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7話


 

 王族や貴族たちが乗る特別な馬車。その馬車を引く馬の小屋が連なる区画の1番奥にある物置のような小屋。扉には”カル”と刻まれた木のプレートが下げられている。

 

 そんな愛猫の”おうち”の中にシエラはいた。

 

 軽く跳べば頭がぶつかってしまいそうな高さ。薄いマット、すすけたタオルケット、そして古くて小さな箪笥(たんす)、綺麗に並べられたチェスのセットやトランプ。

 

 それらを見回して、シエラはため息をつく。

 

 

「そうね…とりあえずこのチェス一式とトランプは持っていきましょう。あとは…」

 

 

 箪笥の引き出しを開けて中身を確認。全部で3つある引き出しの1番上にはシャツとベスト、真ん中にはズボンとナプキンと小さな木のクシ、そして1番下を開けると枯れた花冠が出てくる。

 

 

 シエラはもう一つため息を吐いた。そしてメイド達と一緒にカルの僅かな私物を今彼が寝ている部屋まで運ぶ。

 

 こげ茶色の絨毯だけが敷かれた殺風景な部屋に置かれたベッド。シエラはそのベッドの横に置いた椅子に座る。

 

 カルは昨日突然意識を失ってそのまま。医者によれば呼吸や脈拍に異常はないとのことで一安心ではあるものの、次はそうもいかないかもしれない。

 

 時折何かを呻くカルの熱い顔を濡れた布で拭きながら、シエラは今まで彼を放置していたことに対する自責の念に駆られていた。

 

 

「うん…」

 

 

「カル!」

 

 

「んぅ……」

 

 

 獣の少年は主が自分を呼ぶ声に応えようと、渾身の力で瞼を開けた。

 

 

「姫様…なぜ…ここに…?」

 

 

 身体も瞼も鉛のように重い。そして火照っている。頭痛も眩暈もある。そして自分が寝ている場所は”おうち”ではないことに気づいた。

 

 

「ここは…?」

 

 

「何年か前まで私の部屋だったところ。今は空き部屋になってるの。」

 

 

「私は…えっと…あれ…?」

 

 

「小学校に行ったのは覚えてる?」

 

 

「はい…」 

 

 

「昨日、ここに戻ってきたら突然倒れたのよ。本当に心配したんだから…」

 

 

 馬車に乗って、帰って来たところまでは覚えていたが、その先は曖昧だった。

 

 

「申し訳ありません…ご迷惑をおかけしました…」

 

 

 そう言って起きあがろうとしたカルを押し戻す。

 

 

「ちょっと、寝てなさい。そんなに熱出てるんだから自分でもわかるでしょ。…大丈夫よ、こんなんでクビにしたりしないわ。」

 

 

 よしよしと頭を撫でてやれば、彼の身体から力が抜ける。

 

 

「あの…姫様…もしかしてずっと…?」

 

 

「ミネルさんと交代だから大丈夫。…ごめんね、こんなになるまで働かせて。あなたが自分から言えるわけないものね。そうよね、今考えればおかしいわ、休日に訓練って。」

 

 

「私は…十分……」

 

 

「他にも色々聞いたわ。ミネルさんからも、他の人達からも。」

 

 

 いじめられていたことも、時間外に雑用を命じられていたことも。良い子のカルなら何の問題もないだろうという浅はかな考えをようやく自覚したシエラは彼をメイドにしたことを激しく後悔していた。

 

 カルに対しては愛情を持って接してきた。今だって彼のことは気に入っている。大事な存在だ。

 

 けれどヒトと同じように話し考える彼を、そしてどんどん成長する彼をペットと言い続けたらまるで自分がひどい悪者になったような気がした。だから彼のためだと言ってメイドにして、距離をとった。

 

 カルのことを何も考えず一方的に押し付けてしまったのだ。いっそのことペットのままの方が彼にとっては良かったのかもしれない。少なくともこんなことにはならなかった。

 

 

「…それと、背中の傷を見たの。私、本当に知らなかったの。あなたが皇子だってことも…」

 

 

 カルはハッとしてシエラを見る。しかしシエラの目は悲しげで、恐れていたようなものではなかった。

 

 

「馬鹿よね。その辺の猫と同じように考えてたのよ。信じて疑わなかった…。…えぇそうよ。お父様に聞いたわ。」

 

 

 正しくは問い詰めて、聞き出した。振り返ってみれば、間引きがてら毛皮にするには随分とおかしな点が幾つもあった。当時はまだ物事の理解が浅い年齢だったという言い訳が通るかどうか、それを決めるのはシエラではない。

