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10話 籠の中のケモノ


 

 カル。敵対国の第三皇子で、今は忠実な従者に成り下がった獣の少年。

 

 そのカルと結婚するか、人質として囚われ続けるか。

 

 両親はもちろん、その他の者達も前者を選ばせようとするだろう。確かにその方が聞こえは良いかもしれないが、アルフレートとの婚約を強引に破棄されたシエラにとってはどうでも良いことだった。

 

 返答期限は容赦なく迫る。シエラは自室のソファの上でアルフレートからの手紙を開いた。

 

 

 “…あなたにはどう顔向けすれば良いかわかりません。どうぞ私を婚約者を売った外道と軽蔑してください。しかしこれが最善なのです…”

 

 

 シエラは半分も読まずに捨ててしまった。薬指に嵌めていた指輪も外して、最近ずっと使っていなかった古い小物入れの1番下の引き出しに放り込む。

 

 パサ、と変な音がしたので引き出しの中を見ると黒い輪っかが、枯れた花冠があった。

 

 …カルがペットだった頃に作ったものだ。あの時は仲良しの印と言ってこれを貰った。なんておめでたい。

 

 

 カルのことは確かに可愛がっていた。本人には侮辱になると思って伝えてないが、弟のように思っていた。

 

 カルも自分のことを慕っている。シルクがいたのに、カルは自分と政略結婚することを選んだ。

 

 

 違う、カルは、アランは、慕わざる得なかった。自らを唯一庇ってくれる存在に対して好意を表に出し媚びを売って気に入ってもらわなければならなかった。

 

 城の誰もが、カル本人でさえ勘違いしている。それまでの生活を全て奪われ、自由を奪われ存在を脅かされた幼い少年が、慈悲をくれたことに感謝して忠誠を誓った。そしてその忠義に感化されて彼を仲間として受け入れた。

 

 シエラはそれを美談とする周囲を愚かしいと思った。

 

 カルは自分を慕っている。あっさり婚約を蹴るほどに。

 

 もしカルに毛皮になれと命令したら、きっと反抗せずに首を差し出すだろう。

 

 

「シエラ様、お夕食の準備が出来ました。…ワゴン、扉の前に置いておきます。その…私はすぐ部屋に戻るので、冷めないうちにお召し上がりください。」

 

 

 傷つけたはずなのに、カルはまだ側にいる。

 

 

 カルと結婚したとしても、カルはずっと今のままだろう。カルが自分に向けるのは恐怖。そのままでは心が壊れてしまうから、好意で上塗りされた恐怖を向けている。

 

 今まではあくまで主従関係であったから、それでも違和感なく成り立っていた。しかし夫婦になったら?

 

 本来の婚約を奪われて強引に従者と結婚させられた自分と、建前では対等だが心は永遠に依存し服従するカル。加えてカルはベスティア国の傀儡(くぐつ)となり、ファール国民からは後ろ指を指されるのだろう。さらに、そうなれば自分は今以上の罪悪感に苦しむことになる。

 

 カルと結婚すればカルは道具のまま。そして自分も本心を殺した道具となり、その道具と新しい道具を作る。

 

 耐えられるはずがない。想像しただけで気が狂いそうな生活。そんな混沌に身を置きたいなどと誰が望むものか。

 

 カルは故郷に帰り、自分はアルフレートと結婚した上でファールは属国となる。それで良いはずなのに。

 

 

「はぁ……」

 

 

 シエラはわざとらしく声を出してため息を吐く。頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

 

 

 でもカルならきっと自分を大事にしてくれる。

 

 でもカルをこれ以上道具として扱って欲しくない。

 

 でもかつてのカルのように人質にはなりたくない。

 

 でも父親のチェス駒にはなりたくない。

 

 でも相手が魔族で縛られるならカルしかいない。

 

 でも魔族の嫁になんかなりたくない……

 

 でもカルは……

 

 

