8話
身体を起こした状態で、やや緊張した面持ちで部屋を見守る獣の少年。今、その部屋に家具が運び込まれていた。
「あ、あの…やっぱり私も手伝った方が…」
我慢できず、手伝っていたシエラに恐る恐る声をかけた。
「ダメよ、寝てなさい。昨日だって、もう大丈夫です!って言った側からフラフラしてたじゃない。」
そう一蹴されて、カルは再び黙る。落ち着かない。みんながクローゼットや机を運んだりカーテンを取り付けたりしているのに自分はベッドの上というこの状況がなんとももどかしい。
しかし主に命じられてはどうしようもなく、最後の本棚が配置されるまでその作業を見守っていた。
「カル、これプレゼント。」
メイド達が去った後、シエラはカルに包みを差し出した。中身は赤茶色の木で造られたヘアブラシだった。
「わぁ…!ありがとうございます!」
「ふふ…それじゃ、夕食まで大人しくしてるのよ。あぁ、チェス版と、それから本棚にいくつか本を入れておいたわ。それで我慢しなさいね。」
そしてカルはまた独りになる。やはり何もしないということに慣れない。その一方で、シエラが自分に付きっきりであることを嬉しくも思っていた。
結局、カルは2週間ほど病人として介抱され、その間にカルの知らないところで色々と準備が行われ、そして療養が終わった次の日。
「ふぅー…」
シエラからもらったブラシで全身の毛を繕い、そして新しく支給された白いローブを纏う。
ローブのお尻の部分と外套にはスリットが付いていて、そこから尻尾が出せるようになっていた。
今まではズボンに押し込んでいた父譲りの長くてふわふわな尻尾を揺らめかせて、カルは謁見室へ向かう。
「陛下、カルでございます。」
「入れ。」
獣の少年が人間の国王の前に跪く。ミネルも同じ部屋にいた。
「首輪を。」
跪いたままのカルの金属の首輪をミネルが外し、どこかへ持っていく。そして別の首輪が乗った銀の丸いお盆を手に戻ってくる。
「これを見ろ、カル。」
鈍い光沢のある、上質な黒革で作られた首輪。留め具は金色で、正面に位置するであろう場所には銅板が付けられている。
「王家の紋様…!」
「そうだ。このプレートに掘られているのは王家の紋様。王家の者以外で身につけることが許されているのはほんの数人だけ。」
そう言って国王は自らの手でその首輪をカルにつける。
「…お前に王国の紋様の烙印を押せた言ったのは私だ。シエラの物になるなら奴隷では相応しくないと思ったからだ。だが部下達は意味を取り違え、お前への生まれながらの罪の代償としてその大きさのものを選んだようだ。」
着け終えるとおもむろにカルの頭に手を乗せた。彼はもう震えない。彼を拉致した当初はここまでの待遇を与えるつもりはなかった。しかし珍しい毛色で、人間から見ても美しい顔立ちで従順な彼なら側に置いておくのも悪くない。加えて魔族をシエラのそばに置いておけば不貞の輩への抑止力になるだろう。
「その紋様、お前に与える意味はわかるな?」
「はい、陛下。誠心誠意報いさせていただきます。」
新たに黒い首輪をつけた獣の少年は、それから3ヶ月の間バトラーになるために必要な勉強や訓練を行い、兵士による常識的な護身訓練も週3回に増える。
前より大変になったように聞こえるかもしれない。だが休憩時間は増え、水浴びが湯浴みに変わり、ベッドで眠れるようになったカルは体調の変化を身をもって感じていた。
そして迎えたバトラー初日は、シエラとその婚約者アルフレートとのアフタヌーンティーが開かれる日。カルはシエラの付き添いと給仕の一部を担当することになった。
「ん…良い香りだ。渋みも程よい。良く出来てますよ。」
紅茶はカルが淹れたもの。アルフレートの言葉にシエラもうなずき、カルは胸を撫で下ろす。
その後は少し離れたところで待機し、食器が空けばそれをワゴンに乗せてメイドに託してまた待機。
2人の仲は前より深まっているようだ。それを目にするときのモヤモヤする感覚も相変わらず。
カルは無意識に上質な首輪に触れる。彼らが正式に夫婦となってもシエラに仕え続けることが保証された。いつか生まれる彼らの子、その相手もするのだろうか。