 

 

「アシーク=ラクイアン…そうね…あなたの名前を聞くこともなかった…あなたは……」

 

 

「ベスティア王国に第3皇子は存在しません。」

 

 

 天井を見たまま、食い気味にハッキリと言った。シエラの話を遮るなんて真似はもちろん初めてで、シエラだけでなくカル自身も驚いた。

 

 

「その…すみません……でも私は…カルが良いです……その…僕はこれからもここに……姫様のお側にいさせていただけるんですよね…?」

 

 

 カルはすこぶる体調悪そうに、怯えたように、そしてどこか奇妙な恐ろしさを感じさせるような視線を下から送る。

 

 しかし今のシエラには、カルのその言葉とそれに込められたものが分かるような気がした。

 

 

「もちろんよ。ペットは最期までお世話しなきゃいけないもの。だから今は休んで。私も…もっと良くなるように考えるから。」

 

 

 カルが目を覚ましたことを他の人に伝えるためにシエラは部屋を後にする。

 

 静かになってカルはまた眠り、そして匂いで目を覚ます。

 

 

「ミネル様…」

 

 

「あぁ、ちょうど起こすべきかどうか迷っていたところです。」

 

 

 窓のカーテンは閉じられている。もう日暮れも過ぎたらしい。部屋にはミルクの匂いが漂っていて、その正体は枕元の小さな座卓に置かれた白い楕円形の鍋だとわかった。 

 

 途端にお腹が空いてきて、思わず釘付けになる。

 

 

「オートミールのミルク粥です。食べられるなら食べてください。」

 

 

 火照ってふらつく頭をよいしょと持ち上げて身体を起こす。ミネルはお椀に取り分けて彼に渡した。

 

 

「ありがとうございます…すみません…お忙しいのに…ご迷惑をお掛けして…」

 

 

 それは彼専用に作ったもので、他にも彼を休ませている間の埋め合わせもしなければならない。確かにこの一件でミネルの仕事は激増した。

 

 

「私自身が招いたことです。」

 

 

「それは…どういう…?」

 

 

「国内全ての魔族には週に1日の休日を与えるようにと法で定められている。それは、()()な魔族が重労働によって使()()()()()()()しまうことを防ぐため。よってあなたにもそれを適用していました。」

 

 

 訓練のことはもちろん知っていた。内容はともかく、3時間以上は行わないという条件も守られていた。

 

 

「魔族に休日を与えるという法は、奉仕魔族が突然死することが頻繁に起きたから作られた。しかしあなたがこうなった原因は過労と思われる。それはあなたの管理を委任されていた私に責任があります。」

 

 

 ミネルの管理にも穴があった。確かに就労時間も労働量もカルに合ったものだったが、それ以外を考えていなかった。

 

 疎外感、露骨な嫌がらせ、理不尽な労働。特に、カルが自分で”おうち”の開け閉めができるようになってからは寝ているところを叩き起こされて仕事を押し付けられることが頻発していた。

 

 もちろんミネルもある程度このようなことが起きるだろうと予想して、カルの近くで仕事をしたり毎晩食事を取れているかどうか食堂の様子を見たりと工夫はしていたのだが、それでは全くもって不十分だったようだ。

 

 

「シエラ様はご自分であなたの全ての面倒を見るとおっしゃいましたが、やはり限度がありますし、私にも責任があるので…。あなたは何も気にすることはありません。今後については方々と協議します。」

 

 

 他のメイドなら自己管理に気をつけろ、などと説教したかもしれないが、言ったところでカルにそんなことはできない。誰かに指示されたら決して口ごたえできず、たとえ身体に異常があったとしても休みたいと申し出ることはできない。

 

 結局のところ、今のカルは多少優遇された奴隷に過ぎないのだ。

 

 

「…早く食べなさい。また後日指示しますから、それまでは休んでください。」

 

 

 温かい粥を食べて落ち着くとまた眠り、翌日を迎える。正午過ぎには体調はいくらかマシになって、身体を起こしたまま窓から空を眺めていると主が扉をノックして入ってくる。

 

 

「よかった、昨日より元気そうね。」

 

 

「はい。お陰様で。」

 

 

 シエラは布団の端に腰掛けて、しばらくの間カルの顎を掻いたり耳の後ろを撫でたりと可愛がる。カルは嬉しそうに微笑んで委ねた。

 