 期限まであと2日。父はきっと、カルにあらゆる”権利”を与えて無理やりにでも私をカルの嫁にするだろう。そして胸を撫で下ろすのだ。最悪の事態は免れた、と。

 

 

 シエラはおもむろに窓を開けた。ここは城の3階。ここから落ちれば数秒で全てを終わらせられる……。

 

 

 "カル君、過呼吸になってしまったのよ"

 

 

 両親が説得を試みた時、母はそう言った。あの時は一切耳を貸さなかったし、そのことの後悔もしていない。カルは自分から離れた方が良いのだ。

 

 …シエラは窓を閉じる。大きなため息を吐いて、さっきカルが運んできたワゴンを部屋に入れるとぬるくなった夕食を食べ始めた。

 

 その中に、王族らしい夕食に不相応な数枚の丸型クッキーがあった。シルクやいつかできる子供にと、彼に作り方を教えたのはシエラ。

 

 しかしそれは、シエラに罪悪感を与えることしかできなかった。

 

 

 

 一方その頃、カルは上級使用人専用の厨房にいた。

 

 

「ミネル様、料理もお上手ですね。シェフが作ったのと大差ない…」

 

 

「それは言い過ぎですよ。さすがに専門職には敵いません。これは私の楽しみに過ぎませんから。」

 

 

 ミネルとカル以外の上級使用人は仕事が大幅に減ったため泊まり込みを除いて皆家に戻っている。食堂も夜は休みとなったので、代わりにミネルが作ることになった。

 

 彼女が用意したのは上級使用人の食事専門の給仕が作っている料理よりも豪勢なもの。王族に出せるのではと思えるくらいだ。

 

 

「今日、知っての通り以前から予定されていた陛下と貴族の晩餐会が中止になったので使う予定だった食材が大量に余ってしまったのです。遠慮せず食べてください。」

 

 

 厚切りの肉の皿を前に、いつもよりカルの尻尾の位置が高い。

 

 ミネルも仕事が減ったので趣味の料理に時間をかけることができた。加えて普段は扱わないような食材を使ってさまざまな料理を作れたことに満足していた。

 

 一点、食事中に何を話せば良いかわからなかったがその必要もなさそうだ。食事の時も含めて人前では極力牙を見せるなと言いつけられていることも忘れ、カルは夢中で舌鼓を打っていた。

 

 シエラと違って、外見だけでなく中身もまだ子供らしさが濃いように思えた。

 

 

 食事を終えて皿を洗っている時も機嫌が良さそうなカル。そのあといくらか経ってからお風呂に入って、部屋で少し湿った毛をブラシで繕った。

 

 このままベッドで眠って明日からもずっといつも通りだったらどんなに良いだろうか。

 

 カルは少し欠けた月が浮かぶ夜空を眺めながら父譲りの毛を()かす。

 

 カルはため息をついた。シエラと結婚すればシエラは人質にならずに済む。でも無理やり事を進めて彼女に嫌われてしまえば、唯一の心の支えを失った状態でベスティア国の操り人形にならなければならない。そんなことが自分にできるのだろうか。

 

 

 カルは尻尾の毛並みも整える。容姿は母の種族寄りだが、この尻尾は父であるユキヒョウの尻尾。自分があのベスティア国王の血を継いでいることを最も強く表している。

 

 もし…父がベスティア国王ではなかったら…自分が皇族の元に生まれなかったら…

 

 カルはまたため息を吐いた。

 

 

「母上は…今の私を見てなんて言うだろう…」

 

 

 母の顔を思い浮かべたものの会いたいと言う気持ちは少しも湧かず、むしろ母の反応が怖い。

 

 

 …ガチャ、

 

 

「っえ、わっ…うわわっ!」

 

 

 突然扉が開いたと思ったらシエラが入ってきたのでカルは文字通り飛び上がった。尻尾も真っ直ぐ天井に伸びて毛膨れする。

 

 …毛繕い中だったので全裸である。

 

 

「しょっ…少々お待ちを…!」

 

 

