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プリシラたちが通されたのは貴賓室だった。ふかふかのソファーに腰を下ろし、村長であるビリーを待つ。
「……」
何とはなしに室内を見回せば、剥製やら絵画やら彫像やら――高価そうな美術品がいくつも目に入った。重要な客をもてなし、歓心を買うことを目的とする貴賓室なのだからそういったものも必要ではあろうが、とにかく数が多い。
これだけ買い集めるには、村人たちから血液まで搾り取っても不可能だろう。ついでに言えば、動物の頭部剥製はくせいがいくつも飾られた壁を見て売り・・たくなるのは警戒心だけだった。
「ぬははは! お待たせしました!」
警戒態勢に入っていた二人の前に、やっとビリーが姿を現した。額をハンカチで拭いながらソファーの前まで駆け寄ると、会釈してからプリシラたちの向かいに腰を下ろした。
「祈りは通じなかったみたい」
「はい?」
丸っとした体形のビリーはパメラの呟きに疑問符を浮かべたが、空耳と思ったらしく聞き返すことはしなかった。仕切り直すように咳払いした後、ドアの脇に控えているメイドに向けて手を叩く。
「メーヴィス君」
そう呼ばれた女性は保冷庫から二客のグラスと金箔張りの瓶とを取り出すと、プリシラたちの前にグラス――氷で出来ている――を並べ、瓶の中身を注いだ。漂ってくる香りは果実のように思えたが、記憶にない香りなので異国のものなのかも知れない。
「失礼いたします」
どんな味なのかとプリシラが思いを巡らせているうちに、メーヴィスは深々と頭を下げ、そしてドアの脇へと戻って行く。その後ろ姿には一部の隙もない。動作に乱れがないというだけでなく、
(こっちの気配を完全に捉えてますね)
(体術だけならあなたといい勝負するんじゃない?)
不意に殴りかかったとしても、取り乱すことなく応戦してくるだろうという意味でも隙が無い。
子育てを終えた主婦が空いた時間にホワイトプリムを着けたようなものではなく、専門の教育を受けたプロである。この分では屋敷の警備に暗殺者を雇っていても不思議はない。
(……油断できませんね)
(ヒトは魔物より怖いって教科書に書いてあるものね)
(僕が学んだ教科書には書いてなかったですけど、否定はしません)
プリシラたちは警戒態勢から戦闘態勢へと移行したが――全く気付いていないビリーはソファーに深く腰掛けたまま、事件の詳細を語り始めた。
「村人たちが死霊を目撃したのです!」
事の始まりは三十日ほど前。この村は大地震に見舞われたらしい。その直後から墓場で呻き声が聞こえるという届け出が続出し、それから十日もすると墓地で死霊を目撃したという村人さえ出始めたのだと言う。
村から少し離れた所には件の”取るに足らない”地下遺跡、死霊の墓場へと続く洞窟があるということもあり、墓地での死霊目撃からすぐに教会へ届け出たのだが、神官は一向に村を訪れない。そしてその間も目撃される死霊の数は日々増え続けていき――現在、墓地は陽が落ちると死霊が踊り狂う地獄と化すのだと締めくくった。
「対応の遅れを不思議に思っていたのですが……まさか大神官様に来ていただけるとは! 時間がかかったのは、大神官の中でもプリシラ様が売れっ子で指名の嵐だからなのでしょう!?」
「指名って……神官への依頼は店舗で受け付けている訳ではありません」
半眼のプリシラが言った通り、教会は討伐専門店の運営に勤しんでいるわけではない。
また、指名などと呼ばれるいかがわしい――特定の条件下ではそう形容される――注文も受け付けてはいない。もちろん容姿や体型が"光"から授かる力に影響するなどということもない。
「華奢な体に分厚い法衣! そのギャップがそそります! さすがは売れっ子のプリシラ様です! ここが店舗なら個室を用意してもらうところですよ! ぬははは!」
「遺跡まで吹っ飛ばしましょうか?」
「ぬははは! 冗談もお上手で! さすがは売れっ子のプリシラ様です!」
ビリーの神官に対する認識はプリシラ――というか、この国に住む大多数の人々と大きく異なっているらしい。
「……プリシラ様は差し出された金貨の枚数で救う順番を決めたりしないわ。時間がかかったのには別の理由があるのよ」
「なんと素晴らしい平等の精神! やはり売れっ子大神官様は違いますな! ぬははは!」
見かねたパメラがフォローに入ったものの、プリシラの容姿が気に入ったらしいビリーは聞く耳を持たなかった。
「ところで、依頼が片付いたら個人的なお誘いがあるのですが、いかほどお支払いすればよろしいのですか? ぬははは!」
「ははははは吹っ飛ばしましょうか?」
当然、頬を引きつらせたプリシラの言葉もビリーの耳には届いていなかった。
・
・
ビリーの屋敷を後にしてから二十分ほど。プリシラたちはベアトリクスが用意した宿で一息ついていた。
「たまったものじゃないですね……」
ベッドに腰かけたプリシラは、たまった苛々を放出するようにゆっくりと嘆息した。ここは村で最も高級な宿の、最も高級な部屋である。
とはいえ、町では良く見かける水準なので”高級”と呼ぶほどのものではない――それが苛々の原因ではないが。
「欲まみれの奴なんて大体あんなものよ。末路も大体そんな・・・ものよ」
「それは、まぁ……そうなんでしょうけど。人の話を全く聞かないあの姿勢スタンス……何とかならないんでしょうか」
「燃やすなりして生まれ変わらせない限り、あいつはずっとあのままよ。そんなことより……」
何やら楽し気な口調になったパメラは、やはり楽し気な様子でプリシラの隣に腰を下ろした。近い。
「えっと……」
艶やかな笑みを向けてくる従者に内心どぎまぎしつつ、プリシラはさりげなく部屋の中を見回した。”高級”と呼ぶほどではないにしても、小奇麗な部屋である。壁や家具にも傷はなく――客が極端に少ないだけかも知れないが――しっかりと清掃されている。シーツも清潔そのものであり、虫に刺されて夜中に目を覚ますようなこともないだろう。
「ふふふ」
腰を浮かせたパメラがさらに距離を詰めたのだが、ベッドのスプリングが軋んだ音を立てることもなかった。こちらも問題ないようである。どういう意味で問題がないのかはベッドの使い方によるのだろうが――とにかく、プリシラが使う範囲では問題ない。
「……」
この寂れた村で”町でよく見かける水準”を維持しているのは、驚異的なことなのかも知れない――などと考えたところで驚異的な近さのパメラが遠ざかることはなかった。
「ねえ、ふふふ」
「……」
そして分厚いカーテンが閉め切られた室内は薄暗く、まるで夜のような暗さである。そんな中、年上の女性パメラは紅い瞳に妖しげな光を灯し、左手をプリシラの背中に回した。
(まずい! パメラさんと二人きりでこの状況はかなりまずい!)
