲み込めないでいる。だけどようやく、涙が止まってハッキリと色々なものが見えてきた。

 視界がクリアになると、目の前の事実がまた、夢の中なのではないかと思わせるけれど。


 殴られた痛みが、おなかと頬にジンジンと残っている。そのしつこい痛みは、現実離れした状況の中でもパニックにならないように、ある種の落ち着きを保つという大役をこなしてくれているらしい。

 私はまだ、なんとか冷静さを保っている。


 白い龍と、それを操る少女。彼女たちに、小隊のクズ男どもが一瞬で殺された。結果として、私の純潔を守ってもらった。

 だけど会話に失敗して、私も殺すのだと言われた。そこに、あの蘆名あしな直彦という彼が乱入して助けてくれた。

 今度こそ、助かったと思いたいけれど……。


 少女の見た目は、中学生くらいに見える。蘆名直彦と話している横姿をよく見ると、ショートカットだと思っていた髪は後ろに束ねていたようだ。黒髪にはツヤがあるから、細い体に反して栄養は取れているのだろう。けれど、着ているものは蘆名直彦のマントと同じくらい、ボロボロのワンピースだ。元から茶色なのか、汚れてそう見えるのかが分からないほどの。


 ただ、少し離れた横顔からでも分かる美貌は、幼さを残す容姿と相まって、寒気すら覚える。特にその黒い大きな瞳には、否応なしに引き付けられてしまう。魔力がそこに集束しているような――。


「なおひこ。アナタはいい人だから、シロに攻撃したことを許してあげる」

 小さく動いているその薄い唇は、淡い朱色で白い肌を際立たせ、そしてまた唇にも目が行く。色気を、少女とは思えない妙な魅力を宿した子だ。

「おお、それは光栄だ! だが謝らせてくれ。誤解とはいえ、突然攻撃してすまなった」


「なおひこは、礼儀正しい。良かったわね。シロも許してあげるって」

「ありがとう。キミのことを、ユカちゃんと呼んでも構わないかな? ユカちゃんはシロの言葉が分かるんだね」


 美しいユカという少女は龍の頭に乗ったままで、蘆名直彦という男は浮いたまま、どうやら普通に話をしている。

 得体の知れない魔物使いと素性の分からない男が、この状況に全く動じずに自己紹介をしているだなんて。やっぱり、私の頭はおかしくなっていて、夢でも見ているのかもしれない。


 そして目が覚めたら、あの龍に食べられている途中とか……もっと最悪なのは、小隊の男どもに嬲られている最中の、現実逃避だったり。

 どちらも嫌だけど、後者の方が絶対に嫌だ。それなら死んだ方がいい。


「ええ。この子は賢いの。でも、なおひことお話する時間はおしまい。わタしは、あの女を殺さないといけないから」

「まーまぁまあ! それはほら、少し考え直してみよう。どうしてあの人を殺すことになったんだい?」


「あの女は、わタしにうそをついたの。わタしのゴハンになる約束なのに、逃げようとした」

「おお、そうだったのか。それはいけないね。でも、あの人の事情も聞いてみようじゃないか。な、そうしよう」


「……結果は変わらない。でも、なおひこがそうしたいなら、少し待ってもいい」

「そうか! ならまずは、あの人の名前を聞こうじゃないか。君! 名は何と言う!」


 唐突に話をふられた。

 でもそのお陰で、嫌な予想はただの妄想だったのだと、改めて気付かされた。

 ただ、非現実的なこの状況の方が、幾分マシなのだろうかと思うも納得がいかないけれど。この少女に命を狙われているという現実も、無くなってくれればいいのに。


「えっと、無谷なしたに優香ゆうかです」

「ナシタニさんか。僕は蘆名あしな直彦なおひこという。剣の修行をしていて、偶然通り掛かった。それで、なぜ君のように可憐な女の子が、こんなところに一人で居るんだ?」


 この人は、私を助けてくれるんだろうか。

 でも、あのユカという子と仲良さげに話していることを考えると、勝手にそうだと信じるのは危うい気がする。あの子と同じように、急に手の平を返して「殺す」と言われるかもしれない。

 そもそも、あの小隊に、してやられたばかりなのだから。


「……仲間だと思っていた男どもに、裏切られて襲われたの」

「そう。それで死んでいたら、わタしのゴハンになるところだった。でも、うっかり早く来てしまったの。この女が生きていたら、わタしのゴハンにならない」


「ということは、ユカちゃんのゴハンにするために殺すのかい? さっきは、嘘をついたからと言っていなかったか?」

「それは、せつめいがむつかしい。でも、あの女はうそをついたの。それは本当」


 ……この少女、どうにか言いくるめられそうな思考テンポなのに、いきなり核心を突いて来るから厄介だ。

 もしかすると、このユカという少女は彼のことも殺す気で、あえてこういう感じで話しているのだろうか。


「ふむ。ところで君たちは、名前がすごく似ているね! ユウカとユカ。まるで姉妹のようじゃないか!」

 ――は?