 カルは脇にあった寝巻き用のローブに袖を通す。が、上下逆だ。その慌てようにシエラは呆れつつ、思わず笑いそうになった。

 

 

「ノックしなかったのは謝るけどそんなに動揺しなくても。あなたの裸なら前に看病したときに見てるし。」

 

 

 背中を向けていた上、夜目が効くカルは明かりを灯しておらず人間の目にはかなり暗い。仮に明るくても彼は全身毛皮に覆われた獣人なので別になんとも思わないだろう。もちろん彼にとってはそういう問題ではないが。

 

 カルはローブを着て、首輪を着けて、何度か深呼吸して落ち着くとランタンに火を灯してからシエラの前に跪いた。

 

 

「…失礼しました。いかがなされましたか。」

 

 

「この間あなたに言ったことを謝りにきただけよ。あなたのことを嫌いになったわけじゃないの。」

 

 

 カルは跪いたままで、シエラは近くの椅子に腰掛ける。

 

 

「…その様子じゃ、まだ私と結婚するつもり?」

 

 

「シエラ様が人質として囚われる。私にはそんなの耐えられないんです。私はまだ…まだあなたに何もできていない。…それとも、この獣にあなたを守ることなんて許されないのでしょうか。それは傲慢なことなのでしょうか。」

 

 

 カルは耳を伏せる。彼は彼で悩んだのであろうことは読み取れた。シエラがそんなカルの首に向かって手を伸ばすとカルはビクリと震えた。

 

 

「…やっぱり外せないのね、その首輪。どうして?」

 

 

「それは…」

 

 

「外したら、それがなかったら、あなたは何かされるの?」

 

 

 カルはゴクリの生唾を飲む。王族の紋様が刻まれているプレートが付けられたその首輪は忠義を尽くした証。

 

 そして、彼の五体満足を保証するもの。

 

 

「怖いんでしょう?何故?いったいどんな目に遭ったらそこまで怖がるの?」

 

 

「…ですが、シエラ様がしたわけではありません。それに私は敵国の者。シエラ様はそんな私を大切にしてくださった。救ってくださった。私がそもそもここにいる理由と、私があなたに仕える理由は関係ありません。」

 

 

「えぇそうね。私はあなたがとても大切だわ。なら最後の命令を聞いてくれるわよね?」

 

 

「シエラ様……」

 

 

「あなたには幸せになってほしいっていうのは私の言い訳で、本当は魔族と結婚したくないだけなのかもしれない。アルフレート様を諦められないだけなのかもしれない。色々考えて、自分の気持ちもわからなくなってしまった。でもね、あなたは私から離れて故郷に帰るべきだ、っていう結論だけは変わらない。」

 

 

 シエラは立って、そしてかがんでカルの頭を軽く抱いた。

 

 

「あなたの本当の居場所はここじゃないの。あなたのお父様も私を丁重に扱ってくれるっておっしゃっているわ。私は王女。女だからこの国の王位継承権はないけど、それでも王族としての責任がある。でもあなたはもう皇子じゃないんでしょ?なら帰りなさい。道具になんてならないで。」

 

 

 シエラは再び立ち、そして背を向けた。

 

 

「…待って!」

 

 

 カルの言葉に熱がこもる。

 

 

「あなたは途方に暮れていた私を生かしてくださった。撫でてくださった。遊んでくださった。可愛がってくださった。仕事をくださった。今の私にとって、カルにとって、あなたは全てなのです。ベスティア国王に、私は異常だと言われました。その通りかもしれない。しかしあなたは私の……」

 

 

 シエラは振り向いて言った。

 

 

「良いわ。教えてあげる。私はあなたの恩人でも何でもないの。あなたが拉致されたその時から今の今まで、全部お父様が仕組んだことなのよ。あなたをペットにして可愛がったのも、あなたを召使いにしたのも、全部。」

 

 

 しかしシエラの予想に反して、カルは顔色を一切変えなかった。

 

 

