2-2 最初の一歩
赤い点を目指して、進んでいく。住宅街に入り、家々が立ち並ぶ。
角にある小さな公園が集合場所に指定されている。
待ち合わせ場所にはまだ誰も来ていないようだった。
学生用の住宅街の一角だし、ここで合っているのか不安になり、エリックは何度も地図を見直した。目的地の赤い点と、自分のいる位置である青い点は見事に重なっている。だから、集合場所はここで合っているはずなのだが、まだ誰も姿を現さない。
「あれ、君……」
エリックが不安になってそわそわしだした時、聞いたことのある声がした。振り向いて少しだけ視線を下げれば、朝別れたばかりのミリィがそこにちょん、と立っていた。
三つ編みが揺れている。そして、白いワンピースの左胸には校章バッチが付けられている。
「朝以来だね」
笑顔で言えば、ミリィは安心したようで微笑みながら口を開いた。
「うん、朝以来だね。良かった。突然、現実を突きつけてしまったから落ち込んでるんじゃないか、不安になってたんだよね。ボク、君を傷つけたかもしれないって……」
エリックは首を振ってから胸を張って見せた。
「大丈夫。混乱こそしたけど、俺はずっと銀遊士になりたかったんだ。だから、こんぐらいで落ち込んでなんかいられないって!」
エリックがにっ、と笑って見せるとミリィも嬉しそうに笑った。綺麗な黄緑色のアホ毛が左右に揺れている。
「……それより、ミリィは何でここに?」
エリックは気になって声を尋ねてみた。まさか、今の一言が言いたくて学校から付けてきたわけじゃないだろう。
「ボク、ここが待ち合わせポイントなんだよね」
ミリィが言った言葉にエリックは目を丸くした。
「俺も! 俺もここが待ち合わせなんだ!」
叫ぶように言う。
ミリィが花が咲いたような笑顔を見せる。
「ボクたち、きっと同じファミリーだよ。知らない人達ばっかりだったら怖いなって思ってたんだ。こんな偶然ってあるんだね。君と一緒で嬉しいよ」
ミリィは小さな体に似合わない大きな荷物を持ちながらも、可憐な笑顔を振りまく。
「良かった。俺、誰も来ないし、緊張してたんだよ! 良かった」
エリックも嬉しくなって、頬が緩んだ。
「おや、邪魔したかな?」
不意に、聞いたことのない低く穏やかな声が聞こえた。
声がした方を振り向く。まず、犬の耳が視界に入った。それからサラサラの明るい茶色の髪、青色のたれ目が見えた。優しそうな柔和な顔立ちをしている、青年が立っていた。
「はは、半獣族は珍しいかな?」
青年が頬を掻きながら、エリックに問う。
その質問で自分がその人を凝視していたことに気が付き、エリックは首がもげるほど横に振った。
実際、半獣人を見るのは初めてのことだ。獣の耳が生えているだけで、ただの人間だ。だけど、その違いがどうしても違和感を生んでいて、視線がどうしてもそちらに行ってしまう。
もっと言うのなら、その耳に触ってみたくなる。ふわふわしていて、とても気持ち良さそうだ。
「すいません! つい、見てしまいました!」
まじまじ見ていたことに対して、勢いよく頭を下げる。
その人は苦笑した。
「あはは、良いんだよ。実際、珍しいことだと思うしね。僕はアドルフォ・ベニミソン。この学校の四年生でこのファミリーの隊長になるよ。隊長とか、そんな感じで呼んでね」
優しい人がファミリー長みたいで良かったという感想を抱く。
ミリィも似たようなことを思ったらしい。軽くウィンクされたので、声には出さないが頷き返しておく。
未来が明るくなった気がした。
「そろそろ、他二人も来ると思うよ。俺たち上級生は元々同じチームだったから、入りにくいかもだけど、気にしないでどんどん話しかけてきてほしいな」
「はい!」
アドルフォの言葉に頷けば、アドルフォはたれ目をさらに和ませて笑みを見せてくれた。
纏う雰囲気は穏やかで、「お兄さん」みたいな印象を持つ。