 この男は、突然何を言い出すのか。


「……うん、似ている。似ていると、姉妹になるの? わタしは、お姉様が居る。それと同じ?」

「そのお姉様と同じかは分からないけどね。姉妹になるのは、とてもいい事だと思わないか?」


「でも、ゴハンを探してここに来たの。ゴハンは大切だから」

「ユカちゃんのゴハンというのは、絶望して苦しんでいる魂のことじゃないのか? それならほら、あそこに居るじゃないか」

 ――この男、ほんとに何を言って……。


「あ。ほんとうだ。そっか、このゴハンだったんだ。わタしが感じ取ったのは、これだと思う。だって、生きていたら分からないもの。なおひこ、ありがとう」

 話についていけない。


 でも、あの子がそれで納得してくれたら、私は見逃してもらえるかしら。

 いや、そうか……。

 あの小隊が、以前同じ目に遭わせて殺した女性の魂だ。それが、そこに漂っていたということか。同じ場所に、私を連れて来たようだし。


 ……どういう神経をしていたら、直近で人を殺した場所で同じことをしようとするのだろう。まともじゃない。人の形をしただけの、魔物と同じか、それ以下の奴らだった。


 ――と、どうにかこの人たちに話を合わせて思考するしか、状況を理解しきれない。

 ここには、その殺された女性の、苦しんでいる魂がある――居る――のだろう。私は、その魂と混同されて、ユカという少女に食べるだの殺すだのと言われていた。

 そういう話で合っているだろうか。


「それじゃあユカちゃん。この人はもう、解放してあげてもいいんじゃないかな?」

「待って。今すぐわタしのゴハンだから。さぁ……酷い目にあって絶望したままの魂さん。わタしとひとつになって、その報われない想いを吐きだしなさい。アナタの無念は、わタしが晴らしてあげる……」


 少女は両手で何かを迎えるような仕草をし、そして急に大人びた雰囲気でひとり言を言うと、その手で何かを包み込んだ。

 私には何も見えないけれど……その何かに、そっとキスをした。

 その瞬間、私にも何かが光り輝いたように見えた。


 ――幻覚?

 でも、妙に胸が苦しくなって、不意に涙がこぼれ落ちていく。

 ――胸が痛い。

 心臓を素手で握られているかのような、耐え難い痛み。

 それに、心が千切られている。

 辛い。辛くて辛くて、そして、憎い。人が憎い。憎くて悔しくて、だけど自分では、どうにもならない絶望――。


「ウゥッッ…………なに……これ」

 誰かに縋りつきたい。

 ――どうして誰も、助けてくれなかったのって。


「あら。アナタも感じたのね。やさしいんだ」

「くっ……。僕も感じた。これが、この魂の苦しみなのか」


 少女の、私を見る目が変わった。

 少し、慈しみを感じる瞳をしている。

 ――気のせいでなければ。

 そして蘆屋という彼も、同じものを感じたらしい。


「そう。これがわタしのゴハン。この絶望と無念を晴らすために、わタしが居るの。これで、また強くなった。これは人の姿をした悪魔を、殺し尽くすためのチカラ」

 ……そう聞くと、途端にこの子を憎めないと思うのは、甘いのだろうか。

 協会に人型の魔物が出たと、報告するべきかどうかさえ迷ってしまっている。

 いや、でも私の命が無事でいられるかどうかは、まだ分かっていないんだった。


「やさしいアナタは、今ので覚醒したでしょう? 一緒に、手向かう人間を殺しましょう。お姉様に会わせてあげる。チカラを使うのには、コツがいるの。さぁ――」

「ユカちゃん、それなら君が教えてあげるといい。このユウカさんと姉妹になって、優しく教えてあげるんだ」


 ――どういう状況?

 今度は、私が何に覚醒して一緒に何をしようと?

 早く逃げた方がいいのに、あの白い龍がずっと、その大きな目の端に私を捉えている。


 逃げられない。

 ワニやネコの瞳のように、縦に裂け開いた瞳孔が、私を逃がすまいとじっと見ているのだ。

 上手く切り抜けられる方法なんて、思い付かない。

 ただこの状況に、なるように流されるしかない。


「う~ん……。それでもいいけど、わタしは、頭が良くないから。上手く教えられるかな」

 少女はここに来て初めて、幼さの残る表情を浮かべて困惑……というか、一生懸命に考え込んでいる。

 その隙をついて、蘆名という男が私の側に来た。中空を滑るように。

 そして耳元で、小さな声で話しかけてきた。


「成り行き上の事だが、納得してくれよ? 危険だが、残念ながら龍とあの子をセットで倒せる気がしない。君を守らなくていいなら話は別だが。あの子と会話が成立しつつあるから、その結果には逆らわないでくれ。でないと命の保証は出来ない」


