9話
深夜のファール国王城、その一室のベッドの上でカルは黙って天井を見つめていた。
全てが夢だったら良かったのに、とカルは呟いた。
アシーク=ラクイアンを返してもらう。かつて、父親がそう言い放って自分を故郷に連れ戻す夢を、幻覚を、何度も見ては現実に戻って失望した。
そして、ついさっき待ち望んでいたはずの夢が現実で起こった。
頭はかつてないほど働いて、眠りにつくことなど到底出来ずに思考に耽る。
カルは微塵も喜びを感じていない。どころか、毛皮にされると言われたときのようなどうしようもない胸の苦しみがカルの正気を今にも吹き消してしまいそうだった。
戻らない。戻りたくない。何もかも奪われて、儚い希望に縋っていたあの時とはもう違う。
ここファールはヒト族の国でありヒト族至上主義。そして閉鎖的な国。もしかしたら自分の影響で見方が変わり、ベスティアとまともな外交を行ったのかもしれないという可能性もわずかにある。
しかし父親が、ベスティア国軍がここに来たということは、今まで戦争をしていてなおかつここを無血開城させたと解釈するのが自然である。夜遅くに国軍が来たのは城下街の庶民をパニックにさせないためだろうか。
「…シエラ様が危ない。」
ヒト族以外の種族を奴隷化してきたこの国を、旧第3皇子を拉致したこの国を、ただで済ますはずがない。その答えに行き着いたカルの頭に浮かんだのはただ一つ。主君であり恩人であるシエラを守ることだった。
翌日早朝、カルは2人の兵士と共に城下街を進む。ミネルと国王に許可をもらって、朝の仕事に代わり王都の外にあるベスティア国軍の野営地へ自ら赴いた。
あちら側の兵士は驚きつつ、中へ通してくれる。
「王女の身柄は人質として預かると決めている。」
跪くカルに向かって、ベスティア国王はそう言った。
「すぐの併合や植民は現実的ではない。ひとまず属国にするつもりだが、保険が必要なのはお前もわかるだろう?」
「はい。わかっております。ですがシエラ様は私を救って下さった。それに近年、他の奉仕魔族……酷使させられていた同胞の扱いを改善させるよう声を掛けたのも彼女です。私たちの種族を受け入れ、私に立場を与えて下さった彼女なら、貴国の属国を統治する者としてむしろ相応しいのではないでしょうか。」
「駄目だ。ファール国は女王を認めない。仮に王女がお前の言う通りの人物だとして、お前の提案した通りにしたらヒト族至上主義のファール国内の反感を買ってむしろ彼女を危険に晒すのではないか?」
「それは…」
カルはしばらく押し黙る。その間ベスティア国王はカルをじっと見下ろしていた。第3皇妃の類稀なる容姿を色濃く受け継ぐ少年、しかし記憶にある息子の面影はない。
「…シエラ様を、どう扱うつもりなのですか。彼女は一体どうなるのですか。彼女はもうじきアルフレート様と……」
「知っている。アルフレートはここに残ってもらう。王女に関しては当面の間こちらで軟禁させてもらう。」
「当面の間とは…」
「反乱を起こしうる要素が全てなくなったら、だ。それにお前は彼らを恩人と言うが、私はそうは思わない。カル、お前の思考は正常じゃない。」
カルは再び沈黙する。ふつふつと熱いものが込み上げてくるのを感じて、そしてカルはおもむろにローブの懐へ手を伸ばし、護身用の小刀を抜いた。
周囲の兵士が一斉に身構える中、カルは小刀を自らの首筋に突き付ける。
「…主人に仕え、守るのが私の役割です。果たせないなら私の価値は無くなる。」
ほんの一瞬、ベスティア国王は口籠った。刃はちゃんと毛を避け皮膚に向かって差し込まれていて、あとは少し力を入れて引けば血飛沫が上がることになる。しかし敵国の王家の使用人1人がここで死んだところで何の損害もない。強いて言えば片付けが面倒なだけだ。