「…陛下が私を毛皮にする気など、もとい私を殺すつもりなど微塵もなかったということなら気づいています。」

 

 

 そして、顔色を変えたのはシエラの方だった。

 

 

「私を本当に毛皮にしてシエラ様のお召し物にするのなら、生きていて意識もある私をあなたに見せる必要はなかった。」

 

 

 剥ぎ取った毛皮を見せれば良い話で、直接会わせる必要はないはず。それもちょうど猫を飼いたいと言っていたのだとしたら、なおさら情が湧く可能性が高いと誰もが予想できるだろう。

 

 

「陛下がわざわざ私の前でベスティアからの文書を読んだのも私の心を折るため。きっと無茶な交渉内容で断られる事は予定内だったのでしょう。当時は皇子だったとはいえ、第三皇子ですから。」

 

 

 皇族から追放することまでは予期していなかったかもしれない。だが第三皇子なら、ほかに何人も皇子がいるなら見捨てられる可能性も十分考えられる。

 

 

「最初から戦争を見越して、私をいざという時の保険としたのでしょう。追放したとはいえ、いざ交渉の場に私が召喚されたら国王として無視できないでしょうから。」

 

 

 カルが可哀想だと溢したシエラに、彼を召使いにするのはどうかと提案したのも彼女の父だった。その事をカルは知らないが、推測することはできる。

 

 

「でも、やはりあなたは私を救ってくださったのです。多少の恩を着せて懐かせた方が利用価値が上がるかもしれませんが、ここまでの待遇を与える必要はなかった。極端な話、生きていれば良いのですから。」

 

 

 生きている限りどんな状態でも利用価値はある。だから図書館を利用させる必要も、良い食事をさせる必要も部屋を与える必要も無かった。

 

 

「あなたが私に優しくしてくださることも、それで私があなたをお慕いすることも全て予定通りなのかもしれない。だとしても、私にとってあなたは恩人であり、敬愛すべき存在に違いないのです。」

 

 

 カルの顔にはなんとも言えない微笑が浮かんで、そしてなんとも言えない優しさが滲む視線をシエラに送っていた。

 

 

 婚約を強引に破棄されて、無理やり新たな婚約を結ばされそうになっている。それはシエラもカルも同じはずなのに、それに対する反応は雲泥の差。

 

 

「…私もただ引きこもってたわけじゃない。色々考えた。…カル、あなた、本当は嬉しいのね?大好きな私と結婚できて嬉しいのね?でなきゃこの状況でそんな顔できないわ。」

 

 

 あんなに仲が良さそうだったシルクとの縁談を振り返ることもしなかったことにもこれで合点がいく。

 

 

「当然と言えば当然だわ。あなたには私しかいなかったんだもの。今はみんなあなたのことを受け入れてるけど、それでも、あなたが来た時からあなたの1番近くにいる私を女としてみても不思議じゃない。」

 

 

 カルはただ視線を下げただけで否定しなかった。

 

 

「でもあなたはそれも擦り込まれたことだって分かってる。なのにどうして?もうあなたを縛るものは無い。カル、あなたは故郷に帰れるの。首輪が無くたって誰かに虐げれられることもない。暴力に怯えることもない。普通に戻れるのよ。私がいなくても、あなたはもっと自由に生きていけるの。」

 

 

 戻ればわかるはずだ。今までどれだけ侵害されてきたかを。カルは他の奉仕魔族の子供と違って、ベスティア国での日常を知っている。だから帰ればすぐにその感覚を取り戻すだろう。カルはまだ15歳半。代えられないものを失ってしまったことは確かでも、やり直すことはできるはずだ。

 

 

「…やっぱり、あなたは心の支えですよ、シエラ様。」

 

 

 カルは小さく息を吐く。微笑みを収め、瞼を閉じる。

 

 自惚れなんかじゃない。やはりシエラは自分のことを想ってくれている。彼女は自分を道具としない。シエラ様になら怖くない、怖くない、と言い聞かせて、重い口を開いた。

 

 