全てが闇に覆われた密室でこの状況――どんなことが起きても不思議はない。ましてや相手にその気があるとくれば、一度でも回れば・・・歯止めは効かない。効くはずがない。
だが、照明を点けるなりカーテンを開けるなりすれば闇は消え去る。後は、ふうやれやれと胸を撫で下ろせば済む話である。
「そうだ、カーテンを開け――」
意を決したプリシラが腰を上げた瞬間、彼の左肩にパメラの左腕が回された。そして、
挿絵(By みてみん)
「あの……」
プリシラの唇はパメラの唇によって塞がれた。
挿絵(By みてみん)
『……』
換気のためか――窓は僅かに開けられていたらしい。隙間から流れ込んでくる風がカーテンを揺らし、僅かな光が差す。その風が止むまで二十秒ほど。二人の唇は重ねられたままだった。
「必要になると思うから先にもらっておくわ」
「は……はい」
「じゃあ、ご飯を食べに行きましょう」
「は……はい」
高揚したように歌など口ずさみながらパメラは部屋を出ていき――硬直していたプリシラは、それから二十秒ほど遅れて彼女の後を追った。
・
・
食事を終えた二人は件の墓地を眺めていた。寂れた村の寂れた墓地。どうしようもない寂しさを感じさせる風景である。がやがやと賑わっていても困りものだろうが。
「何か感じる?」
「そうですね……」
死霊によるその困りものを解決しに来たプリシラは、目を閉じて意識を集中させた。
「微弱ですけど魔力の痕跡を感じます。死霊のものでしょう」
「夜は死霊がどんちゃん騒ぎって話は本当みたいね」
大神官プリシラの隣にいる従者パメラは辺りを警戒しながら頷いた。
「痕跡を残すっていうことは下位の死霊フライング・ヘッドの方々でしょうか?」
「そうねぇ……」
怪物モンスターと化した霊――死霊は剥き出しの魔力であり、宙を漂うだけで魔力の痕跡を残す。
しかし、高位の死霊スペクターや悪意ある死霊ファントムなど、厄介な死霊の中にはその痕跡を残さずに活動可能なものもいる。もちろん、厄介な死霊が魔力の痕跡を隠さずにどんちゃん騒ぎしたという可能性もない訳ではないが。
「痕跡だけじゃ断定はできないけど、『ない訳ではない』方だと考えましょう」
「はい。ビリーさんは派遣されていないと言ってましたけど、教会は神官を派遣していたんですよね」
「ええ」
神官リアーナ。プリシラの前にこの村に派遣され、そして連絡を絶った女性神官である。新米ではなくそれなりの実力者だったようだが、彼女は戻ってこなかった。教会はそれを神官では対応不可能な脅威と判断し――プリシラたちが派遣されたのである。
「リアーナは十年以上神官やってるベテランよ」
「そんな人が戻らないんですから、下位の死霊フライング・ヘッドの方々だけではないと判断した方がいいですよね」
「ええ。私たちが派遣された理由ってやつを思い知らせてあげましょう」
「はい!」
神官の手に負えない脅威に対し、その上を行く脅威となって滅する大神官の戦闘能力。死者、生者を問わず、この村に存在する全ての存在ものは思い知ることになるだろう。
と――
「……お酒の香りが漂ってない?」
「え?」
ぽつりと呟いた従者にプリシラは小首を傾げた。入れた気合が抜けていくのを感じながら息を吸い込むが――薄い胸板が寂れた空気で一杯になるまで吸い込んでも酒の香りはしなかった。
「僕には分からないです。ていうか、どんちゃん騒ぎって比喩なんじゃないですか?」
「お供え物もあるし、ぴったりな場所を選んだんじゃない? どんちゃん騒ぎ」
「死霊って悲惨な最期を遂げた方々がなってしまう存在ものですよね?? お酒飲んで騒ぐ気分じゃないような……」
困ったような顔をしたプリシラが頬をかいた瞬間――
”ウイイイイー……ひっく!”
『……』
どこからともなく死霊のご機嫌な呻き声が聞こえてきた。