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挿絵(By みてみん)
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温かな日差しが降り注ぐ、春の昼下がり。
銀の装甲馬車が、石畳の道をゆっくりとした速度で走っている。”銀の”と言うのは言葉通りのものであり、この装甲馬車は車軸から兵員室に至るまでの全てが銀を素材として造られている――要は、銀の巨塊であり、これを手に入れることが出来れば、残りの人生を遊んで暮らせるだけの金貨が手に入るだろう。
しかし、野盗や盗賊、冒険者崩れ、その他あらゆる犯罪者たちがこの馬車を襲うことはないと言い切れる。それが目撃者のいない寂れた街道をたった一両で、しかものんびり走っているからといっても例外ではない。
その理由は割に合わないというものである。もう少し詳細に語るのであれば――襲ったところで大地を抉り飛ばす大火力によって、返り討ちにされてしまうからである。
「パメラさん、そろそろ着きますよ」
犯罪者たちの間で、ある種の常識とさえなっている恐怖の象徴。その窓枠から黒髪黒目の男性が上半身を覗かせた。少女のような愛らしい――逆に言えばどこか頼りない――顔つきをしており、大神官のみが着用を許される、純白の法衣をまとっている。つまり彼は大神官である。
「着いたら起こして」
「もう……」
返ってきた眠たげな声に嘆息した彼の名はプリシラ。最年少の大神官である。
「寝てばっかりだとお腹すきません?」
「その理論には同意しかねるわ……ていうか、起きてるあなたこそお腹ぺこぺこなんじゃない?」
「……少し」
「次回は『移動時間は寝て過ごす理論』を試しなさい。冬眠っていう野生の理論もあることだし……ふあ……」
声の主が寝返りでも打ったのか、プリシラは再び視線を窓の外へと向けた。目に映るのは先ほどと同じ風景である。乾燥した土とごつごつした岩。雑草で形成された草むらは点在しているが、肥沃とは言い難い。荒地である。
「お腹すいたけど……ご飯には期待できない感じかな……」
僅かに眉を寄せた彼はプリシラ。お腹が空いていようがいまいが、人々を魔の脅威から守るために戦う者――神官である。それも、限られた者にしか与えられない大神官という階級にいる。
神官の手に負えない、極めて危険なものと戦うという性質上、筆記試験で勝ち取れるものではないのだから、彼は手練れた戦士と言える。当然、空腹以上の敵と戦ったことがないという訳でもないのだが、
「こんな寂れた土地に美味しいご飯を期待するのは酷ってものよ。硬い山菜と乾燥肉がせいぜいよ」
「村の人たちはそんな生活を!? ここは地獄ですか?」
「……地獄門ヘルズ・ゲートの前に着いたら起こして」
プリシラはかつてない強敵と遭遇した時のように、表情を凍り付かせた。
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「目的地に到着致しました」
装甲馬車後方――兵員室の扉を開いたのは、二十代半ばほどの女性だった。神官の標準的な装備である、銀の剣と銀の軽鎧とを装備している。
「お疲れさまでした。ベアトリクスさん」
そう呼ばれた女性は扉の脇に立ち、深々と頭を下げた。
「どうかお気をつけて」
「ありがとうございます」
この村まで御者を務めた神官ベアトリクスに陽光のような微笑みを向けたプリシラは、荷台からぴょこんと飛び降りた。そして彼に続いて黒い法衣をまとった女性が大地に――とても眠そうな表情で――降り立った。
「寂れた村ね」
紅い髪が寂れた風に吹かれてなびく。それを滑らかな指で押さえつけながら、彼女はプリシラの一歩後ろに立った。彼女はパメラ。全て――命すら――を投げ出してでも大神官を守る者。従者である。
「そういった言動は慎んでください」
「分かったわよ。ヒトの不平等が織りなす寓話的な風景って言い換えるわ」
眠たげに言い終えたパメラは天に向かって両腕を伸ばすと、眠気を払うように体を左右にゆっくりと振り始めた。
「んー……さっさと片付けてこの地味な法衣を脱ぎたいわ」
紅い髪に紅い瞳、そして紅い唇。とどめに整い過ぎた感すらある魅惑的な身体――ちなみに紅くはない――である。法衣も黒色より紅色の方が似合うのは間違いない。
だが、彼女は大神官に仕える従者なのでそれは許されていなかった。許可さえ下りれば色だけでなく、スカート丈を驚異的な短さに改造することさえ辞さないだろう。
それはさておき、
「荷物は宿屋に届けておきましたので、私は隣村にて待機します」
「はい。お疲れさまでした」
とりあえずの役目を終えたベアトリクスは村を後にした。プリシラたちは地平線に向かう装甲馬車にしばし手を振り続け――見えなくなってから、揃って村の方へと振り向いた。
「『慎んで』と言っておいてアレですけど……どうやったらここまで寂れるんでしょうね」
「閑古鳥の繁殖にでも手を出したのかしらね」
大神官とその従者が半眼になった瞬間、突風となった寂れた空気が二人の法衣をはためかせた。
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神官は人々の脅威となる存在を滅する職業――要は戦いが平常業務である。そして善良な人々のために戦うのであれば負けることはない、という法則がこの大地に存在している訳でもなく、討伐に向かった神官が戻らないこともある。大神官とはそういった脅威に対処するための階級クラスである。
「なんでしょう……この湧き上がる敵愾心てきがいしん」
神官を数人も返り討ちにしたような脅威てきを前にしたかのように、大神官が頬を膨らませた。
「あなたの感性が正常ってことだと思うわよ」
従者は怒りに燃えてはいないようだが、なんというか、うんざりとした顔をしている。
『……』
二人はこのアイゼル村を取り仕切る村長ビリーの屋敷前に立っているのだが――鋼の格子に囲まれたこの屋敷は、寂れた村にはあまりに不相応だった。
「魔人の地下遺跡が発見されたから、荒れ地を開墾してつくられた村でしたよね?」
「そうよ。発掘作業が開始された当初は賑わったみたいだけど……肝心の遺跡が取るに足らないものだって分かった途端、資本屋・たちは荷物まとめて引っ越しちゃったらしいわ」
任務が書かれた書状に目を落としていたパメラは、軽く嘆息した後、書状を鞄に押し込んだ。そして、何やら笑顔になって続けた。
「燃やす?」
「どういう計算でその選択肢が算出されたんですか?」
「この屋敷の建築費と維持費の合計を、村人の推定年収で割り算したら拳を握って飛び出て来たわよ。でも、理解不能ってほどじゃないでしょ?」
「……」
格子の向こう側には手入れの行き届いた花壇がある。昼過ぎである現在は、色とりどりの花が陽光を浴び、活き活きとした生を謳歌している。夜になれば、屋敷のそこかしこに設置された照明が花々の代わりに輝くのだろう。
そんな村長の屋敷とは別の大地――と言うほかに言葉が見当たらない――に在るかのごとく、村人たちの住居はひび割れや土埃などの汚れが目立ち、造りも粗末なものとなっている。
「ビリーが裏稼業に手を染めてるのは間違いないんだから……裁判にかけるより手っ取り早いわ」
そんな家が軒を連ねる寂れた村にどんな重税を敷いたとしても、ここまで豪勢な屋敷を建てるには足りないだろう。パメラが言った通り、違法な手段が必要である。
とはいえ――
「……今はビリーさんに会いましょう。案外、僕たちの邪推なのかも知れません」
「そう? せいぜい痩せ細ってることを祈るわ」
パメラはどこか不満そうに呟きつつも、プリシラの一歩後ろに続いた。