「とっとと歩けないのかしら?」
「痛いな~、そんな耳を引っ張らないでほしいっていうか、ちょっと聞こえてます?」
そんな声が聞こえてきた。
ファミリーの残りのメンバーだろう、とそちらへ目線を向ける。
「ああ、来たみたいだ」
アドルフォがそう言って、振り返った。
「こっちだぞ……って、また引きずられてんのか」
アドルフォが呆れた声を出す。
「ええ、『また』引きずっているの。可愛い子には見境ないんだから。嫌になっちゃうわ」
ふん、と鼻を鳴らした女性は、艶のあるピンク色の長髪を後ろへと払いのけた。大きく丸い深紅の瞳は強気な光を宿らせている。しゃんと伸ばされた背筋に気高さを感じた。
エリックは静かにその女性を見つめた。存在感に圧倒されたのだろう。
女性はエリックとミリィに気が付くと、腕を組んだ。
「新入生ね。わたしはグレイシャ・サークル・セネナル。アドルフォの幼馴染で三年生。これからあんたたちのお姉さんってことだから言うことを聞きなさい。分かったわね?」
立て板に水を流すことく早口で言われたために、脳内で整理が追いつかない。ただただ、呆然としていると、グレイシャはじろり、とエリックを睨んできた。
「返事は?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる。隣で、ミリィも慌てたように挨拶をして頭を下げていた。
グレイシャはまだ不満そうにしていた。しかし、ここで言っても仕方ないと思ったのだろう。文句は言われなかった。
「次はあんたよ、カルロス」
グレイシャに引きずられていた男性が、エリックとミリィの前に押し出された。
「あ」
その姿を見て、最初に反応したのはエリックだった。
続いてミリィが顔色を変えて、エリックの背中に引っ付く。エリックの方が身長が高いから、壁にはちょうどいい
「君はあの時のクソガキだね。へ~、新入生だったんだ」
黒髪に鮮やかな青緑色のメッシュ。そして、切れ長で緑色の瞳。
間違いなくミリィをナンパしていた男だった。
エリックは目の前の男を警戒した。同時にミリィを庇うように左腕でミリィを後ろへと下げる。
「そんな警戒しないでよ。これからは仲間なんだからさ。オレはカルロス。よろしくね」
差し出された手に、エリックの服を掴むミリィの力が強くなる。
ここはエリックが頑張らなければいけない気がした。
「カルロス先輩、よろしくお願いします」
笑顔で手を差し出せば、カルロスがその手を握り返した。
なんだ、ちゃんと挨拶は出来る人じゃないか。エリックが見直しかけたのも束の間だった。カルロスの手にどんどん力がこもってくる。
緑色の瞳には黒い光が浮かんでいた。
「あはは、君とは仲良くしたいなんて言ってないんだけど~? このクソガキ。よりによって《死神》に目を付けられるなんてさ。お前のせいだよ」
何を言ってんのか全然分かんないが、明らかに今朝の事件はカルロスの方が悪いとエリックは思っている。だから、この件で責められるのは筋違いだと感じた。
エリックも無言で手に込める力を強くした。言葉では言い返す度胸がないから、ほんの少しのお返しだ。
カルロスの瞳がすうっと細められる。
「こらこら、初日から喧嘩しないでな」
柔らかい声でアドルフォが言った。
だけど、カルロスはエリックから手を放さない。
「カルロス。分かってんだろ?」
突如、アドルフォが低い声で言った。
エリックは背後にいるアドルフォを振り返った。
そして息を飲む。アドルフォの柔和な雰囲気は消え去り、青い瞳に浮かぶのは明確な敵意だった。その光は一瞬でかき消されたが、確かに見た。
一瞬、別人が現れたのかと思うほど、雰囲気が違ったのを見て、エリックは背筋にひんやりしたものを感じた。
「は~い、ごめんなさい」
今のアドルフォの視線を受けても、カルロスは飄々とした態度を崩さない。
