6-11 それが自分を殺す選択でも
エリックは銀遊士たちの適切な処置のおかげで入院を免れた。最新の治療も幸いして、まだ痛むが、動けないほどではない。
しっかりした止血とその上からきつく巻かれた包帯。血が漏れるということもない。
寝かされているベッドの上でエリックはそっと体を起こした。
エリックがいるところは、港からそう離れていない公園に設置された緊急対策本部の治療テントだった。
隣で横になっているミリィも寝ているわけではないようだった。天井を難しい顔をしながら見つめている。まるで、声をかけてくるのを待っているように映る。
「……俺が居ない間に何があったんだ?」
エリックは単刀直入に質問をした。回りくどい質問をしたり、前置きをする心の余裕はなかった。
ミリィが黄緑色の瞳を伏せる。
「ボクにも良く分からない。ただ、アドルフォ隊長は密猟者の仲間で、カルロス先輩は銀遊士だったみたい。……ボクたちのファミリー、どうなっちゃうのかな?」
エリックは言葉を返すことは出来なかった。言葉が見つからないというのもあるが、何より信じられなかった。
何故なら、アドルフォはエリックにとって銀遊士の鏡のような存在だったから。知らず知らずのうちに頼りにしていたのも、アドルフォだった。あの低い声での指示がいつだってエリックの背中を押してくれていた。
だから、アドルフォが密猟者の仲間だったなんて。
「信じられないよ、俺……」
「そんなの、ボクもだよ」
食い気味にミリィが言った。エリックは黙るしかなかった。
アドルフォは救助されると共に、銀遊士協会へと連れていかれてしまった。何も、弁解はなかった。
グレイシャは落ち着くまでファミリーに与えられた家での待機を命じられたと人伝に聞いた。あの強気な先輩が戦うことも出来なくなるほど衰弱していた。痛ましい光景を思い出し、エリックは俯く。
これから、どうなるのか。そんな不安が暗雲のように胸の奥に巣食う。
そこへカルロスが入ってきた。いつものふざけた笑みはない。唇は横一文字に引き結ばれている。
「さて、とりあえず現状確認をしようか」
カルロスがそう口火を切った。
銀遊士にとって大事なのは過去でも未来でもない。
今の戦場がどうなっているか、だ。
もっと言うのなら、何を生かし、何を殺すか。そのためにしなければいけないことを考えなければならないのだ。常に。
どんなに辛くとも。
エリックは奥歯を噛みしめる。睨むようにして、カルロスを正面から見据えた。
「《ディスター・クイーン》のダンジョン、少しは落ち着いたよ。ただ、一時しのぎに過ぎない。地下では、興奮状態が続いていて、付き従うモンスターたちは活発化してる」
エリックは布団の上で拳を固く握りしめる。
狼型のモンスターは目を真っ赤にぎらつかせ、牙をきらめかせた。お腹を空かせて常に涎を垂らしていた。そんなのがあと何頭いるのだろう。予想は出来ない。
「まあ、このままだと地上に溢れかえるのは時間の問題だよね。当然ながら」
カルロスはライターに火を点けたり消したりしながら、言葉を続ける。その瞳には炎が反射しているけれど、その実、遠いところを見ている。
淡々としたカルロスの状況報告は続く。
「《ディスター・クイーン》は眠りを妨げられて、イライラしてる。港だってこともあるし、討伐が決まったよ。しかも、次世代の《ディスター・クイーン》の雛も見つかって保護してるから、生態系を崩すことはない」
カルロスの言葉を聞いて、エリックは唇を噛みしめた。このダンジョンは至急攻略対象になったということだ。
ならば、護らなければいけない。この国の人たちを。
それなのに、どくどくと耳の奥で潮騒の音が止まない。自分の血流が熱くなる。小枠などないはずだ、と言い聞かせて、エリックは唇を噛むようにして湿らせた。
意を決して、口を開く。
「じゃあ、今すぐダンジョンに向かわないと……」
「その必要はない」
聞いたことのある低い声がエリックの言葉に横やりを入れた。エリックは弾かれたように顔を上げる。