「お疲れ様。今日はもう下がって良いわ。」
アルフレートと別れたシエラを部屋に送り届けて初日の仕事は無事に終わる。まだ日の入りまで時間がある。図書室の本の貸し借りも許されているから新しい本を探しに行こうか。
……ありがたく食え、お前の同族の雌子供が作ったパンだ……
「カル、食事の量は足りていますか?成長期の、しかも魔族の雄の食事の事情など私にはわかりませんから、都度言ってもらえるとありがたいのですが…」
……おい、忘れ物…お前が掃除したらむしろ汚れるっていうのがわからないのか?……
「…それ全部お前の抜け毛か?確かに奉仕魔族の子供んとこは常に抜け毛が舞ってるってのは聞いたが…おっと禁句だった。忘れてくれ。それ捨てるんなら貰うよ。嫁がこういうので人形作るの得意なんだ…」
……近づいちゃ駄目よ、魔族なんだから……
「カーールーー!尻尾触らせて!優しく触るから!!良いだろ、たまにしか来ないんだから!」
…………。
「…はぁ。」
上級使用人専用の浴室で、湯船に浸かる。孤児院で散々撫で回されたカルは疲れた、というように息を吐く。毛が浮いているが、自分が最後なので気にせず足を伸ばした。
随分と変わったものだ。前は恐かった独りの時間に、今は安らぎを感じられるようになっている。バトラーになることで嫌がらせがエスカレートするのではという不安も杞憂に終わった。
バトラー、男性使用人の上級職でありハウス・スチュワード、この城ではマスター・スチュワードに次ぐ地位で、他の男性使用人を管理・統括する権限もある。しかしこの城にカル以外の男性使用人はいない上、カルの仕事内容は他のメイドと競合することはなくカルの地位は独立していると言える。
同等でも上でも下でもないが境界線はあるという状況が、城の人間達たちにカルという魔族を受け入れやすくさせたのだった。
「シエラ様、アルフレート様からお手紙です。近日中にまたおいでになるそうですよ。」
「ほんと?新しいブレスレット、間に合うかしら。」
「では職人に催促の手紙を出しておきますね。」
「お願い。」
シエラがカルを手招きするとカルは頭を少し下げて、シエラは彼の頬を撫でた。
「ついでにこのネックレスも送って。留め具が壊れちゃったのよ。」
「わかりました。」
バトラーの仕事も板についてきて、カルは平穏な毎日を過ごす。そんなある日、アルフレートが城を訪れた時のこと。彼はいつもと違って召使いらしき白い狼獣人の少女を連れていた。
彼は奴隷兵の所有を認められているから、その人質の家族を召使いにしたのだろう。さすがに私語を交わすことはないものの度々お互いに視線を散らす。
「カル君、また背が伸びたのではないですか?」
紅茶を淹れて、小さめにカットされたケーキがいくつか乗ったお皿を配膳したときにアルフレートに言われてカルは微笑む。
「はい、つい先日にこのローブと手袋も新しいものに替えていただきました。シエラ様やこの城の皆様のおかげです。」
「それは何よりです。カル君、今日は君にお話があって来たのですよ。」
「私に…ですか?」
「君は何歳になりましたか?」
「ええと、ここに来てもうすぐ6年なので、15歳手前です。」
「そうですか。ではちょうど頃合いといったところですね。」
そう言ってアルフレートは背後を向いて手招きし、狼の少女を呼ぶ。
「シルク。私が所有している奉仕魔族の娘です。中々出来の良い娘で、今は召使いとして働いている。要は君のような子です。」
シルクは小さくお辞儀をした。白い毛並みに、それと同じ色でやや短めの頭髪を持ち、純血の狼獣人よりマズルが小さい。どこかで人間が混ざっているのだろう。小綺麗で控え目そうな狼の少女だった。
「私がシエラ様と正式に結婚し、この城に住まうことになれば彼女の役目はなくなる。君と違ってこの子は下級召使いですからね。」
普段は他の召使いと共にアルフレートの屋敷の管理をしているらしい。婚約によってその屋敷が不要となれば、彼女も奉仕魔族として働くことになるのだろう。
