表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/15

1話

 

 ユキヒョウ獣人の王が治める、様々な種族が入り乱れた王国。そのある街の屋敷から、ネコ科系獣人の少年が出てくる。

 

 

「母上、行ってきます!」

 

 

 白地に斑点模様。しかしヒョウとは違い耳は大きく、耳の先にはまつ毛のように毛が伸びている。彼はユキヒョウ族とカラカル族の混血。そしてこの国の第3皇子だった。

 

 数人の護衛を連れて、向かうは民間の小学校。王位継承権はあるものの順位は3番目。なので城に閉じこもるより俗世に慣れていたほうが良いという国王たる父親の方針に従って、普段は庶民の子供と大差ない生活を送っていた。

 

 

「皇子、上着の襟が立っていますよ。」

 

 

 半獣人の護衛が金の装飾が施された藍色のジャケットの襟に手を伸ばす。まだ10歳にも満たない彼にとって王族の衣装は身だしなみの管理が面倒くさいだけ。

 

 遊ぶ時とそれ以外の時でいちいち着替えずに、みんなと同じような雌雄兼用の子供用ワンピースで駆け回りたいというのが本音。

 

 邪魔だなぁと思いながら襟を直されるのを待っていると、突然首から上に衝撃を受けて天地がひっくり返り、そして真っ暗になった。

 

 

 

 

 

「う……ん……」

 

 

 固い床からの断続的な振動で、獣の少年は目を覚ます。

 

 狭い場所。馬車の中だろうか。手を後ろに回させられていて、足も動かせない。口にも何かを咥えさせられている。

 

 どうにか身体を起こして周りを見ると、何年か前から護衛としてそばにいた牛獣人が同じように縛られているのを見つけた。所々包帯が雑に巻かれていて意識もない。

 

 そして、特に拘束されているわけでも、傷を負っているわけでもないイヌ系の半獣人と馬獣人が座っていた。彼らも護衛のはずだった。

 

 

「…気が付いたか。水は飲ませてやる。水か、排泄のとき以外は騒ぐな。無駄に騒いだら、また気絶させる。」

 

 

 同族であるはずの彼らが他の護衛を奇襲し、そして第3皇子を誘拐したのだ。

 

 

 それから3日。会話も身動きも許されず、食事などの時は刃物を突きつけられる。一緒に囚われた牛獣人以外の護衛は見当たらない。

 

 

 学校に行って、勉強して、友達と遊んで、家に帰ったら母親に毛を繕ってもらうはずだった。

 

 不安と寂しさを紛らわそうと、裏切った者たちに睨まれながら芋虫のように這いずって牛獣人に身を寄り添わせる。

 

 そんな幼い皇子に、牛獣人は悲しげな視線を送った。

 

 

 やがてどこかに到着すると獣の少年と牛獣人は別々の場所に連れて行かれ、地下牢に移された少年の元へ数人の鎧を着た人間が現れる。猿轡は外されたものの、恐怖で声が出ない。

 

 

「第3皇子、で間違いないか?」

 

 

 怯えた目で人間の兵士達を見上げる獣人の子供。

 

 

「無視か。」

 

 

 正面にいた兵士はそれ以上言わず獣の少年の首根っこを掴み上げ、みぞおちに膝蹴りを叩き込む。

 

 一瞬呼吸ができなくなり、そして胃液を吐き出した。

 

 

「お前、」

 

 

 床に転がって咳き込む小さな獣人に、兵士は無感情に呼びかける。

 

 

「これを食え。」

 

 

 そう言って丸い果実を手に取ると床に落として踏み潰す。水分量が多いその果実は皮を残して半液状となった。

 

 

「た…たべる…?」

 

 

「そうだ。」

 

 

 小さな獣は戸惑った。鼻につく柔らかな甘い匂い。でもそれは、食べ物と言えるのだろうか。そもそもお腹は空いていない。

 

 ごそ、と兵士が動く。

 

 

「もういい。食わなくていい。」

 

 

 丸められた鞭を手にしたのを見て、小さな獣の毛が逆立つ。

 

 

「食べる…食べるから……」

 

 

 這って、家畜のように、震えながら床を舐める。するとまた首根っこを掴まれ持ち上げられて、今度は鼻面を殴られまた転がった。

 

 

「俺は”もう食わなくていい”と言った。なのにお前は無視して食った。言うことを聞かないなら鞭で打つ。言ったことに逆らうなら、これだ。」

 