見ると、ちょうどアークがテントに入ってきたところだった。
黒いスラックスに黒いロングコート。内側に着ているシャツまでも黒。どこまでも吸い込まれそうな黒を背負った男が真っ直ぐに立っている。その背中に、世界の貴宝と呼ばれる槍を背負っていた。
「……どうしてですか? 必要ないって、そんなの嘘ですよ。このままじゃ学園都市どころか、国だって危ないんですよ?」
この学園都市や国、いや、そこに住まう人たちのことを考えれば、ここで《ディスター・クイーン》を倒さなければならない。
命を落としたとしても、ここで止めきれなければ銀遊士として、生きていけない。そんな焦りがエリックの中にはあったのだ。
何も言わないアークにエリックは言い募ろうとした。それをカルロスが右手で制する。
「相変わらず、説明を省きすぎだよ。全部ちゃんと説明してよ。オレらが納得できるようにね」
アークの茶色の瞳が細められる。面倒だ、と顔が言っている。
カルロスとアークが無言で見つめ合った。空気が凍てつく。ピリピリと高まる殺気に、エリックは身震いを一つ。
ミリィもさすがに体を起こし、事の成り行きを見守っている。
折れたのはアークだった。短い溜め息を付きながら、視線を外す。
「ダンジョン攻略命令が俺に下った。ソロだから必要なメンバーは俺の自己判断で集めていいそうだ。だが、そうだな……、人の避難を優先する。人員はそちらに割くそうだ」
アークの言葉にエリックは息を飲んだ、
それはつまり、アーク一人の命を使って、時間稼ぎをしろ、ということになる。
「死ぬつもりなの?」
カルロスもエリックと同じことを思ったらしい。静かに尋ねる。
アークはその言葉に鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。
「いや、そんなつもりはない」
アークの言葉に今度はエリックたちが呆けてしまった。
つまり、アークは一人で《ディスター・クイーン》を倒すつもりでいる、と言うことになる。どこからそんな自信が湧いてくるのか、エリックは疑問に思った。
「凄い自信だね~。一人であれを倒すつもりなの?」
カルロスの言葉に、アークは少しだけ笑った。
その笑みはエリックの目には儚げに見えた。今にも空中に溶けて消えていきそうだ。
「まあ、やれるだけやってみるさ」
アークはどうやら、嘘は付けないようだった。
エリックはアークの中に不安げな影が揺れているような気がした。美しい黄金色の瞳がゆらゆらと点滅を繰り返すのだ。
「あの、俺も連れて行ってください」
気が付けば、エリックの口は言葉を紡いでいた。
全員の視線が集まった。
「何考えているんだい、君? そんな怪我をしてダンジョンへ潜ろうっていうのかい?」
ミリィが信じられないものを見るような目でエリックを見つめている。
「ねえ、頭は大丈夫?」
カルロスにいたってはエリックの頭の出来を心配する始末だ。
そんな中、エリックとアークは視線を交えていた。
目を逸らした方が負けだと、エリックは思った。
周りの声など正直、聞こえていなかった。ただ、アークに認めてもらえれば、ダンジョンについて行くことが出来るのだから。
エリックは拳を握りしめた。
「俺も連れて行ってください。足手まといかもしれない。役に立たないかもしれない。それでも、俺は自分が進む道を見極めたいんです。お願いします」
エリックは言葉を重ねた。
アークはそれまで何も言わずにエリックを見つめていた。
やがて、一つ深く息を吐き出した。そして、口を開いた。
「必ず守ってやれるとは限らない」
それだけ言うと、アークはテントを出て行ってしまった。
アークなりの了承だと判断したエリックは素早くベッドから飛び降りる。そのまま剣を携えてアークの後を追ったのだった。
「待ってよ、エリック!」
ミリィの言葉にエリックは一度だけ、足を止めかけた。
だけども、振り向くことはせず、拳を握りしめた。ミリィの声を振り払うように、エリックはそのままテントを走り去ることを選んだのだった。