「…確かに、ここに来てから辛いことが沢山あった。死んだ方が良かったのではと、思ったこともありました。怖くて、寂しくて、時間の流れも忘れて、気が狂いそうになったあの時を、背中で肉が焼ける音がした時を、それまでの恐怖を、つい昨日のことのように覚えています。えぇ、帰りたかった。父上と母上の幻覚を何度も見ました。」

 

 

 カルの毛が逆立ったのはシエラからもわかった。カルは動悸を鎮めようと深呼吸する。

 

 

「でも、私がベスティア国に帰ったとして、そこに居場所はありません。ファール国に忠誠を誓い、6年以上服従した私を野放しにするはずがない。私は常に監視されることになるでしょう。私を憐れむかもしれませんが、信頼することはない。」

 

 

 ましてや元の生活に戻れることなどできやしない。ファール国に服従した”魔族”に何度もしてやられ、ついには皇子を誘拐されたベスティア国が、ファール国の飼い猫となって戻ってきたカルに自由を与えることはまず考えられなかった。

 

 

「恐れながら申し上げますが…私は確かに、あなた達に生活を奪われた。ですがあなたのご温情が重なって、私は上級使用人となり良い暮らしをさせていただいている。やっと平穏に暮らせるようになったのに…私は…今度は祖国に全てを奪われるのです。」

 

 

 尊厳を捨てて今まで積み上げてきたものは全て無駄になり、多少贅沢な幽閉生活を送ることになる。国は違えど同じ治める者としてシエラも理解できた。そしてようやく、何故カルが離れたがらないのかを理解した。

 

 カルは祖国に見捨てられてひとりぼっちになった。でも今は違う。仮染めでも居場所ができた。当時幼かったカルにとっていくら故郷といえど6年半帰っていなければその記憶も朧げになっているだろう。帰れば、カルはまたひとりぼっちになる。

 

 信頼されず、厄介者であるかのように隔離され、義務的に飼われる。

 

 

「シエラ様…確かに私にはシエラ様をお守りできない…」

 

 

 カルは両膝をつき、そして額を床につけた。

 

 

「そんな頭の高いことはもう二度と言いません……だからシエラ様…あなたに嫌われようと建前だけの関係になっても構いません…それでも私を…どうか私をシエラ様のお側にいさせてください…私の居場所は他に無いんです…どうか…」

 

 

 “助けて……殺さないで……"

 

 

 (もや)がかかったカルとの1番古い記憶が蘇る。そして、あの時と同じようにシエラの胸を何かがくすぐった。

 

 カルはそれ以上何か言おうとはせず、嫌な沈黙が続く。

 

 

 元々、カルと結婚することで人質になることを回避するというのは悪い話では無いというのが周囲の認識。

 

 でもそれは2人して檻の中に入り飼われるということ。

 

 …でもこの調子のカルが独り故郷に帰ったら、元のアランに戻る前に取り返しのつかないことになるのでは……

 

 それに気づいたのに何故こんなにも揺れているのか。それは、人質となってしばらく経ち、ファール国が属国としての体勢を整えた後でアルフレートとの再会と結婚を許されるのでは、という淡い希望を抱いているから。

 

 

 カルは動かない。お世辞にもプロポーズとは受け取れない言葉。しかしそれがカルの全てであり、彼が勇気を振り絞って差し出した、崩れかけの炭のような薔薇(バラ)だった。

 

 

 カルのためと言ってそれを手で払っても、それによって壊れてしまえば一生その選択を引きずるだろう。

 

 父は国の最善を選んだ。では今の自分達の最善は。

 

 

「顔を上げて。」

 

 

 カルは言われた通り顔を上げて上目でシエラを見つめた。

 

 シエラは大きく息を吐いて、怯えたその顔を抱きしめる。

 

 

「本当に、それで良いのね?」

 

 

「はい…!はい…!!」

 

 

 カルは掠れた声で即答した。張り詰めていたものが一気に緩み、カルはボロボロと涙をこぼした。

 