 

 後ろにいた仲間に鞭を渡し、代わりに鎖を受け取った。

 

 

「服を脱げ。全部だ。」

 

 

 鼻を押さえながら涙を溢す小さな獣人。すっかり薄汚れてしまった上質な衣服を指さす兵士に視線で許しを求める。

 

 

「…そうか。嫌か。」

 

 

 兵士が後ろの仲間に振り向こうとする。後ろの兵は棘のついた鉄線を持っていた…

 

 

「まって…まって…!」

 

 

 見下ろされたまま少年はボタンを外し上着もズボンも脱ぎ捨てて、父親譲りの美しい毛並みに覆われた裸体があらわになる。

 

 

「まぁいい。じゃあ口を閉じてろ。」

 

 

 鼻血を垂らす獣の少年の瞳に、男が鎖を持った手を振り上げる様子が映る。

 

 小さな獣人は無意識に両腕で頭を覆って脚を折りたたみ背中を丸める。耳も伏せて尻尾も股の間に入った。

 

 本能的に身を守ろうとする姿勢。なんの効果もない儚い抵抗。

 

 脇腹に、肩に、太ももに、重い一振りが打ち付けられる。勢い余って床にぶつかった鎖がけたたましく鳴り響いて、それに獣の苦悶の呻き声が混ざった。

 

 

「はぁ…はぁ…うくっ……」

 

 

 罰が終わると兵士達は何事もなかったかのようにその場を去った。

 

 獣の少年は丸くなったまま。鼓動も呼吸もなかなか落ち着かない。どこを打たれたのかわからなくなるくらい、身体中が鈍く痛み熱も感じる。

 

 

「ゔぅ……く…ぅ……」

 

 

 兵士が戻ってくる気配はない。そう感じるとボロボロと涙が溢れ、小さな獣人は声を押し殺して泣く。

 

 それでも幼さ故の純粋さで、きっと両親が助けに来ると信じていた。

 

 国王である父親は4人の妻と5人の子供を持っていて、第3、第4子は別々に暮らしているので毎日会えるわけではない。

 

 でも、集まった時はみんな等しく可愛がってくれる。会いにくと挨拶がわりに抱擁を交わして、いつも贈り物をくれる。手紙も頻繁に送ってくれる。そして立派な戦士でもある。

 

 母親は身だしなみにとてもうるさくて、出かける前はしつこく注意される。でも学友と遊んで砂だらけになって帰るとどこか嬉しそうで、身体を洗った後は毎日毛を繕ってくれる。

 

 

 そんな両親が、黙っているはずがない。

 

 

 薄暗い牢屋の中で日にちの感覚が麻痺しても、先が全く見えない時間を震えながら耐え続ける。お腹なんてこれっぽっちも空いていないけど、家に帰った時にガリガリに痩せて弱っていたら両親が悲しむから、とパンを水で無理やり胃に押し込む。

 

 

 定期的に水桶とタワシが差し入れられると身体と一緒に服も水洗い。すっかりゴワゴワになってしまったその衣服も、今では唯一の持ち物になった。母が見たら怒りそうだ。

 

 薄暗く、自分以外には誰の気配も感じられない場所で過ごす日々は、楽しいことでも考えていないと気が狂いそうだった。人質だからかあれ以来暴行を加えられることはなく、それが不幸中の幸いだった。

 

 それでも、食事を運んでくるだけだと分かっていても、兵士が近づく気配を感じると毛が逆立って尻尾が太くなり、心臓が早鐘を打つ。

 

 

「お前の国から文書が届いた。来い。」

 

 

 そう言われると手枷を鎖で繋がれ、それを引っ張られるままに広い建物の中だと思われる廊下を進んでいく。赤い絨毯が敷かれた豪華な内装。

 

 そして獣の少年は広い部屋……謁見室へ通された。

 

 

「お待たせ致しました。」

 

 

 いたのは十数人の兵士と、一目で王と分かる人間の男。少年は無理やり跪かされる。

 

 

「では、開封するとしよう。お前にも聞く権利があるだろう。…そのまま代読を。」

 

 

 丸められた羊皮紙を銀の盆に乗せて立っていたメイドらしき人間の女性は、国王に一礼してから文を広げた。

 

 