「君は他の魔族との接触は禁じられているから想像しにくいかもしれませんが…私もこの子を可愛がって来たので今更奉仕魔族という名の奴隷にする気も起きない。この子は今年で13。良ければ君がもらってくれませんか?」
「もらう…とはつまり…?」
「君の妻として迎えてほしい、ということですよ。君のことはシエラ様からもミネル殿からも聞いていますし何よりこの目で見ている。君ならば、この子を幸せにしてくれるのではと思ってね。」
「妻…私が…結婚……」
シエラを見ると、彼女も頷く。カルは言葉を失ってしばらく2人の顔と獣人の顔を見て、生唾をゴクリと飲むと片膝をついて頭を下げた。
「ご温情、心より感謝いたします。お許しくださるのなら…私は…喜んでお受けさせていただきます。」
アルフレートとシエラは微笑み、カルを立たせる。
「お父様にも話は通してあるの。子供が産まれたら、いつか私達の子供に仕えれば良いわ。今日はもう下がって良いから、アルフレート様がお帰りになるまでその子とお話ししたら?」
そう言われ、ひとまず彼女と庭園を案内しつつ散歩することにした。
彼女曰く、アルフレートの元での労働環境は悪くないらしく両親兄弟とも毎日共に過ごせているらしい。
家族を人質として服従を強要するのではなく、労働の対価として団欒を与えることで忠誠心を芽生えさせたのだろうとカルは心の中で納得する。
「優しいヒトで良かった。突然結婚って言われて、とても緊張していたんです。」
慣れてくるとシルクは尻尾をパタパタさせてそう言った。一方のカルは彼女に対してどんな態度で接すれば良いかがわからない。歳下で同じ魔族ならむしろ敬語で壁を作ってしまいそうだということを頭ではわかっているものの、これまでずっと使用人としての仮面を外すことがなかったカルに砕けた口調というのは難しいことだった。
それでも同族と言葉を交わせるというのは心地よいもので、気づけば帰る時間が来てしまった。
「よぉーカル、」
「おはようございます。」
「カワイイ娘が来たんだって?俺より早く嫁もらうなんて生意気な奴めっ…!」
シルクと会って以降、顔見知りの兵士に絡まれることが増える。カルはその度に雑に撫でられた頭を整えなければならなかった。正式に認められたら城の中で簡単な披露式を執り行うとシエラが広めたことがそれに拍車をかけた。
ある日、城下町に出かけたシエラの付き添いをしていると彼女が小さな革袋を手渡してくる。
「カル、これ。」
両手で受け取ったそれは見た目より重く、チャリンと音を立てた。
「これ…お金ですか…?」
「好きなもの買っていいわよ。付き合うわ。」
「でも…私は……」
「給料じゃないのよ、私が個人的にあげるだけだから大丈夫。ほら、シルクちゃんに何か買ってあげたら?」
「あ…ありがとうございます…!」
が、カルはファール国の通貨を扱ったことはおろか見たことすらなかったため価値がわからない。結局硬貨が入った革袋はシエラが持つことになった。
「何か思い浮かぶものはある?お店探すわ。」
「そうですね…クシは…もう持ってそうですし、髪留めとか…」
「それは良いわね。いつも装飾品を頼んでる工房が出してるお店にならあるんじゃないかしら。」
シエラへの品は特注品なので普段は訪れることはないその店には、量産品から一品ものまで沢山の品々が並んでいた。
シエラは銅で作られた量産品から選ぼうとしていたカルを半ば叱るように諭して、その後カルが正直に選んだのは青い宝石で彩られた銀の髪飾り。
高価すぎるのではと恐縮したカルの目の前で、シエラはカルに与えるつもりだった革袋の中の硬貨だけで支払いを済ませる。元々1番価値の高い硬貨を入れていたのだ。
「…自分には良いの?」
「はい。私は十分皆様からいただいていますから、これ以上は。」
そう簡単にはいかないか、と彼を撫でた。
後日髪飾りを手渡されたシルクは尻尾をちぎれんばかりに振って喜び、その次に訪問した時にはわざわざ髪を伸ばした上でそれを着けていた。
「あの2人、相性が良さそうでよかった。」
シエラは離れたところで楽しげに話している2人の魔族を振り返る。
「羨ましいくらいです。私にもあんな顔を向けたことがありませんわ。」