「…その武器は常備しているのか?驚いたな。まぁいい、その首輪を血で濡らすのは勝手だが、お前が死んだことをすべてファール国側の責任としてなすりつけることもできるようになる。そうなれば、お前の主人はもっと危うい立場になるんじゃないか?」
歯ぎしりするカルを鼻で笑った。もう第三皇子はいないと言っておきながら今はそれを盾に譲歩を求めている。青い策だが、小刀を握る手やカルの目に迷いはない。
「ならこうしよう。カル、お前が王女シエラの夫になれ。そして子が生まれたら彼女も我が国の国民として扱ってやる。」
「な……」
カルは小刀を落としそうになった。
「シエラ様はアルフレート様と…」
「それがどうかしたのか?まだ子供がいないだけ良いじゃないか。それに、自分の命を盾にできるくらいの相手ならそれくらい簡単なことだろう?」
「しかし…」
「今夜の会談で私が先方に伝えおく。…早くそれをしまって城に帰れ。」
カルは小刀を鞘に戻したが中々動かない。
「私としてはどちらでも構わない。ファールがどうやってお前をそんな風に作り変えたかは知らないが、我々は人質とて丁重に扱うさ。お前は頭を冷やしてゆっくり考えろ。」
ベスティア国王が手を払うと獣人の兵士たちがカルと護衛を野営地の外へ連れ出した。
足取り重く城に戻るとシエラに出迎えられる。
「勝手に外出してしまい、申し訳ありません。」
「…いいのよ。でも戻ってこないかと思った。」
もちろんシエラは戦争のことを知っていて、昨夜の会談のことも知っている。しかしまだ、自身に何が起きるかは知らされていなかった。
昨晩のことが嘘のように城はいつも通りだった。カルが戦争に気づかないくらい皆が徹底してると考えれば当然とも言える。
ただ仕事はなく、その日、カルとシエラは久しぶりに2人で菓子と紅茶を嗜んだ。
シエラは明るく取り繕っているようで、逆にカルが取り繕っていることには気づいていない。
「シエラ様。」
「うん?」
「貴女は私を救って下さった。それは忘れません。」
「…うん。」
シエラは複雑そうに返事をした。彼が自分を慕うことは良いことと言えるのだろうか。
「カルに会えなくなるのは寂しいわ。」
「シエラ様さえ良ければ、私はずっとあなたにお仕え…」
「それは駄目よ。嬉しいわ、嬉しいけど、あなたはここにいるべきじゃないの。」
拉致された自分は故郷に帰るべきだと。彼女はいつも親のように、親以上に自分を大切にしてくれる。だからこそ、彼女がたった1人連行されるのは断じて許せないのだ。
どこか喪失感のある時間は過ぎて、夜が訪れる。カルは中々寝つけずに、ゴロゴロと寝返りを打つ。こうしてベッドの上で、柔らかい毛布にくるまって眠れるのもシエラのおかげ。
シルク…自分の婚約者。確かに彼女のことはヒトとして好きであるし、彼女との時間は楽しい。だが、今日の午後のようにシエラと過ごす時間はそれとは比べ物にならない特別なもの。
やはり離ればなれになるなんて考えられない。自分にとって、彼女の側にいることが1番………
……唐突に扉がノックされて心臓が飛び上がった。
「私です…アルフレートです…」
扉を開けるといかにも憔悴しきったアルフレートが跪いていた。美しい黒い長髪も乱れている。
「夜分遅くに申し訳ありません、アシーク=ラクイアン・ベスティア、ベスティア国第三皇子殿下。」
「やめてください。私はバトラーのカルです。」
「……ではカル君、私がここにいる理由を…君ならわかりますね?」
「シエラ様は…やはり人質に…?」
アルフレートは頷いた。
「どうかシエラ様を…守っていただけませんか。」
翌日、城の一室にファール国王、妃、シエラ、ミネル、そしてカルが集められた。
「…何ですって?」