どういう根性をしているのか、エリックはとても気になった。
「新入生に怖がられるって、あんた何したのよ、カルロス?」
グレイシャがカルロスに笑顔で尋ねる。その笑顔から黒い波動のようなものを感じて、エリックもミリィも顔が引きつった。笑顔を向けられている当の本人も不味いと感じているようで、必死に言い訳を試みているが、効果は薄いようだった。
「いや、オレとしては軽い挨拶のつもりだったんだよ? ほんとに!」
「言い訳無用よ。あんたはあの子に迷惑をかけたのね?」
カルロスにグレイシャが詰め寄った。
グレイシャはカルロスの性格などお見通しらしい。ミリィをナンパしたことまで読み取ってしまったのかもしれない。
「まあまあ。新入生がびっくりしちゃうから。さて、次は君たちの名前を聞かせてほしいな」
アドルフォが二人の間に割り込んで取りなした。
言われて、エリックは自分がまだ名乗っていなかったことを思い出した。慌てて、名前を名乗り、頭を下げる。
ミリィもエリックに習い、慌てて名乗って頭を下げた。
「ミリィちゃんって言うんだ。よろしくね~。分かんないことがあったら、何でも聞いてね。力になるからさ」
カルロスが今朝と同じようにミリィに迫っていく。
グレイシャの鉄拳がカルロスの頭に落ちた。
「調子に乗らないで。アドからも何か言ってあげてよ」
グレイシャがアドルフォに言った。
「それは、僕にはどうしようもないかな。それじゃ、我が家に移動しようか」
苦笑しながら、アドルフォが告げる。
エリックもミリィも返事をして荷物を持ち直した。
「基本、互いのことは名前で呼ぼうね。とっさに名前が出てこないと戦闘中の指揮系統が混乱するから」
アドルフォが住宅街を歩きながら、説明してくれる。
「あと、喧嘩は両成敗。家の中での家事は交代制ね」
頷きながら、頭に叩き込んでいく。
「何か質問はある?」
アドルフォが尋ねてきた。
耳に触れてみてもいいですか、という質問が口から出かけたが、慌てて飲み込んだ。
「一年生だけ、二人なんですね。二年生や三年生、四年生は一人ずつなのに。他のところもこんな感じですか?」
かわりに気になっていたことを質問してみる。
「そうだね。みんなこんな感じじゃないかな?」
アドルフォがうーん、と唸りながら答えた。どうやら、他のファミリーの情報はあんまり共有されていないのかもしれない。単にアドルフォが知らないだけかもしれないが、第一印象的に、アドルフォがそういうことを怠るような正確には見えなかった。
「一年生が多いのは毎年の話だよ。この半年で死んだり怪我したり、過酷な現実を知って退学していったりするからね。国の制度で入ってきた人たちも再起不能だろうと診断されたら、故郷に送り返されるしね。まあ、逆を言うなら、再起不能にならない限り、この学園からは逃れられないってことだけど。君たちはどのくらいまで残れるだろうね~」
カルロスが頭の後ろで手を組みながら、呑気にそんなことを言った。
普段の生活でなら耳にすることのない生き死にの話。この職業は死が近い。でも、だからこそ、誰にもできない何かを成せるじゃないか。かっこいいとエリックは思うのだ。
スパン、といい音が響いた。
「いって~」
見れば、カルロスが頭を押さえている。その後ろで、グレイシャが右手を痛そうに振っていた。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。一年生を怖がらしてどうするのかしら?」
カルロスは痛む頭を押さえながら、恨めしそうにグレイシャを見つめている。
それをアドルフォが宥めたり軽く窘めたりしながら進んでいく。
同じようなつくりの家が並ぶ。そこを迷わず進んでいくアドルフォは歩きなれているように見えた。
このメンバーでこれから一緒に暮らしていくのだ。
エリックは不安を覚えた。でも、それ以上に、心は弾んでいた。