召使いとしての礼儀が染み込んでいるせいか上品さは欠いていないものの時折ニッコリと満面の笑みを浮かべていて、この時間が彼にとってどのようなものかを物語っていた。
「これで少しでも気休めになってくれると良いのですが。」
そんな彼女の言葉にアルフレートは穏やかに微笑んだ。
「お気になされているのですか。あなたのせいではありませんよ。側から見たら飼い主とペットの関係とは思えない。」
「……ペットなんかじゃありませんわ。できることなら故郷に返してあげたい。最近はずっと、そう思っています。」
「お優しいですね。カル君があなたを慕う理由がよくわかる。前に、カル君に早々シルクを譲ろうと思ってそれを伝えたら、主より先に婚約するわけにはいかないと断られてしまい、子供も召使いにするなら私たちの子よりも早く生まれた方が良いのでは?と言ったら困った顔になってしまいました。」
「カルらしいわ。でも、それで良いんです。理由はどうあれカルのペースを尊重したい。そうでなければカルのためになりませんから。」
「結婚は命令ではない、ということですか。」
「……身体が成長した彼が反抗しないように城の中で子供を作らせて人質とする。元々はそのために、カルの結婚はずいぶん前から決まっていた。いいえ、結婚なんて言葉は使えませんわ。予定通りなら今頃本人達の意思に関係なく同じ部屋に押し込められているでしょう。」
家畜と大して変わらない、とシエラは呟く。
「でも私は、彼に少しでも幸せになってほしい。人質を作るためじゃなくて、彼の人としての幸せのために。それを城のみんなにも伝えたかった。」
「それで、皆さんは受け入れてくれそうですか?」
シエラはクスリと笑った。
「もしかしたらそんなことをする必要もなかったのかもしれませんわ。毎日のように茶化されています。今ではみんなも彼を可愛がっていますから。」
「そうですか。それは何よりです。私も、彼らへの祝いの品を考えなければいけませんね。」
「…代わりに私たちの結婚が延期になってしまうなんて皮肉ですわ。」
「仕方ありません…国民が戦っている最中に盛大な結婚式を挙げるわけにはいきませんからね。」
アルフレートは声を潜めた。今、ここファール国は戦争中。元々隣国と緊張状態が続いていて、ついに相手の方から仕掛けられた。カルやシルクなどには決して伝えてはならないとされている。
「…では、気休め程度にしかなりませんが、」
アルフレートはそっと懐に手を入れて、忍ばせておいた小さな箱を取り出した。
「陛下から正式なお許しをいただきました。シエラ様、私を伴侶にしてくださいませんか。」
そう言ってダイヤの指輪が入った箱を開けた。比較的自由度は高かったが許婚なので本来このようなことは必要ない。それでも彼女を泣かせるには十分な威力があった。
「喜んでくださって良かった。先程陛下とお話ししたのですが、近いうちに私もここへ移ることになりました。どうぞ末永くよろしくお願いします。」
「はい……!」
それからまたしばらく経って、もう間も無く18歳になる王女とその婚約者が同棲を始めようとしていた頃、そして主に尽くした魔族の少年少女が褒美として婚約が認められてその式が近づいていた頃、魔族の少年は国王に呼ばれて彼の書斎へ向かった。
ノックして中に入ると跪く。
「婚約者と上手くやっているようでなによりだ。」
「はい。この度のご慈愛、何とお礼を申し上げたら良いか。この獣の頭ではそれすら思い浮かびません。」
「この城でお前を獣と呼ぶものは随分と少なくなったようだがな。正直なところ、いくらミネルがお前の真面目さを評価しているとはいえ今の立場にすることには多少の抵抗があった。しかし今となっては、これで正解だったようだ。」
カルの頭を軽く2回叩いて、そしてため息をつく。
「今夜もう一度呼ぶ。寝ないで待っていてくれ。」
その言葉に大きな不安を感じながらカルは部屋に戻ろうとすると、今度は兵士に呼び止められる。すれ違うと軽く世間話をしてくれる顔馴染みの彼は何やら大きな包みを持っていた。
「ちょうど良かった。これを渡そうと思って。お前にプレゼント。」
