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4話

 

 

 ファール国の王族に仕えるマスター・スチュワード、ミネル。マスター・スチュワードの呼称は上級使用人であるハウス・スチュワードが由来であり、王族に仕えているためマスターに変えられた。

 

 歳は30を過ぎた辺りの非常に生真面目な女性で元々はメイド。その優秀さと仕事熱心さを買われてマスター・スチュワードとなった。

 

 彼女の仕事は国王や妃の身辺の世話と城のメイド達の管理。これだけでも十分忙しい彼女に新しい仕事が増える。

 

 

「…ひとまずあなたに教えるべきことは教えました。最後に、あなたは何があっても東棟には近づかないこと。あえて隠さずに言いますが、そこには魔族兵の収容所や関連施設があります。あなたがその付近に姿を現したとなれば、あなたを目撃した可能性がある魔族は処刑され、あなたが日の目を見ることは二度と無いと思ってください。」

 

 

 王女シエラの強い要望によってメイドとなった魔族の少年。ミネルにとっても未知の出来事であり、彼の教育は手探りとも言えた。

 

 祖国で元皇子として基本的な作法を身につけていたお陰で思っていたよりも早く仕事を始めることが出来るようになったのだが、懸念すべき事項が消えたわけではない。

 

 

「それと、これはもう承知の上だと思いますが、あなたは”間引きされたところをシエラ様のお慈悲によって生かされた魔族の子供”ということになっています。くれぐれもそれを忘れぬように。」

 

 

「はい…」

 

 

 白い長袖のシャツの上に袖の無いベストを着て、尻尾は黒いズボンの中に無理やり収めている獣の少年。金属の首輪だけはそのままだ。

 

 毛が落ちないように黒い手袋も着けた上でまずはシエラの部屋の掃除から始まった。

 

 布団を洗うために下まで運び、その後窓を拭いたり床を掃いたりと雑用をこなす。背中に感じる視線を気にしながらも、カルは与えられた仕事をこなした。

 

 食事はメイド用の食堂で他の人と同じ食事を取る。お盆を持っている時も配膳を受ける時も視線は彼に集まって、そこから逃げるように1番隅の席に座って忙しなく食べた。

 

 

「ではまた明日。」

 

 

「はい。おつかれさまでした。」

 

 

 彼を”おうち”に送り扉に鍵をかけるのもミネルの新たな仕事。朝も鍵を開けに来なければならない。

 

 それでも初日は大した問題も起きず、それから数週間が過ぎたある日。

 

 ミネルがカルを起こすため”おうち”に向かう。どうせすぐ扉を開けるのでその横の窓を気にすることはほとんどないのだが、服を着ないまま扉の前で膝を抱えていたカルが見えたので思わず二度見する。

 

 どうかしたのですかと声をかけようとして、部屋に頭が潰れたムカデの死骸がいくつも転がっていることに気がつき素早く状況を飲み込んだ。

 

 

「カル、聞こえますか。」

 

 

「…はい。」

 

 

「とりあえず外に出ていなさい。」

 

 

「はい…」

 

 

 扉を開けるとカルは呻きながら外に出る。手足が何箇所も腫れていて痛々しい姿になっていた。

 

 

「いつ頃ですか。」

 

 

「夜明け前…だと思います…」

 

 

「誰がやったか覚えていますか。」

 

 

 カルは首を横に振った。

 

 

「寝てたら耳に何か入って…起きたら布団にも……」

 

 

 狭い場所を好むムカデは部屋に入れられると唯一の隙間であるカルの布団の中や彼の耳を一斉に目指し、パニックに陥ったカルはあちこちを噛まれながら素手や素足で潰したのだった。

 

 

「症状は。」

 

 

「気持ち….悪いです……」

 

 

 ミネルは震えている獣の少年を見てため息を吐く。そして向かいの馬小屋から長いトングと蓋付きのちりとりを持ち出してカルの小屋へ。全部で17匹、うち4匹は健全で布団の下に潜り込んでいた。

 

 ムカデを処理するとカルを馬の洗い場まで連れて行って身体を洗わせ、さらに濡れた雑巾を渡す。

 

