家
全く最悪でしかない。
私を家に連れて行く、といったアリレアの後ろを歩きながら思った。
世界を変えた先で手に入れようとした平凡も、私の手から離れて行ってしまった。しかも今度は当たり前が、「できない」のだ。劣等の中で生きていかなくてはならない。それに今度はへんてこな肩書付きだ。
「できない」上に興味にさらされるのだ。それはそれは最悪な気分だろう。
アリレアだって、私と同い年くらいの少女だ。泊めてくれるといっても、いつまでも泊まるわけにはいかないだろう。
いくら自ら創った世界だとしても、私はこの世界について何も知らない。そんな状態で生きていけるわけがない。
だから私はアリレアの好意に甘えている間に世界について知り、職まで探さなければならない。私にとって、というか仕事も家事もろくにやったことのない女子高校生にとってそれは難しいミッションだ。
異世界転移の定石で言えば冒険者になるんだろうが、歴代の転生者のようなずば抜けた能力もなければそもそも魔法すら使えないというのにそれはおこがましいとしか思えなかった。
すると急にアリレアが振り向いた。
「そろそろ町に出る、気を付けといてね」
一体に何に気を付けるんだ、と私は思ったがすぐに言葉の意味を理解した。
町の大通りに出ると、人がざわざわ騒ぎ出すのだ。おそらく、黒髪だからだろう。
「…あれ、黒じゃない?」
「まさか、そんなわけ…」
「創造神様⁉」
聞こえてくる声は様々だったが、すべて私のことだというのはわかった。
誰かの視線を浴びること、注目されることは八年前のあの日からすっかり駄目になってしまった。視線恐怖症なのだ。
今も吐きそうなのをずいぶんこらえて、下を向いてやっと気持ちが少し落ち着いた。
私の様子を察したのだろうか、アリレアは私の前に立って、極力私が目立たないようにしてくれた。
その配慮に感謝で泣きそうだったが、小さくありがとう、とだけ言った。
アリレアはいいよ全然、とむしろ悪いことをしたと思っているような声で言った。
そこから私たちは一言もしゃべらずに、アリレアの家へと向かった。
「じゃーん、ここが家でーす」
アリレアは本当にじゃじゃーん、というテレビばりの効果音が聞こえそうなポーズをした。
町の中心部から離れてところにあるレンガ造りのその家には、「アリナ」と書かれたカフェの看板のようなものが貼られていた。
「かわいい家だね」
本心から私はそう言った。前の世界でここまでのレンガ造りは見たことがなかったし、大きすぎるわけでもなくてかわいい家なのだ。
「そう?」
嬉しそうな気恥ずかしそうな表情でアリレアは言った。
自分が同じ表情をしても、決してこんなに可愛く見えないと思うのは不思議で仕方なかったが、私は特に何も言わずに頷いた。
今度こそ嬉しさを前面に出した表情をアリレアはしたが、自分でそれに気づいたようで、慌てて後ろを向いてレンガの家のドアを開けた。
「いらっしゃい…ってアリレアかい?」
気の優しそうな緑の髪をしたお腹が出ているおばさんは、残念そうでもなくむしろ嬉しそうな声で言った。なにかお店でもやっているのだろうか。おばさんは、カウンターテーブルの向こう側で洗い物をしていた。
「そんなこと言って、私以外にここに来る人が来たの見たことないよ」
「そんなことないよ……ん?アリレア、その子は?」
私を見て、おばさんは言った。
私はぺこりと一礼した。
「はじめまして。エリ……アリレアといいます」
おばさんはこんがらがったような表情をした。
「アリ……レア?あれ、アリレアが二人?けど、髪色が違う……え、あなた、黒髪じゃないの!」
情報量の多さに戸惑ったのか洗い物をしている手を止めて、わかりやすくアリレアと私を見比べてきょろきょろしている。
その様子を見て呆れたようにアリレアは言った。アリレアは勝手にカウンターの椅子に座っている。
「なんか知らないけど、同じ顔と名前なんだよ。それにこいつは黒髪だけど、黒髪ってことで注目されるのが嫌なんだ。あんまりそのこと言うなよ」
黒髪で注目されることじゃなくて、注目されること自体が苦手なのだが、アリレアが私のことを考えてくれて言ってくれたことが何だか嬉しかった。
「そうなのかい、申し訳ないねぇ。おんなじ名前じゃ見分けがつかないし…どうしようかねぇ」
優しい声で申し訳なさそうにいわれると、なぜだか焦ってしまった。
「いやいや、全然全然。名前は、ブラックでいいです」
「ブラックちゃん。わかりやすくていいわね。私の名前はヤワネよ。そこ、座っていいわよ」
ヤワネさんはアリレアの隣の席を指さした。
私はありがとうございます、といってから座った。
ヤワネ、と心の中で呟いてみた。名前からもう優しそうな目の前の女性に私はもう好意を抱いていた。
「ヤワネさんは私の育ての親。捨てられてたところを拾ってもらったの」
アリレアは捨てられたという過去をサラッと言い放った。
私は思わずアリレアの顔を見た。アリレアは何ともない顔をしている。
物心つく前のことなんてという人もいるかもしれないが、特に気にする風でもなくいう姿に衝撃を受けたのだ。
「寒い日でね。買い物した後に見つけたの。買ったリンゴを落としちゃって、リンゴが転がっていったの。慌てて追いかけて行ったらリンゴがこの子の入っていた小さい箱にぶつかったの。寒いのに赤ちゃんをおいていくなんてできなくて、思わず連れ帰ったの。だからあのリンゴがなければ、アリレアは今頃ここにはいなかったかもしれないのよ」