人質としてベスティア国に送られる。それを聞いたシエラは言葉を詰まらせながら聞き返す。
「私…ひとりで?」
「そうだ。期限は設けないとのことだ。」
シエラの母、王妃は今にも泣き出しそうだった。
「アルフレートとの結婚、本当に残念だが諦めざる得ない。我々が第三皇子にしたようにお前を人質としてここから切り離すつもりだ。…身の安全は保証するとのことだが。」
「……従わなかったら?」
「シエラ、我々はここを無血開城したんだ。その意味がわかるだろう?もちろん譲歩は求めた。」
そしてシエラの父はカルを顎で指した。
「第三皇子をお前の夫とすることが譲歩の条件だ。」
シエラの眉がピクリと動いて、拳が握られる。
「ちょっと待って、それどういうこと?それって…つまりカルを私たちの国の国王にするってわけ?そんな…そんなの…そんなの誰が認めるって言うの!?」
「シエラ、どちらかに従わねばここは陥落させられる。国としての維持を認められなくなるんだ。」
「この国のための生贄になれと!?」
「シエラ…私達王族は…」
「なんでわざわざカルと結婚しなきゃいけないのよ!どうせ向こうの言いなりになるんだからアルフレート様でいいじゃない!」
「彼らは第三皇子をこの国の正統な王にして、我らファール国の王族にベスティア皇族の血筋を混ぜることが目的なんだろう。となれば誰も反論できずにこの国は隷属国となるだろう。しかしシエラ、お前を人質にされるよりはずっとマシだということは確実だ。」
「それは個人的に?政治的に?」
「両方だ。譲歩案を呑まなくても囚われたお前はベスティア側の者との子供を産まされ、その子供を我が国の王にされる。この国の顛末は変わらない。相手が第三皇子か否かの違いに過ぎない。それならお前を慕う第三皇子の方が良いはずだ。」
「ふざけないで。」
「シエラ様…」
カルが口を挟むとシエラは彼を睨みつけ、カルは怯みながら続けた。
「シエラ様…私は…私はただ…シエラ様をお守りしたいだけなのです…たとえ操り人形の王になろうとも、あなたを幽閉なんて目に遭わせたくないんです。もちろんアルフレート様とのご関係は良く理解しています。しかしたった一人で期限もなく自由を奪われるくらいなら……」
少しの間、部屋に沈黙が流れる。注がれる視線から逃げるようにうつむくカルに向かってシエラが放った声は氷のように冷たかった。
「魔族の使用人の分際で、私を守る?そのために自分の妻になれって?笑わせないで。」
肺を鷲掴みにされたような感覚に襲われたカルは思わず自分の首輪に手を当てる。それを見たシエラはさらに続けた。
「その首輪も外してさっさと出ていきなさい。もうあなたに用はないの。私は確かに王女で、今までも色んなことを我慢したわ。でも、生涯の相手をコロコロ変えられるような政治の道具になった覚えはない。私はそんなの認めない。」
言い終わるや否やシエラは背を向けると音を立てて扉を開け閉めして部屋を飛び出す。
拒絶された、シエラ様に愛想を尽かされた、用済みになったら、自分は…
「カル、落ち着いて。」
荒い口呼吸をしながらよろめくカルにミネルが駆け寄って彼の肩を支えた。
「ゆっくり、ゆっくり息を吐いてください……陛下、」
「…休ませてやってくれ。シエラは私たちが説得する。」
ミネルに付き添われてなんとか自分の部屋にたどり着いたカルは、ベッドに座ってようやく落ち着いた。
「シエラ様はご乱心なさっているのです。カル、シエラ様はあなたのことをとても大切に思っておいでですよ。」
「はい…わかっては、いるのですが…」
大きく深呼吸するカルはやつれているようにも見えた。シエラに自身の存在を拒まれることを何より恐れていたカル。彼女しか自分を守ってくれない、彼女が自分を守らなければ家畜になってしまう。今、現実ではそうでなくともカルにとっては変わらない。