 

「これで部屋を掃除したら安静にしていなさい。」

 

 

 ミネルはやや不機嫌そうに言い渡してからムカデの体液で汚れたタオルを預かり、カルの部屋を後にした。

 

 後処理のせいで他のメイド達に仕事を言い渡す時間に遅れてしまった。城全体の動きを遅らせてしまったのだ。加えてカルが担うはずだった仕事を誰かが余計に負担しなければならなくなった。

 

 この辺りに生息するムカデの毒は特別強いわけではないがあれだけ噛まれればそうも言っていられない。数回噛まれただけで発作を起こし死んだ例もある。

 

 魔族は毒や病に強いという経験則に基づいた定説があり、カルがそれに当てはまってくれたらしいのでその部分だけは安堵する。少なくとも今日の仕事はできないだろう。早急に配分を考え直さなければならない。

 

 迷惑尽くしでも完全休息を与えて早く全回復してもらったほうが効率的と判断したミネルは、それなら陛下に一言報告しなければと深いため息を吐いた。

 

 

 後に医者に診せてわかったことだが、カルが噛まれた回数は彼くらいの体格の魔族を死に至らせる可能性が十分にあった。

 

 それでも、彼が皇子だった頃に数種類の微量の毒を摂取し続けて耐性をつけていたことが功を奏し、軽い眩暈(めまい)と吐き気で済んだのだった。

 

 

「カル…!かわいそうに包帯だらけになって…」

 

 

 薬を塗った包帯を患部に巻いてもらって横になっていたカルの元へシエラが訪れる。

 

 

「ムカデに噛まれるとすごく痛いって聞いたわ。こんなこと、もう二度と無いように内側に鎧窓をつけてあげるからね。鍵も掛けられるようにするから…」

 

 

 見るからに体調が悪そうなカルに葡萄(ぶとう)を差し入れて一緒に食べる。

 

 召使い(メイド)になったとしてもカルの後見人はシエラであることには変わりはない。そしてシエラにとってカルは可愛い魔族ということにも変わりはない。

 

 新しい毛布を掛けて再び横になるカルの頭をそっと撫でる。カル対しての人道を理由に彼を召使いにしたものの、飼い主とペットという関係はそう簡単に変わりそうにない。

 

 彼は少し元気を取り戻したようだった。

 

 

 鎧窓はその日のうちに取り付けられ、どうやら犯人も見つかったようだ。それでも、また他の誰かに仕掛けられるのではと思うと中々寝付けなかった。

 

 

 カルは1週間の休養の後、無事仕事を再開する。

 

 主な仕事はシエラの部屋とその周囲の廊下、王族用の浴室、城内馬小屋の掃除や備品管理。

 

 ”おうち”の周囲にある20の馬小屋の掃除と干草などの入れ替えだけで半日かかり、シエラの部屋も王族の浴室もとても広いのでこれらを1人でこなすのは中々の重労働だ。

 

 何より気をつけなければならないのは体毛。抜け毛をそのままにしてしまえば間違いなく咎められるだろう。

 

 抜け毛を落とさないように無理やりズボンの中に入れている尻尾もとても窮屈だ。

 

 しかし魔族とはいえ彼は奴隷ではない。カルには週1回の休日が与えられた。

 

 

「あなたは…」

 

 

「…カルと、呼ばなければ罰されてしまいます。あなたの訓練を担当することになりました。」

 

 

 休日、中庭に連れて来られると彼の護衛だった牛獣人と再開する。万が一の事が起きた時にシエラや他の者を守るために訓練するよう命じられたのだ。

 

 

「ご健全で良かった。ずっと気がかりでした。せめてあなたの命を延ばせるよう、務めさせていただきます。」

 

 

 こうして週に6日は召使いとしての仕事を、残りの1日は訓練をするという生活が始まった。

 

 

 

「カル、」

 

 

「姫様。こんにちは。ちょうどお部屋のお掃除が終わったところです。」

 

 

 シエラに声をかけらるとカルは耳をピンと立てる。

 

 

「ありがとう。」

 

