6話
ところどころに雲が浮かんでいる青い空。心地よい風が吹くファール王城の一角に、鎖に繋がれ兵士に引かれる小さな魔族の姿があった。
白地に斑点模様の珍しい毛並みはあちこち乱れ、くすんでいる。顔からは生気が抜けている。それでも、大きな耳の先にある長い毛をなびかせ、猫よりも凛々しく虎よりも愛らしい彼の美しさは失われていない。
「入れ。」
屋根から煙突が突き出ているかまぼこ型の建物の前に連れてこられた獣の少年。中には複数の台や釜があり、鍛冶場のような場所だとわかる。
「何を…」
「黙って言う通りにしろ。」
台の上にうつ伏せで寝かされ、金具で手足尻尾を固定される。次に3人の兵士が毛刈り鋏で背中の真ん中辺りよ毛を刈り取り始めた。
とても抵抗などできない獣の少年は目だけを動かして建物の中を見回し、そしてなにかを窯にくべている人が目に入る。
少年が理解した頃には背中の毛がなくなっていて、兵士が声をかけると窯から金属板が付いた棒が取り出された。
「そんな……」
心拍数が一気に上昇する。鈍く赤熱した金属板は顔よりも大きい。
「許して…もう許して……」
「許すからやるんだろうが。その尻尾もシエラ様のお気に召したからそのままにしてやってるだけで、切り落とす予定だったんだ。黙ってこれ噛んでろ。」
そう言って兵士は少年の口に無理やり布を詰め込んだ。
烙印の棒を持つ男の足が一瞬視界を塞ぎ、そして見えなくなる。辺りはふー、ふー、という荒い呼吸音だけが鳴っている。
首の付け根あたりを強く押さえつけられて、そして背中に熱を感じた。
今にも頭の血管が破裂しそうなくらいの恐怖。こんなことになるなら綺麗に殺されて毛皮になった方が良かった、どうして今の両親の元に生まれてきてしまったのだろう。
ずっと心のどこかで憧れていた普通の民に生まれていたなら、こんな目に遭うことはなかっただろうに。
熱された金属板が押されるまでの数秒間、思考が覚醒して時間の流れが鈍くなる。
熱さが増す。金属板が背中に近づいている。身体が鋼のように強張る。瞼を思い切り閉じる。呼吸が止まる。
じゅう、と音がした。
同時に、ヒトのものでも獣のものでもないような奇妙な音が少年の喉から出て、消える。
同時に、獣の少年の身体が一度強く痙攣して、脱力する。
一瞬の出来事だったが獣の少年の脳は感覚を拒絶し意識を強引に落とした。
金属板が離れるとすぐに大量の冷たい地下水がかけられて、その後ぐったりとした少年を桶の中に放り込んで水に浸けた。
「生きてるか?なら舌で窒息しないように気をつけろ。」
10分ほど経って水から引き上げられた少年は、意識朦朧のまま薬を塗られて包帯を巻かれてから元いたところとは別の収容所に運ばれる。
「お…皇子…!」
彼を受け取ったのは唯一生き残った彼の護衛の牛獣人。既に少年が第3皇子だと知っている彼に世話を言い付けたのだ。
「ぐうぅ……」
「動かないで下さい…ひどい火傷です…」
目を覚ました少年は背中を常に炙られているような苦痛に呻く。加えて発熱に吐き気まで起こり、包帯を変えて薬を塗り直される時は悲鳴を上げた。
「さぁ…食事です…」
「食べたくない…」
「駄目です。皇子はたくさん食べないといけないのですから…ほら、乳にパンを浸して柔らかくしてみました。これなら食べやすいでしょう。」
鼻の近くにパンを持ってきても、少年は目を瞑ったまま。数日経ってだいぶマシになってきてはいるものの辛いことに変わりはないのだろうが、彼は運ばれてきてからほとんど食べ物を口にしていない。熱と吐き気が引いたなら食べてもらわなければならなかった。
「皇子…あなたはまだ生きることができる…背中のそれは生きることを許された証なのでしょう?それなら食べてください…あなたの母上も、あなたの無事を願っておられるはずです…たとえあなたが追放されたとしても…」
この役目が終わったら殺されるかもしれない牛獣人の言葉に、彼の耳がピクリと動く。なおも促され、少年はようやくその口を開いたのだった。
やがて傷が癒えたことを確認すると兵士たちは獣の少年を連れていく。独り独房に残された牛獣人は己の処刑を覚悟していたがいつまで経ってもその時が来ない。
「今日からあの魔族の子供を鍛えろ。ただし、あいつの名前はカル。過去のことは一切話すな。」
初めは真面目に彼を訓練した。再会した時は元気そうで安心したし、自分も唯一独房の外へ出ることができる機会だったのでその日を毎週心待ちにしていた。
でもある時疑問を抱いた。カルは身長も伸びているし体格も悪くない。衣服も質素だが粗悪ではない。毛並みも整っている。檻に閉じ込められているわけでもないらしい。
何故?自分は週に1度しか外へ出られないのに。
訓練の時間が終わって、兵士たちと独房に戻ろうとした時、少し遠くでカルが身なりの良い少女に迎えられて嬉しそうに撫でられた挙げ句なにか物を貰っている所を目撃した。
飼われている。しかも愛されている。
何故?訓練以外ではまるで虫のように何も考えず生理現象だけで生きているのに。
何故?何故あんなに笑顔になれるんだ?
何故?何故特別扱いされるんだ?
顔が良いから?あの混血は人間から見ても愛らしい姿なのか?毛並みが珍しいから?カルが媚びたから?
何故?自分は誰に会うことも許されず独りで過ごしているのに、何故あのか弱い、何も成せないカルが優遇される?
子供だから?それは違う。ここにも魔族の子供はいる。生まれた時から下等種族であると教え込まれ、自らはこの国の駒であることを信じて疑わない子供たち。自分達を襲ったのもその類の者のはず。
なのに何故あいつだけ自由が与えられているんだ?私はあれを護ることを貫いた故にこんな無様な目にあっているというのに。
あいつだけ可愛がられて、美味い飯を食って、柔らかい寝床で寝ているのか?
何故?許せない。許せない。許せない。許せない。
あいつがいなければ、私は今きっと家族のもと。
許せない許せない許せない許せない許さない。
つづく。