「”貴殿の要求は理解した、ファール国国王よ。ではこの文が貴殿の元に届いた時をもって、ベスティア国王の名の下に、第3皇子の王位継承権を剥奪、及び皇族からの追放を宣言する。”」

 

 

 ひゅ、と少年が息を呑む。そして思わず視線を上げてしまった。しかし誰も獣の少年を見ていなかった。この返答には人間たちも動揺していた。

 

 

「”貴殿が我が国民に対して非人道的な手段を用いたことに変わりはないが、件の少年は貴殿が提示した取引の対価には到底なり得ないと判断。少年は死亡したものとし、要求は却下する。”……以上です。」

 

 

 沈黙が流れる。

 

 獣の少年は、頭が冷えるような、しかし心拍は跳ね上がる奇妙な感覚に陥る。何も考えられなくなって、何度か深呼吸して、すると今度は顔が熱くなる。

 

 

「嘘だ……」

 

 

 追放、追放?読み上げられた文字の断片が頭の中をぐるぐる回る。

 

 

「そんなの…!そんなの……あ゛ぅっ!」

 

 

 バン、と背中に衝撃が走って少年は地面に顎を打ちつける。

 

 床に伏せさせられた獣の元へ、国王が歩み寄る。

 

 

「嘘だ、と言いたいのはこちらの方だ。お前をここに連れてくるまでにどれだけの苦労と時間をかけたと思ってる。…足枷になれば息子とて躊躇いなく切り捨てる、まさに心の無いケダモノの所業よな。」

 

 

「そ…そんなこと…父上がそんなこと……」

 

 

「自分で読むか?なんならくれてやる。」

 

 

 少年の屋敷や宮殿にいくつも掲げられている旗の紋章と同じ模様の封蝋が施された羊皮紙を手渡された。

 

 

「父上の…匂い…!」

 

 

 獣の少年は羊皮紙に残るほんの僅かな匂いに気づいてそれが本物であることを知る。


 

「それで、こいつはどうしますか?」

 

 

 いくら読んでも内容が頭に入らない、と言うように何度も瞳を上下に動かして手紙を凝視する獣の少年を尻目に兵士が国王に訊いた。

 

 

「さてどうしたものか。追放されたとはいえお前を他の捕虜に会わせれば彼らの反抗心を煽るだろうし…“教育”して密偵にするにも元皇族だと不都合だな…模様も特徴的だから余計に。」

 

 

 国王はさも悩ましげに顎髭をいじる。

 

 ふとしゃがんで、未だ現実を受け入れることができていない獣の少年の頭を軽く撫でた。

 

 

「手入れが行き届いていない割に悪くない手触りだ。色も模様も良い。毛皮にしよう。」

 

 

「け…がわ……?」

 

 

「外套か、スカーフにしたら良い物になりそうだ。もうすぐ娘が12歳の誕生日で、その贈り物を考えていたところなんだ。ちょうど良いな。」

 

 

 少年の身体から力が抜けて両手に持っていた羊皮紙がぱさ、と音を立てる。

 

 

「いやだ…そんなの……」

 

 

「魔族のお前を、毛皮が傷つかないよう苦しませずに殺して、その上お前がいたという証を残してやるんだぞ?温情じゃないか。」

 

 

「では首の骨を折って殺しましょう。」

 

 

 兵士がそう言って背後から近づき、獣の少年は小さく悲鳴を上げて逃げ出そうとするも首の鎖がそれを許さない。頭を抱えた腕を解こうと兵士が彼を掴む。

 

 

「待て待て、」

 

 

 国王が兵士を制止する。

 

 

「まず娘に見せて、この毛皮で何を作って欲しいか決めてもらおう。それによっては毛皮の量が足りないかもしれない。もしそうなったらもう少し成長させてから剥ぎ取る。あぁ、よく見えるように服は脱がせておけ。」

 

 

 独房に戻せ、と命を受けた兵が鎖を引っ張って獣の少年を立たせようとすると少年はそれに逆らって、背を向けた国王に訴える。

 

 

「おねがい…うちに帰して……おねがい……」

 

 

 国王は振り返った。

 

 

「どこに帰るんだ?ベスティア国民の少年よ。追放された身で帰る場所があるのか?」

 

 

 獣の少年は答えられぬまま引きずられていった。

 

 

 

 暗く狭い牢屋に戻されて、衣服も取り上げられた少年は膝を抱えてうずくまる。心臓が、身体から逃げようとしているかのように激しく鼓動している。

 