 

 撫でられて、機嫌良く廊下の窓を拭いていると背後からいきなり首輪を掴まれ引っ張られた。

 

 尻餅をついて尻尾の痛みに呻くまもなく頭の毛をつかまれる。

 

 

「忘れ物。」

 

 

 兵士は彼の毛を摘んでいる指を目の前に突き出した。抜け毛だろうか。

 

 

「申し訳ありません……気をつけます…」

 

 

「いつもニコニコ、ニコニコ、調子に乗っているのか?お前を東で見つけたと告げ口してやろうか。」

 

 

 サッと血の気が引いた。

 

 

「そ…それだけはお許しを……あぅ…」

 

 

 引っ張られるまま立ち上がる。メイドになってからというもののこういう事は頻繁に起きていて、ある日濡れ衣で監禁されてしまうのではと内心恐れていた。

 

 

「どうかしたの。」

 

 

 尻餅の音を聞いたシエラが部屋から出てくる。

 

 

「姫様…私が…私が毛を落としてしまったんです。」

 

 

 兵士よりも前にカルが答えると、シエラは険しい視線を送る。

 

 

「そんな事したら余計に毛が抜けるわよ。2人とも、持ち場に戻りなさい。」

 

 

 離されたカルは散ったであろう毛を探すために足元の絨毯に目を凝らす。また見つかるようなことは起きないように慎重に。

 

 

「そこの掃除にどれだけ時間かけたら気が済むんですか。この後馬車を動かすのだから早く馬を洗ってブラシを掛けなさいと言われていましたよね?私たちの仕事も遅れてしまうんですけど。」

 

 

 今度は馬車の用意を言い付けられていた別のメイドから苦情を受ける。

 

 

「申し訳ありません…すぐに向かいます…」

 

 

 息をつく間もない毎日。言い付けられた仕事を終えた後も、深夜に扉を叩かれて酔った兵士の後始末をさせられることもしばしば。

 

 何かを言いがかりにして仕事を増やされる中、時々シエラが構ってくれることを励みにカルは懸命に働いた。

 

 

 そんな健気な魔族の子供の姿に情が湧く者も現れ始め、嫌がらせの仲裁に入ってくれる兵士も現れ始めた。1年間経つと扉の鍵も自分で開け閉めできるようになって、ほんの少しずつ、彼は召使いとして受け入れられ始めていた。

 

 そんなある日、馬小屋の干草の交換をしているカルの元へミネルがやってきた。

 

 

「本日のあなたの仕事に変更があります。明日、シエラ様の婚約者がここを訪れます。それに備えて、視察も兼ねてシエラ様はお出掛けされます。あなたは護衛の者と共にシエラ様のお供をして下さい。」

 

 

「私が…?」

 

 

「シエラ様からのご指名です。陛下からも許可をいただいているので。」

 

 

 てっきり城下町に出かけるのかと思っていたら……それでも十分緊張するのだが……隣町の有名な彫金師から装飾品を受け取りに向かうとのことで、カルはシエラと共に馬車に乗る。

 

 その後、城下町とは違う街並みに興味を持ったシエラに付いて、街を周り歩いた。

 

 

「子供たちに大人気だったわね。今度孤児院に行く時も来てもらおうかしら。…そういえば、来る時は気が付かなかったけど座ってて尻尾、痛く無いの?」

 

 

「はい。ここに入れてあるので大丈夫です。」

 

 

 尻尾は太ももの横に通してある。窮屈なのはもう慣れた。帰りの馬車の中で、シエラは受け取った銀のネックレスを布で丁寧に磨く。

 

 

「…ん?」

 

 

 ふと目の端でカルが不自然な動きをしたので彼を見ると、うつらうつらしていた。思えば彼がここに来てはじめての外出だった。沢山の人にいろいろな目を向けられて疲れているのだろうと、シエラはそっと彼の肩を抱き寄せる。

 

 

「…あっ、す、すみません…」

 

 

「良いの良いの。着くまでまだ時間かかるから休んでて。」

 

 

 カルは彼女の肩へ遠慮がちに身を委ねた。

 