促されて開けてみると、出てきたのは鳥籠。止まり木の代わりに麻紐で横長の椅子がぶら下げられていて、そこには白に斑点模様で耳の大きなネコ系獣人の人形が座っていた。
「これ…もしかしてこないだの毛で…」
「そうそう、お前にもらってる抜け毛で作った人形が子供たちに人気でさ。嫁がお前にもって。黒いところはあとから染めて、服は古いカーテンで作った。」
「すごい…このベンチブランコも手作りですか?」
「それは俺がつくった。親父が玩具屋で、俺も趣味なんだ。今度お前の嫁の人形も作って隣に座らせよう。絵になるだろ。」
「ありがとうございます…!嬉しいです。大切にします。」
大したことじゃない、と彼はカルの頭を撫でる。
「お前とこんなに仲良くなれるとは思ってもなかったよ。」
ここに来たばかりのカルを鎖で打ったのが彼だった。それまでも魔族を鞭打ちにしたことはあったがそれは捕虜などの反抗的な魔族が相手であり、無抵抗で怯え泣きじゃくる魔族の子供に鎖を振るうのは流石に彼も堪えた。
数年前に息子が生まれてからは罪悪感に変わる。幸い尋問や調教を担う職は一部を除いて入れ替わりが早く、今は城内見回りとなったので何かとカルを気にかけていた。
上向きの尻尾を揺らめかせながら部屋に戻ったカルは、小物入れの上に鳥籠を置く。この部屋のはじめてのインテリアだ。
明るくなったような気がする部屋の真ん中で椅子に座り、本を読みながら時々その鳥籠とその中にいる小さな自分を眺めては思わぬ贈り物に頬を緩ませたのだった。
予想してたよりもずっと夜更けになり、実は何か良くないことをされるのではと恐怖を感じ始めた頃、ミネルが呼びにきたので少し安堵する。
「あの…それで用とは…」
「私の口からはなんとも。あなたにとって不利益なことではありませんよ。」
黙って夜の城の廊下を歩く。謁見室に向かっているようだ。窓の外がやけに明るいことに気がついてカルの緊張が高まった。
「お連れしました。」
謁見室の、王座側の扉が開けられて独りで入るように促される。
「お待たせいたしました。御用件は…」
一切視線を散らすことなく国王だけを視界に捉えて跪くカルを手を挙げて制し、そして自分の向かいに手を差し出す。
…匂いでこの場に同族がたくさんいることは勘づいていた。躊躇いながら振り向くとそこには獣人や竜人の兵士たちが列を成していて、その先頭に金の装飾が施された鎧を着ている大柄なユキヒョウの獣人は立っていた。
「アラン。」
獣の少年は目を見開く。あ、う、と口籠る。ユキヒョウの獣人は思考が置いていかれ跪いたままの獣の少年に歩み寄り、屈んで抱きしめた。
「辛かったろう…せめて健康そうで良かった。」
硬い鎧に抱かれ大きな手で撫でられた獣の少年は硬直したままだった。ユキヒョウ獣人は抱擁を解いて立ち上がり、息子の手を取った。
「では約束通り、アシーク=ラクイアンは返してもらう。…さぁ帰ろうアラン。」
ユキヒョウに比べればずっと細い少年の手が、甲冑の手をすり抜ける。
「…アラン?」
「私はベスティア国第三皇子アシーク=ラクイアンではありません。」
もともと静かだったが、その一言で明らかに場の空気が凍りつく。
「私はここファール国、王城にて王女シエラ様の専属バトラーを務めさせていただいているカルと申します。」
一息で言い切ったカルの声は震えていたが、はっきりと響いた。
「アラン、もう良い、帰って良い。」
そう言ったのはファール国王。しかしカルは首を横に振る。
「陛下…お言葉ですが…私の主人はシエラ様でございますから、たとえ陛下の御命令でも勝手にシエラ様の元を離れるわけにはいかないのです。それにベスティア国の……」
「我が国の第三皇子はもういない。そうだ。カルとやら、夜中に呼びつけてすまなかった。休んでくれ。」
ユキヒョウ獣人の言葉にベスティア側の兵士はざわついたが、彼が片手を挙げると静まり返る。
「…ではお先に失礼させていただきます。」
数十もの視線を背に、カルは踵を返す。呆気にとられる国王も置いて部屋を出ると外で待機していたミネルが説得を試みるが、カルは意に返さず早歩きで自室に戻ってベッドに倒れ込んだのだった。
つづく。