 

「良かった…ありがとう…ございます……」

 

 

「そんなに泣くことないじゃない…」

 

 

 シエラもつられて、結局2人で泣いた。諦めと、ここ数日の息が詰まるような生活から解放される安堵に泣いた。

 

 

「毛繕い、途中だったんでしょ?」

 

 

 シエラはローブをはだけさせたカルの背中にブラシをかける。毛が生えていない烙印の部分を傷つけないように気をつけながら。

 

 カルは心地良さそうに欠伸した。前に彼を毛繕いしたのは彼が倒れた時。その時よりも背中はひと回り大きい。

 

 

「また大きくなったんじゃない?背丈もいつのまにか私に追いついちゃって。ちっちゃかったのに。」

 

 

「いつも十分な食事をいただけていますから。」

 

 

 カルは窓の外を見る。月がいつのまにか高い位置にあって時間の経過を示していた。

 

 

「ありがとうございました。もう遅いですから、お部屋までお送りします。」

 

 

 ローブを着直して、ランタンを取ろうとしたカルの腕をシエラが掴む。

 

 

「…期限は明後日、よね?」

 

 

「え?」

 

 

「私がここに来たのは別の理由だったけど、私が決めたこと。あなたが私を引き留めたのはあなたの意思。…そうでしょ?」

 

 

「シエラ様…」

 

 

「それとも、本当に建前だけの関係が良いのかしら。」

 

 

 カルは驚いているようにも、困惑しているようにも見える。シエラ自身も割り切った訳ではない。でもカルはもう十分頑張った。

 

 

「…ほら、」

 

 

「んあぅ、」

 

 

 シエラが立ち上がって彼の手を引くとカルは間抜けな声を出して、目をぱちくりさせながら目と鼻の先まで近づいた彼女を見つめた。

 

 シエラが短くため息をついて硬直したままのカルを抱き締める。

 

 

「…あなた本当にシルクと何もなかったの?」

 

 

「な…何も…なかったです…」

 

 

 そう言ってカルはぎこちなくシエラの背中に腕をまわすと彼女の肩に顎を乗せる。身長が同じくらいの彼女と目線が近くなりすぎないようにしたつもりだったが、結果甘えるような格好になってむしろ心音は高鳴った。

 

 どうしよう、とさらに身体が固くなるカルの頬に、シエラは自分の頬を預けて彼の頭を撫でればカルの身体からみるみる力が抜けていく。

 

 

「…あったかい。」

 

 

 大分優しい抱き方になったカルに身を預けながら、シエラはアルフレートを思い浮かべる。あっという間に遠い存在になってしまった元婚約者。カルがその代わりになることは決して無い。

 

 

「あなたを異性としてみるには少し時間がかかるかもしれない。でもきっと、あなたのことも好きになれる。だから…これからもよろしくね。」

 

 

「はい…!」

 

 

 カルは柔らかく微笑んで、少し躊躇ってから彼女の額に自分の額を押し当てた。親子や恋人同士で行う仕草を自分からしたのは初めてだ。

 

 シエラはしばらくカルの頬を揉みしだいてから離させて、見つめ合う。あぁ本当に好きなんだとわかるような彼の視線。そうなるよつ仕向けられたとはいえその気持ちは本物。脳裏をよぎった元婚約者を振り払うように彼の小さなマズルの先に口づけする。

 

 途端、カルの身体が硬直した。

 

 

「…なんでまたそんなに緊張するのよ。」

 

 

「い…いや…その…初めてで…すみません……」

 

 

「私だって初めてよ…」

 

 

 やれやれ、とシエラはカルから離れてベッドに座る。そして床で寝ようとしたカルを嗜めて、2人でベッドの中に入った。

 

 元々このベッドは1人用にしては大きい。その理由をシエラは知っているがまさか自分が寝ることになるとは思ってもいなかった。

 

 

「そういえばあなたが来たばかりの頃、あなたと一緒に寝たいってお父様に何度もお願いしてたのよね。」

 