 

「あら、身長伸びたんじゃない?」

 

 

 よしよしと頭を撫でる彼女の手を、耳を伏せて受け入れる。彼女のそばが1番落ち着いてしまうところ、自分はすっかりペットに成り下がってしまったようだと思いながら重くなった瞼を閉じた。

 

 

「明日のお見合い、あなたも……」

 

 

 シエラは言葉を飲み込んだ。カルは寝息を立てていた。

 

 

「あなたの寝顔を見るのはいつぶりかしら…前は遊んだ後によく隣で寝てたわね。おつかれさま。」

 

 

 そう呟いて、彼を優しく撫でる。

 

 

「…もう少し構ってあげる時間を増やしたほうが良いのかしら。でもカルを贔屓(ひいき)してるって思われてしまうかも…」

 

 

 ペットの世話は最後まで。問題はそのペットの知性が人間に等しいことだった。

 

 

 翌日、カルはシエラと来賓の馬車の到着を待っていた。

 

 

「ほ、本当に私も一緒で良いんですか?私のせいで姫様まで悪い印象を持たれてしまったら…」

 

 

 来賓とは、シエラの婚約者である。今日はその初顔合わせの日。

 

 

「あなたの後ろ立ては私で、召使いになってもあなたにはこの国での人権が無いから形式上は私のペットのままなの。魔族だとしても、私の良い子で可愛いペットを白い目で見るような人は嫌だわ。それを見極めるためよ。」

 

 

 今会わなくても結婚したら仕えることになる。実際にカルを目にしてどんな反応をするかを確かめたかったのだ。

 

 

「とは言っても、あなたのことは手紙で伝えてあるの。大丈夫、聡明なお方よ。」

 

 

 淡い水色のドレスを着飾り、金の長髪を後ろに編み込んだシエラと共に白馬に引かれた馬車を迎える。

 

 現れたのは背の高い華奢な青年。艶のある長い黒髪をなびかせて優雅に歩み寄り、シエラの前にひざまずく。

 

 

「ようやくお目にかかれましたね、シエラ様。アルフレートでございます。」

 

 

 庭園に用意した特設のお茶会場に2人は向かい合って座り、カルや他のメイドは少し離れたところから見守った。

 

 聞くところによると、まだ20数歳のアルフレートはこの国の貴族の中でもずば抜けた秀才であり、大臣ではないのにも関わらず交渉人として国王に召喚されることもあるとか。

 

 また他の貴族と違って豪遊するようなことは滅多になく、その資産は尽きることのない知識欲に使っているらしい。

 

 

 さも楽しそうに談話する2人を見てどこか胸が寂しくなるような気を感じていると、不意にシエラがこちらを振り返って手招きする。

 

 

「御用はなんでしょう。」

 

 

「ううん、そういうことじゃないの。…この子がカルです。」

 

 

「初めまして、アルフレートです。以後お見知り置きを。君のことはお手紙で伺っていました。なるほど珍しい毛色だ。」

 

 

 アルフレートは跪いたカルの頭を軽く撫でる。知性溢れる整った顔立ちで物腰柔らかい彼は同性でも胸がどぎまぎしてしまいそうなオーラを放っていた。

 

 

「きっと長い付き合いになることでしょう。よろしく頼みます。」

 

 

 カルを下がらせた2人は再び会話を弾ませたのだった。

 

 その日の夕方、カルは食堂の列の最後尾に並びながらアルフレートのことを考えていた。彼は自分を目の前にしても一切の乱れを見せることなく、撫でる手も躊躇が無く自然な流れだった。

 

 そしてほのかに獣の匂いがした。おそらく魔族の召使いか、あるいは奴隷兵を持っているのだろう。果たして彼はシエラ様のように自分を優しく扱ってくれるだろうか。

 

 確かに自分にも紳士的な態度だったが、それはあくまでシエラ様がいたから、ということも考えられる。貴族や王族は場を弁えるものだと身をもって知っている。

 

 仮に良い人だったとしても、2人が結婚した後の自分は蚊帳の外になってしまうのだろうか。ただでさえ働き始めてから主との時間は減っているのに、結婚した後でも”カル”として見てくれるのだろうか。

