第十四撃
「ユーマ! ユーマユーマユーマっ!」
身体から湯気を立たせて休憩しているときに名をしつこく呼ばれ、さすがにうるさく感じた。
所属するオメガジムのドアを開け放つなり飛び込んできて、抱きつかんばかりに近寄ってくる。その背はこちらの目の高さにその巨乳が飛び込んでくるくらい高いので、圧迫感さえ感じさせられる。地球にいたころに近所の犬に勢いよく近寄ったことがあったが、当時、その犬はびっくりしていたから、たぶん今のような気持になっていたのだろう。ペットの概念がないサミュエラではその説明をしたところで通じないから黙っていたが。
「っせえなあ……、ったく」
「ユーマ、ユーマ、ユーマぁ」
まるでそれが知っている言葉のすべてであるかのようにしつこく繰り返すので、さすがに知性を疑わざるをえない。日頃から馬鹿だと思ってはいたのだが、とうとうほんとうに馬鹿になってしまったのだろうか。
「久しぶり、スージー」
サンドラが来客に声をかけ、すぐにキムとの話に戻っていった。
友麻が忙しくない期間になるとスージーはいつもこれくらいの時間に遊びにやってくる。忙しくない期間というのはつまり試合が終わって次の対戦相手が決まるまでの期間である。別に手を抜くわけでもないが、根を詰めてやるというほどのときでもない。
抱きつくどころかキスさえしかねないスージーを押し返し、
「なんなんだよ、暇だなお前も」
「そんなことないよ!
ちゃんと部活もやってるし!」
「あん?
マジックだっけ?」
「そうそ!
今日も先輩から新しいの教わったんだ!
見て」
「やだめんどい」
椅子に腰を下ろし、ドリンクに突き刺さったストローをくわえる。
サンドラかキムにも相手をしてもらおうかと思ったが、二人は何やら重要な話をしているらしく、こちらに見向きもしない。おそらくは今日の練習のスコアと今後の方針について話題にしているのだろうと聞こえてくる断片的な単語から推測された。
目の前でニコニコしながらトランプのシャッフルを失敗してカードを拾い集めているスージーは果たして、
(傷ついていないのか?)
先日あれだけ冷たい態度をとったというのに、そのようなことがあった記憶さえうしなったかのようなスージーの能天気な笑顔に罪悪感を覚えずにはいられなかった。わすれられたとしたならなおさらである。
ほんとうに傷ついていないのだろうか。
それとも平気なふりをしているだけなのだろうか。
その笑みがかえって後悔を募らせてくる。馬鹿なやつだとは思っているが、感情がない相手ではない。心というものを持った一人の人間であることを認めないわけではないし、こちらがやり過ぎたと感じてしまうほどには人格を認識していた。
後から悔やむくらいなら最初からしなければ良い、そうはわかっているのだが、つい言ってしまった。言わざるをえないようなことでは決してなかった。その前後で苛立ちが募って八つ当たりをしてしまっていたのだと今ではわかる。
仮にスージーがほんとうにその記憶をなくしてしまったのだとしても、失敗してしまったという気持ちは薄れることはないだろう。自分自身の倫理観に反してしまったという罪の意識がそう思わせているのである。
それなのにスージーは意に介したようすもなく、
「これ!
このスカート新しく買ったんだ!
良いでしょ!」
と衣服の端を掴んでヒラヒラさせている。うるさくない程度に装飾の入ったそれはファッションに興味がない自分にも高級なものだとわかるくらいにセンスが良いものだった。ハイスクールの生徒の身でどこからそんなものを買う金が捻出できたのかと不思議に思う。アルバイトをしているようにも見えないのでおそらくは小遣いでまかなっているのだろうが、実は違っていて怖い答えが返ってきたらどうしたらいいのかわからないので敢えて質問は避けた。
「ああ、なんか青いな」
適当に返事する。
それにも関わらずスージーは、まるでこちらの返事を無視するかのように話を変えて、
「うちのクラスのドリーが、好きな人ができたって言ってたんだけど、今まで恋愛って感じじゃなかった子だったからびっくりしちゃって、相手は誰だったか訊けなかったんだ」
「ふうん」
「そしたら、ルーが恋愛の先輩みたいな顔してアドバイスしてて。
ルーだってそんなこと言えるほど恋愛に通じてるわけでもないのに、積極的に話しかけたり、ときどき焦らしたりしたほうが良いって言ってて。
きっとドラマか漫画の影響だよね!」
「あっそ」
「ユーマ、反応が薄ぅいぃっ!」
スージーがこちらの両肩を掴んでぴょんこぴょんこ跳ねる。身体に無駄な負担がかかるから今すぐにやめて欲しい。こっちは疲れているのである。
「そんなこと言われても」
スージーの手首を掴んで剥がし、
「いまいちピンとこないんだよな、お前の話」
言うや、スージーは頬を膨らませてジムから出ていった。
またやってしまった。