第十三撃
ついたため息がこっそりだったのはここが自分が所属するウィルソンジムの中だからにほかならない。
ここに所属する選手はもうほぼ自分以外は後輩ばかりで、ため息をつく姿など見せられたものではなかったからである。
確かに引退を考えないではなかった。
年齢的な問題、そして、ランキングの問題である。
デビューしてから十年以上たっており、一時はもっと上のランクにいたものの、今となってはそこから少し落ちたあたりをずっとうろついている。
ジョーから引退を持ちかけられたときはつい反射的に反論してしまったが、独りになるとときどき猛烈な不安に襲われたり、転職サイトについついアクセスして見入ってしまったりしていることもあった。
転職サイトへはじめてアクセスしたときはかなり心臓がドクドクいったものである。こんなことをしていいのだろうかという罪悪感を覚えた。
一度アクセスして以降はもう特に罪の意識など感じなくなっていた。それに気づいたときはさすがにぞっとした。もはや転職は既定路線なのかと自分の意思を疑った。
「サラさ~ん。
珍しいっすね、ため息なんて」
アマンダが声をかけてきた。このジムに入ってまだ数年の若い選手である。それにしても後輩のことを「若い」などと思ってしまう自分に嫌気がさす。
「ちょっとプライベートなことで考えごとをしていてさ」
ごまかした。見かけるたびに危機感を覚えさせてくれる後輩である、下手に自分の悩みなど見せたくはなかったのである。
(気づかせてたまるもんかよ)
というのが本音だった。
アマンダはこのジムに入ってきたころは大したことはなかったが、今はどんどんランキングを上げてきている。まだまだ抜かれる気はなかったものの、余裕はない。
そんなことを考えていると、
「そろそろ最新のランキングの発表っすねえ」
定期的に〈ZGA〉の選手のランキングが発表されるのである。それにより対戦相手が変わってくる重要なものだった。
自分のモバイルで確認することもできるが、アマンダが、
「見に行きましょうよう」
と言ってくるので、ジムに設置してある端末で一緒に確認することにした。
端末の前には選手やトレーナーなど事務を構成する人員のほとんどが集まっており、そこにはサラの担当のトレーナーの姿もあった。
なんとも言いようのない複雑な顔をしているトレーナーが、こちらとアマンダの顔を見比べて、しかしそのことを悟られまいとしつつ、やはり気づかれているだろうという表情を見せた。
(よくわからない顔だな)
嫌な予感がしつつ自分をごまかした。
「どうしました?」
いつの間にか数歩先にいたアマンダが振り返って声をかけてきた。気づかないうちに立ち止まっていたようである。
「いや、なんでもない。
見よう」
人垣のあいだから端末から空中に投影されるランキング表を見ると、自身のリングネームであるサンダークラップの名前を見つけた。以前より少しだけランキングが上がっていることにほっとした。
それなのにアマンダが先ほどトレーナーが見せていたような表情をこちらにむけてくるから、
(アマンダのランキング、下がったのか?)
しかしそうであれば悲しそうな顔になっているのではないか。
とりあえずランキング表の下のほうを見やってみたが、アマンダのリングネームは見つからなかった。
疑問に思いつつも今度は上のほう、サンダークラップよりも上位に視線を向けた。
あった。
ランキングは試合内容のスコアリングと勝敗によってコンピューターが決定する。人間が総合的に判定すべきだという意見もあるにはあったが、コンピューターの決定のほうが今や伝統的になっており、いまさら変えるわけにもいかないという事情があった。
決定のアルゴリズムは開示されており、その複雑さは人間がやる以上にあいまいな決定がされているのではないかと思うこともあったが、そのあいまいさを是とするか非とするかまでの意見は持っていない。
「アマンダ、おめでとう。
やるじゃないか!」
笑顔を向けてやった。
「サラさん……」
言われたアマンダのほうは少しも嬉しそうではない。ありていにいえば戸惑っている様子だった。それに気づいたとき、アマンダに背を向けていた。
小さく笑い、
「ちょっとランニングに出てくるよ」
と言ってジムを抜け出した。