 

 

 そうこう考えているうちに自分の番が来た。銀色のお盆を受け取るとカウンターの上を滑らせながらパンやスープをお盆に乗せていく。

 

 

「ありがとうございます、いただきます。」

 

 

 給仕担当のメイドから皿を受け取るたびにそう言って、空いている席に向かおうとお盆を持ち上げた。

 

 直後、お盆がするりと手を抜けた。

 

 

「わっ…!」

 

 

 反射的に受け止めようと手を突き出して、宙のお盆がひっくり返る。食器は勢いよく投げ出され、床に叩きつけられる。食堂に鋭い高音の不快音が鳴り響き、一転静寂となった。

 

 カルは動けなかった。考えられなかった。毛皮にされると言われた時のように、頭が真っ白になって状況を飲み込むことができなかった。ぶちまけられたスープと転がっているパン、そして割れた食器を見下ろすことしか出来なかった。

 

 

「何やってるのよ!誰のために作ったと思ってるの!?どんな持ち方したらそうなるの!」

 

 

 沈黙は給仕係の糾弾によって破られる。

 

 

「そもそも何で手袋つけたままなの!?お前の頭じゃ滑るってことも考えられないわけ!?」

 

 

 毛を落とさないために”おうち”にいる時以外はいつも着けていた黒い手袋。滑り止めも付いているのに、今まで滑らせたことなんてなかったのに。

 

 バクバクと心臓が激しく脈打つ。言葉も出てこない。視線が自分に集まっているのを感じる。食べ物、食べ物を無駄にした。他の魔族の奴隷は口にできないであろうそれを、シエラ様の助力の恩恵を、無下にしてしまった。

 

 終わった。給仕係がなにか叫んでる。何を言ってるか頭に入ってこない。

 

 

「何事です。」

 

 

 ミネルの声で、カルは我に帰る。そして土下座した。

 

 

「申し訳ありません…申し訳ありません……」

 

 

 他に言葉が思いつかず、呪文のように連呼する。ミネルはカルと無残な夕食を交互に見る。スチュワードである彼女は、雇用と解雇、懲罰の権利も有している。そしてカルにとって解雇とは死と同等である。

 

 ミネルがどのような判断を下すのか、食堂にいたメイドたちは彼女の言葉を待った。

 

 

「もう結構です。頭を上げなさい。」

 

 

 カルは拳を握って、そして体を起こす。

 

 

「寝床に戻っていなさい。後で行きます。片付けは不要です。」

 

 

 大きな耳を伏せたまま、カルは言われた通りトボトボと食堂を去っていった。

 

 

「…どうするんですか、彼。」

 

 

 近くに座っていた比較的年配のメイドがミネルに訊くと、ミネルはそれには答えずお盆を取り上げた。お盆は半分くらいがスープと水で濡れていて、取手には水球が付いていた。

 

 持ち手だけ、液体が球になっていることをミネルは見逃さなかった。

 

 

「…バターを塗りましたね?」

 

 

 その一言で、視線はカルに怒号を浴びせた給仕係に向く。

 

 

「カルは手袋をしていますから、触っただけでは気づけなかった。滑らせて当然です。」

 

 

「…私はそんなことしていません。」

 

 

「ならばあなたは、これほどの汚れに気づくことなく渡した。給仕係として重大な不注意です。給仕の役割を担うならばメイド間でも職責を全うすることは当然。」

 

 

 ミネルはそのメイドだけでなく、奥にいた他の給仕係達に視線を移す。

 

 

「犯人を探すような無駄な時間はありません。本日給仕を担当した者全員を2週間の謹慎処分とします。もちろんその間の給与は支払いません。また、あなた達は2度と給仕を担当させません。では、これを片付けておいてください。」

 

 

 淡々と言い放ち、ミネルは踵を返そうとする。

 

 

「掃除くらいしかしていないような魔族が何故私達と同じ扱いなんですか?」

 

 

 背後からの言葉にミネルは立ち止まった。

 

 