「…ミネル様は、どうお思いですか。私が…」
「正直なところ、私にもわかりません。外野である私にはどちらの選択肢が正しいのかなど口出しできる権利もないでしょう。しかしカル、もしあなたが建前の国王として君臨したとしても、私はただ仕事をするだけ。それだけです。」
「そう…ですか。いや、そうですね。変なこと聞いてしまってすみません。」
ミネルは少し考えて、そして語り始めた。
「公私混同はしない。それは仕える者として基本中の基本。たとえここで働くことになった動悸が、私の家族を奪った魔族と戦う王国の役に立ちたいと思ったからだとしても。そしてその魔族が部下になったとしても。」
「えっ……」
「私の管轄下であり仕える者としての役目を果たしているのなら、それが我が国の者であろうが魔族の奴隷だろうが関係ない。くだらぬ感情で真面目に勤める者の士気を下げるのは、城の活動を円滑に回すという私の役割と矛盾する。最初はそれを理由に、あなたの士気が下がり過ぎないよう気を配っていました。」
それを億劫に感じるともあった、とミネルは呟いてカルの方を見る。そしてそっとカルの頭に手を置き、撫でた。
「あなたは良く頑張っていましたよ。シエラ様に、そして周囲に自分の存在価値を否定されないように。その努力が実って、今では表立ってあなたを虐げる者はいないどころかあなたに贈り物をするようになるくらいになった。」
一生懸命、誠意を尽くしている者には手を差し伸べたくなるものだ。ミネルは衣装棚の上にある鳥籠に視線を移しながら続けた。
「あなたがシエラ様と結婚し国王になったとしても、その実状くらい皆は理解しています。冷ややかな憐れみはあっても責めはしないでしょう。そして故郷に戻ると選択しても、それは当然の決断です。だからあなたはあなたの考えを優先させなさい。その選択は誰にも責めることはできませんから。」
「はい…」
カルはまたうつむいた。その姿はいつぞや夕食をひっくり返してしまった時に戻ってしまったかのようだった。しかし、少し経って顔を上げたカルは幾分か元気を取り戻したようにも見えた。
「あの…ありがとうございます。ミネル様はいつも何かあった時に励ましてくださる。」
「それはあなたが頑張っているからです。…ひとまず大丈夫そうですね。なら私は陛下やシエラ様のご様子を伺ってくるので。」
ミネルは部屋を後にして、カルは鳥籠の中で座っている自分の姿をした人形を眺めながら色々なことを考える。
ベスティア国王の思惑、ファール国王の思惑、シエラの気持ち、そして自分。
正午を伝える鐘が鳴った。もう夕方くらいの気持ちだが今日はまだ半分以上残っている。
まずは平静にならなければ。そのためにカルは部屋を出る。数分後、カルは王国の紋様が掘られている首輪の銅板を光らせながら、メイドやミネルの手伝いをしていた。
カルとシエラをどうするかについての返答期限は5日間。少なくともそれまではファール王城の上級使用人でいよう。それが心を落ち着かせる最大の手段でもあるのだから。
挨拶をすればみんな返してくれる。他愛もない立ち話をすることもある。満足できる食事に、本を読める時間もある。冷たい水で身体を洗っていたのも前の話。ゆっくりお湯に使って、石鹸で身体を洗って、寝心地の良いベッドで眠る。
果たして、故郷に帰る必要があるのだろうか。皇族から除名された自分に居場所はあるのだろうか。ファール国に服従し王族の紋様が付いた首輪を手放せない自分を、ベスティア国は素直に受け入れてくれるのだろうか。
仕事が終わると、カルは”元”婚約者のシルクに宛てた手紙を書き始めたのだった。
つづく