 フードが深くて顔までは見えないが、真剣に話しているらしいことは、その口調から伝わった。

 大きな声で素っ頓狂なことを言っていたのは、演技だったのかもしれない。


「……わかりました。でも、あなたは一体――」

「僕は覚醒者だ。目立つとよろしくないから、顔は隠させてもらっているけどね。あの子もたぶん、覚醒者だろう。魔物側についた裏切り者が居るというウワサを探っていたんだが、どうやらビンゴだったらしい」


「それじゃあ、あの子、人間なの?」

「そうだ。近くで確認したが、人間で間違いない。ただ、酷い目にあわされたか、そういう現場を見てしまったか、悪人に対する憎悪が計り知れない。だから変に刺激してくれるなよ? あの子の力も計り知れないが、特にあの白龍がヤバい」


 ――だめだ。ついていけない。

 私は今、覚醒者に出会えていたらしいけれど、感動よりも恐怖しかない。

 命を簡単に、消し潰せる存在。

 それが一人は敵かもしれなくて、もっとヤバいという龍まで手懐けている。そして、目の前にそれが居る。私の命を睨みつけて、丸呑みにするかもという目でねめつけている。

 ――なんで、こんなことに。


「いいわ。分かった。せっかくの機会だもの。この人をわタしの、お姉ちゃんにしてあげる。でも、絶望して死んでしまったら、わタしが食べてあげるね」

「はぁ……。うん、もう、諦めがついたわ。私を無下に殺したり、酷いことをしないなら姉妹になって。それで……何をするんだっけ」


 私の中で、逃げ出したい死にたくないという、生存本能がぐったりとして負けた気がする。

 だから、痛いのとかそういうのでなければ、もうどうなってもいいやと思った。心の底から。

 諦めの境地というやつだろう。


「ユウカさん。いや、ナシタニさん。いいかい? 君も覚醒したというあの子の言葉は本当だ。条件はハッキリとしていないが、覚醒した者は明確に分かる。魂の色が滲み出るんだ。これは僕が勝手に言い出したわけじゃないぞ。だから、とりあえず覚醒おめでとう。諦めなければ生きていけるはずだ。頑張れるか?」

 ……今しがた、色々と諦めたところでしたが。


「何て答えればいいのか、分からないわ。もう、どうにでもなれって思ってはいるけど」

「ハハ。そうか、ならそれでいい。僕もなるべく、側に居られるようにするから」

 ――理解を完全に超えてしまったから、うん、と頷くしか出来なかった。


「それじゃお姉ちゃん。先ずは服を着替えてきて。おっぱいが見えそうなのは、よくない」

「あっ。すまない。気が利かなくて。僕もいっぱいいっぱいだったんだ」

 彼は慌ててボロマントの中でゴソゴソとすると、薄手のマントを取り出して、私に羽織らせてくれた。


「ありがとう」

「お詫びと言っては何だが、差し上げる。その、角度のせいで少し見えてしまった。すまない」

「最低……」

 でも、むしろこういう、少し非難出来るくらいの余裕が戻ったのだなと、ホッとした気持ちになった。


「でも、それじゃあ結局、動いたら見えちゃうでしょう。着替えを取りに戻っても、いいわよ、お姉ちゃん」

「えっ? ……いいの? 地上に戻っても?」

「うん。姉妹だもの。それに、同じ魂に共鳴した人は、どこに居るのか大体分かるから」


 意外なことだった。

 だけど、帰れるんだと思ったら、心底ホッとした。

 もう、一旦ややこしくて理解出来ないことは全部放置して、とにかく家のベッドで眠りたい。

 お風呂に入りたい。日常をたっぷりと感じたい。


「ありがとう、ユカちゃん。でも、どうやって連絡を取ればいいの?」

「強く念じれば、声は届くわ。わタしが迎えに行ってもいいし。それよりも、お姉ちゃんが落ち着くまで、しばらく休んだ方がいいわね。とても疲れてしまったのね。繋がっているから、分かる」


「そう……なんだ。それじゃ、お言葉に甘えて、地上で休んでもいい?」

 白龍の上の少女――ユカは、急に優しくなった。

 その龍も、私を睨み据えることがなくなって、今は目を閉じている。

 姉妹という言葉に、そんなに信用があるのだろうか。


「うん。地上まで送ってあげる。シロ。乗せてあげなさい」

 ――その龍に触れるのは、けっこう恐ろしいのだけど。

 グルル、と短く喉を鳴らすと龍は、首を下げて私の側に持ってきた。


「なら、僕は一旦消えるとしよう。また迷宮に入ったら会おう」

 そう言うと蘆屋という男は、中空を飛んで、結局顔を見せないまま去ってしまった。

「……ねぇ。この龍で行くと、目立ってしまうんじゃないかな」

「大丈夫よ。人の居ないところは知っているの」


 そうして私は、なんとか生きたまま、地上に戻ることが出来た。

 あまりの出来事に忘れかけていたけれど、私も覚醒したらしい。

 ――でも、実感は何もない。



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