「私たちからすれば掃除なんて仕事のほんの一部。ただでさえ少ない持ち場の掃除が終わったら他の仕事を回さずに早くに上がらせている。そして私達と同じものを食べているばかりか、今日なんて姫様の婚約者の応対もさせた。あなたが贔屓するなんてね、これも命令?」

 

 

「何か問題でも?」

 

 

 ミネルは振り返って平然と言ってのける。

 

 

「カルはあなた方と同じメイドとして働くことを許された。しかし、同じ扱いにするとは一言も言っていません。」

 

 

 ミネルは食堂全体に声を行き渡らせる。

 

 

「この城での就業は15歳を超えなければ認められない。しかしカルはこれに満たない。彼は魔族である前に子供です。こなせる仕事の種類と量に限度がある。無理に働かせればどこかで綻びが生じ、より多方面に迷惑をかけることになるでしょう。考慮して調整するのは当然と考えます。」

 

 

 仕事を円滑に進めてこの城の活動を回す。そのために仕える者を統括するのがミネルの役目。感情に左右されずに最善を尽くすことが役目なのだ。

 

 たとえ家族を魔族との戦争で奪われていようとも、カルは関係ない。彼も部下の1人に過ぎない。

 

 

「それに、私はカルの管理を委任されていますが主人ではない。カルの主人はシエラ様であり、カルはシエラ様の命令を最優先する義務がある。あなたにどうこうできることではありません。」

 

 

 ミネルはもう一度食堂に背を向ける。

 

 

「くだらぬ感情による小細工で器物を損壊し同僚の士気を下げ、無用な仕事を増やした者と、理不尽に耐えながら与えられた仕事を黙々とこなす子供。仕える者として相応しいのはどちらでしょうか。」

 

 

 今度こそ食堂を後にするミネル。他の用を済ませてからカルの”おうち”へ向かった。

 

 扉をノックすれば鍵が寂しげな音を立てて外され、開く。

カルは耳を伏せたままで目の周りに擦った跡ができていた。

 

 

「先程は…本当に申し訳ありませんでした……」

 

 

「あなたに非はありません。あなたが手袋を常用しているということを私は考慮すべきでした。」

 

 

 力無く頭を下げるカルに、ミネルはそう言って布のナプキンを差し出した。

 

 

「これからはこれも追加で支給します。給仕係は配膳だけでなく調理や皿洗いも担当しているので、食事時前後はとても忙しくなります。今回のように、()()()()()()()()()()()()滑りやすくなっていることは今後もあるかもしれません。食事の時だけでなく、壊れ物を手に持つ際は、先にこれで物を拭いてから作業すると良いでしょう。」

 

 

 ナプキンを受け取ったカルは、まだ怯えた目をしていた。

 

 

「その…食器は…」

 

 

「余りが十分にあるので気にする必要はありません。メイド用の食器を厳密に管理していたら、給仕係が皿を割るたびに私が報告と調達をしなければなりませんから。」

 

 

 ミネルは外に置いていた、クローシュが被せられているお盆を乗せたワゴンを中に入れた。

 

 

「夕食です。食器は後ほど回収するのでワゴンごと外に出しておいてください。それでは、おやすみなさい。」

 

 

 ミネルはカルの返事を待たずにそのまま去ったのでカルは慌てて外に出て、お辞儀をしながら礼を言った。

 

 いつもの丸いパンとバター、コーンスープ、ミニトマト。そして指3本分の太さと指2本分の長さがある骨つきソーセージがふたつ。

 

 おそらく自分のために急遽用意してくれたであろう夕食。どうしても、大きな骨つきソーセージに目が奪われる。

 

 こんなものはメイドの食事に出た覚えがない。まだ熱いことから焼きあげたばかりだということもわかる。つまり残飯などではない。

 

 ミネルは上級使用人であるからメイドとは別の場所で、別の料理を食べる。その上級の厨房から、普段メイドが口にできないような食材を持ち出してわざわざ調理してくれたのだろう。

 

 肉汁で火傷しないように気をつけながら、カルは少しずつ、よく噛んで食べたのだった。

 


 つづく

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