 助けは来ない。見捨てられた。殺される。

 

 今まで支えにしていたもの全てを一瞬で失ってしまった少年は、涙も流さずただ震えていた。まだ一桁の歳の彼は死んだらどうなるかなんて考えたこともなく、自分という存在が消えて無になるというその恐怖に打ちひしがれていた。

 

 不意に誰かの足音が近づいてきて気を失いそうになるくらい心臓が早鐘を打つ。

 

 …当番の兵士がいつものパンと新しい水差しを置きに来ただけだった。

 

 

 その日、獣の少年は何も口にしなかった。

 

 音すらほとんどない無の時間。いつもは妄想でやり過ごしていたこの時間。今やその楽しい妄想すら彼の首を締め上げる。

 

 

 自分の全てを否定された、あれからどれくらい時間が過ぎただろうか。複数の足音が近づいてくる。

 

 身体を極限まで丸めて、大きな耳を両手で押し潰すように塞ぐ。 

 

 

「これが魔族?思ったより小さいのね。子供なの?」

 

 

 少女の声。あの王の言っていた、王の娘なのだろう。毛皮の品定めに来たのだ。

 

 

「…本当に生きてるの?角にいるし松明だけだとここからじゃ暗くて見にくいわ…」

 

 

「寝ているのかもしれません。少々お待ちを。」

 

 

 兵士の1人が中に入って、毛玉と化した少年に耳打ちする。

 

 

「溺れて苦しんで死にたくないなら姿を見せろ。」

 

 

 ぎり、と歯軋りして、ゆっくり起き上がる。どうせ殺されるのに何故言うことを聞かなければならないのか。精気が抜けた顔で、少女の12歳の誕生日プレゼントになるために振り返った。

 

 

「わぁ……」

 

 

 想像していた悪魔のような顔とはかけ離れた愛らしい顔立ちに、少女は思わずしゃがんで彼を凝視した。

 

 

「かわいい…!猫ちゃんみたい…!魔族の子供ってこんなにかわいいの?」

 

 

「…!」

 

 

 かわいい。その一言が、弱り切った彼の心を動かした。

 

 

「助けて……!殺さないで……!」

 

 

 四つん這いになって彼女の方へ向かう。枯れていたはずの涙が滝のように流れて彼をより悲劇的に見せた。

 

 

「おねがい……殺さないで……」

 

 

 格子に縋りつく獣の少年。少女はやや面食らったが、同時に胸の何かがくすぐられるような気がした。

 

 

「あなた殺されるの?子供なのに?悪いことしたの?」

 

 

「してない…してないよぅ……」

 

 

 少女が兵士を見上げると、彼は一瞬焦ったような、それでもって気まずそうな顔をする。少女はそれを、この獣の言うことを肯定したのだと受け取った。

 

 

「そう…それはかわいそうね。…ねぇ、もっと顔を見せて。」

 

 

 しゃくり上げながら、少女を真っ直ぐ見つめる。少女はクスリと笑って、その細い手を格子の隙間に差し入れると泣きじゃくる獣を撫でた。

 

 

「おおきな耳。ふわふわだわ。…うん、決めた。私があなたを飼ってあげる。ちょうど、次の誕生日に白い猫をもらおうと思ってたの。でもあなたなら喋れるし、白に黒の斑点なんて絵本でも見たことないし。牙があって猛獣みたいだけど、でも可愛いし。」

 

 

 魔族は屈強で野蛮な人外、と教わってきた彼女にとって、目の前のそれは言葉を話す大きな猫ぐらいにしか映らなかった。

 

 

「殺されなかった魔族はみんな”ご奉仕”してるって聞いたけど、1匹くらい私がペットにしてもきっと困らないわ。良い子でいられるよね?」

 

 

 あぁ、もうヒトとしては生きていけないんだ。幼いながらその恐ろしさを理解するネコの少年。それでも、少年は何度も何度も頷いた。毛皮として遺される恐怖に比べれば、それは女神のような優しさに感じられたのだ。

 

 

「私はお父様に言いに行くからあなたはもう少しここで待っててね。大丈夫泣かないで、あなたはもう私のペットなんだから、辛いことなんてさせやしないわ。」

 

 

「ありがとう……ありがとう……」

 

 

 少女は彼をもう一度撫でて、牢を後にする。珍しい獣が自分のものになる喜びのステップを踏みながら。

 

 

 

つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