 

 温かくてふわふわなカルはきっとどんな抱き枕よりも抱き心地が良いだろう、と。

 

 

「実を言うと…あの頃は寂しかったので…私も……」

 

 

 彼女の隣で昼寝することは許してもらえていた。その時の安心感が夜にもあったらどんなに良かっただろうか。

 

 

「…すみません。そういうことじゃないですよね…」

 

 

「次謝ったら破談ね。」

 

 

「破談…」

 

 

 シエラはカルに自分の方を向かせると、彼の懐に片腕を入れて直に抱きしめながら二度と毛が生えてこないであろう烙印を撫でる。

 

 

「…もう怖くないの。そう簡単には、行かないかもしれないけれど。」

 

 

「…はい。」

 

 

「その首輪も、どうしても外せないなら手首につけたら?」

 

 

「検討します。」

 

 

 カルはしばらくされるがまま撫でられていたが、不意に自らシエラを抱き寄せた。

 

 甘えるのも終わり。これからは自分がシエラを守らなければならない。彼女の側にいることができるのなら、確かにもう怖いものはない。

 

 

「直談判してくれたって聞いたわ。…ありがとう、カル。」

 

 

 カルはにっこり笑った。シエラの側にいることができるなら、傀儡の王にも何にでもなれるような気がした。

 

 せめて2人きりの時くらいは平穏であることを祈るように、さらりとした短毛で覆われた唇と滑らかで艶のある唇を重ね合わせた。

 

 

 2日後、ベスティア国王が再び王城へ現れる。そして両国王やアルフレートもいる中で、カルとシエラは抱擁と接吻を交わす。ベスティア国王は無表情で見守った。

 

 

「…そうか。そう決めたか。」

 

 

「即位式の準備もさほど時間はかからない。あとは貴公の署名を、」

 

 

 ファール国王がそう言うとミネルが羊皮紙と羽パンを乗せた移動式の机を運んでくる。ベスティア国王は見向きもせずにファール国王を真っ直ぐ見つめて言った。

 

 

「即位式?勝手にやっていれば良い。以降の交渉については外交官に任せる。」

 

 

 そしてカルとシエラに向き直った。

 

 

「では行くぞ。」

 

 

「行くって…どちらに…?」

 

 

 ベスティア国王は当たり前のように答えた。

 

 

「我が国に決まっているだろう。…なんだ、そんなに驚くことか?」

 

 

「待ってくれ、それはどういうことだ。旧第三皇子と結婚させれば我が娘を人質とは扱わないと…」

 

 

 大柄なユキヒョウ獣人はするどい眼光でファール国王を黙らせる。

 

 

「そうだ。人質ではなく国民として扱うと言った。カルの妻となるならば、ベスティア国の国民となる。」

 

 

 一切表情を変えることなく、淡々と告げた。

 

 

「旧第三皇子を無傷で返還すること。無血開城の条件としてそちらが提示したことだ。今更それを破棄するつもりか?あるいは今とり行ったばかりの誓いを破棄するか。」

 

 

 ファール国王は生唾を呑む。つまりベスティア国王にカルを王にする気など微塵もなく、取らぬ狸の皮算用だっというわけだ。

 

 

「…荷物をまとめる時間と、みんなへの挨拶の時間をいただけませんか。」

 

 

 シエラは不安そうに振り返ったカルを軽く撫でてからそう言った。

 

 

「1時間待つ。」

 

 

 その後はかなり慌ただしく荷物をまとめ、時間ギリギリまで挨拶に周り、馬車に駆け込んだ。

 

 

「シエラ様…」

 

 

「カル、私たちの意志で決めたこと、そうでしょ?それに…もしかしたらこうなるんじゃないかって思ってたの。」

 

 

 獣人や半獣人に囲まれながら4日。カルは6年半ぶりに祖国へと戻った。シエラの側にいる限りどんな扱いにも耐えられると信じながら。

 

 

 

 つづく。

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