「ヤワネさん、その話何回も聞いた」
呆れたように言ったアリレアを見る限り、ほんとに何度も聞かされてきた話なんだろう。ヤワネさんはたぶんアリレアと出会ったことに何か運命的なものを感じているのだ。だからその奇跡がうれしくて、何度も何度も聞かせてきたんだろう。
「いいなぁ」
私は思わずつぶやいていた。
魔法のことをずっと隠して、家族にさえ秘密を持ちながら生きてきた。魔力のため過ぎによるストレスで、何度も当たってしまっていた。お父さんとお母さんは私のことをどう思っているのだろうか。今更会いたいというのは言うべきではないかもしれないが、せめて魔法が使えることくらい明かして、魔力の負荷で自らを制御できずにあたってしまったことを謝っておけばよかった。
「何も良くないよ、ブラック。ケンカもよくするしね」
私の言葉を聞いてアリレアはヤワネさんの方に目をやった。
「そうかしら」
ヤワネさんは笑ってそう答えた。
「そうだよ。もう、ヤワネさんは都合の悪いことはすぐに忘れる」
「気にしたって仕方ないじゃない。それより、ブラックちゃんを部屋に連れて行ってあげなさい。ずっとここにいても仕方ないでしょう」
「はいはい」
アリレアは椅子から降りた。
「二階だから、私の部屋。ついてきて」
階段を上り始めたアリレアは私の方を向いていった。
私はヤワネさんに頭を下げてから階段を上った。
ぎぃ、とドアは音を立てた。
「汚いけど、許してね」
「あっ、うん」
もっといい返答もあったはずなのに、とっさに出てきたのはそんな言葉だった。
部屋はそこまで広いわけではなかったが、二人には十分な広さだった。私の部屋とは違って、綺麗に整頓されている。
―――汚いってどういうものだっけ?
思わずそう思うほどきれいだった。
ベッドは古そうな装飾だったがふかふかそうで、敷いてあったカーペットは女の子らしい色合いのものだった。窓の外にはポストのようなものがついていて、中に新聞のようなものがはみ出しているのが部屋の中からも見えた。
「新聞、読む?」
ポスト覗いた私を見て、アリレアが言った。
「じゃあ…読ましてもらっていい?」
私の言葉にアリレアは窓を開けると、手を伸ばしてポストの中身を取った。
「日刊魔術世界新聞」と書かれたその新聞の文字は全く見たこともない文字だったが、なぜだかすらすらと頭に入ってきた。不思議だったが、読めないよりはいいやと思い、特に気にしなかった。
一面には、「王政選挙特集」という文字が躍っていた。候補者の名前とともに顔写真も印刷されていた。
「ねぇ、王政選挙って何?」
私はアリレアに聞いた。
アリレアは大して驚かなかった。ただちょっと呆れたように説明し始めた。
「ほんとに何も知らないんだね。まず王政の始まりだけど、創造神の子孫であるリアレ様って人が国を統一して、初代国王になったの。で、そこから何代か後継へとどんどんつないでいったんだけど八代国王の代に問題が起きた。国王は代々一人しか子供を産んじゃいけない決まりだったの。後継争いを避けるためにね。けど八代国王の子供は六つ子だったの。しかも、全員男で黒髪。初代国王だって黒髪じゃなかった。黒髪だったのは創造神様だけ。普通だったら最初の子以外殺すんだろうけど、怖くてできなかった。創造神の怒りに触れるんじゃないか、ってね。そのまま六人はすくすく育った。そしてついに、八代国王は死んだ。国王は遺書で、最初に生まれたカナルって子を国王にするようにって書いたの。けどそんなのに兄弟は納得できない。そしてむつ巴の戦争が起きた。民は虐殺され、兵士にならなければ生き埋めにされた」
そこでアリレアは一呼吸置いた。私は何も言わず黙っていた。
「結果何百何千万という人が死んだ。それでも戦争は止まらなかった。そんなはてなき戦争に終止符を打ったのが、六男の戦死。今は敵とはいえ、一番かわいがっていた末っ子の死に兄弟はひどく悲しんだ。兄弟は和平を結び、戦争をしてしまったことを深く民に詫び、結局カナルが王座に就いた。カナルは六男の石像を創り、王都の最高神殿のアルファぺリアムに祀った。以降六男の石像は平和の象徴として今も親しまれている。カナルと兄弟は以後戦争が起きないように息子のいなかった六男以外の五人の子孫は民の投票で誰が国王になるか決める決まりを作った。もうその戦争から三百年は経ってる。先日先代国王が亡くなって、今はその選挙の真っ最中なの」
―――創造神の、子孫。
アリレアが言い終えると、私は心の中で呟いた。戦争のことや、選挙よりもそっちの方が気になった。
それはつまり私の子孫ということになる。それはちょっと時系列的におかしいが、私はこの世界について何も知らないのだ。違うとは断定できなかった。
私は新聞の写真を見た。誰一人、私に似ているとは言えない。三人の男の子に二人の女の子。みんな、私と同い年くらいだろう。
私は自分が王になる為の選挙をしている姿を想像した。駄目だ、一ミリも想像できない。
そんなことをこの子たちはやっているのだ。
一体どんな風に生きたら、それが当たり前になるのだろう。
私は新聞に映る真面目な顔をした五人を見比べながら、そんなことを考えた。
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