 彼が召使いになってからはあまり構いすぎないようにしていたが、それは彼に寂しい思いをさせただけなのかもしれない。

 

 

「昨日、ミネルさんやお父様やお母様、他の人たちとも話し合った。今朝アルフレート様からの手紙も届いて、それでまた話し合って、決めたの。」

 

 

 カルの瞳に緊張の色が映る。

 

 

「カル、あなたを私のバトラーに任命するわ。」

 

 

 バトラーはハウススチュワードに次ぐ上級使用人。

 

 

「バトラー…!?でも…」

 

 

「えぇ、私があなたにできる最大限の贔屓(ひいき)ね。今まで中途半端な扱いだったからあなたに余計な苦労をさせてしまった。だから今度はとことん贔屓させてもらうわ。」

 

 

「とことん…ですか…」

 

 

「まず、あなたには特権を与えることにしたの。」

 

 

 今いるこの部屋を私室とする権利、図書室の利用権、湯浴みする権利など、シエラはひとつひとつ言い渡す。あくまでヒトとして扱うのではなく、魔族としての特権。カルは生唾を飲んだ。

 

 

「ミネルさんを見ていればわかると思うけど、決まった休日は基本的に無くなるわ。でも安心して、そこまでこきつかったりしないから。あくまで私の専属だから私のやることがなくなればあなたの仕事も無くなるの。」

 

 

 さらにシエラは自分の指示のみに従うこと、主人である自分を通していない仕事は受けないようにと命令した。

 

 

「もちろん、すぐに仕事を始めるわけじゃない。しばらくの間は勉強と訓練をすることになるでしょう。」

 

 

 シエラは不安そうな表情のカルの隣に座って彼の無惨な背中に腕を回し肩を抱く。やはりカルは可愛い可愛い同居人でいる方がしっくりきた。

 

 

「…私は話し相手が欲しかったの。あの時は、あなたのことを、魔族のことをよくわかってなかったから…。」

 

 

 その後罪悪感から逃げて召使いにし、距離を置いた。見方を変えれば扱いにくくなったペットを捨てるようなもの。

 

 

「でもねカル、ただの魔族をいきなりバトラーにするなんてできないのよ。ここに来てからあなたはずっと良い子だった。召使いになってからも。だからこれは、賃金の代わりのご褒美。あなたの努力のたまものね。」

 

 

 出会ったばかりの頃、彼が泣いて命乞いしたことは覚えている。そうだ、痛い思いも寂しい思いも、怖い思いも沢山してきたのにここまで頑張ったのだから少しくらいご褒美をあげても良いはずだ。

 

 

「これからも…頑張ります。」

 

 

 彼女が期待してくれるならそれに応え、温かくしてくれるならそれに報いる。カルの中にあるのはそれだけだ。バトラーへの昇格は彼女に直接報いるチャンスでもある。

 

 シエラは微笑んで、深呼吸するといつもの明るい調子に戻る。

 

 

「カル、今日の夜ご飯、何か食べたいものはある?ミネルさんに言っておいてあげる。」

 

 

「そう…ですね……」

 

 

「遠慮しなくて良いのよ。栄養があるのも大事だけれど、こういう時は好きな物を食べるのが良いって、ミネルさんも言ってたわ。」

 

 

 カルは少し考えて、ゆっくりつぶやいた。

 

 

「…クリームシチューが、食べたいです。ラパンの……いえ、鶏肉のシチューが。」

 

 

「わかった。良いわね、そういえばクリームシチューは久しく食べてないわ。私も…今日は無理でも明日とかはそれにしてもらおうかしら……いやいや、それなら一緒に食べましょう。あぁでもあなたお父様苦手よね。たまには私と2人で、どう?」

 

 

「是非…!」

 

 

「じゃあシチューは明日ね。お腹いっぱい食べられるように、今日はちゃんと寝ててね?」

 

 

 シエラは新しいカルの部屋を出て、ミネルを探しに廊下を歩く。自分もどこか心が軽いような気がして、ああそうかと自己完結する。

 

 自分は王女。庶民の友達はいない。数歳上の貴族と親交があるくらい。城にいる時に相手になるのは大人だけ。でも両親にそれを言うのはなんだか悪い気がしたのだ…

 

 本当に欲しかったのはペットじゃない。妹か弟が欲しかった。

 

 カルは()()で、弟とは呼べない関係。それでも、もうじき制限付きの人権が与えられたらその日を誕生日にして毎年祝ってやりたいと、シエラはそう思った。

 

 

 つづく。

 

 


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